冷戦当時日本人がソ連に観光旅行に行った人達がいたという事をつい最近知って、大変びっくりしました。それでは冷戦で直接対峙していた当事者のアメリカ人が観光でソ連に旅行に行っていたのでしょうか?

ソ連(今のロシア)は私にとって、謎に包まれている部分が多いミステリアスな国という印象があります。

ご存じの方どうかご教授下さいます様、お願い致します。

A 回答 (6件)

>冷戦当時 ~ 直接対峙していた当事者のアメリカ人が観光でソ連に旅行に行っていたのでしょうか?


 
 スターリン全盛時代の、いわゆる「冷戦」当時でも観光することは出来ました。
 
 ソ連側の理由として、観光客が来ることによってドル外貨を獲得できる。ソ連政府指定のコースをはみ出さず、撮影の制限を遵守させれば害はない。しかも観光客を通じてソ連の優位性を宣伝させる効果がある、などが挙げられます。ただ、冷戦時、じっさい対立する相手国へ気軽に観光へ行こうという人の数は少なかったし、入国が好ましくない人物、団体に対してはパスポート発給を遅延させる(拒否するとはいわない)ことで実質拒否していました。
  
 実際に観光客が増加したのは、スターリン死後のいわゆる「雪解け」からで、政権交代、政策変更のたびにおこなわれたソ連憲法の修正によって70年代には相当数のアメリカ人を含めた外国人観光客が入国しました。

 70年代当時のソ連を紹介したノーボスチ通信社編による『ソ連邦の生活・文化』(1979年 労大新書)のなかにこういう文章があります。

 一九七七年にソ連邦を訪れた外国人は四四〇万人以上で、外国旅行に出かけたソビエト人は二七〇万人でした。~ この数年間に外国人と結婚したソビエト人は、一万人以上に達しています。そのうちの七〇〇〇人が、結婚相手とともに定住のために、世界の一〇〇ヵ国以上の国々に出国しています。同時に、ソ連邦に移住を希望する外国人の受け入れもおこなっています。
 
 日本人の感覚ではピンとこないことですが、ソ連邦へ観光を含めたプライベートな理由でソ連へ行った人々の特徴のひとつとしてソ連国内に親族がいるユダヤ人たちの往来が挙げられます。一口にアメリカ人といってもユダヤ系アメリカ人が多く出かけております。ソ連国内におけるユダヤ人問題は現在も続いており、先に挙げた『ソ連邦の~文化』のなかにもユダヤ人のイスラエル出国について書かれています。

 ソ連の内政はその都度硬軟に変化したものの、基本的には入国を拒否することはなく、情勢が悪化すればパスポート発給を無期限に遅延すればすむことだけなので、決して観光客が0になることはなかったのです。

 冷戦当時のソ連については、古書店に行けば、そのころの岩波新書や労働大学(自治労)が出版していた「今日のソ連邦」とか労大新書など、左派系の書籍が埃をかぶって一山いくら程度の値段で売っていることと思います。ちなみに『ソ連邦の~文化』は25円でした。そんな宣伝本でも当時のソ連を知る手がかりのひとつになると思います。
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この回答へのお礼

当時のことを知る上で役立つ様々な雑誌・書籍等のご紹介誠にありがとうございます。古書店で探そうと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/27 00:25

No3です。


>キューバ危機やアフガン侵攻の時でも観光は可能だったそうです。
この点は日本からということではなく、一般的に西側諸国から可能だっ
たということでしょうか?

70~80年代初頭まで父親の友人が、ロシア物産の輸入業をやっていました。
子供のころでしたので、記憶が曖昧な部分もありますが、かなり羽振り
はよかったようです。
家にはマトリョーシカやキャビア、ロシア製の冷凍食品とかが
送られてきました。

80年のアフガン侵攻で、家に遊びに来たその人に父親が
「(仕事に)支障はないのか?」と聞いたら
「キューバ危機でも、ソ連への出入国は関係なかった(から大丈夫)」
と返答していたのを憶えています。
あの時、日本では大騒ぎでしたがソ連国内はあんまり変化がなく
相変わらずドイツやトルコからの観光客や輸入業者が普通に出入国
してたようです。

ソ連というと怖いイメージもありますが、けっこうおおらかな国民性
という面もあったらしいですよ。
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この回答へのお礼

冷戦といっても入国については完全に拒否する方針ではなかったのですね。ロシア人は確かに人なつっこいというかあたたかな面も感じたりしますが、そういう民族がソ連というなぜ政府の管理統制の強い国を作りあげてしまったのでしょう?

お礼日時:2007/09/27 00:35

>エスピオナージの小説や映画


すみません、最近遠ざかっていて、すぐに思い出せませんでした。
ジョン・ル・カレのスマイリーとか、フリーマントルのチャーリー・マフィンが一般的なのでしょう。

私が思い出していたのはアダム・ホールのクィラー・シリーズです。
http://homepage1.nifty.com/ta/sfh/hall3.htm

映画では『ファイヤーフォックス』で、クリント・イーストウッドの扮するミッチェル・ガントがソ連に侵入して戦闘機を奪いだすのですが、後半の空中戦のイメージが強くて、どうやって侵入したのか覚えてません。ビジネスマンとして入ったのではなかったかと思います。
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この回答へのお礼

ご紹介ありがとうございます。図書館で借りて読んでみようと思います。『ファイヤーフォックス』は残念ながら観たことがありませんでした。是非観てみたいです。

お礼日時:2007/09/27 00:28

ある程度の緊張感は必要でしたが、50年代からアメリカ人をはじめ


西側各国(日本は国交正常化後)から観光には行けました。
ただし、ソ連の旅行会社が用意した観光ルートがメインで、観光客が
ルートから外れて好き勝手に行動することはできませんでした。
キューバ危機やアフガン侵攻の時でも観光は可能だったそうです。

ゴルバチョフ政権末期(冷戦終了期)には、かなり観光客への制限も
緩みましたが、チェルノブイリの影響と共産党政権崩壊による物不足
から観光客の数は激減。
90年代後期から自由市場経済の導入で観光客(ビジネスマン)の数も
回復しましたが、最近は若者らによる右翼活動でアジア系や中東系の
人たちは警戒の必要があるそうですが。

ケネディ暗殺犯(に仕立てられている?)オズワルドは、60年代に
頻繁にアメリカからソ連に出入国していたそうです。
彼は、観光以外にも「留学生」としてもソ連に入っていたそうですが
ミンスクで知り合ったロシア女性を結婚するためにアメリカに連れて
いってますね。ただし、彼はソ連のスパイという噂もありますが。

20世紀初頭、ロシアから大量の移民がアメリカに渡っています。
その子孫が、自分たちの民族的故郷を確認したいためか、当時の
アメリカからの観光客にロシア系アメリカ人も少なくありません
でした。
ソ連崩壊後、それらのツテを頼ってアメリカに移住したロシア人も
多くいました。
しかし、アメリカ社会での疎外感に悩まされ自殺や犯罪に走った
人も少なくなかったそうです。

すいません。余計なことばかり書いてしまいました。
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この回答へのお礼

多岐に渡りいろいろと詳しくご回答頂き大変感謝しています。
bossnassさんは当時の状況について大変詳細な点までご存じの様で
そのような方にご回答頂きありがたいです。

bossnassさんは、ロシアの歴史に関係したお仕事に就いておられるとか、お知り合いにそのような方がいらっしゃるのか、よくご存じでうらやましいです

>キューバ危機やアフガン侵攻の時でも観光は可能だったそうです。
この点は日本からということではなく、一般的に西側諸国から可能だっったということでしょうか?

重ねてご質問してしまい申し訳ございませんが、
よろしくお願いいたします。

お礼日時:2007/09/23 18:28

日本生まれのアメリカ人です



冷戦中と言えどもソ連は外貨が欲しいのでアメリカ人の旅行者を大歓迎していました、ニューヨークにソ連の観光事務所があって雑誌にキャビア食べ放題とか毛皮が安いとかの広告を盛んに出していました

その反対にソ連人が単なる旅行で外国に出るのは不可能だった筈です
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この回答へのお礼

実際に体験した事を具体的に教えて頂き、大変ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/23 18:17

行けたはずです。


冷戦であって、ホットな戦争をしていたわけではありませんから。
現在の北朝鮮にだって観光旅行に行けますよね。ガイドがべったり張り付いてくるらしいですが。
自分の国のよいところは見せたいわけです。
同様に、ソ連でもインツーリストという国営旅行会社のガイド(当然、KGBの)が張り付いていて、自由気ままに行動できたわけではありません(軍事施設に近づくなどもってのほか)し、宿泊できるホテル(たぶん、盗聴付き)も限定されています。
冷戦当時の、エスピオナージの小説や映画などでは、モスクワにいるアメリカ人観光客などがよく登場します。
スパイさんたちは、ビジネスマンや観光客に偽装して、ソ連に入国し、監視役のガイドを振りきって…と、なるわけです。
冷戦当時の、英国のエスピオナージを読んでみると面白いですよ。
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この回答へのお礼

回答大変ありがとうございます。
重ね重ね申し訳ございませんが、もしよろしければ、ohbacomeonさんがご存じの冷戦当時のエスピオナージの小説や映画がありましたら教えて頂けますでしょうか?よろしくお願いいたします。

お礼日時:2007/09/23 18:12

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Q12月に母と旅行。国内でおすすめは?

初めまして、今年の12月の平日に母と女二人で2泊3日くらいで国内or海外で旅行を考えています。

あまり時間がないので難しいかもですが、年末に母に楽しい思い出をプレゼント出来たらと思っています。

以下の条件で、国内だとどこがおすすめでしょうか?(ちなみに母は体力的にはすごく元気で可愛いもの、きれいなものがとても好きです)

・兵庫県在住
・予算は一人5万前後
・運転免許なし
・体験・観光重視

見どころやおすすめの理由なども教えて頂けると嬉しいです!
旅行に素人なので、おすすめの旅行会社やツアー、比較の仕方なども知りたいです。

よろしくお願い致します!(><)

Aベストアンサー

こんにちは(^^)/思い出に残る旅のおススメです。

飛騨の小京都「高山」と北アルプスの絶景に出逢う
「新穂高ロープウェイ」、日本の原風景、世界遺産「白川郷」の旅(笑)

1日目、ちょっと早いですが、朝7時30分くらいまでに大阪駅へ。
そこから直行バスで一気に飛騨高山を目指します。

http://www.nouhibus.co.jp/new/exp_bus_osaka.html

高山へ近づくにつれて北アルプスの山並みがお二人を迎えてくれます。
13:02 に終点、高山濃飛バスセンターで下車したら、
そのまま古い町並み「さんまち」を散策しましょう。

飛騨高山は、伝統を守り継ぐ軒の深いしっとりとした落ちついた町並みと、
甘くないみたらし団子、飛騨牛串焼きを始めとする食べ歩きや、かわいい
雑貨など、旅の楽しみがいっぱい詰まった、上質な大人の癒し空間。
歩き疲れたら和カフェでほっこりするのもいいでしょう。

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1日目のお泊りはスパホテルアルピナ飛騨高山はどうでしょう?

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北アルプスの絶景に逢いに行きましょう。まずは駅前からバスで移動。

http://www.nouhibus.co.jp/jikoku_pdf/2012-0401noriai.pdf

バスを降りたら国内唯一の2階建てロープウェイで、
あっという間に雲上の大パノラマ真っただ中です。

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上まで上がると結構寒いと思うのでお気をつけください。
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宿は高山グリーンホテルの「天領閣」をおすすめします。

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高山は街中に温泉が湧いています。
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大きなお土産処「飛騨物産館」も併設されています。

予約の際は出来るだけ上層階北側の部屋をお願いしてみましょう。
高層建築の少ない高山の街並みが、北アルプスをバックに広がります。

夕食は和食の飛騨味覚会席もしくは中華のコースがいいと思いますが、
そのあたりはお好みで。朝食は和食と和洋バイキングがありますが、
バイキングは2会場あり、9Fの会場の方が落ちつけます。
ちなみに天領閣洋室ツイン、飛騨牛味覚会席プランなら
ひとり当たり13000円です。

夜は館内の居酒屋で軽くお酒などいただくのもいいでしょう。
ホテルの館内にある居酒屋とあなどれない内容です。

3日目は世界遺産、白川郷へ行きましょう。
朝8:50か9:50、駅隣接の濃飛バスセンターから出発です。

http://www.nouhibus.co.jp/new/shirakawago%20_kanazawa.html

白川郷に着いたら、すぐそばから展望台へのシャトルバスが出ています。
日本の原風景、合掌造り集落・・・。時にはこんな旅もいいものです。

帰りは白川郷13:00発のバスに乗れば大丈夫です。

ただただ繰り返す日常を飛び出して、
のんびりゆったり旅行するなら絶好の旅になるはず。

きっとまた行きたいと思う旅になります。
ちなみに私は飛騨路にハマってしまって、
今度8回目の高山旅行に行くことにしています。
夏になったら信州上高地や、乗鞍へも簡単にアクセスできます。
とてもきれいなところです。日本にもこんなところがあったのか・・・と。

もしちょっとでも「いいかも…」と思ったなら、
12lilyさんも飛騨高山にハマってみませんか?(笑)
お母様にもきっと喜んでいただけると思います。

長くなりついでにザックリとした旅費について・・・

交通費 18000円、ロープウェイ 5600円
宿泊(二日分) 19000円、昼食代(三日分) 3000円
1日目の夕食代 4000円

合計49600円、飲物を買ったりして50000円程でしょうか?
お土産代やおこづかいは別になりますが、ほぼ予算通りで大丈夫です。

どこへ行くか、どんな旅になるか、選択肢は無限大です。
お二人の旅が楽しいものになることを願っています

おまけ:こんなバスもあります。 http://www.upon.co.jp/tour/hida/bus.html

※このプランは旅行会社を通さず、自分で予約するものです。
  旅行会社を通すよりも安く行けるはずです。
 ちょっと面倒に思えるかも知れませんが、各予約はすべて
  張り付けたURLからできるので、もしこのプランを参考にするときは
 がんばってみてください。
 (大阪-高山以外のバスは予約はいりません。高山駅隣接の
  濃飛バスセンターのきっぷ売場で買えます)

ほんと長くなってごめんなさい^^;

こんにちは(^^)/思い出に残る旅のおススメです。

飛騨の小京都「高山」と北アルプスの絶景に出逢う
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1日目、ちょっと早いですが、朝7時30分くらいまでに大阪駅へ。
そこから直行バスで一気に飛騨高山を目指します。

http://www.nouhibus.co.jp/new/exp_bus_osaka.html

高山へ近づくにつれて北アルプスの山並みがお二人を迎えてくれます。
13:02 に終点、高山濃飛バスセンターで下車したら、
そのまま古い町並み「さんまち」を散策し...続きを読む

Q【米ソ冷戦】米ソ冷戦はセルドア・ポールというアメリカ人青年の科学者が発端だったそうです。セルドア

【米ソ冷戦】米ソ冷戦はセルドア・ポールというアメリカ人青年の科学者が発端だったそうです。

セルドア・ポールが取った行動は正しかったのでしょうか?

米ソ冷戦はセルドア・ポールという若い科学者が原爆の設計図を原子爆弾の開発に遅れを取っていたソ連に渡したからだとのこと。

セルドア・ポール青年はアメリカが原子爆弾を単独で保有すると世界秩序が乱れ、アメリカの一国独裁になると恐れて、わざとソ連に原子爆弾の開発設計図を流してソ連の遅れを取っていた核爆弾の開発成功を10年早めたと言われいます。

アメリカの科学者であるセルドア・ポールはわざとソ連側の2重スパイに志願して、その理由を「核爆弾をアメリカだけが保有すると世界秩序が崩壊してしまう。ソ連も核爆弾を保有すれば世界秩序が保たれる」と予言しました。

その天才セルドア・ポール青年科学者の予言通り世界は米ソ冷戦時代に突入しました。

核爆弾を敵対する2国が保有することで世界秩序が保たれたと言う人と核爆弾を敵対する2国が保有したことで世界秩序がさらに乱れたという人がいます。

もしセルドア・ポール青年がスーパースパイ(2重スパイ)にならずにアメリカだけが核爆弾保有国になり、アメリカの独裁世界が10年間存在していたとすると世界はどのようになっていたと思いますか?

私はソ連は核爆弾を保有する前にアメリカに核爆弾開発者を暗殺されてソ連はアメリカに戦争を挑む機会を10年どころか20年はアメリカの一国独裁世界が続いていただろうと思います。

セルドア・ポール青年の判断は正しかったのでしょうか?

2国が核爆弾を保有することで冷戦に突入してセルドア・ポール青年の予言通りに世界秩序の均衡が核爆弾の傘のもとで今も保たれていますが、今はソ連に核爆弾を持たせた性で未だにアメリカとロシアは世界の覇権争いで日々第三国で代理戦争をしています。

セルドア・ポール青年はソ連に核爆弾製造技術を渡さなかった方が世界は幸せになっていたのか世界史の歴史研究者はどう判断しているのか教えて貰いたいです。

【米ソ冷戦】米ソ冷戦はセルドア・ポールというアメリカ人青年の科学者が発端だったそうです。

セルドア・ポールが取った行動は正しかったのでしょうか?

米ソ冷戦はセルドア・ポールという若い科学者が原爆の設計図を原子爆弾の開発に遅れを取っていたソ連に渡したからだとのこと。

セルドア・ポール青年はアメリカが原子爆弾を単独で保有すると世界秩序が乱れ、アメリカの一国独裁になると恐れて、わざとソ連に原子爆弾の開発設計図を流してソ連の遅れを取っていた核爆弾の開発成功を10年早めたと言わ...続きを読む

Aベストアンサー

正確には、「冷戦」の発端ではなく、「核軍備競争の発端」でしょう。

冷戦は、もともとはソビエトが社会主義国として成立したときから、より現実的には米ソが共通の「戦勝国」になったときから始まっていますから。

歴史に「れば、たら」(~していれば、~になっていたら)は禁物ですが、想像するのは楽しいですね。
「歴史研究者」はそういうことはしません。小説家や空想家(やディレッタント)がすることです。

Qおすすめの一人旅の場所(国内旅行)

私は旅行が好きです。旅が好きな方は、どういう場所へ行っているのでしょうか?

国内旅行限定で、特に、一人旅におすすめの場所、お気に入りの場所があれば教えてください。

個人的には、瀬戸内海のしまなみ海道、沖縄の竹富島、岩手県の遠野などが良かったです。温泉も好きです。

Aベストアンサー

>旅が好きな方は、どういう場所へ行っているのでしょうか?

夏の北海道
秋の北海道
冬の北海道
夏の九州

一番よかったのは冬の北海道です。

>一人旅におすすめの場所

一人旅の旅人が多い北海道

>お気に入りの場所

日本海に浮かぶ利尻富士に沈む夕陽を
一人ぼんやりと眺められるサロベツ原野

Qソ連人のふりをしたCIAとかアメリカ人のふりをしたKGBとかって本当にいたんですか?

さらに言えば、日本人のふりをしたCIAとかKGBの人っていたんですか?
ゾルゲは日本へのスパイでしたが別に日本人のふりしてたわけじゃないですよね。

Aベストアンサー

 #2です。
 もうお返事をもらえる順番でもないとは思いますが(実際、かったりーですもんね。)、とりあえず出てきました。

>もうソ連は崩壊したのだから
>情報公開されてはいないのですか?

 全面公開はされていないはずです。

 仮に旧西側へ公開されていたとしたら、それは「公開しても差し支えない範囲」に限定されているはずです。
 「国の崩壊」と「スパイの公開」とは、同列に論ずることができませんから。

 東側のスパイだった人間の場合、例えば、東ドイツが西ドイツと合邦したことで、「え? 実はあいつは東側のスパイだったのか!」ということが周囲にばれると、実際問題として生活に極めて支障が出ます。
 この例の場合、同じドイツ人だったこともあって具体的に見分けがつかないこともあり、東から西へ潜入していた「草」は想像を絶する人数にのぼっていたと見られていますが、詳細は不明です。
 世の中、「不明であった方が幸せ」なこともあるようです。

Q旅行が好きです。 国内で冬の季節におすすめの観光地はどこがありますか? ただし、温泉は好きではありま

旅行が好きです。
国内で冬の季節におすすめの観光地はどこがありますか?
ただし、温泉は好きではありません。
美しい景色が楽しめるところを教えて下さい。

Aベストアンサー

伊豆大島。
椿の花が咲いて、椿祭りをやってます。

冬の金沢。
牡蠣とか、カニとか、おいしいものがたくさんありますよ。

蔵王。
樹氷も見られるし、景色がきれいです。

Q冷戦の終結について アメリカとロシア間の冷戦は1989年に終結しましたが、勝敗はどのようになっている

冷戦の終結について
アメリカとロシア間の冷戦は1989年に終結しましたが、勝敗はどのようになっているのでしょうか?
ソ連が崩壊し、ロシアの国力の低下と衰退が進んでいったため、勝者を決めるのなら西側のアメリカだと思うのですが、まず勝敗を決めること自体が好ましくないのでしょうか
また、冷戦終結の一番の原因も教えてもらえると嬉しいです

Aベストアンサー

勝敗はどのようになっているのでしょうか?
  ↑
冷戦は、資本主義と社会主義の戦いです。
そして、ソ連が崩壊し、ロシアとなって
社会主義を捨てました。
だから、ソ連の負けです。


まず勝敗を決めること自体が好ましくないのでしょうか
   ↑
そんなことはありません。
社会主義は間違った思想だ、ということを明確にする
ということは好ましいことです。
社会主義が産んだのは、独裁と貧困と自国民の大逆殺
でした。



冷戦終結の一番の原因も教えてもらえると嬉しいです
    ↑
国家の要は経済です。
社会主義ではその経済が成り立たなくなったのが
一番の原因です。
その欠陥を米国レーガン政権が軍拡競争で攻撃して、見事ソ連を
崩壊させたわけです。

どうして社会主義経済はダメだったのか。
知的エリートが集まって計画を建て、それに従った
経済活動をやれば理想的な国になれる、と考えたのが
傲慢でした。
そんなことは人間の手に余ることだったのです。

自然の成り行きに任せる資本主義経済の方が
優れていたのです。

Q子連れのおすすめ国内旅行を教えてください。

子連れのおすすめ国内旅行を教えてください。

主人の勤め先から、勤続20年の記念に5万円の旅行券を頂いたので、お金を足して、来月(7月末)に家族で旅行に行こうと思っているのですが、なかなか旅行先が決まりません。家族は主人、私、長男(小4)、次男(年中)、3男(年少)です。主人と私は、あまり人ごみが好きではないので、北海道や沖縄(離島)等、自然をのんびり満喫したいのですが、そういった場所は、子供たちは好まないのと、海や山のアクティビティー等は、年齢的に次男と3男が参加できないものが多くて困っています。せっかく行っても子供たちが楽しめないのは可哀想ですし・・。子供も、下の2人と長男の年齢差があるので、長男の希望に合わせると、チビたちには無理だったり・・。
長男は、北海道や沖縄より東京(キッザニアやポケモンセンター等)に行きたい!と言っています。

子供たちも大人も楽しめるおすすめの国内の旅行先があれば教えてください。

ちなみに、出発先は中国地方で2泊3日くらいを予定しています。

Aベストアンサー

沖縄、良いと思いますけどね。
オススメは八重山方面ですね。

由布島の水牛車なんかは小さいお子さんでも大喜びですよ。
西表島の仲間川のクルーズとか。
小4の男の子も沖縄のきれいな海が初めてなら、絶対変わりますよ。
珊瑚礁の透き通る海をぜひ見せてあげてください。

竹富島もお子さんには過ごしやすいですね。
波照間島の西浜の夕焼けもぜひ見せてあげたいです。

そりゃポケモンセンターよりも絶対に良い思い出になると思いますよ。

うちは子供が6歳と2歳の時に、石垣島→竹富島→西表島と4泊ぐらいで旅をしました。
はっきりは覚えていないみたいですが、やっぱり「沖縄に行ったことがある」というのは
うれしいみたいですね。
たまにその時の写真見せるとすごく話が弾みますよ。
「また行きたい!」って言われてちょっと困ってますが(^^;

Q冷戦中のソ連

の中で、「親ソ政権」という言葉を耳にしたのですが、どういう意味なんですか?
それの崩壊を嫌がってアフガニスタンに侵攻したとありますが、
馬鹿な俺でもわかる説明をお願いします。

Aベストアンサー

 東欧の衛星諸国は心ならずもソ連の属国のような状態を取らされ、これを西側は黙認していました。ポツダム会談での約束があったからです。これとは別に親ソ政権が発展途上国に沢山できたので。これは今では考えられないのですが、ソ連は共産党政権の下で大変巧く行っているというソ連の宣伝を真に受けていた知識人が大変多かったからです。マルクス・エンゲルスの資本家=搾取する人、労働者=搾取される気の毒な人とい図式で自由主義社会での諸悪の根源が資本家の搾取にあるという教条主義が罷り通っていたからです。
 ですからアフガニスタンに限らず、エジプトのナセル政権もそうでしたし、インドも中立とは言いながらソ連にかなり近寄っていました。エチオピアでも新ソグループが皇帝を殺害して政権を握りました。イタリアでも新ソグループの力が大変強くて政権が安定せず、kれが経済発展を阻害していました。フランスもドゴールが出るまでは左派勢力が大変強い国でした。このように冷戦時代はそのうち世界中が共産党政権になってしまうという危惧が蔓延していたのですよ。

Qおすすめの国内旅行の行き先を教えてください

9月の三連休に2泊3日もしくは3泊4日で旅行を考えています。
東京都内からの出発です。9月後半に国内でおすすめの
旅行先があったら教えてください。
移動は電車でも飛行機でもレンタカーでも可能です。
ただ連休中ということでどこも混むとは思うんですが
あまりにも混むところはちょっと避けたいです。
よろしくおねがいします。

Aベストアンサー

9月下旬ならまだ暑いところは暑いでしょうから、北海道はいかがですか。

函館はイカも最盛期、漁り火も津軽海峡に入ってきてよく見えると思います。湯の川温泉で漁り火を見ながら露天風呂につかるも良し、函館山からの夜景や西部地区の異国情緒溢れる街並みを楽しむも良し。
空港が市街地に隣接していますので、移動に時間を取られることもありませんし、路面電車と徒歩で主な観光スポットは回れます。

観光客は多くありませんし(みんな旭川の旭山動物園をめざすようでして)、いたとしても集中するのはほんの一部です。そこから数十メートル離れると素晴らしい景色を独占できますよ。

Q冷戦時代のソ連軍は、本当に脅威だったのですか?

今、北朝鮮の核が問題になっていますが、北朝鮮自体が秘密のベールに
包まれているため、核とミサイルの脅威がどの程度のものなのかは
わかりにくいと思います。
(実際にミサイルに搭載して使用できる信頼性があるのか、という程度の
 意味です)

そこでふと、旧ソ連軍はどうだったのだろうかと考えました。
1980年代頃のテレビや小説などでは、ヨーロッパでNATO軍とワルシャワ軍が
開戦したら、ソ連軍の大戦車部隊は物量でNATO軍を圧倒し、窮地にたった
NATO軍側が戦術核を使用して、それをきっかけに全面核戦争が始まると
いったパターンの話が多かったと思います。
当時のソ連軍に、それだけの実力が本当にあったのでしょうか?

北朝鮮の核はよくわかりませんが、当時のソ連軍は、数はあっても中味は張子の
虎で、実際の戦力はたいしたことはなかったと思うのですが、どうでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。
レス、ありがとうございます! やっぱり、こういう話は楽しいですねぇ。で、今回はとてつもなく長いです。書いてみて、バカだなぁとちょっと思ってしまいましたが、お許しを…。もしお時間が許せば読んでやってください。
ところで失礼かなと思ったのですが、edogawaranpoさんの仰るフィリピンのマルコスの夫人はイメルダです。で、デビさんの旦那はインドネシアのスカルノのです。ちょっと横槍すみません。

ハードウェアで戦争に勝てるとは思いませんけど、ベトナム戦争以降のアメリカの戦争の仕方を考えるとやはりハードウェアを抜きに考えるわけにはいかないというのも事実だと思います。まず、ハードウェアの面で東側がどれだけ遅れてしまったということは、それこそベルリンの壁の崩壊で明らかになったわけです。と、その前に、ベトナム戦争に関して、ちょっと思うところがあるのでそのことをまず。
米軍がベトナムで大苦戦して、挙げ句の果てに負けたということで物量、最先端技術というものがものの役に立たないような言われかたがしていますが、個人的にはこれはまちがいのような気がするんです。というのは戦争の性格をみた場合、アメリカはかの戦争に勝つためには完全に共産主義という思想をベトナム国内から一掃しなければならないわけで、経済として施行されていれば共産主義の一掃もかなうかもしれませんが、思想を人の中から追い出すというのは不可能なわけですよね。ということでこれは勝ちようがない。また、ベトナムにしてみれば、自国の防衛なわけですからどんな犠牲を払ってでも米軍を追い出せばいいわけですが、米軍にしてみれば明確な叩くべき戦略拠点(戦術上必要な要所はあったとしても)がないわけで、無駄な犠牲を国内世論を考えてもあれ以上出せなかったわけですよね。事実、ベトナム側の犠牲者は20万とも30万とも言われていますが、米軍のほうは6万~7万とされています。単純に数字だけを見ればアメリカが負けたと言えないわけです。
ということで、単純に破壊力だけを考えればやはり戦争においてはハードウェアがもたらす効率のいい戦闘ということは無視出来ないのではないかと思います。戦争そのものに関しては、政治的な問題や軍隊そのもの志気という目に見えない部分が大きく絡んできますが、個々の戦闘ということに関して言えば、ハードウェアと物量というのは、非常に重要なので、doyaさんの仰るところの、旧ソ連軍にそれだけの軍事的な力、すなわち西側にとって脅威になり得たのかという、ことを考える必要がやはりありますよね。この辺のところがどうも、抜け落ちて語られ過ぎているというのは、まったく仰るとおりです(念のために申し上げておきますが、決して、軍備の増強を願っているとか、兵器を礼賛しているとか、アメリカよりというわけではありませんので)。
と大幅に脱線してしまいましたが、東のテクノロジーの遅れについてもっとも有名なところのお話でひょっとしたらご存じかもしれませんが、カール・ツァイスのことを書いておこうかなぁと思いました。
ご存じの通り、ドイツの名門光学機器メーカーのカール・ツァイス(当時もっとも優秀な航空機用照準器だったらしいですね)ですが、第2次世界大戦のあと、ドイツが分断された際にカール・ツァイスも分断されてしまったわけです。ここから二つのツァイス社が出来てしまいます。東側のツァイスのほうがむしろ本社のあっとところだったわけで、分断された直後に関してはどうやら東側のほうが光学の技術もある程度すすんでいたらしいのですが、実際に東西が統一されツァイス自体も統一されるとその技術格差は大変なものがあったらしいのです。西側のツァイスはすでに非球面レンズの高精度なものを作れていたのですが、東側のツァイスはまだそれすらも完成していなかったとか。この高度な非球面レンズがないということは、つまり、集積回路を作る際に小型化が出来ないということになります。優秀な集積回路をもてない中では、情報機器の整備は追いつけませんよね?
この辺だけを見ても、電子戦と言われる現在の戦争のスタイルを考えても、鉄のかたまりが衝突するわけではなくなってしまったので(第2次世界大戦ですらレーダーの発達で戦局は大きくかわっているわけですからねぇ)東側の持っている兵力がたとえ数字上、西側のものを上回っていてもかなり不利だったと言えるのではないでしょうか? また、doyaさんの仰るとおり、あれだけの大きな陸戦隊を管理するとなると指揮命令系統が完璧に機能しなければならず、その指揮命令系統の攪乱のためのEMSを使いまくるNATOが苦戦して、窮地に陥るなどとはとうてい考えられません(東側には優秀な真空管がありますけど、これは結局、ノイズシールドが出来るだけの集積回路をもてなかったからという話もあります)。事実、米軍のパナマ侵攻、グレナダ作戦の時は周辺地域の電波使用の機器は完全におかしくなったという話です。また、今回のアフガンのほうに関しても、徹底的に電子戦をやってのけていますよね。もちろん、今の技術と冷戦時の技術とは比較になりませんが。
情報戦の面を考えても、ソ連軍がNATO軍の脅威になり得たか、本当のところはやはり怪しいとボクは思います。ただ、数字上の戦力に関しては侮れないものも当然あり、戦争でもっとも人的被害をもたらすものは一発20円くらいのライフルの弾なので苦戦は強いられるでしょうけど。しかし、この両陣営が本格的に衝突して総力戦ということになればゲリラ戦というような展開になることはないでしょうね。そうした意味でも、ボクは、やはり一部の東西冷戦の「たら、れば」小説にはたいがい疑問符がついてしまいます。とはいえ、エンターテインメントとしてみた場合は面白いんですけど(先日、ご紹介いただいた本は残念ながら読んでおりませんが、近いうちに読んでみようと思います)。
ところで、北朝鮮の核に関しては、開発こそしていたでしょうけど、やはり運搬手段(核戦術で一番重要なのはこれなんですけどね、ほんとうは。関係者とはいえ、マスコミがこの辺を落としているのが気にくわないです)と発火装置の開発の難しさを考えてみれば、まぁ、やっぱりあったとしても、ないに等しいのではないでしょうか。
むしろ、北朝鮮が核を保有していると言うことをことさら恐怖し、それによって日本やアメリカなどの国内世論が不必要に神経質になって本来果たすべき外向的解決を放棄してしまうことのほうが怖いです。そうした意味でも核の持つ政治兵器としての存在感とその破壊力は相変わらずというか、以前にもまして重要になってきていますよね。そろそろ、日本の大学でも国際政治というインチキな学科にちゃんとした戦略・戦術も教える環境が出来ることを望んでしまいます。
かなり脱線しまくっていますが、お許しください。では、参考までに。

こんにちは。
レス、ありがとうございます! やっぱり、こういう話は楽しいですねぇ。で、今回はとてつもなく長いです。書いてみて、バカだなぁとちょっと思ってしまいましたが、お許しを…。もしお時間が許せば読んでやってください。
ところで失礼かなと思ったのですが、edogawaranpoさんの仰るフィリピンのマルコスの夫人はイメルダです。で、デビさんの旦那はインドネシアのスカルノのです。ちょっと横槍すみません。

ハードウェアで戦争に勝てるとは思いませんけど、ベトナム戦争以降のアメリカの戦争の...続きを読む


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