『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜ人々を魅了したのか >>

昭和10年代後半、大学生でさえ召集されたあの時代に五体満足で健康な20~30代の男子で
戦争に行かなくて済んだのはどんな人達なんでしょうか?
わざと徴兵回避して村八分になった人達を除いて召集されなくても
堂々としていられた人達の場合です

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A 回答 (11件中1~10件)

『軍事板常見問題』のキャッシュより


http://mltr.free100.tv/index02.html
(現在、上記サイトの項目が閲覧できないので…)
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08k …

【質問】軍に召集されなかった人には、どんな人がいますか?

【回答】旧日本陸軍に於いて、召集を担当するのは、各県にほぼ一つ配置された連隊区司令部です。この連隊区司令部で、参謀本部、陸軍省と言った中央が決定した動員計画に基づき、該当者を召集令状を作成します。
 これは、充員召集令状と言い、前年度に作成し、予め警察署に保管、動員令が下令されると発行するものです。
 また、中央とは別に、その地区を管轄とする師団から、戦死、戦傷、戦病などの要員で人員の不足があった場合、管轄地域で召集令状を発行しました。
 これを、臨時召集令状と言い、師団毎に随時作成されています。
 比率から言えば、日中戦争勃発後、後者の令状が多く発行されています。

 この発行の基礎資料になったのが、各市町村役場の兵事課から提出された在郷軍人名簿です。
 これには軍隊の経歴、召集回数、健康程度、家族関係、思想関係、治癒見込(病気の場合)などが記述され、このほか体格等位に徴兵検査の結果を記入、役種に兵役種類が記入され、更に特・分業、特有の技能が記入されています。

 充員召集令状を発行する場合、特・分業、特有の技能に注目し、中央が作成した動員計画の必要技能召集する部隊の練度、任務の軽重なども勘案して、召集を決定します。
 他に、体格等位、健康程度などを重視して必要兵を抽出していきます。
 海軍の場合は、更に思想関係も重要視されたようです。

 さて、召集記録の欄の末尾に「召集延期者」略して「召延」という朱印が押されると、召集対象外となり、召集令状は来ることがありませんでした。
 これには甲、乙と二つの区分があり、甲は絶対召集しない人、乙は人がいない時に初めて召集対象となる人です。
 この召集延期の制度は昭和2年から開始され、制度が年ごとに拡大していっています。
 ちなみに、この規定は、陸軍動員計画令(永年動員計画令)に記載されたものです。

 例えば、1943年当時の戦時召集延期者は以下の通りです。

1.侍従、侍医、東宮傅育官、皇宮警察官吏、皇宮警察部消防夫
2.陸海軍部隊に在職し余人を以て代うべからざる者、及び特種の雇用人、工員にして必要欠くべからざる者
3.鉄道又は通信業務に従事し、必要欠くべからざる者(一般国民対象)
4.船舶(50t以上のもの)乗組員にして必要欠くべからざる者(一般国民対象)
5.民間航空乗組員にして必要欠くべからざる者(一般国民対象)
6.国土防衛に直接関与する業務に従事し必要欠くべからざる者
7.陸軍大臣の指定する工場又は事業上に従事し必要欠くべからざる者(一般国民対象)
8.都道府県、地方事務所、警察署、市区町村の官公吏にして兵事事務を主管する者各一名(一般国民対象)
9.帝国外の地に於いて執務を執行する帝国官吏中、必要なる者、並びに外地最高司令官、朝鮮台湾軍管区司令官
10.帝国議会の議員
11.国民学校教員中必要なる者(一般国民対象)
12.上記の外、国歌総力戦遂行の為に緊要なる業務に従事する者にして、必要欠くべからざる者

 つまり、一般人は輸送、通信関係の職員、陸軍大臣指定工場技術者、兵事係などの召集業務担当者が全面的に免れ、教師も一部が召集対象から外れています。
 また工場の熟練労働者も対象となっています。
 但し、工場などに於いてその選出は各工場に任されていた為、工場幹部の親戚が事務屋として入っていて、召集延期者として選出させた事例もあります。
 この場合は、発覚すると即座に召集されるようになっていました。

 1944年からは、臨時召集延期制度が始まります。
これは、航空機工場、特に重点機種(疾風とか飛燕とか言った戦闘機、飛龍などの爆撃機)の生産従事者は全員この対象となって、召集を延期されています。
 また、これ以外の航空機生産従事者、交通関係従事者、鉱山技師、炭坑夫、造船関係従事者、特攻兵器製造従事者は、例え徴兵検査で入営することが決まっていても、一定期間その入営を延期する「入営延期制度」対象者となっています。
 この制度も1944年から開始されています。

 これより先、1943年3月からは、既に入営した人で、軍需生産に必要な人でなおかつ、「軍の統率、団結、軍の士気上差支えなき範囲内に於いて」召集解除し、職場に復帰させると言う「特別召集解除制度」がありました。

 また、本土の食糧不足が深刻化していた1945年には、根刮ぎ動員があった反面、「召集要考慮制度」というもので、軍需生産だけでなく、農林水産業従事者も対象にしています。

 これらの総数がどれくらいあったかと言うと、召集延期制度が、1941年には10万人程度だったのが、1945年には85万人、臨時召集延期制度は不明、入営延期制度は、1944年で20万人、1945年で6万人、特別召集解除制度は1943~45年で4。3万人、召集要考慮制度は160万人が対象となっています。
 戦時中の在郷軍人数は約500万人、召集要考慮制度を除くと、総数で115万人以上に上っています。
 また、充員召集計画で召集令状を発行されていたのに、その充員召集計画自体が取りやめとなった為、結果的に召集されなかった人も多かったようです。(眠い人 ◆gQikaJHtf2)

うちの母方の祖父。福井出身で戦争当時大阪にいた。
薬剤師だったので徴兵されずに済んでいた。(戦局が悪くなっても製薬する人が内地に必要だったので)

 休みの度に薬をたくさん持って福井に帰り、薬を配って換わりに越前米をもらう。
 ↓
 福井から船でまだ稲作技術が発達していない北海道へ渡る。
 ↓
 米を売ってお金に換えて大阪に戻る。

と、いうのを延々とやっていたそうです。(生活板)
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この回答へのお礼

ご回答様の解説で疑問が解けました

感謝いたします

お礼日時:2007/05/13 21:50

私の父は医師でしたが、戦争中は医学生で徴兵の対象にはなりませんでした。

卒業すれば軍医になったかもしれませんが、その前に終戦になってしまいました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/05/13 21:47

一口に言えば


「身体精神上の条件が不足して兵役に耐えられないと認められた者」
徴兵検査
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B4%E5%85%B5% …
で「丙種」以下とされた人。
「理科系の大学生・専門学校生・高等学校生」
「上記のいずれにも該当しないが運の良い人(人為的に幸運を得た人も含む)」
です。

No4さんが「学生でそのような特典が停止されたのは、学徒動員令がでてからです」と言われていますが、学徒動員令という法令はありません。

学徒出陣というのは、「文科系」の大学生・専門学校生・高等学校生等を対象に、

兵役法
http://www.geocities.jp/nakanolib/hou/hs02-47.htm
第四十一条 中学校又ハ中学校ノ学科程度ト同等以上ト認ムル学校ニ在学スル者ニ対シテハ本人ノ願ニ依リ学校ノ修業年限ニ応ジ年齢二十七年ニ至ル迄徴集ヲ延期ス

の適用を

在学徴集延期臨時特例(昭和18年勅令第755号)
http://www.geocities.jp/nakanolib/rei/rs18-755.htm
兵役法第四十一条第四項ノ規定ニ依リ当分ノ内在学ノ事由ニ由ル徴集ノ延期ヲ行ハズ

として解除したものです。

理科系の学生は、在学徴集延期臨時特例の対象外で依然として徴集を猶予され、卒業後は技術士官もしくは軍医士官として比較的安全に戦争に参加することができました。戦時下では、そういうわけで理系を志願する学生が急増したようです。

元警察官僚・作家の佐々淳行氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85% …
の兄の佐々克明氏は、終戦時には新潟医大で医学を学んでいました。終戦後、直ちに東大法学部に転じ、東大卒業後は自治省と朝日新聞社と両方に内定して朝日新聞社に入社しています。医学に全く未練を残さずに東大法学部に移ったようですから、佐々克明氏が新潟医大に進学したのは徴兵逃れのためと思われます。こうした例は他にもあったでしょう。

さて、冒頭の「上記のいずれにも該当しないが運の良い人(人為的に幸運を得た人も含む)」
についてですが、
「証言・私の昭和史」(東京12チャンネル報道部編)
という昭和40年代に編集された全6巻の叢書がかつて発行されており、その3巻に
「召集令状・一銭五厘の命」
として、「昭和18年から名古屋連隊区司令部で動員業務に従事」した神戸達雄という人の証言が残されています。それによると、
「誰を徴兵するかは、連帯区に備わった兵籍簿という名簿を用いて私たちが決定した。誰を選んで誰を選ばないかについて、上役から指示を受けることはあった。それには従った」
そうです。この本は、証言者が口を濁した所はそれ以上突っ込まない方針で編集されていますのでそれ以上は良く分かりません。

「証言・私の昭和史」はいくつかの版があり、古本で比較的容易に入手できます。図書館で所蔵している所もあるでしょうから、実際に読んでみると良いでしょう。

「それぞれの村役場に兵事課と言う部署があってそこで徴兵される人を選びました」
というご回答もありますが、徴兵される者を選ぶ権限はあくまでも陸軍の連隊区司令部(各県に一つ)の担当官にあったようです。

連隊区
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E9%9A%8A% …
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この回答へのお礼

とても詳しいご回答に感謝いたします
ありがとうございました

お礼日時:2007/05/13 21:48

うちの叔父は徴兵検査で不合格になり行きませんでした。


視力が悪かったのですけど、めがねをかければ車の運転も出来ましたが、あの時代は近眼は少なかったのか、徴兵されず、今の私も恐らく駄目でしょうね、裸眼視力が0.1以下ですから。
叔父は理髪師でしたから、有力者でもなんでもない一般庶民でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/05/13 21:47

それぞれの村役場に兵事課と言う部署があってそこで徴兵される人を選びました



村の有力者は息子や知人が徴兵されないように兵事課の人達にいろいろ手を廻したと言われます
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この回答へのお礼

いつの時代にもそういう人はいるんですね
ありがとうございました

お礼日時:2007/05/13 21:45

理系の大学生(の一部)などですね。


日本の戦争指導者たちも、あの戦争が科学技術の戦いであることにもちろん気付いていて、東大には「第二工学部」まで設置されました。その学生たちは、戦時中も勉強を続けていました。他の学部の事情についても、次のサイトに詳しく載っています。
別冊「東京帝大が敗れた日」(立花隆、文藝春秋)
http://www.bunshun.co.jp/todai0815/index.htm

総力戦は生産力の戦いでもあります。兵器・機械類はもちろん、広く軍需物資、さらには食料などの生産も重要です。継戦能力を左右するからです。
戦争に行かされなかった若者は、勤労動員というか、工場や農作業の手伝いなどに動員されました。また、本土防衛に備えて、いわば民兵のような訓練にも動員されました。
ただし、勤労動員には女子学生も、本土防衛訓練には主婦・爺さん婆さんまで参加させられた時代です。やはり、若い男は戦争に行かないと肩身の狭い思いをしたようです。
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この回答へのお礼

戦争に行かない若い男子は白い目で見られたのかもしれませんね
ありがとうございました

お礼日時:2007/05/13 21:45

日本の動員率は参戦主要国ではむしろ低い割合ですよ。


学徒動員の行われた1944年でも日本の6%に対し、ソ連25%、ドイツ18%、アメリカが8%と言うところです。
日本の場合、それらの国に比べて色々な面で機械化が遅れていた為労働に人手がかかるのに加え、船舶量の不足から動員しても前線には送れない、与える装備まで生産が回らない、等の問題があったため主要国では動員力は最も低い水準でした。
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この回答へのお礼

その数字は知りませんでいた
ありがとうございます

お礼日時:2007/05/12 13:56

理工学系の大学、専門学校教授や理工学系研究者は徴兵を免除されていました。


従って将来そのような途に進む可能性と学力を備えた学生は徴兵延期が認められていました。
医学系も同様だったのではないでしょうか?

学生でそのような特典が停止されたのは、学徒動員令がでてからです。
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この回答へのお礼

特殊技能(能力)のある人達はそうなんですね
ありがとうございます

お礼日時:2007/05/12 13:55

全員が徴兵されたわけではありません。


順番に徴兵されていますし、重要な職(医師、工場、公務員等)
は国内の職務遂行に支障が無い範囲で徴収されています。

割り当てみたいな感じです。

例えば、兄弟が数人いた場合、一人は徴兵されても
残りは免除されています。
会社員でも、会社の20%みたいな感じで徴兵されています。
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この回答へのお礼

意外と少ないんですね?
ありがとうございます

お礼日時:2007/05/12 13:54

兵器工場経営者とその家族。

叔父がそうでした。
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この回答へのお礼

その方が召集されれば兵器ができませんからね・・
ありがとうございます

お礼日時:2007/05/12 12:29

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 質問は徴兵検査の事だと思いますので、その件に関してお答えします。

 まず年齢範囲ですが、戦前の日本は国民皆兵が基本でしたので、「兵役法」によって、17歳から40歳までの男性が特定の条件の者を除いてすべての者が兵役に服するようになっていました。日本軍軍人となるには三つの道があり、それには「徴集」「召集」「志願」がありましたが、これは今回省きます。また17歳からの最低年齢ラインが設けられてはいますが、実際には20歳になってから徴兵検査を受けていたこともご承知ください。

 さて肝心の徴兵検査ですが、まず対象者は身体検査(体格検査)を受けますが、これには甲種・乙第一第二・丙種・丁種・戊種の5段階に分けられており、この中で甲、乙種合格が兵役に服務し、丙種は国民兵役(予備役)には適するが。現役には不適。丁種は兵役には適さない者。戊種は病中病後の者で、甲乙の判断が付きにくい者というように分けられています。

 細かく見ていけば、まず優先的に徴兵検査ではねられる者に、結核感染者及び性感染者がいます。次に年齢別に基準が設けられた身長・体重・胸囲に達しない者は「筋骨薄弱」者として不合格になる可能性がありました。視力では航空兵や戦車兵などといった兵科が、メガネを使用した時点での矯正視力が0・8以下であれば不合格となっていましたが、とうぜんこの場合歩兵や他の丙種では合格ということになります。色盲も不合格になる兵種が多々ありましたが、これらは長くなりますので割愛します。

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日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
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今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


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Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Q戦争になった時の一般人の生き残る方法は?

ふと、日本国が戦争になった時生き残る方法について考えてみました。
日本の一般人が戦争に巻き込まれた場合、当然初期対応として
自衛隊の出動が考えられますし、兵士不足となったらば、憲法改正を
前倒しして徴兵制が導入されるのでしょうね。日本も生死の境い目に
自国の立場が置かれたら、政府もどう考えて行政を行うかわからない。
小泉純一郎元首相の時は、特例法と称してイラクへの米軍援助を
自衛隊員に行わせた。何だかんだで同時多発テロの時は日本人も
巻き込まれていたわけで、日本国はアメリカの言う事を信用して、
イラクへの派兵を行った。もっともアメリカにはテロ戦争の戦勝国
として日本の名前をよんでもらう事が無かったが。平和憲法が
あるのに、特例法だから許される、そう言うもんだと世の中に、
小泉純一郎氏は示したと言う事ですね。

とにかくそう言った経緯を考えれば、日本人が戦争に巻き込まれて、
戦争で戦って死ねと教えられるのも可能性として無いわけでは
無いと感じるわけで、その場合日本人はどうやったら生き残れるか、
ふと、考えてみました。

要するに金持ちだったら生き残れるのだけどね。
スターリングラードの戦いがわかりやすいかな?
当時のソヴィエトはナチスドイツとの戦争で生き残るために、
スターリングラードと名付けた地に、いなかっぺのわけのわからぬ
その辺の小僧達を戦争にかり出した。そして戦うものだけ生かして
やる、逃げる者には銃殺刑を提供してやると、強制的に戦争に
若者がかりだされてそして多くの人々が死んでいった。当時の
ソヴィエト政府のご事情もあったが、とにかく一般人は本当に
将棋の駒の歩兵の様に簡単に相手にとられてしまう、そう言う役目を
負っていた。

まぁ、書かなくてもわかりますよね?
戦争になって戦地にかり出されたら、殺さないと殺される、
仲間からも殺される、逃げたら家族諸共処刑される事もある、
戦争になったら戦うしかない、生き残れたら儲けもの、
死んでしまったらおさらばさ。どうせ死ぬなら敵諸共にと、
特攻兵の話も聞いたな。それで日本攻め難しと思わせなかったら、
現在の日本である事もできなかったでしょうね。
中国朝鮮はそう言う日本人の心をくじき、日本を我が国領にと
願っているから、戦争では戦わない方が正しい生き方だよ、とか
情報操作をされたりしますが、何だかんだで生き残るには、
戦う他無いと。若くてまだまだ老い先あって欲しいのに、
戦争にかり出されたと言う世代になったら、もう、本当、
運が無かったとしか思い様がありませんね。

戦争は負けたくないし、でも逃げたいしでは成り立たず、
戦争で生き残るためには勝たないといけないし、逃げると殺される。
戦わないと。一般人が生き残るには?

もう、生き残る方法をあえて考えるのがアホ臭いかとも思いました。
日本人が戦争に巻き込まれた場合、どうすれば生き残れるかあれこれ
書いて質問してみようと思いましたが、もうなるようにしか
なりませんね。

と言うわけで、次のような質問にいたりました。


【質問】

戦争になったら生き残れたら儲けもの、
死んでしまったらハイさよなら。
でも嫌だと言って逃げたら末代まで子孫が呪われる。
自分も味方の兵士に殺される可能性がある。
もう、あえて生き残る方法を考えるのがおかしい。
と、思うのですが、皆様はどうお考えになりますか?
思うところお教えください。

こう言う質問するなやと言われるところもあるかと思いますが、
中国朝鮮などの日本への侵略欲の強さを考えたら、考えて
おかないといけない事かなと思って質問させていただきました。
ご回答お願いします。

もう戦争になったらなるようにしかならんよね??

ふと、日本国が戦争になった時生き残る方法について考えてみました。
日本の一般人が戦争に巻き込まれた場合、当然初期対応として
自衛隊の出動が考えられますし、兵士不足となったらば、憲法改正を
前倒しして徴兵制が導入されるのでしょうね。日本も生死の境い目に
自国の立場が置かれたら、政府もどう考えて行政を行うかわからない。
小泉純一郎元首相の時は、特例法と称してイラクへの米軍援助を
自衛隊員に行わせた。何だかんだで同時多発テロの時は日本人も
巻き込まれていたわけで、日本国はアメリカの言う...続きを読む

Aベストアンサー

>>皆様はどうお考えになりますか?
思うところお教えください。

戦場に出向いたら、そりゃあ兵士として、できるだけ多くの敵を殺すと同時に、自分や部隊の仲間が生き残れるように頑張るってことではないでしょうか?

なので、スカパーで兵器に関連するTV番組を見るとか、「三島瑞穂の自衛隊へのアドバイス」「日本人が知らない軍事学の常識」などの書籍を読んだりしています。前著は、「あなたがテロリストの人質になったら?」など、役に立ちそうな(立つ時が無いほうがいいけど)こと書かれていますね。

また、スイス政府が発行している「民間防衛」には、スイスの一般人として戦時に対処すべきことがイロイロと書かれていました。これを参考に可能なところは対応したいなあと思ったりしています。

また、「民間防衛」には「外国からの武力によらない国家侵略の方法とそれに対する防衛方法」が書かれています。現在、日本は、中国・北朝鮮・韓国から、そうした直接の武力によらない攻撃を強く受けつつあり、その攻撃にアメリカのマスコミも参加する始末です。ですから、安倍総理は反撃に苦慮しているように思えます。
なので、それらの国の言論反撃に反撃するため、日本が武器になる論点を、幸福の科学の大川総裁が、このたび「東条英機の霊言」において提示してくださいました。
私たち日本人は、この霊言を参考にすれば、中国・北朝鮮・韓国に対して、「正しい歴史認識をしなさい!」と主張していくことが可能になると思います。
また、アメリカに対しては、「アメリカ人の血を流しても、アメリカには日本を守る責任があるのですよ」と言うことが可能になります。
(この東条英機の霊言は、幸福の科学の大川総裁から、安倍首相への大きな援護射撃です。)

>>皆様はどうお考えになりますか?
思うところお教えください。

戦場に出向いたら、そりゃあ兵士として、できるだけ多くの敵を殺すと同時に、自分や部隊の仲間が生き残れるように頑張るってことではないでしょうか?

なので、スカパーで兵器に関連するTV番組を見るとか、「三島瑞穂の自衛隊へのアドバイス」「日本人が知らない軍事学の常識」などの書籍を読んだりしています。前著は、「あなたがテロリストの人質になったら?」など、役に立ちそうな(立つ時が無いほうがいいけど)こと書かれていますね。

ま...続きを読む

Q戦時中の富裕層について教えて下さい。

戦時中の富裕層について教えて下さい。


戦前から戦後にかけて、日本のお金持ちor身分がいい人達はどんな生活を送っていたのですか?
また、敗戦でなにか生活様式に変化がありましたか?
特に若い世代について興味があります。


・20歳前後で結婚前の若者(男女)はどんな生活スタイル?
・戦争中は富裕層の御令嬢は何をしていた?


その他何でも構いません。当日の富裕層についての情報を頂けたらうれしいです!!

Aベストアンサー

 戦時中の世相風俗を知るには、当時の雑誌、新聞をアーカイヴなどで読むことをお勧めします。それ以前の満州事変当時の世相であれば、たとえば中村正常とか龍膽寺雄らのナンセンス、モダニズムと呼ばれた小説を読んでみてください。現代の世相と何ら変わらないことに驚かれるでしょう。

 戦時中の富裕層の若者は、一般に其々の学校に学びながら、休日は繁華街に繰り出し映画館や喫茶店、撞球場や卓球場などの遊技場で遊んでいました。ところが、戦局が悪化してきた1943年(昭和18)ごろになると、有識者や政府から学生(生徒)たちも軍需工場に動員すべきという主張が現れ、これがやがて学徒動員令として実現化しました。なお、この有識者というのは戦後一転して市民運動で活躍した著名な方々でした。

 当時の新聞(現代仮名遣いに改め)から引用すると、

> 箱入り娘は旧観念 男子と職場交替

> 不急学校の整理は当然 市川房枝女史談

> この決戦が始まってから下層階級には遊休女性はすでに一人もいないはずです。ただ、中産階級以上の家庭では圧倒的に多く所謂不急学校ともいうべき花嫁学校、料理学校、洋裁学校その他何々講習会といった教養施設に篭る子女は全国で相当数に上っていましょう。したがってこれらの整理は当然のことですが既存施設を全て閉鎖したりなどはせずに割烹学校を栄養士養成所に転換させるとか ~ 決戦女性は家庭と共に職場を持つのが当然であります。(43年5月4日 東京新聞)


> 政府こそ躊躇せず女性を徴用なさい

> 婦人代表総蹶起の感激

> 中央協力会議第二日、第一委員会が緊急国民動員に関する議題に入ると宛ら婦人代表の独壇場となり花木チサヲ、羽仁説子、村岡花子、桐淵とよ、山高しげりの各委員が期せずして各自の立場から女性勤労の強力な指導、施設の飛躍的前進を要請 ~ 「徴用の即時断行こそ女子の勤労観念を徹底せしめ工場、事業者側は勤労管理を万全ならしめる、政府は躊躇するところなく未婚女子徴用を断行されたい」(43年7月16日 毎日新聞)

 それでも、やはり抜け道はあるもので、富裕階層のお嬢様のなかにはコネを使って国策会社や官庁の臨時雇いとして採用され、タバコや食券の配給などがあると職員の代わりに並んだりとちゃっかり労働を免れた方々がいたようで、これまた当時の新聞紙上で非難されました。

 戦時中の世相風俗を知るには、当時の雑誌、新聞をアーカイヴなどで読むことをお勧めします。それ以前の満州事変当時の世相であれば、たとえば中村正常とか龍膽寺雄らのナンセンス、モダニズムと呼ばれた小説を読んでみてください。現代の世相と何ら変わらないことに驚かれるでしょう。

 戦時中の富裕層の若者は、一般に其々の学校に学びながら、休日は繁華街に繰り出し映画館や喫茶店、撞球場や卓球場などの遊技場で遊んでいました。ところが、戦局が悪化してきた1943年(昭和18)ごろになると、有識者や政府...続きを読む

Q日本はこれから100年以内に戦争をしてしまうのでしょうか?

日本はこれから100年以内に戦争をしてしまうのでしょうか?

私はこの春から中学生になりますが、本当に本当に心配です。
心配で死にそうです。
戦争が本当に怖くて、戦争を体験するくらいなら、先に死んでおきたいです。

母にも何度も大丈夫?と聞いていますが、皆したくないと思っているから大丈夫。と
あまり安心できない答えが返ってきます。
何度母に大丈夫といわれても、心配で心配で繰り返し同じことを聞いたので、精神科に行く?
とも言われてしまいました。学校も心配で楽しくありません。
もう怖くて死にたいです。
ごはんもおいしく感じないし、なかなか眠れないし、ずっと不安に追われています
1、日本は100年以内に戦争をする可能性はどのくらいあるんでしょうか?
2、もしも戦争が起きてしまった場合、核は使われるのでしょうか?
3、今第九条改正の声が高まっていますが、それって戦争に近づくということなんでしょうか?
4、皆さんは戦争についてどう思いますか?
教えてください。
私は、今頃戦争をしても何にも利益はないと思っています。
そう思いたいです。
そういう風に自分に言い聞かせていますが安心できません。 

未来が怖いです。もう死んでしまいたいです。助けてください。安心させてください。

日本はこれから100年以内に戦争をしてしまうのでしょうか?

私はこの春から中学生になりますが、本当に本当に心配です。
心配で死にそうです。
戦争が本当に怖くて、戦争を体験するくらいなら、先に死んでおきたいです。

母にも何度も大丈夫?と聞いていますが、皆したくないと思っているから大丈夫。と
あまり安心できない答えが返ってきます。
何度母に大丈夫といわれても、心配で心配で繰り返し同じことを聞いたので、精神科に行く?
とも言われてしまいました。学校も心配で楽しくありません。
もう怖く...続きを読む

Aベストアンサー

戦争は、一般的な常識を持った人なら、だれしもがしたくもないと思っているものです。日本は今平和ですが、日本以外では紛争や戦争が起き、憎しみの連鎖が起こっています。それは日本から遠く離れた国々だけでなく、日本に近い国々も同様です。
質問者様は、この春から中学生になるということですので、12歳ぐらいでしょうか? 僕が12歳で小学校を卒業する時は、ちょうどイラク戦争が始まったときでした。なんと、卒業式の日にちょうどアメリカがイラクに進行したのです。そのニュースをテレビで見たときは、とても怖かったことをおぼえています。

質問に答えさせていただきますね
1、100年先のことは誰にもわかりません。1年先のことも、10年先のことだってわかりません。可能性はゼロではありません

2、万が一戦争が起きたとしても、核兵器は使われることはおそらくないでしょう。もちろん、可能性はゼロではありません。

3、今も昔も憲法改正が時代によって表に浮き上がってくることがありますが、これは何も戦争を日本からしかけてやるとか、他国を侵略するために改憲するというわけではありません。今日本を守っているのは自衛隊という組織ですが、これは政府の見解では軍隊ではありません。非常に微妙な立場にあるのです。
憲法では軍隊や武器を持つことを禁じられ、専守防衛という決まりでこの国を戦争が起こっても、こっちからは最初に手は出さない。相手が(例えば核兵器などを撃ってくるなど)しかけてこない限りは、手を出さないということになっているのです。(もちろん、相手が攻撃してくるのにただ見ているというのはあり得ません。ですので、敵のミサイル基地などを先に攻撃して、最低限の自衛行為を相手の攻撃がなくても行えるなどという議論もあります。重要なのは、先に攻撃できるという結論がでていないことです。あくまで、できるだろうという議論をしているだけなのです)つまり、今の憲法はややっこしいのです。憲法改正の目的は、自衛隊の存在を認めさせ、その他日本の防衛に関してよりきちんと、戦争から国を遠ざけ守るために改憲しようとしています。ですので、なにも戦争をするために改憲するわけではありません。

4、戦争はもちろん嫌です。そして、怖い。しないにこしたことがありません。ただ僕は、予備自衛官という予備役というものですので、戦争があれば行かなければならないかもしれません。なので、非常に怖いです^^;

質問者様がおっしゃる通り、今日本が戦争をしても利益はありません。それは、中国や、韓国、北朝鮮などすべての国について言えることです。現代社会、戦争はそう簡単に起こるものではありません。さまざまな要因が絡み合って、初めて起こるものです。
未来が怖い。よくわかります。誰しもが、怖いのです。そして、質問者様の年齢ぐらいなら、その怖さはきっとお母様や僕といった人たちより、何倍も強いものだと思います。
でも、怖がっているだけではだめです。たくさん勉強してください。中学に入って、公民や現代社会や日本史や世界史を勉強することになると思います。そうすれば、知識が増えます。日々のニュースや新聞を読んでください。そうすれば、世界が広がります。そして、世界のことを知ってください。

戦争は、誰もが怖いです、あなただけではありません。だから、安心してください。悩みすぎないでください。何かあれば、自衛隊が必ずこの国とあなたを守ります。だから、心配しないでください。怖がらないでください。あなたが悲しめば、お母さんも悲しみます。
あなたのような人がたくさんいれば、きっと戦争はおきなくなります。その気持ちと考えを大事にしてください。

戦争は、一般的な常識を持った人なら、だれしもがしたくもないと思っているものです。日本は今平和ですが、日本以外では紛争や戦争が起き、憎しみの連鎖が起こっています。それは日本から遠く離れた国々だけでなく、日本に近い国々も同様です。
質問者様は、この春から中学生になるということですので、12歳ぐらいでしょうか? 僕が12歳で小学校を卒業する時は、ちょうどイラク戦争が始まったときでした。なんと、卒業式の日にちょうどアメリカがイラクに進行したのです。そのニュースをテレビで見たときは、と...続きを読む

Q戦時中、みんな何をしていたのでしょうか?

度重なる質問申し訳ありません。
戦時中について興味を持ち調べてみたところ、次から次へと疑問が噴出してきまして。
さて、今回の質問ですが。
まだ徴兵検査を受けていない、20歳以下の人達についてです。進学して学校に通っていれば、学徒動員などがあったようですが、小学校を卒業後に就職した人達はどのような仕事をしていたのでしょうか?
やはり、学徒動員するほど人手が足りなかったわけですから、彼ら学生に混じって軍需工場などに動員されたのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

☆小学校

昔は数え年で年齢を数えていました。
生まれたときが1歳、その後正月が来るたびに年齢が上がります。
小学校へ入るのは毎年4月です。
1~3月生まれは「早行き」とか「7つ行き」といって、数え年7歳で入学、それ以外は「おそ行き」とか「8つ行き」といって、数え年8歳で入学でした。
小学校を卒業するのは数え年13歳か14歳で、卒業すると家業を手伝うか、男子は丁稚奉公、女子は女工さんや女中奉公に出て「食い扶持」を減らすのが多かったようです。

小学生たちは、昭和17年以降、12月8日には近くの神社へ必勝祈願のお参りをしました。
千人針を縫ったり、千羽鶴を織ったりして「武運長久」を祈りました。
山へ入って、松の根っこを拾い集めました。
松脂から松根油というのを作って燃料にしたのです。
大勢の男を湯船にいれ、おならをさせ、それを集めてメタンガスを作る実験があったとか無かったとか。
そんな話が、当時では笑い事ではなかったのです。

毎日のように防空訓練というのがありました。
防空頭巾をかぶって防空壕へ非難したり、バケツリレーで消火する訓練です。
出征する兵隊さんを日の丸の小旗を振って送り出すこともありました。

☆中学校、女学校

昭和に入ると、裕福な家庭や都会では、中学や女学校に入ることが多くなります。
いまとは違い、「男女16歳にして席をおなじゅうせず。」といわれ、男女共学ではなかったのです。
中学に入るとすぐ始まるのが、軍事教練と学徒動員です。
女学生の場合、看護訓練などもあったと思います。
軍隊から派遣された教官が中学生を心身ともにしごきあげます。
「一億一心」「鬼畜米英」「海行かば~」と、お国のために命をささげる訓練です。
戦火が激しくなると近くの工場へ学徒動員されます。
軍事物資の生産に狩り出されるのです。
しかし、原材料がなくなると工場の掃除や草むしりです。
動員された工場に爆弾が落とされ死傷者がでることもありました。

幼年兵学校というのもありました。
少年航空隊というのもありました。
予科練習生というのもありました。

☆「甲種合格」

男子は(多分)16歳になると全員徴兵検査を受けることになり、甲種、乙種、丙種に分類登録されます。
「甲種合格」といって喜んではいられません。
先ず最初に徴兵されるのは「甲種合格者」です。
密かに喜んでいたのが「丙種合格者」かも知れません。
しかし、戦争に行かずに街中をうろうろしていると憲兵に捕まり鉄拳制裁を受けます。
あの家にも、この家にも、次々と「赤紙」が届き「恩賜の煙草」を戴き徴兵されていきます。
「練兵場」という場所に集められ訓練を受けた後、戦場へと送り出されます。
しかし、送り出された兵士たちに、弾薬や食料はわずかしか送られません。
そんなものは現地で調達しろというのが「大本営」の方針だったのでしょうか。
旧厚生省調査によれば、日本人戦没者は310万人、内訳は軍人軍属230万人、空襲被災者80万人だそうです。
軍人軍属の犠牲者のうち半分以上は「餓死、病死」といいます。
「復員」した人の話では、蛇、トカゲ、蛙などはご馳走のうち、飢えを紛らわせるために靴の半皮に水を含ませてしゃぶることもあったそうです。
当時の日本の人口が6000万人だとすれば20人に1人が戦争で死んでいったことになります。

戦争末期には殆どの成年男子は戦場へ駆り出されました。未成年者も予科練や特攻隊に志願していきました。死を覚悟して。
沖縄では看護兵として狩り出された女子学生までもが、本土防衛のため、戦闘に加わって死んでいったそうです。

☆小学校

昔は数え年で年齢を数えていました。
生まれたときが1歳、その後正月が来るたびに年齢が上がります。
小学校へ入るのは毎年4月です。
1~3月生まれは「早行き」とか「7つ行き」といって、数え年7歳で入学、それ以外は「おそ行き」とか「8つ行き」といって、数え年8歳で入学でした。
小学校を卒業するのは数え年13歳か14歳で、卒業すると家業を手伝うか、男子は丁稚奉公、女子は女工さんや女中奉公に出て「食い扶持」を減らすのが多かったようです。

小学生たちは、昭和17年以降、1...続きを読む

Q戦時中に最前線に投下されて、生き残った兵士っていま

戦時中に最前線に投下されて、生き残った兵士っていますよね。突撃ー!と隊長が言って、突撃しますよね?突撃しなかったら、身内に刺されて死にますよね。どうやって、突撃ー!と言われて、確実に死ぬであろう敵からの集中砲火の鉄砲玉を奇跡的に除けて、周りがバタバタ死んで行く中で、敵陣まで生きて辿り付き、そして全勝出来たのでしょう。

戦争で最前線で戦っていたという旧日本兵のおじいちゃん方はどうやって、最前線をくぐりぬけたのか知っていたら教えてください。

日本が戦争になったら参考にしたいです。戦場から逃げたとか通信兵で後方部隊だったとかはNGです。最前線で戦って生き残った人のどうやって生き残ったのか知りたいです。

Aベストアンサー

 父の友人で、フィリピン戦線で戦った人の話を記載します。

 アメリカ軍の陣地に対して、夜間攻撃を行って占領するという命令を受け、その人の所属する小隊(50名程度であったそうです。)も、夜の闇にまぎれて匍匐前進して200メートル位まで忍び寄り(それ以上はサーチライトが照らしていて、見つからずに接近できそうもなかったそうです。)、夜明け前に「突撃ー!」となったそうですが、とたんに米軍陣地から猛烈な機銃掃射が始まり、照明弾も打ち上げられて、地面の窪みに這いつくばったまま、前進も後退も出来ない状態になってしまったそうです。

 明るくなる前に、点呼があり、這いつくばったまま17人が返事をして、「結構生き残っているな。」と思ったそうです。

 それから明るくなり、熱帯の直射日光の下で、死体に混じって動かないようにしていたそうです。
 日中、太陽の下で、何か動きがあると感じられた場所には、米軍陣地から機銃掃射が何度も容赦なく行われるので、ずっと地面の上に転がっていたそうです。
 そして、日が沈み、夜になってから少しずつ後退して、日本側の塹壕まで戻ったそうです。
 無事に塹壕まで戻ってきたのは、結局8人だったそうです。

 父の友人で、フィリピン戦線で戦った人の話を記載します。

 アメリカ軍の陣地に対して、夜間攻撃を行って占領するという命令を受け、その人の所属する小隊(50名程度であったそうです。)も、夜の闇にまぎれて匍匐前進して200メートル位まで忍び寄り(それ以上はサーチライトが照らしていて、見つからずに接近できそうもなかったそうです。)、夜明け前に「突撃ー!」となったそうですが、とたんに米軍陣地から猛烈な機銃掃射が始まり、照明弾も打ち上げられて、地面の窪みに這いつくばったまま、前進も...続きを読む


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