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 下記の日付(第4回航海)は、どんな文献に載っているのでしょうか。
 林屋 永吉・訳《コロンブス航海記 19770916 岩波文庫》に言及なく、
老インディアンは、どのように説明したのでしょうか。
 
── 1502年7月27日、グラシアス・ア・ディオス岬を発見するが、こ
の時老インディアンによって初めて彼は新大陸がアジアでないことを知
らされ愕然とする。
── 《コロンブス 1492“Conquest of paradise”199210‥ America》
http://movies.jp.msn.com/film.aspx?P_MediaID=925

A 回答 (3件)

彼自体の自身によるあるいは当時の評価は新大陸の発見者というよりはキューバ島およびイスパニア島等の発見者及びそれら島の植民地経営者で、彼にとっては新大陸がアジアとどうかではなくこれらの島がアジアかどうかということが問題なのです(最初にアジアに入植地を作ると膨大な権益を与えるとの約束をイザベラと約束してましたから)。



後に考えれば、最も早く南北アメリカ大陸圏に到達したヨーロッパ人という評価が彼の評価ですが、参考URL につけた航海図をみればわかるように、彼の主要な航海はキューバ島およびイスパニア島に関するもので、新大陸に関するものではありません。

あおり文の時期にパナマ周辺の新大陸をうろついていたのは植民地経営者として不適任とイザベラからみなされ、自身が終身総督の植民地として理解していたイスパニア島の上陸が認められなかったからです。

彼にとって重要なのは新大陸ではなく、植民地なのです。自身がイスパニア島の権益を取り返すかそれに相当する新植民地が持てればそれでよいと考えていたと思いますから、「新大陸がアジアでないことを知らされ愕然とする。」なんてことはないと思いますよ。

まあ、映画のあおり文としてはよくできていると思われたら良いのではないでしょうか。

もしかりに、そんなことがあったとして、説明はアジアでないということではなく、アジアにあるはずの物や政治制度がないということだと思います。ただ、相当怪しいと思う機会はそれ前にいくらでもあった「イスパニア島他がアジア」という主張を後年変えたという話は伝わっていませんから、そんなことはないと思いますが。

なお、大穴の話として、鄭和の分艦隊がアメリカに向かったという話がありますから、鄭和艦隊からアジアについての知識を得ていたので、それを知らされたという可能性は0ではありませんが。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F: …
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映画は映画です。

史実でもなければ事実でもありません。鵜呑みにするのは非常に危険です。

つまるところ、コロンブスは死ぬまで、自身が発見した航路でいくことができる土地(現在のアメリカ。厳密に言えば)をインド、つまりアジアだと信じて疑わなかったとされています。
そもそも、インディアンとの関係は決して友好的ではなく、特に第1回の時に作った植民地は、次に行ってみたときには完全に破壊され、残してきた住民は一人残らず始末されていました(もっとも、残してきた植民地人も、相当原住民に悪さをしたらしいですから、自業自得といえばそれまででしょうが)。その後も関係は一切改善はされなかったようです。
まあ、普通に考えれば、見ず知らずの、自身たちとは肌の色も髪の色も話す言葉も違うようなやつらが、いきなり自分たちの島に乗り込んできて住み着かれたとしたら、それは面白いわけがありません。

さらに、第4次航海は、コロンブス最後のあがきに近い状態でして、ボロ舟4隻のみ、しかもイスパニョーラ島への入港禁止とされたためパナマ周辺をさまよっただけに終わり、最後は難破して救助されています。
どうも、コロンブスというのは、たしかに行動力はあったようなのですが、人間的にはあまりできの良い人物とは言えず、しかもずいぶんと欲が深かったようです。もうすこし人間ができていれば、後半生の惨めな結果にならずにすんだのかもしれませんが。

ところで、私はその映画見ていませんけど、そもそも、言語的な共通点がまったくない先住民と、イタリア人のコロンブスが、会話できると思いますか?ネイティブアメリカンの言葉は、部族ごとに違いますから、新しく出会った部族ならば通訳なんているわけありませんし。(そも、ネイティブアメリカンが、インドを知っていなければその問答は話にならないのですが)
また、コロンブスの卵は後世の創作とされていますね。

以上ですが、映画は鵜呑みにすると、恥をかくことがあるので注意しましょう、ということでしょうかね・・
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コロンブスが臨終で「自分はインドに到達した」と言った。


そういう話を聞いたことがあります。
当時のアメリカインディアンが自分達が住んでいる土地のほかに大陸があること知っていたとは思えません。
もし知っていたのならアジアの人たち特に中国人も知っていたはずだしそのことはヨーロッパにも伝わっていたはずです。
言い伝えはあったかもしれませんがコロンブスはそのようなことを信じたとは思えません。
だから死ぬまで自分はインドに到達したと思っていたほうが信憑性があります。
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