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古代の日本列島は統一されていなくて、機内のヤマト朝廷以外にも
中国や東北、関東、九州などの各地方にそれぞれ独立王国があった
ようですが、そのような各勢力のなかでヤマト朝廷が優位に立って
日本を統一するに至った要因はなんなのでしょうか?
またそのヤマト朝廷のトップであり現在の皇室にもつながっていると
される大王家ですが、初期の大王家はそれほど絶対的地位にはなく
ヤマト朝廷を構成する豪族のまとめ役でしかなかったとはいえ、盟主
として推戴されて大王を名乗っているからには、他の豪族に優越
した何かがあったと思うのですが、実際の所大王家とは元々どういう
出自の一族であり、何によって他の豪族を従える力を得たのでしょうか?

A 回答 (2件)

◎ 中国や東北、関東、九州などの各地方にそれぞれ独立王国があったようですが


「独立王国」と呼べるほどのものが存在していた、というのは極一部の研究者が提唱している「仮説」であり、実証性に乏しいものです。
考古学的研究成果では「王権」と呼べるようなものは各地に存在していたとは考えられています。

◎ 初期の大王家はそれほど絶対的地位にはなくヤマト朝廷を
◎ 構成する豪族のまとめ役でしかなかったとはいえ
これも「仮説」でしょう。
古墳の研究からは「まとめ役以上」の優位性がヤマト王権(政権)にはあると考えられています。

◎ 何によって他の豪族を従える力を得たのでしょうか?
おそらく逆でしょう。
ヤマト王権(政権)に力があったため各地の豪族が従った、その結果さらにヤマト王権(政権)が勢力を伸ばした、ということだろうと思われます。
弥生時代辺りから考えないとこの辺りは理解できません。
農耕や交易に適した畿内地方で勢力が伸びていったというのは自然なことと思われます。
吉備や出雲、筑紫、東海などもそうした地理的要因が大きいかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

ヤマト王権(政権)というのは、大王家を頂点として物部や蘇我や
平群や葛城といった機内の豪族が連合して作っていた政権ですよね。
その政権が機内以外の出雲や吉備や筑紫を併合して列島を統一していったわけですが、まず最初に機内に政権が成立した際に
大王家が葛城氏等を従えられた要因は何だったのかが疑問なのです。

お礼日時:2007/10/27 21:43

◎ 大王家が葛城氏等を従えられた要因は何だったのかが疑問なのです。


「従えられた」という捉え方が正しいかどうかも定かではありません。
ヤマト政権(王権)の成立・勢力拡大過程は古代史・考古学の大きなテーマのひとつです。
従って答は「未解明」です。
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