No.2ベストアンサー
- 回答日時:
当時のスペインでは、新大陸との交易は、当初カディス、後にセビジャに限っていました。
またアジア貿易は、リスボンで行われていました。
当然スペイン領であるネーデルランドは、新大陸・アジア共に交易ができませんでした。
スペインが交易の窓口を絞っていたのは、新大陸やアジアからの商品に関税をかけるためでした。
各都市が勝手に交易をしたのでは、政府として関税がかけられませんから当然の事なのですが、交易による利益を得られない都市では、不満が溜まる事になります。
オランダの独立の原因は、質問者が書かれた事以外にも色々原因があります。
フェリペ2世のカトリックの押し付けにしても、高校の世界史では当然のごとくに出てきますが、それは正確ではありません。
当初は、ネーデルランド(オランダとベルギー)においてもカトリックが優勢でした。
独立運動が起き、それをスペインのアルバ公が徹底して弾圧したため、反スペイン・反カトリックとなっていったのです。
重税に関しても順序が逆で、オランダ独立戦争に対する費用負担として、税が上げられたのであって、当初から重税だったわけではありません。
そもそもオランダの独立運動の根幹は、フェリペ2世とカルロス1世の政治体制の違いによるものです。
カルロス1世(カール5世)の時代は、スペイン・ネーデルランド・オーストリア、南イタリアを統治するハプスブルク家の実質的な首都は、ネーデルランドのブリュッセルでした。
しかしフェリペ2世の時代では、スペインのマドリッドが首都となります。
カルロス1世の時代では、支配する側であったネーデルランドが、フェリペ2世の時代になって支配される側になってしまった事が、ネーデルランドにおいての最大の不満になっていました。
それに火をつけたのが、フェリペ2世の教会・修道院改革でした。
教会の司教や修道院長をフェリペ2世が任命する事に対して、ネーデルランドの貴族達が反対し、暴動が起こり、その暴動鎮圧に送り込まれたアルバ公が、徹底して弾圧したために、かえって火の手がおおきくなってしまい、独立戦争へと突入してゆくことになります。
No.1
- 回答日時:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A9% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A9% …
オランダ西インド会社と東インド会社
早い話が、国家公認の海賊行為です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AB% …
1494年のトルデシリャス条約1532年のサラゴサ条約によって、東西インド(インドというのは、当時の感覚で言うと、非欧州という感じ)の植民行為・貿易行為はポルトガルとスペインだけに認められました。スペインから見ると、スペイン王家の了承なしに新大陸に行くことは御法度です。なので、新大陸あたりでうろちょろしているオランダ船=密貿易船であり、排除されました。
けど、儲かるから新大陸に行くわけで、効率的に新大陸に行く、さらにはスペイン船に海賊行為をするのが西インド会社の主旨です。(東インドは、トルデシリャス条約では基本ポルトガル、フィリピンはスペインとなりますが)江戸時代初期の長崎のオランダ商館も、スペインから見ると、「海賊の巣窟」となります。
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オランダ西インド会社と東インド会社
早い話が、国家公認の海賊行為です。
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1494年のトルデシリャス条約1532年のサラゴサ条約によって、東西インド(インドというのは、当時の感覚で言うと、非欧州という感じ)の植民行為・貿易行為はポルトガルとスペインだけに認められました。スペインから見ると、スペイン王家の了承なしに新大陸に行くことは御法度です。なので、新大陸あたりでうろちょろしているオランダ船=密貿易船であり、排除されました。
けど、儲かるから新大陸に行くわけで、効率的に新大陸に行く、さらにはスペイン船に海賊行為をするのが西インド会社の主旨です。(東インドは、トルデシリャス条約では基本ポルトガル、フィリピンはスペインとなりますが)江戸時代初期の長崎のオランダ商館も、スペインから見ると、「海賊の巣窟」となります。
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