重要なお知らせ

「教えて! goo」は2025年9月17日(水)をもちまして、サービスを終了いたします。詳細はこちら>

電子書籍の厳選無料作品が豊富!

 不謹慎な質問ですみません。私は学生で、自殺についてのレポートを書かなくてはいけないので、自殺について調べています。
 
 私の場合は、いじめ・受験失敗・就職活動などでほぼ慢性的に悩んでいたとき、何度か「ああ・・死んでしまいたいな」と思ったことがあります。でも自殺をしたことがありません。そういうときはいつも、「悔しい。幸せになって見返してやりたい。」と思ってしまうからです。だから自殺してしまう人に対して、「悔しくないのかな?」と思ってしまいます。

 自殺を扱った文学作品の一つに、夏目漱石の「こころ」があります。二人の親友同士の男性が出てきて、片方が、もう片方の恋焦がれる女性を、その気持ちを知りつつ奪ってしまい、奪われた方は自殺してしまいます。私はこの本を読んだときも、「世の中にはもっといい女性はいくらでもいるし、そんな友人とは絶交して他の女性を探せばいいのに。」って思いました。実際、私も似たような経験があります。でも、他にもっといい男性はいくらでもいるんだから・・、と思い自殺はしませんでした。

 このように、私は自殺は「もったいない」と思います。どうして自殺するのかよくわかりません。人は、一体どんなときに自殺してしまうものなのでしょうか??

A 回答 (9件)

 デュルケムの「自殺論」を読んで下さい。

宮島喬の解説による本が出ています。大学でレポートを出すのなら、参考文献として必須でおさえておくべき本です。

 簡単に言えば、アノミーで人は自殺するという分析です。
 アノミーとは、他者との連帯を失った人間が孤独感などから正常な思考判断ができなくなり、異常行動を起こすという現象です。その状態から逃れるために死すら辞さなくなるという性質を、ヒトという生き物は持っているということでしょう。

 なお、漱石の「こころ」での自殺は、新聞小説の枠に納めるためのストーリテリングのテクニックであり、夢オチよりはマシですが、その類です。心理面からどうこう分析するのに向いた題材とは言えません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

文学と心理学を混合してはいけないですね。

お礼日時:2007/05/21 06:07

この世の中への絶望と孤独なときかな。

    • good
    • 3
この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2007/05/27 21:54

自殺したいもしくは自殺を試みたと言った事が無いので参考にならないかも知れませんが。



多分自殺は逃避なのだと思います。
ある問題に直面し「どう考えてもこの問題を解決できない」と考えた時、人は自殺するのだと思います。

>私は自殺は「もったいない」と思います。
私もこの考えには同意します。
しかし、例えば貴方の「全て」を奪われた時貴方はどうしますか?
交通事故によって全身麻痺になったが意識だけがある。
誰かに話しかける事も、感情を表現する事さえ出来ない。
そんな状態で生きたいと心から思えるでしょうか。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2007/05/27 21:54

私は自殺を試みて失敗し、今では精神障害の方のボランティアサポートをしています。



心の状態が健全な方ですぐ自殺という事は少なく
何らかの健康状態でシグナルが出されます。
病気の症状によっても自殺の理由は様々で
本当に些細なことでも自殺は可能です。

幻覚や幻聴による自殺もあれば
虚無感
孤独感
強迫観念
正義感
と、内容は様々です。
レポートにされるなら一度精神施設にインタビューに行かれてはいかがでしょうか?

ちなみに私が自殺しようとした理由は
「私は自殺をしないといけない」と言う強迫観念です。理由は特にはないのですが
その頃読んでいた哲学書などから人間に対する嫌悪感が生まれ、人間嫌い=自分嫌いになり
自分で追い込みました。
学生の頃の話ですが、別にいじめられていたわけでもなく、むしろいじめが許せなく
沢山のいじめられていた子達を集めて
グループをつくっていました。

必要以上に正義感が強かったのも
悪かったのかもしれません。

参考になれば幸いです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2007/05/27 21:54

自分の心の実在性が感じられなくなったとき自殺が起こるのではないでしょうか。

心の実在性が感じられないのは身体の実在性も消失している状態です。武士の切腹、名誉がかかった政治家の自殺、サラ金地獄による自殺には上述の共通点があると思います。自殺の前には時として○○亡者と呼ばれるような状態の時期があることもあります。もったいないと思うのは心(と身体)の実在性を信じているからだと思います。亡者は心も身体も実在性を忘れているはずです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2007/05/27 21:53

大学生で、卒論題材の一端が、自殺なので答えます。



どんな種類であれ、『深い哀しみ』と一匙の『絶望』、そして、ひとつまみの『後押し』があれば、誰でも、逝くでしょう?
それで、踏み止まるか、踏み止まれなかったかの違いです。
哀しむ人がいたからと言っても、止められないですが。
そう言うモノなのだと思います。
専門系統から外れているので、心理学用語は、使っていませんが。

あと、最近の分類では,イジメ自殺なんかの誰かに追いつめられて、死ぬことを『自死』といいます。
『自分を殺す』のが、『自殺』
『自分を死なせる』のが、『自死』
近いようで遠いモノです。

文献的には、『完全自殺マニュアル』(やや古いですが)
事件的には、『ドクターキリコ事件』(BJとは、関係ないです)
サイトは、参考URLに張ります。
あと、私が卒論の材料にする予定のファイルのURLも張ります。

http://www.soumu.go.jp/s-news/2005/pdf/051118_3_ …
↑死ぬほど長いですが。

参考URL:http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

自殺と自死は違うのですね。

お礼日時:2007/05/21 06:08

苦しくても自殺したいとまでは思ったことが無いのであくまで仮定です。


あまりにも苦しすぎると、客観的に自分を見つめることができなくなるので、通常の精神状態なら簡単に見つかる解決法も考えれないのだと思います。
そして、「解決は無理だから絶望的。もう死ぬしかない。」となるのだと思います。
悔しいけど絶望的な気持ちの方が支配してるんでしょうね。
あるいは悔しすぎて死んでしまうとか。

>「世の中にはもっといい女性はいくらでもいるし、そんな友人とは絶交して他の女性を探せばいいのに。」って思いました。

このように希望を見出すことが全く無い状態まで追い込まれてるのだと思います。

自殺も積極的に「もう死ぬしかない。」という衝動にかられた心理状態と、無気力でなんとなく「生きててもしょうがないし、まあ、死ぬか。」というような脱力感と放心状態がともなった心理状態があるのだと思います。

それでは、持論はさておき、参考になりそうなURLを添付しておきます。
ご存知でしたら申し訳ないですが、参考にしてみてください。
過去に自殺しようとした人の意見がいくつも書いてあります。

自殺心理学
http://www.geocities.jp/can_you_go_now/sotu.html
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

希望が無くなってしまうほど追い詰められてしまうことがあるのですね。

お礼日時:2007/05/21 06:06

いてもたってもいられないほど追い詰められたときの『恐怖』



この気持ちを簡潔に述べるのは不可能です・・・すみません
    • good
    • 2
この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2007/05/21 06:05

キルケゴール曰く『死に至る病』の時でしょう。

つまり絶望。

確かに、自分で生まれたくて生まれてきたんではないから、死は自分で決めさせてくれって考えはあるかと思います。でも、悲しいことですよね。未来に希望がもてない、全ての終わりだと思ってしまうのでしょう。

ただ、全ての終わりは始まりにすぎません。そして、終わったかと思った事すら、まだ始まってもいない事かもしれません。今死ぬ思いをしているのならば、いつでも死ねます。ならば何かを為そうと考えるべきですね。何かを為す事より、その過程が重要な訳です。その過程が充実していれば、為さざる事も為したと同然です。だから死ぬには早い。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

絶望・・死んだ状態のまま生きることだと
何かの本に書いてあった気がします。

お礼日時:2007/05/21 06:04

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!