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この夏、長崎に家族と旅行に行きます。
娘に、江戸時代は、日本が鎖国していて、オランダと中国とだけ貿易していたことを教えたのですが、オランダから長崎まで、どの位掛かったら聞かれ、教えてあげることができませんでした。
もし、ご存知の方がいましたら、教えてください。
よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

風任せの帆船は航海の季節、寄港地の数などにより航海の所要日数はまちまちなのが普通です。


当時の航海は日数も要したので、途中の寄港地で食料、飲用水などの補給が必要でした。  しかも通常は貿易、通信などの業務がありますからそれらの処理の時間も必要です。

他のご回答者の挙げられている例でもほぼ1年と見るのが普通でしょう。

幕末の開陽丸は一応機帆船ですが出力は400馬力でおそらく近海でのみ機関を動かした位と思われます。  しかも受注船で納期を急がされての航海で日本に急行した筈です。  それでも半年を要しています。
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この回答へのお礼

ご丁寧に解説いただきありがとうございます。
子供にだいたい1年位かけて日本に来たことを説明します。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/31 17:41

江戸時代後期、1817年に商館長ブロンホフに付き添ってきたティツィア・ベルフスマの記録では


1816年8月14日 オランダのテクセルを出帆、12月27日にバタビア(インドネシア)着
1817年6月30日バタビア発、8月15日出島着

12月10日長崎発1818年1月14日バタビア着
4月5日バタビア発、9月2日デン・ヘルダー着
となっています。
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この回答へのお礼

参考になりました。
約1年もかけていたのですね。
大変おどろきです。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/31 17:38

風任せもありましょうが、半年ほどかかったようです。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8B%E9%99%BD% …
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この回答へのお礼

ご紹介いただいたサイトを見ました。
参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2007/07/31 17:35

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