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1945年当時、戦時下の日本で、健康で健常な18歳男子で徴兵されてない人は普通にいましたか?
「健康で健常な」というのは、仮に開戦前の日本軍に志願しても、体力や学力などの理由で受からないとしても、
重い病気かかっておらず、生まれつきの障害もない、という意味で使っています。

そのような人で、1945年に18歳という条件で徴兵されてない人は普通にいたのでしょうか?
当時は少年兵もいたと聞きますし、特攻で若くして亡くなった方も多いと聞きます。
身近に話を聞くことのできる人がいないので、教えてください。

A 回答 (5件)

海軍飛行予科練習生(予科練)とう制度がありました.軍国教育を受けた少年が多く志願したようです.志願というこになっていますが,志願を強要する状態があったかも知れません.



http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Gemini/8200/ …

などで調べてみてください.(過去を知ることはとても大切なことです.そして,今も,どこかの国に少年兵がいることも事実です.すみません蛇足でした)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
志願を強制ですか。
それは地域差というか、例えば軍人が多く出てる家系だったら「お前も行け」と親から言われる、といったことはあったかもしれません。

自分も過去をしることは大事だと思っています。

お礼日時:2011/02/06 13:55

 日本の兵役は、兵役法に基づき常備兵役(現役・予備役)、補充兵役(第一・第二)、国民兵役(第一・第二)に分かれ、このうち第二国民兵役の年齢範囲は17歳~40歳(のち45歳)までとなっていました。

つまり、本人が軍隊へ入るか否かにかかわらず、兵役に該当していました。

 次に軍隊に入るには大別して徴集(徴兵)と志願がありました。徴集は、年齢20年(20歳)に達する男子を集めて選抜するものでした。これは1943年(昭18)12月に19歳に引き下げられました。そうすることで、翌44年には20歳と19歳の者が徴兵検査を受けることとなり、受け入れ施設や教育に関して様々な困難が予想され、入営期間を分散することで対処しました。

 志願は、第二国民兵役に沿って17歳からできました。

 例えば、海軍の少年飛行兵の養成期間である「予科練」のばあい、高等小学校を卒業(13~4歳)した志願者が選考を経て三ヵ年間教育を受けたのち航空隊に入隊しました。陸軍の場合でも例えば陸軍将校を養成する「陸軍幼年学校」も高等小学校を卒業した志願者が選考を経て三ヵ年教育を受けたのち「陸軍予科士官学校」へ進むようになっていました。つまりこの年齢が17歳であってここで初めて第二国民兵役の正規軍人となったわけです。現役下士官を養成する陸軍少年飛行兵、陸軍少年戦車兵なども基本的に17歳で卒業するシステムでした。

 さて、戦争末期の45年(昭20)6月には本土決戦準備として、「義勇兵役法」が公布施行されました。これは、男女の兵役を定めたもので、男子は15歳~60歳までの者を必要に応じて召集し「国民義勇戦闘隊」に編入すると定めてありました。(義勇兵役法第5条) 
 これ以前にすでに国民義勇隊の組織が各市町村(地域義勇奉公隊)や職場単位(職域義勇奉公隊)、一部の陸軍幼年学校の生徒らなどで結成されており、この単位を維持したまま義勇戦闘隊を編成する過程で終戦を迎え、地上戦闘で仆れたのは義勇兵役法施行以前に沖縄で応急的に編成された男女学徒義勇隊という結果に終わりました。

 
 なお、兵役法および海軍航空隊法による予科練教育(甲種・乙種)などには、変遷がありますがここでは省略しております。


 資料= 遠藤芳信『近代日本軍隊教育史研究』 青木書店 94年 など

 

 
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この回答へのお礼

長文の回答ありがとうございます。
兵役に該当しているということは、「徴兵される可能性がある」「自ら志願できる」ということですか。
正直、今でいう中学生の年齢の子供達が軍事訓練を受けていたことには驚きました。

お礼日時:2011/02/06 13:59

 徴兵の対象は20歳ですが、10代でも志願して入隊することは可能でした。



 士官を養成する陸軍士官学校、海軍兵学校を始め、陸軍幼年学校、予科練などがそれに当たります。とくに戦死者が多かったのは予科練でした。

 逆に理科系の大学生には、徴兵猶予の制度がありました。

 なお、現在でも20歳で成人として扱われるのは、徴兵検査の年齢と関係しています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やはり「志願」ということですと、10代全員が必ず徴兵されたわけではない、ということですね。

お礼日時:2011/02/06 13:53

普通、徴兵検査は20歳からでした。


「地獄の沙汰も金次第」と言うようにいろいろ裏であったようですが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
年齢的に18歳は、それほど徴兵されていなかったということですね。
お金でどうにかなったというのは興味深いです。

お礼日時:2011/02/04 19:45

1945年初頭の段階なら大勢います。


そもそも1944年の時点での日本の人口に占める動員率は主要国の中で最低(ソ連25%、ドイツ18%、アメリカ8%、日本6%)でした。
これは日本の場合、動員しても与える装備も無く前線に送る船舶も無かったことから必然の結果です。
ただし1945年の半ばに達すると本土決戦に備えたいわゆる根こそぎ動員により、大勢が徴兵されていますので、日本の降伏時にはかなり少なくなっていました、
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この回答へのお礼

とても早い回答ありがとうございます。
まず、一口に1945年とだけ言い、正確な時期までお伝えしていなかったことをお詫びいたします。
自分は1945年でも終戦間際を想定していました。
そのところまで回答していただいてありがとうございます。

「かなり少なくなって」とありますが、この一握りの徴兵されなかった人に条件などはあったのでしょうか?
知ってる方がいらっしゃったら、教えてください。

お礼日時:2011/02/04 19:16

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