限定しりとり

教育公務員による不祥事が多く、「教員の資質向上」が強く叫ばれています。
[もちろん理由はそれ以外にもあるのですが]

しかし、
プロ野球の最下位球団は、選手に猛練習を課せば、優勝できるのでしょうか。
業績のあがらないメーカーは、営業マンを鍛えれば、株価があがるのでしょうか。

また、
使えない社員や問題社員を雇った“人事”の資質向上はしなくていいのか。
医者・警察官・政治家・高級官僚の不祥事も絶え間なくおきますが、
これらや、これらの所属する組織の資質向上などは叫ばれません。
[主題の「教員の・・・」にくらべてということです]

つまり、
“教育関係すべての資質向上”なら納得もいくのですが、
いわゆる学校の先生だけへの過負荷は逆効果ではないか????と思うのです。

だって、
公務員として一応クリアな履歴を持ち、難関採用試験を突破した、
優秀な人材です。
[「優秀」に異論はあると思いますが、
  医者や官僚と、レベル差こそあれ、選考は同じです。
  また、“教員”だからというなら、“医者”や“政治家”のほうが
  とくべな存在であるべきだと考えます。ということで、一応優秀 ]

ということは、
もともと、「変」であるならば、採用した側の、人を見る目の問題。。。。
後から「変」になったのなら、組織とシステムと“教育”の持つ別の問題。。。。

ようするに、
教育委員会や校長・教頭といった、管理運営、人事選考、などの
組織・システムの向上を図るのが、先で本筋ではないかと思うのです。

皆さんどう思われますか?

《決して、“教員”は今で十分だ、、とか、
 資質向上がおかしい、、、という意味ではありません。念のため》

A 回答 (5件)

1、教師に限らず、公務員全体がおかしいというのは昔と違って、適材適所の


人間がその職についていないというのが大きいと感じます。
子供に指導をするのが好きだから教員になるという訳では必ずしもありません。
それ故、それを察知してる子供は不登校になったりしてるのです。
「公務員は安定しているから」ということで、公務員試験を受けてる人間が
沢山います。

2、教育を語りたがる一般人も問題があります。
新しい教科書を作る会などが発足したり、派閥が出来ています。
やれ、マルクスを教科書から追放しろ!だの。
右と左にかなり分れて来ています。
教育現場の人間を一方的に責めれない部分もあるのです。
教育が分っていない人間までもが、教育に口を出しているのですから、
これでは教育委員会も乱れます。
また、教育はこれが正しいというのがないのも事実です。
社会的背景によって変化するものですしね。

3、文部科学省の体制もおかしいのですが、根本的に日本の政治が
しっかりしないことには教師になるべく人間が教師になることは出来ない
のです。経済が安定しないと職業選択の自由もありません。

書くことなら色々ありますが、最終的には日本人、個人個人が自覚を持って日本を
よくしていくことを考えないといけないと思います。
先ず、自分を教育することでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
いろいろな面でおっしゃるとおりだと思います。

私の質問の仕方が悪かったのが第一なのですが、
ご回答頂く皆様の反応は一様にして、
『まず己から』が基本となっています。

これは前提であります。そのうえで、なおかつ、
組織や強いる側の責任や義務を問いたかったのですが、
日本人の感覚なのでしょうか?

外国人講師とこのような問題に対して議論していると、
「なぜ日本人は、まず主張しないのだ・・・」と言われます。
「自分の努力や成果を相手や周りに主張せず、
 まずさらに努力することで周りがわかってくれると思うことが
 間違いだ・・・」とも言われます。

「努力しろ」と言われ、「あんたはどうなんだ」と切り返すと、
必ず「後先じゃない」「それじゃ水掛け論だ」「まず自分が・・・」
と、攻められます。

そして、末端は、血のにじむ努力を強いられるのです。
【「努力」とは、本来は自分から進んでするものですが】

大勢のどうしようもないような教師も確かに存在しますが、
総じて、日本の教師はすばらしく優秀だと思います。
【異論の存在はわかりますが、文脈で読みとってください。】
しかし、教育そのものは荒廃しています。

それは、誰彼の責任・・・といえば、
ひょっとしたら、まず自ら・・・と考え、本質的な責任議論を回避してきた、
日本人全体の責任かもしれません。

laingさんや皆さんへの批判ではありませんので、念のため。
それでは、本当にありがとうございました。

お礼日時:2002/08/12 13:03

先生!!



今のこどもが40歳くらいになった時の日本が世界がどうなるのか。
それに対しての投資が教育だと思います。
どうしようなんて難しいし、予想もつきませんし 正解は無いと思います。
みなで最善を尽くすしかありません。

=========
人事院がなんか提言してますね。(天下りやキャリアとか)
すぐには 変わらないでしょうが 10年単位程度で 少しずつ 変わるかも知れません。(公務員人事)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
サイレントマジョリティがいつまでサイレントなのだろうと、思います。
そして、こんなこと書いたり言ったりしていると、
かならず、「おまえはどうなんだ!」と、つっこみが入ります。
誰もが弱さを持っています。
『みんなで、一緒に・・・』でもいいんじゃないかなって思います。
一緒にやりましょうと声を掛け合っていきたいと思います。

お礼日時:2002/08/12 12:38

はじめまして



先生。わからない点がいくつかあるので教えてください。

・難関試験に受かった優秀な人
これは 教員を管理しているお役人も同じですよね?優秀な人達が優秀な人達を採用していると言う構図になりますが。もしそれが「変」ならば、その構図がおかしいのでは?もしかして、行政を管理する政治家をきちんと選ばない国民が悪い とおっしゃりたいのでしょうか??

・教員が槍で突つかれやすい件
会社では 営業さんが突つかれやすいです。お客様と直接接するためしょうがないです。そういう意味では教員の方も同じだと思われます。
(もちろん生徒や保護者はお客様ではありませんが)
最前線(境界)の立場の人は どうしても外部から突つかれやすいです。
(外部は突つき易いですし、内部からは責任転嫁され易い)
そういうことは 採用試験を受ける前にはわからないものなのでしょうか??

==質問 おわり==
・教育について
同感です。次世代への責任を取らない傾向 が 教育をおざなりにしているのだと思います。大きな発展(成長)は無理があります。自分のこどもにもこどもを育てる楽しみを堪能して欲しい。そう思えば 次世代への責任を簡単に認識できると思うのですが。
教育関係者に対しては、「説明責任」「結果責任」を「教育は特別だから」と逃げているような気がしてなりません。事の結果とそれの説明は きちんと責任を負うべきです。(これは 世の中 全般にいえますが・・。自省・・・・)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
まず質問への答えですが、
・優秀
に関しては、おっしゃるとおり、『その構図がおかしい』といいたいのです。
人間的にも優秀だと行っているわけではなく、偉い人だとも思ってはいません。
ただ、愚かでだめな政治家がいたとしたら、その人に一票を投じた、
有権者にはそれなりの責任があると思います。
・採用前に・・・・
う~~ん。難しい質問です。矢面に立つという自覚はあると思います。
ただ、ここまでひどいとは誰も考えていないと思います。

ご意見ご回答ありがとうございます。
誰もが責任を果たしていない、果たせずにいる世の中。
特に教育界なら子供たちにこそ、責任の重大さを伝えるべきだと思っています。
それができていないことに忸怩たるものがあります。

いま、一人からでもできることを心がけたいです。

お礼日時:2002/08/08 12:52

>「不祥事を起こした当該校長や教頭は、頭を下げるだけで管理責任をとっておりません。

・・・そのような構造の構築なく、社会の活性化は期待できないと思います。」
>自浄作用を失った社会の顛末が心配です。

以上のNo.1のaconさんの回答に対するお礼を見て疑問に思ったので、質問です。

教育委員会と管理職の資質向上のために「管理責任や統括責任をはっきり問える仕組み」が必要ということは教育現場の管理職(校長・教頭・教育委員会)に一般企業並の強い人事権(懲戒・解雇など)を認めるべきということですか?

今の教育現場ではよっぽどのことがない限り解雇されません。(普通の企業ならばとっくに解雇されて当然の教師が数多く生き残っています)

一般企業並に管理職にそれなりの責任を取らせるならば、それに見合うだけの権限を与えるべきです。
例えば、校長が教師の人事考課をして「校長がその学校にいらないと評価した教師」はその程度に応じ、校長の権限で、転任、退職勧奨、解雇しても良いとLB41さんはお考えなのですね?

この回答への補足

はい、
校長・教頭・指導主事などと呼ばれる人たちの資質・能力は別にして、
学校長に人事権・予算に関する権限などがないのは大きなの問題だと思います。
与えると同時に、諸責任についても明確にするべきだと思います。

補足日時:2002/08/08 12:29
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居眠りで、通り過ごした電車の運転手は、当然現場責任(直接責任)を問われますが、そういう運転手を雇用し居眠りをするような管理を行った管理者も管理責任(間接責任)を問われ、場合によっては、そのような管理者を登用し統括している統括責任者も統括責任を問われるのが社会の仕組みです。


そして、問われる取るべき責任の程度は、社会の価値観によって変化していくものと思います。

いま日本社会、責任の取り方について、しっかりした基準がなく、混乱状態にあると思います。特に、管理責任や統括責任の取り方にあいまいさが目立ち、当該管理者がその後の防止対策をするのが私の責任と、言っているのは、ばかげた話で、だったらなぜ事前にやらなかったかであり、それこそが管理責任の核心なのです。

確かに、現場責任を問われる側にも問題はありますが、そのような人を雇用せず、そうならないように教育、研修もでき、そうならないように管理もできる権限を持つ管理責任の方が、社会にとってははるかに重大なのです。つまり、管理責任や統括責任の方が重く問われるべきなのです。トカゲの尻尾きりになってはならないのです。

不祥事を起こした当該校長や教頭は、頭を下げるだけで管理責任をとっておりません。なぜ管理責任が取れないかについては、人事権はなく、文部省要領に従って管理しており、自ら管理責任を取るような仕組みになっていないとの理由がかえってくるでしょう。

ここにも、構造改革が必要なのです。
市場原理のように、管理責任や統括責任をはっきり問える仕組みつくりが求められており、このような仕組みが、実は、変化に柔軟に迅速に適応するための構造なのです。そのような構造の構築なく、社会の活性化は期待できないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
まさにおっしゃるとおりだと思います。
自浄作用を失った社会の顛末が心配です。

お礼日時:2002/08/08 09:19

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