No.2ベストアンサー
- 回答日時:
独ソ両軍が兵力を集結したクルスク戦では、どちらも2千機程度を参加させており、互角でした。
(1943年7月)ところが、同年12月中旬にクレムリンで行なわれた国防委員会で、赤軍参謀本部が算定した戦力比によれば、航空機の数で2.7倍の優勢となっています。作為の加わった数字である可能性もありますが、この時期にルフトヴァッヘがドイツ本土防空のため、東部戦線から撤収したことを考え合わせると、ソ連の方が航空優勢を得ていたのは事実でしょう。
No.4
- 回答日時:
クルスク戦ではドイツ軍2000機、ソ連軍2400機が投入され喪失機数はドイツ200機、ソ連1000機となっており航空戦ではドイツ優勢ですが動員機はソ連側が予備機4000機を用意するなどクルスク戦後の逆転を思わせる状況でした。
さらにイタリアの脱落によりイタリア戦線に兵力が削がれ、米英空軍のドイツ本土への航空攻撃が盛んになつて来た為、防空戦闘機隊を編成しなければ成らず、当時のドイツ航空行政は混乱していました。
それやこれやで航空機の生産をどの機種に絞るかきめかねる状態になり
さらに米英軍のB17に対抗する親戦闘機への変更があり航空機の増強が停滞しました。 歴戦のパイロットも次第に消耗してきたのもこの頃です。
この回答へのお礼
お礼日時:2007/11/07 18:14
お礼が遅くなりましたが、丁寧な回答、ありがとうございました。
航空戦も地上戦とほぼ同時期に転換期を迎えたわけですね。よくわかりました。
No.1
- 回答日時:
こんばんは
バルバロッサ作戦の始動以来ルフトバッフェの活躍はといえば、地上戦との絡みもあって、厳密に何年何月まで優勢で、何年何月から苦戦し始めたという定義付けがちょっと難しいと思います。
とはいえ、他の回答者さんたちのご批判を恐れずに言えば、1941年6月から1942年12月までが、ルフトバッフェが春を謳歌した期間で、1943年1月から終戦までが冬の時代と言えるかと思います。つまり1943年初頭からドイツ空軍の凋落が始まったと考えていいのではないでしょうか。
地上戦から言えば、レニングラード攻防戦からハリコフ攻防戦に移るあたりかと思います。逆転の原因についてはここでは長くなりますので避けますが、個人的にはルフトバッフェにまともな重爆撃機と、長距離航行可能な戦闘機があれば、案外バルバロッサ作戦も意外な結果が出た可能性もあったと思うんですけどね(^_^;)
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
おすすめ情報
- ・漫画をレンタルでお得に読める!
- ・【お題】絵本のタイトル
- ・【大喜利】世界最古のコンビニについて知ってる事を教えてください【投稿~10/10(木)】
- ・メモのコツを教えてください!
- ・CDの保有枚数を教えてください
- ・ホテルを選ぶとき、これだけは譲れない条件TOP3は?
- ・家・車以外で、人生で一番奮発した買い物
- ・人生最悪の忘れ物
- ・【コナン30周年】嘘でしょ!?と思った○○周年を教えて【ハルヒ20周年】
- ・ハマっている「お菓子」を教えて!
- ・最近、いつ泣きましたか?
- ・夏が終わったと感じる瞬間って、どんな時?
- ・10秒目をつむったら…
- ・人生のプチ美学を教えてください!!
- ・あなたの習慣について教えてください!!
- ・牛、豚、鶏、どれか一つ食べられなくなるとしたら?
- ・都道府県穴埋めゲーム
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
マンスリーランキングこのカテゴリの人気マンスリーQ&Aランキング
おすすめ情報