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過去の歴史をみるとアジアやアフリカにヨーロッパのキリスト教の宣教師が最初やってきてその後に植民地支配がはじまるとありますがわからないのはどうしてキリスト教の布教をしてから植民地支配がはじまるのでしょうか?別にキリスト教を布教をしなくてもいきなり侵略できるのにしなかったのでしょうか?

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A 回答 (7件)

質問者の方は、「ヨーロッパ諸国は、キリスト教の布教の後に軍隊を送り、植民地にした」と言われていますが、宣教師などを送り込んだのは、カトリック諸国(スペイン、ポルトガル)であって、ブロテスタント諸国は行っておりません。



これは、当時のカトリックとプロテスタントとの宗教のおかれた状況の違いです。

当時のユーロッパでは、宗教改革の真っ只中で、カトリックは、ヨーロッパにおいて、その勢力を大幅に失いました。
それに対し、カトリック側は、イエズス会を中心として、反宗教改革を行います。
その一巻が、海外への布教活動でした。

ポルトガルの場合、まず交易船が現地に行き、現地の確認をすると、イエズス会の宣教師が向かいます。
その場所が、ポルトガルにとって有益な地と判断された場合、そこに拠点を造ります。
この場合、武力によるか、平和的に行うかは、相手しだいです。
ポルトガルの場合は、人口も100万人程度と少ないため、むやみに植民地を拡大せず、あくまで拠点支配にとどまります。
イントではゴア、中国ではマカオ、アフリカのモザンビークなど。

スペインの場合、コンキスタドールなどが、自分たちで勝手に金銀を奪い取るため軍隊を送り、その地を征服してしまいます。
スペイン王室は、その内の一定割合を王室に収める事を条件に、侵略を容認します。
そのため、スペインの植民地は、鉱産資源の豊かな場所がほとんどで、鉱産資源の無い場所や、交易に利点となる場所で無い限り、積極的に殖民を行っていません。
フィリピンの場合、フィリピンは、当時スペインの植民地だったメキシコの植民地で、中国とメキシコの航路確保のために占領しました。
スペイン軍にしても、軍勢は、コンキスタドールの私兵ですから、数百人が限度で、相手がチョットした勢力であれば、占領は不可能でした。

スペインが滅ぼした大きな勢力として、アスティカとインカがありますが、アスティカの場合、スペイン軍というよりも、反アスティカ部族(トルティカ族など)をスペイン軍が結集させ、アスティカを包囲し攻略しています。

インカにしても、当時インカ帝国では、アタワルパとルスカルが、皇位をめぐって戦争中で、ピサロとアタワルパが結び、ルスカルを倒して、インカ帝国に取り入ります。
その後アタワルパを捉え、インカを乗っ取ります。
インカでは、皇帝に権力が集中していたため、皇帝の名代として命令するピサロに反抗できず、のっとられてしまいます。

スペインにしろポルトガルにしろ、まともな国家を占領するだけの力は、当時ありませんでした。
それらを行うのは、イギリス・フランス、オランダといった諸国で、これら諸国は、キリスト教の布教には熱心ではなかったため、質問者のご質問のような事き有りませんでした。
(フランスの場合、カトリックが優位にたっているため、イエズス会などの布教が有りますが、これは占領されてからの話しです。
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#6さんの回答を読みながら、16世紀とその後について気がついたことを書きます。

16世紀あたりの事情は#6さんの仰る通りでまちがいないと思います。
この時代、はっきりプロテスタント側で、独立国で、海上勢力を持っていたのはイングランドだけでした。オランダは正式に独立したのが1648年なので、そういう意味では16世紀まがりなりにも植民地支配をしていたのはスペインとポルトガルだけでした。だからこそドレイクのようなコルセア、いわゆる私掠船、実態は対スペインゲリラを兼ねた海賊会社ですが、そういうものが活躍したりして、新大陸からのスペインの財宝をぶんどる、ということを行っていたのです(これはオランダの海乞食も同様)。
17世紀に入るとプロテスタント勢力もそれなりに力をつけてきて、対スペイン生き残りだけでなく、その他の方法で自国を発展させる、ということを考えます。その際、必ずしも宗教を持ち込まず、支配の根幹だけ、あるいはともかく利益さえ得られればそれでもよいというやり方が確立していくわけで・・・・そういうわけで日本でも出島にオランダだけがやってきていたわけですね。もっとももっと現地勢力の弱いところでは植民をすすめてますが。オセアニアとか(これは17~18世紀ですね)。
しかしその後の植民地運営について言えば、今度は逆に、武力や謀略、勢力対立の一方に加担するなどをもってまず拠点を獲得、その後「布教の自由」を含めた勢力拡大を図った、というやり口も見られます。この場合もキリスト教と支配は少なくともワンセットのものでした。成功したかどうかは地域により異なるのは皆さん仰る通りです。
なお、現代に至ってもこのキリスト教の布教と(新)植民地支配との関連というものは見られます。田川健三氏あたりが、アフリカでの聖書翻訳と植民地支配の関係についていろいろと書かれてますが・・・・
論理として。キリスト教先進地である欧米が、未開のアジア・アフリカの人に教えてやろう、ってことで、それがキリスト教であれ、ほかの文かであれ、まあ、教えてやるのだから先生だし、敬われて当然、ってなことでしょうしね。永い支配をするためには、武力だけでなくこういうイデオロギー支配も必要だということでしょう。この場合はむしろプロテスタントの宣教師が活躍しています。
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その地の民衆が一人でも多くキリスト教になれば、やがて軍隊などをおくって戦争になった時、植民地支配をしやすくなるというわけです。


また、植民地化へ進んでいく過程で、キリスト教宣教師が現地民によって殺害される事件がよくありましたよね。これは、現地民に宣教師を殺害させて、それを口実として軍隊を送り込もうとする帝国主義諸国の策略なのです。
もちろん宣教師側は、純粋な気持ちで布教活動をしているはずですが…。
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侵略と布教を別のものだと考えていませんか?


少なくともこの時代、布教と侵略(もっともヨーロッパ人の意識では文明化)は同一のものでした。文明といえばまずキリスト教(これは今のヨーロッパ人も、特にアメリカ人あたりに顕著かな)があって、それを広めることがつまり直接ヨーロッパの拡大にもなっていた、といった方が正確だと思います。
もっとも当初はキリスト教の布教自体が妥当かどうか(失礼にもああいう別の人種の連中はそもそも人間であるか、キリスト教の「恩恵」をあたえるにふさわしいかどうか議論した)、という話もあるのですが。
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占領および占領後の植民地経営にキリスト教がよい下地になるためです。


まず、異教徒ということで一応大義名分も立ちますし、何よりも相手のアイデンティティというか文化を、自分たちよりに近づけておくほうが、占領後相当に楽になるというのは、十字軍(イスラム勢力の土地をキリスト勢力が占領。結局キリスト勢力は小アジア以東から排斥されてしまいました)などの経験からわかっていたものと思われます。
日本の占領政策が非常に困難を極めたのは、文化のまったく違う人たちを、無理やり自分たちの文化に溶かそうとした、または文化自体を排斥したからで、こういった方法は非常に困難な経営を迫られます。
実際にイギリスのインド経営などでは、相当の困難を迫られました(現地の宗教色が本国とまったく違ったため)。
宣教師というのは主にカトリック系、つまり旧教圏の出身で、当時世界を席巻していたスペインとポルトガルの出身者が相当な数に上りました。宣教と植民地支配とがうまく結びついた結果、可能だった方法なのです。
その点では、キリスト教の柔軟さ(戒律がイスラムやユダヤに比べて厳しくないため、溶け込みやすかった)と、やはりシャーマニズムなどの信仰から一歩踏み込んだ宗教というのが、南アフリカや南北アメリカに受け入れられやすかったというのもあるかと思います。

実際に占領地の武力は、一部の地域(日本や中国)を除いて非常に低かったので(火薬と石のやじりの戦いですので・・・)、それほど困難ではなかったようです。
なお、1番さんが言っている地続きの~というのは、確かに産業革命が起きてからさらに重要となるのですが、宣教師を送り込むことが多かったのは、スペインポルトガルで、それよりはるか前の話です。
この2カ国の場合、植民地は市場ではなく、鉱物資源(金、銀。当時ヨーロッパの慢性不足品でした)や奴隷資源、そして香辛料を得るための、殖民というよりは搾取する場所に近かったのです。そのため植民地経営も行き詰ってしまったのですが・・・

また、2番さんの言っていることもひとつなのですが・・・スペインとポルトガルの場合は、金銭的な目的が大きかったので、理由というよりは、大量の金銀を手に入れるという目標のほうが大きかったものと思われます。
しかし、その後台頭してきたオランダ、そしてイギリスやフランスの植民地支配がスムーズに行ったのは、スペインとポルトガルによる宗教的な「刷り込み」が大きかったものと思われます。
なお、スペインとポルトガルが行った、キリスト教布教が成功したのは、主に南アフリカや南北アメリカと東南アジアの諸島部(ただし一部)などが主で、仏教やイスラム教が普及していたインドや中国、そして中東はイギリスなどの「圧倒的な武力」と「巧みな植民地経営」が現れるまで植民地化はほとんど行うことができませんでした(それでも結局反乱がたびたび起こるのですが)。
実際に、現在カトリック教徒主体の国と、スペインとポルトガルが植民地支配していた国はかなりの数で一致すると思います。

また、宣教師のもうひとつの大きな意味は、今で言うスパイですね。宣教という名目で他国に入り込めますので、どのくらいの文明を持っているのか、鉄器の存在の有無、鉱物資源が豊富かどうか、強い宗教がすでに入り込んでいないか・・・などを調べることができたのも非常に大きいかと思います。
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 人間には「生き甲斐」「人生の意味」「大義名分」が必要だからです。

大航海時代とはいえ、命を落とすかもしれない未開の地に踏み込むには理由が必要だったでしょう。それがローマ法王のお墨付きだったのです。当時のキリスト教の世界観ではキリスト教信者でない人間はすべて地獄行きなので、布教こそが最善の行動と考えられたのです。
 宗教改革の反動という側面も指摘されています。カトリックが全世界に積極的に布教をしている姿勢を示す必要が生じたのです。
 つきつめると、正しい(と信じた)意思に基づいた行動だからこそ命をかけられたのです。
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大航海時代を迎えて、宣教師が異文化の地へ布教にでかけます。



宣教師はヨーロッパからですから、欧州人が普通に免疫を獲得している伝染病を持ってます。
持ち込まれたところは伝染病が流行しますが、宣教師はその病に倒れることがありません。

そうすると「オラたちが信じてた神様よりもあの外人がすすめる神様のほうが効果があるに違いない」ということで、大量にキリスト教に帰依してしまいます。キリスト教の教えに感銘をうけた場合もありますが。

土着のシャーマン的な宗教に基づく支配関係が崩れるわけですので、武力による侵略を必要としないか最小限の武力行使で植民地にすることができる。

と、疫学の雑学サイトに書いてありました。

地続きでない植民地が有効になるのは産業革命以降ですので、宣教師の活動はその前から行われているのが正解かな?
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Q宣教師が日本人を奴隷として売り払ったのですか?

歴史に無知な者でございます。

今まで、聞いたことが無かったのですが、キリスト教の宣教師が日本人を奴隷として拉致・連行し、外国に売り払っていたという話を耳にはさみました。

これは歴史上の事実ですか?  
それとも、キリスト教嫌いの人が捏造した作り話なのでしょうか?

あるいは、キリスト教宣教師と緊密な関係を築いてた南蛮商人が独自に奴隷貿易を実施しただけで、宣教師は日本人の奴隷貿易には一切関与していなかったのでしょうか?

私が学校教育を受けた時代は、アメリカ人やキリスト教徒に遠慮しなければならない時代で、第二次大戦中に国際法違反で非人道的な原爆を投下したキリスト教徒たちを糾弾することもありませんでした。そんな時代の教育でしたので、キリスト教徒や南蛮商人が日本人を奴隷として輸出していたなど、キリスト教徒に失礼になる事実は教えてもらえなかったのかもしれません。

しかし、現在はアメリカによる占領は終わり、キリスト教を特別に崇める必要もない、自由な良い時代になりました。

今の時代になったからこそ、歴史の真実を知っておきたいと思います。

戦後の検閲教科書に書かれていない歴史の事実をご存じの方から、教えていただけるとありがたいです。

歴史に無知な者でございます。

今まで、聞いたことが無かったのですが、キリスト教の宣教師が日本人を奴隷として拉致・連行し、外国に売り払っていたという話を耳にはさみました。

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あるいは、キリスト教宣教師と緊密な関係を築いてた南蛮商人が独自に奴隷貿易を実施しただけで、宣教師は日本人の奴隷貿易には一切関与していなかったのでしょうか?

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Aベストアンサー

16世紀の南蛮貿易というのは一般には

東南アジア交易圏に南蛮人も参加するようになった
と、ご理解ください。
南蛮人が来る前と来た後で交易の構造はそれほど大きく変わっていない。
商材として鉄砲が加わった
※ ちなみに日本にもたらされた鉄砲も西欧から持ってきたのではなく、東南アジアで製造されていたものがもたらされています。

人間を商材にすることは、世界中どこでも行われてきたことです。
この際に、人間を確保するのは現地の権力、交易の主体になるのは交易業者となります。
※ アフリカの奴隷貿易も人間確保はアフリカの現地権力です。

後期倭寇における禅僧の位置づけは、南蛮貿易におけるイエズス会士である。

ということで、他の方へのお礼の中の文章になりますが「まとめ」ということで書かれている文章に関して。

1.奴隷の調達は日本人がやっていた(奴隷狩り)。キリシタンは直接の奴隷狩りには手をださなかった。
※ 手を出さなかったのではなく、手を出せなかったと考えるのが妥当かと

2.奴隷売買は日本人の奴隷商人がやっていたことであるが、鎖国時代であったため国内売買だけで、輸出はできなかった。
※ 江戸時代に入って日本人の海外渡航禁止令がでるまでは、奴隷交易に参加していたと推測するほうが妥当かと。


3.日本人の奴隷商人から奴隷を購入したキリシタンの奴隷商人が独占的に日本人奴隷を貿易することができた。
※ この判断はできない。

4.世界各地のポルトガル人の街で日本人奴隷が観察され、レポートされているが、輸出された日本人奴隷の人数は定かでない。
※ メキシコはスペイン領ですので、ポルトガル人の街と限定する必要はないかと。

16世紀の南蛮貿易というのは一般には

東南アジア交易圏に南蛮人も参加するようになった
と、ご理解ください。
南蛮人が来る前と来た後で交易の構造はそれほど大きく変わっていない。
商材として鉄砲が加わった
※ ちなみに日本にもたらされた鉄砲も西欧から持ってきたのではなく、東南アジアで製造されていたものがもたらされています。

人間を商材にすることは、世界中どこでも行われてきたことです。
この際に、人間を確保するのは現地の権力、交易の主体になるのは交易業者となります。
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Q江戸時代はなぜキリスト教はNGだったの?

日本は仏教が中心ですが、キリスト教信者もいます。キリスト教に篤い学校・老人施設・病院などもあります。
しかし、江戸時代はキリスト教は禁止されていました。キリスト教を信仰すると罰を受け、踏み絵などキリスト教信者を見つけては処罰という制度もありました。天草四郎を中心とした島原の乱も起きるなどしながらもキリスト教は禁止されましたが、隠れキリシタンも多数存在していました。
で、いったいなぜ江戸時代はキリスト教が禁止されていたのでしょうか???

Aベストアンサー

江戸幕府のキリシタン禁制は慶長17年(1612)、幕府直轄領での禁制、翌18年に、全国さらに外国まで広げたものですが、キリスト教禁令にはさまざまな要素があります。
 キリスト教布教当初から信仰が拡大するにつれ、キリシタン大名領では神社仏閣の破棄が行われました。そのことから民衆側からもキリスト教を邪教視する風潮がありました。同時に寺社の破棄は、日本の伝統的倫理観の破壊と恐れられたのでしょう。

 次に創造主の元の平等、つまり創造主の絶対性ですが、それが日本の封建領主の倫理観とは相容れなかった。欧州では支配者と創造主は同一であるという「神権政治」、そこから発展した、王の地位は創造主より授けられたものという「王権神授」という伝統的倫理観が土壌にあります。そのような倫理観がない世界(日本)に創造主の絶対性を重んじる思想は、主君・領主への忠誠より、創造主への忠誠を優先させます。このことが天下統一のさわりになると、豊臣秀吉は天正15年(1587)に禁教令を発します。

 さらには外交政策の面。徳川家康は和平外交を進めるため、当初は信仰を黙認していましたが、慶長5年、オランダ船リーフデ号漂着により、プロテスタントであるオランダ・イギリスと交渉開始。日本市場の拡大を図るため、ポルトガル・スペインの締め出しを計画。そこでカトリックへの不利な情報と中傷を行いました。つまりカトリック国の侵略的意図。信徒を利用した反乱計画などをは、当時の幕府としては「天下統一のさわりになると」いう危惧をより拡大させました。禁制により教会の破壊・宣教師の国外追放。信徒の東北・蝦夷地への放逐などが行われました。
 徳川家光はさらに厳しく禁制を行いますが、寛永14年(1637)の島原の乱による衝撃から、鎖国政策の徹底とキリシタン弾圧はより強固となります。
 カトリックの海外布教は、プロテスタントに対する対抗措置という面がありました。その点、海外布教を重視していないプロテスタント国とは幕府は貿易を行えたのでしょう。

参考
『国史大事典』(吉川弘文館)

 ただし、禁制も太平の世が長く続くことで形骸化していき、当初はキリシタン監視の意味でもうけられた寺請制度も、寺院側からすれば「檀家としての勤めを果たしていれば、裏でキリスト教を信仰していても黙認する」という事実もありました。領主も「良き領民としての勤め」を果たす限りは信仰も黙認状態でもありました。キリシタンであると暴露しても、領主の監督不行届と罰せられる危険性があったからです。
 現在でも「カクレキリシタン」の家では、寺院の檀家であり、神社の氏子であり、家には仏壇・神棚が祀られて、同時にカクレキリシタンである。その信仰体系は仏教・神道・民間信仰とキリスト教が混在した、いわゆるカトリック・プロテスタントとは異なる信仰形態ですが、キリスト教公認以後も、カトリック・プロテスタントに改宗せず、先祖が守ってきた信仰として「カクレキリシタン」として守り続ける家があります。

資料
『オラショ―魂の通奏低音 カクレキリシタン』(宮崎賢太郎・長崎新聞社)
http://www.nagasaki-np.co.jp/jigyoubu/book/kakure_book.html

『カクレキリシタンの信仰世界』(宮崎賢太郎・東京大学出版会)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4130104020/250-7207972-6663457

江戸幕府のキリシタン禁制は慶長17年(1612)、幕府直轄領での禁制、翌18年に、全国さらに外国まで広げたものですが、キリスト教禁令にはさまざまな要素があります。
 キリスト教布教当初から信仰が拡大するにつれ、キリシタン大名領では神社仏閣の破棄が行われました。そのことから民衆側からもキリスト教を邪教視する風潮がありました。同時に寺社の破棄は、日本の伝統的倫理観の破壊と恐れられたのでしょう。

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Qどうして日本はキリスト教を弾圧してきたのか?

日本でのキリスト教は
織田信長は保護
江戸幕府(家光以後)は禁止⇒踏み絵等で弾圧
明治初期は禁止(五傍の掲示)で欧米の反発で削除
ですよね
どうして弾圧されるのですか?
仏教には身分があってキリスト教は身分が無く平等だから駄目だと聞きましたけど仏教も平等ですよね?
キリスト教派は大名などにも大勢いたのでは?

Aベストアンサー

キリスト教が植民地支配の先兵であることが分かったから
例:南米、フィリピン

Qキリスト教が布教活動が盛んだったわけは?

キリスト教が布教活動を海外まで広めていたのは、なぜですか?
なんで、そんな過ちを犯してしまったのでしょうか?

Aベストアンサー

海外というのはヨーロッパ以外という意味でしょうか? 一応そういうつもりでお答えします。

過ちだったかどうかはさておき・・・
ヨーロッパの外への布教に熱心だったのはキリスト教の中でもカトリックだけです。
プロテスタントは布教活動自体には消極的な宗派が多いです。

というのも、16世紀~17世紀にかけて、ヨーロッパでは宗教戦争が巻き起こっていました。
この間、たくさん戦争がありました。結果としてカトリックからプロテスタントが分離します。
これで困るのはローマ教皇庁です。
戦争とプロテスタントの独立でカトリックの信者は激減して、教会の収入も激減、そしてカトリックの体制も空中分解してしまいそうなかなり危うい状態にありました。

そこで信者を増やすために、積極的にヨーロッパの外へ出て行きました。
時は折りしも大航海時代が終わりを迎えて、世界中に交易路が確保される時代です。
宣教師たちはどんどん世界中に散らばっていきました。
日本にはザビエルが来ましたね。

また、非キリスト教徒の土地を占領するということは、同時にそこの住民を教化してしまうか、無理なら殺してしまうか、ということとセットになっていたようです。
統治する上ではそれが合理的だったのでしょう。
海の向こうの土地を占領したスペインやポルトガル、ドイツの東の異民族の土地を占領したドイツ騎士団もこういったことをやっていたようです。


最後に蛇足ですが参考までに。

ヨーロッパにキリスト教が広がったのはローマ帝国の時代です。
もともとキリスト教はローマ帝国の宗教にそぐわなかったので最初のうちは弾圧されました。
ですが信者が増えていって、最終的にはローマ帝国の国教になってヨーロッパ中で信仰されるようになります。
どうやら、弱者救済というのが女子供、老人に人気があったようです。
こういう経緯を考えると、一神教というのは多神教にはないしたたかさがあるかもしれないと、私は思います。

海外というのはヨーロッパ以外という意味でしょうか? 一応そういうつもりでお答えします。

過ちだったかどうかはさておき・・・
ヨーロッパの外への布教に熱心だったのはキリスト教の中でもカトリックだけです。
プロテスタントは布教活動自体には消極的な宗派が多いです。

というのも、16世紀~17世紀にかけて、ヨーロッパでは宗教戦争が巻き起こっていました。
この間、たくさん戦争がありました。結果としてカトリックからプロテスタントが分離します。
これで困るのはローマ教皇庁です。
戦争とプロテスタ...続きを読む

Qエルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?

エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。
世俗的には、エレサレムの街自体は、たとえば交通の要所とかではなく、たいして重要な街とは思えません。
それなのに、、なぜ3宗教は、エルサレムに聖地を持っているのですか?
たまたまエルサレムに3聖地が混在するだけなのですか? あるいは、歴史上や宗教上で、何か慨依性を持っているのですか?

Aベストアンサー

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む

Qキリスト教の唯一神の名は何ですか

ユダヤ三教はいずれも一神教です。

例えば、
1.ユダヤ教の唯一神の名は「エホバ(ヤハウエ)」、
2.イスラム教の唯一神の名は「アッラー」です。

それでは、
3.キリスト教の唯一神の名は何ですか。ご存じの方、教えて下さい。

Aベストアンサー

高校生の時カトリックの洗礼を受けた60代の男性です。
これまでの回答も間違ってはいないのですが、少し混乱されそうだと思いましたので、もういちど整理して回答してみましょう。

・あなたの言われるとおり、ユダヤ教・イスラム教・キリスト教の神(引いてはそれ以外の宗教も、という考えもある)は、同じ唯一神であり、呼び名は色々ある。(呼び名はどうでもよい、という側面もある。)
・キリスト教の場合は、古くからヤーウェ(エホバ)或いは、デウス(「神」のラテン語訳でギリシャ神話のゼウスも同じ語源)という呼び名もあったが、
・現代のキリスト教では、単にGod(神)と大文字で表記し、普通名詞としてのgodと区別することが多い。
唯一神なのだから、単に、固有名詞の「神」だと考えればわかりやすい。
・日本の信者間での通称は、「主」(しゅ)が一般的である。
・私が子供の頃は、「天主」という呼び方もあったと記憶している。古い教会で「浦上天主堂」などと呼ばれているのはその名残。多分「天使」と混同するから使われなくなったのだろう。

・尚、カトリックでは、「三位一体」説というのがあり、神には、「父」と「子」と「聖霊」の3つのペルソナ(人間なら「人格」と訳すが、神なので「位格」と訳す。英語のパーソンに相当)があるが、本来は同じ一体の「神」の別の表れ方という解釈がなされている。
→ http://www1.tcat.ne.jp/eden/Hst/dic/trinitas.html
仏教の阿修羅のように、一体なのに、顔が四方についているイメージを思い浮かべば、イメージしやすいかもしれない。

この内、「父」は、「天の父」であり、
「子」は、「神の子」でありながら、人類の救いのため、人間の姿になって地上に降られた「イエス・キリスト」であり(その意味で、「イエス・キリスト」は「救い主」(メシア)と呼ばれる。)
「聖霊」(「精霊」ではない)は、イエスの誕生、洗礼及び復活のとき、イエスの中に満たされるとともに、今日ペンテコステ(聖霊降臨の日)と呼ばれる日に舌の形で弟子たちのもとに下り、一瞬の内に出身国・国語の異なる弟子たちの言葉が通じ合い、喜びに満たされた、という話があり、今後も「聖霊」が人類に与えられることによって救いが完成すると言われています。
→ http://www.pauline.or.jp/spirit/sps3.php

このように、三位一体説は、非常にわかりにくい教義で、3つのペルソナの中で、すぐにイメージしやすいのは「子」であるイエス・キリストのみであり、教会内にキリスト像ないし十字架上のキリスト像があるが、あとの2つは、像もなく、目に見えにくいイメージですね。

神=イエス・キリストという回答も間違いとは言えませんが、正確には、イエス・キリストは神の3つのペルソナの一つであり、「キリスト教の唯一神は固有名詞の「神」Godという呼称で呼ばれています。」という回答の方が、現代では一般的だと思われます。

高校生の時カトリックの洗礼を受けた60代の男性です。
これまでの回答も間違ってはいないのですが、少し混乱されそうだと思いましたので、もういちど整理して回答してみましょう。

・あなたの言われるとおり、ユダヤ教・イスラム教・キリスト教の神(引いてはそれ以外の宗教も、という考えもある)は、同じ唯一神であり、呼び名は色々ある。(呼び名はどうでもよい、という側面もある。)
・キリスト教の場合は、古くからヤーウェ(エホバ)或いは、デウス(「神」のラテン語訳でギリシャ神話のゼウスも同じ語源...続きを読む

Qなぜ19世紀日本は植民地支配されなかったのか?

題の通りなんですが、なぜ19世紀日本は植民地支配されなかったのでしょうか?

植民地支配されてもおかしくない状況であったのに欧米が進出してこなかったのにはどんな理由があるのでしょうか?

どんな意見でもかまいませんので回答していただけると光栄です。

Aベストアンサー

とにかくヨーロッパから遠かった。
欧州各国は手近な順でアメリカ→アフリカ→中近東→南アジア→東南アジアと植民地化してきたゆえに、極東の島国は一番最後になった。
19世紀前半から中盤は欧米でゴタゴタが多く、各国とも勢力拡大に力が入っていなかった。(南北戦争、ボーア戦争、クリミア戦争、フランス第2帝政...etc)
また、隣国に中国と言う”おいしい”土地があるので、あまり日本が目に入らなかった。

植民地化の取っ掛りには、キリスト教の布教が使われるが、日本では禁教されていたため侵入がむずかしかった。
仏教、神道がの生活の隅々まで行きわたる一方、当時の日本人は宗教の”まやかし”の部分もちゃんと理解していた。

当時、日本の文明のレベル(特に底辺のレベル)が高く、西欧文明を日本流に取り入れることに成功した。
実は、他の植民地となった国々はこれが出来ず、欧米人の思うようにコントロールされてしまっている。
例えば、日本人はヨーロッパ人以上の識字率を誇っていた。
一部のインテリが欧米を見て知識を得ると、すぐに翻訳したり本を書いたりして、
それを印刷(江戸時代からの木版印刷、貸本屋のインフラがあった)し、あっという間に全国民に広めた。
寺子屋の伝統があったので国民皆教育の立ち上げも早かった。
市場経済のインフラもすでにあったので、欧米の商人と対等に渡りあえた。

明治維新が驚異的に早く終結した。
たいていの国々は封建制→中央集権制の変換に100年はかかり、
この間に国土は荒れ、富も消耗し、人材は消失し、国民の間に憎悪だけが蓄積する。
この間に先進国にいろいろな利権を奪われる。
これが最小限で済んでしまった。
また、幕府側も新政府側もそのことを熟知しており、さっさと手締めした。

とにかくヨーロッパから遠かった。
欧州各国は手近な順でアメリカ→アフリカ→中近東→南アジア→東南アジアと植民地化してきたゆえに、極東の島国は一番最後になった。
19世紀前半から中盤は欧米でゴタゴタが多く、各国とも勢力拡大に力が入っていなかった。(南北戦争、ボーア戦争、クリミア戦争、フランス第2帝政...etc)
また、隣国に中国と言う”おいしい”土地があるので、あまり日本が目に入らなかった。

植民地化の取っ掛りには、キリスト教の布教が使われるが、日本では禁教されていたため侵入がむずかし...続きを読む

Q『更迭』と『罷免』の意味

皆様、こんにちは。

最近何かとよく耳にする『更迭』と『罷免』ですが、意味が同じように思えてなりません。(他にも『解任』などもあったりして)

どちらも、『人を辞めさす』という意味で間違いないと思いますが。
gooの国語辞典で調べると、『罷免』は単に辞めさす事。
『更迭』は他の人に変える事とでてきます。
だとしたら、『更迭』の用法としては『○○を△△に更迭する』という形となると思うのですが、新聞やTVなどメディアでは『○○を更迭』と使っている気がします。
これは単にメディアがきちんとした使い方をしていないという事なのでしょうか?

なんだかうまくまとまりませんが、『更迭』と『罷免』について分かりやすい用法や明確な違いをご存知の方がいらっしゃれば是非教えて下さい。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

罷免--免職と同じで、辞めさせる事. **を罷免する。はやくいえば首
解任---任を解く  課長の任、地位を解く。**さんを解任するはその人の任(地位)を解くで、**さんを辞めさせるという事ではない。結果的には首もあるでしょう.
更迭---人を変える。**を更迭する。--に***を更迭でもいいし、**を更迭するでも、どこへ行こうが更迭をされる事実がわかれば、いいのだから、**を更迭でもかまわいと思います.地位を下げられる人もあり.

Qヨーロッパでキリスト教がひろがった理由は?

キリスト教は、最初はユダヤ人の一部の人たちが信仰する宗教であり、異端であるとされて迫害されていたようです。
それがいつのまにかヨーロッパ中にひろがったのはどういう理由によるのでしょうか?
統治者が国教として採用したと想うのですが、どういうメリットがあったのでしょう。

またユダヤ人のイエスを神とあがめながら、ユダヤ人を迫害するといった矛盾があります。
ヨーロッパ人にとってユダヤ人とはどういった存在でしょうか?
無理やりイエスとユダヤ人とを切り離しているような気がしてなりません。

またユダヤ人にとってキリストは異端にすぎないのでしょうか?
それともある程度の尊敬をあつめる存在なのでしょうか。

また今後もキリスト教は信仰されつづけるでしょうか?

Aベストアンサー

キリスト教は、社会で疎外されている人々、例えば売春婦やらい病患者に手を差し伸べた宗教です。当時、犯罪や病のため地域社会から追われれば、野垂れ死ぬか、同様の境遇にある被差別民の社会で生きるしかありませんでした。キリスト教は、神の前での平等という観念から、そのような被差別民に(元の村へ)帰りなさい、と言ってくれたのです。
また、キリスト教は、当時のユダヤ教、特に神殿に依拠する特権階級であったサドカイ派を厳しく批判し、庶民の心を少しずつ捉えていきました。

しかし、キリスト教がユダヤ教の亜流であり続けたとしたら、これほど広く教線を延ばすことはできなかったでしょう。キリスト教は、ギリシャの殖民都市であるアレクサンドリアに伝わることによりギリシャ哲学の影響を受けて変質しました。特に、ユダヤ教式の厳しい戒律が緩められた(割礼の省略など)ことが布教に弾みをつけたと考えられます。

ローマ帝国がキリスト教を公認したように、君主が教線の拡大に一役買っているのは明らかですが、キリスト教自体の魅力として、不平等が当然の社会にあって神の前での平等という破天荒な理想を掲げ、被差別民さえ救済してくれる宗教、しかもとっつき難い戒律も少ない、ということで多くの信者を獲得することができたのでしょう。

キリスト教は、社会で疎外されている人々、例えば売春婦やらい病患者に手を差し伸べた宗教です。当時、犯罪や病のため地域社会から追われれば、野垂れ死ぬか、同様の境遇にある被差別民の社会で生きるしかありませんでした。キリスト教は、神の前での平等という観念から、そのような被差別民に(元の村へ)帰りなさい、と言ってくれたのです。
また、キリスト教は、当時のユダヤ教、特に神殿に依拠する特権階級であったサドカイ派を厳しく批判し、庶民の心を少しずつ捉えていきました。

しかし、キリスト教が...続きを読む

Qアメリカではカトリックかプロテスタントかどっちが多いのでしょうか?

アメリカではカトリックかプロテスタントかどっちが多いのでしょうか?

Aベストアンサー

今日、アメリカ最大の宗派は、「バプテスト」と言われています。
ブッシュ大統領も、バプテストです。
バプテストは、プロテスタントの一派で、全米で4千万人の信者がいるといわれています。

それに次ぐのがカトリックです。

ただし、メキシコや中南米からの合法・非合法の移民の多くがカトリックなので、実態は、バプテストに匹敵する信者がいると思われます。

それであっても、バプテスト以外のプロテスタント(長老派、ルーテル派など)を足せば、プロテスタントが圧倒的に多いでしょう。

アメリカ大統領のうちで、カトリックの大統領は、ケネディ大統領のみだそうです。


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