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3人の子持ちです。
標記、真ん中の中2の子は、ポルトガル人と言いましたが、一番下の小6の子は、スペイン人だと言います。私もポルトガル人と思いました。

しかしネットで調べるとスペイン人とあり、子供の教科書にもスペイン人と書いてあります。小6の子は、負けを認めろ と言いますが、どうも負けた気がしません。どっちが正しいでしょうか? 私の単なる思い違いでしょうか?

もちろん、鉄砲伝来 との関連もあると思います。

しかし、件の小6の子は、ゲンシモノガタリ(ゲンジではなくゲンシ)の作者はムラサキシノブ(シキブではなくシノブ)とか言って、笑わせてくれます。マクラノクサシというのもありました。。。

こんなのが身近にいて、まじめな顔をしてスペイン人と言われると、もう何が本当かわからなくなりそうで怖いです! 歴史は変わるものなのでしょうか?  誰か助けて~

A 回答 (11件中1~10件)

ザビエルは人種から言うと”バスク人”ですね。

 国籍から考えると”イスパニア人”かな?
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 スペイン人と言っていいのではないでしょうか。


 
 フランスとの国境近くにあるナバラ王国で生まれました。
 成人してパリに出ました。それからローマに行ってイエズス会の設立となります。
 イエズス会士はポルトガル国王ジョアン3世によって伝道師として各国に派遣されることになります。ザビエルが日本にきたのもポルトガルからの派遣です。これがポルトガルとの円です。
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すでにあるとおり、スペイン人ですね。

本人の意識としては、ナバラ王国人だったのかもしれませんが。

下の子から笑われてください。普段と違う姿を見るのも良いですよ。
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ポルトガル人かスペイン人か、と聞かれれば、答えは「スペイン人です」。


末っ子さんの勝ちですね。

日本に最初に来たヨーロッパ船がポルトガルの船だったから、それで勘違いされたのでは?
お菓子のCM等でも♪ポルトガル人が長崎へ~♪なんてやってるし。
(カステラってカスティリアが語源だから本来はスペインの菓子だと思うのだが…)

なお当時のヨーロッパでは各国から人が集まって交易や探検に従事していたので、船の国籍(=スポンサーの国籍)と船の責任者や乗組員の国籍は必ずしも一致しません。
例えば、船長がスペイン人で副官がイタリア人でも、船の活動のスポンサーがポルトガル国王なら「ポルトガル船」と記録されます。
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当時スペインと言う国はなく、今で言うスペインはカステリア、イスパニア、ナバラなどの国がありました。

なので彼の生まれたところを現代の国に当てはめるとスペインとなりますが、当時の地理で言うと
スペインのナバラ地方、人種で言うとバスク人です。ザビエル=ハビエル ハビエル城というお城があります。
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とりあえず、気持ちの整理と身辺整理は必須だと思います。


ポルトガル人はルイス・フロイスの方です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4% …

国境無き医師団同様、宗教も国籍など無関係なのです。
勝ち負けもありません。

人類みなきょーだいですが、こいつは兄弟じゃねーのかもしんないです。
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「現在スペインとされている場所に生まれた人」


まぁ簡単に言うとスペイン人。

しかしスペインという国は1837年までありませんでして、その前までは王様の名前は
「「神の恩寵による、カスティーリャ、レオン、アラゴン、両シチリア、エルサレム、ナバラ、グラナダ、トレド、バレンシア、ガリシア、マヨルカ、セビリア、サルダーニャ、コルドバ、コルセガ、ムルシア、メノルカ、ハエン、アルガルヴェ、アルヘシラス、ジブラルタル、カナリア諸島、東西インド、大洋の諸島及び陸地の女王、オーストリア大公、ブルゴーニュ、ブラバント及びミラノの公、ハプスブルク、フランドル、チロル及びバルセロナの伯、ビスカヤ及びモリナの領主、等々、たるイサベル2世」」
立憲君主国になった段階で
「神の恩寵及びスペイン君主国憲法による諸スペインの女王、イサベル2世」」

なのでフランシスコ・ザビエルの時代ではザビエルは ナバラ人ということになります。


歴史は変わるというと、シュバイツァー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5% …

ドイツ出身のアルザス人で、フランスの神学者・哲学者・医者・オルガニスト・音楽学者。
この方に近い感じもします。
ドイツ出身とかアルザス人とか書いてあるのは、彼の母語がドイツ語の方言であるアルザス語であり、1875年段階では、1871年に終結した普仏戦争の結果フランス領からドイツ領になった、しかしかれの主な活動場所がフランスだということでしょう。
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現在のスペイン北部(バスク地方)に、当時ナバラ王国という小国があり、そこの生まれです。

でも、ザビエルが存命中にスペインに併合されているので、「スペイン人」と言ってさしつかえないですね。少なくともポルトガル人ではないです。
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スペインのバスク人貴族の子で、


パリ大学を卒業して、
ベネチアでイエスズ会司祭になって、
ポルトガル王の指示でポルトガル領だったインドのゴアに渡って、
ポルトガル船で日本に来ました。

で、中国で死んで、腐らないようにラム酒に漬けられて、マレーシアのマラッカまで運んだあと、ゴアの教会でミイラにして安置されていて、10年に一回公開されてます。
右手は切り離してローマにあり、聖椀として全国巡業していて、日本にも来たことがあります。

世界をまたにかけて活躍すると、死んでも世界中を駆け巡るのです。
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スペインの宣教師です。


歴史の先生が言っていたんですけど、ザビエルの頭ってアレ、ハゲじゃなくて、頭のてっぺんだけの帽子をかぶっているらしい・・・
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