
具体的に書いたほうが分かりやすいので、具体例を挙げて書きます。
1、たとえば、私が興奮状態で、「~~は良かった。楽しかった!」という話をすると、露骨に嫌がる人がいます。
2、「テンションを常に上げて、生きていきたい!」というと、反発する人がいて、そういう人は理屈を並べます。たとえば、「テンション高いのがなぜいいのでしょうか。テンション低いほうが、冷静になり、いい仕事ができます。」というように、理屈をつくって、暗いほうへ話を持っていきます。
(参考までに)実は、私も、テンション高い人の話を聞くと、テンションについていけなくて、暗くなります。これは、私の場合は、本当はテンション高い人がうらやましいのです。そして、そのとき自分はテンション低いから、恥ずかしいのです。それで自己防衛のため暗くなるのです。ですから、そういう気持ちも少しは分かります。
質問です。
他人がテンション高くしようとすると、それをいやがる人の心理を知りたいのです。なぜ、テンション高くしようとしていると、それがいやなのでしょうか?(けっして、押し付けているわけではないのですが。)
よろしくお願いします。
No.12ベストアンサー
- 回答日時:
こんばんは。
興味深い内容でしたので参加させてもらいます。
「テンションの高いのが、きらいな人」。
いますね。
勤勉なる日本人においては少数派ではないような気がします。
彼らはこれから先の1ヶ月間、クリスマスやらお正月やら、
「世間ではハッピーな季節」が苦手なのだろうなあと思います。
悪意はないのでしょう。
「どうしていいかわからない」のではないかと思います。
こんな人たちがいます。
とにかく「楽しむのが苦手」
あるいは「楽しむことは無駄であると思っている」
あるいは「楽しむというのはどうやってやるのかわからない」
あるいは「楽しみたいとは思っているけれど抵抗がある」
あるいは「無防備に楽しみの中に入ることが怖い」。
もともとの性格として「静」を好むという場合もなくもなさそうですが、
たいていは、長年にわたって「楽しむこと」を放棄してきたのでしょう。
その多くは上昇志向の強い人ではないかと思います。
では、なぜ「楽しむこと」を放棄するようになったのか考えてみます。
幼少のころから「だめだめだめ!」「そんなことしてないで○○しなさい」
という子守唄を聞いて育ったり、「○○ができたら△△をあげる」と
鼻の先に人参をぶらさげられた馬のように育ったり、
「本人がどうしたいか」は無視されて「こうするべき」と言われて育ったり、
あるいは関心をもたれずに孤独な状態で育ったりすると、
「そのまんまの自分はダメなのかも」「そのまんまでは許されてないのかも」
「認められていないのかも」「そうしたら生きていけないかも」と不安を抱え、
どうしても自己肯定感が育ちにくくなります。
自己肯定感は、自分はここにいてもよいのだ、自分は感じたことを表現してもよいのだ、
自分はどうしたいか考えてもよいのだ、それを実行してもよいのだ、という感覚です。
このような状態になると、「認めてもらわなくちゃいけない」ので、
それはそれは忙しく「認めてもらうための努力」に励みます。
彼らの多くは「無駄」か「有益」かで、自分の行動を決めます。
あるいは、この行動は「善玉」か「悪玉」かと考えます。
彼らにとって「認めてもらうための努力」こそが「有益」であり「善玉」で、
楽しむことは「無駄」であり「悪玉」なのでしょう。
これが習慣になると、そのうち自分にとって何が「楽・快」なのか、
そんなことはどうでもよくなってしまい、忘れてしまいます。
そして「楽しんでいる人」に嫉妬したり、軽蔑したり。
このような価値観を長年にわたって持ち歩いている場合、
「こんな生き方もあるよ」ということを聞いてもらうのはなかなか困難かと思いますが、
根気よく、視点の転換に付き合ってみるのも面白いかもしれないです。
すばらしいですね。
ズバリです。
私自身もそうですので、「見事に本質を突かれたなあ」と思いました。
私が思ったのは、
「楽しいことをしてはいけない」という「強迫観念」の強い人がいます。親の教育による場合も多いのでしょうね。
「毒になる親」という本がありますが、その本も参考になりました。
ありがとうございました。
これからも、ご活躍下さい。
No.17
- 回答日時:
わたしもテンションの高すぎる人と一緒にいるとついていくのに必死にならなきゃいけなくてどっと疲れたりすることもあれば、職場などではテンションが高い、というか、感情表現が素直ならしく、これが好まれる場合も嫌われる場合がありました。
他の方も言われてるように、劣等感を持ちやすいタイプの人だと(私もそうですが)テンションの高い人ってやっぱりまぶしく見えるので「ついていかなきゃいけない」ような強迫観念になってそれが疲れることもあるし、
単に静かで落ち着いた環境が好きだからハイテンションタイプは合わないっていう人もいるだろうし、
職場とかだと、若い女の子がきゃぴきゃぴしてるのって、年上の女性から見ると「そんなに若さを撒き散らさないでくれー><」っていう悲痛の叫びみたいな時もあると思うんですけど。
ただどういうパターンにしても、質問者さんが「常にテンションを上げて生きていきたい」なんて公言するのは、相手にもハイテンションになるように「押し付けてる」のと、あまり変わらないのではないでしょうか?
だから相手も「ハイテンションは勘弁してくれ説」をあなたに押し付け返してるんじゃないのかなー、なんて思いました。
質問者の考えが決して悪いとは思いませんが、「なぜ、テンション高くしようとしていると、それがいやなのでしょうか?」と思う時点で、質問者さんの中では「ハイテンション=善、ローテンション=悪」っていう考え方のクセがあるので、そういう考え方ではない人からすれば、質問者さんのハイテンション性善説を押し付けられてるように感じてしまう人も中にはいると思います。
どんどんいろいろなご意見をいただけるので、うれしいです。
ありがとうございます。
私の体験では、劣等感から来ている人がいます。それは、おっしゃるとおりです。
その劣等感から「ハイテンションがきらい」という人は、「ハイテンション=人間として上」というように思っていると思います。
それに自分が参加できないから、だから、かえって反発してくるのだと思います。
参考になるご意見ありがとうございました。
No.16
- 回答日時:
#15です。
全く蛇足ではありますが、
「棲み分ける」というのは当然のことながら「精神的」「心理的」棲み分けのことです。
友人、同僚、同級生など、物理的に「同棲」しながら精神的に棲み分けるということが大人の文化だと思うのです。
・・・「共棲」とは「棲み分け」に他なりません。
この回答への補足
ハイレベルのご回答を頂きましたので、私のほうから追加させていただきます。
私は、ハイテンションが嫌いな青年Aとの体験上、こう思いました。
「青年Aは、劣等感があり、そのせいで、ハイテンションな青年たちについていけない。本心は自分もそうなりたい。しかし、劣等感が災いして、参加できない。だから、反発してきらいになる。だから、ハイテンションがいやである。」
「劣等感だけでなく、気質もあると思います。ハイテンションなグループに参加できない。会話できない。仲間入りできない。恥ずかしいとか、いろいろあると思いますが、気質的に参加できない。本当は、自分も一緒にはしゃぎたい。しかしできない。だから、きらいになる。」
そう感じました。
「たとえば、石原慎太郎さんは、学生のころ、弟の石原裕次郎さんたちのハイテンションぶりについていけなかったそうです。」
これは、気質の違いがあると思います。
No.15
- 回答日時:
はじめまして。
こういう場所に回答らしきものを寄せる時には、他の回答者が何を言っているのかを読んでからのほうがいいのか、
或いは質問とだけ向き合った方がいいのか、
回答経験の乏しい者には迷うところです。
既に他の方の回答にあるように「テンションの高さ」=「楽しみの大きさ」という正比例の関係は成立しないと思います。
ですから当然「テンションが低い」=「楽しんでいない」という等式も当て嵌まらない。
確かに静かに鑑賞したいと言う時に、傍でハイテンションでいられると、正直鬱陶しいですよね。
人間は個人個人が一個の「文化体」であるので、テンションの高低は当然双方にとって「異文化」となるわけです。
例えば「納豆」を好きな人を、頭での知的理解は可能でしょうが、生理的に受け付けない強さが個人のバックボーンにはあると思います。
ですからあなたが、
>けっして、押し付けているわけではないのですが。
と仰られているように、
ハイテンションが苦手な人も、嫌だ、苦手だ、ということを「押し付けてはいない」と思います。
同化しようと思ったり、異質であることを怪訝に思うことなく、
異質であることを認めつつ、同化できないことを認めつつ
棲み分けることが成熟した文化ではないかと思います・・・
今ハイテンションのジャズをヘッドフォンで聴きながら書きましたので、
ピントがズレているかもしれませんが(苦笑)
No.14
- 回答日時:
どうも。
なんだかたのしそうな話題ですね。
はじけるように喜びを外に出して表現する人と
自分の内にしみこませるように喜びを感じる人。
が、いるのではないでしょうか?
私は後者で、どちらかというとtaiyo7さんのご友人のように
高いテンションを嫌がる方に当てはまるかもしれません。
(露骨に嫌がったり低いテンションの良さを説いたりはしませんが)
例えば友人とライブに行くと、私は私の
「自分の内にしみこませる楽しみ方」で内心とても
楽しんでいるのですが、外からみるとつまんなそうに見えるらしく
「さぁ、もっとはじけて!」や「はずかしがらず!」
みたいに強要されることがしばしばありました。
私としては充分楽しいし、はじけることで変に興奮して
喜びのディティールを見失いたくないわけです。
口には出さないですが「あなたはあなた私は私でいいじゃん、
ほっといてくれ」という気持ちになりました。
テンションが高い人は、それを外に表現して
周囲と共有することで喜びの感情を増幅させるため、
私のような、それに属さない楽しみ方に対して
理解を示してくれない人が多いように思えます。
そういうのが何度もあったのでめんどくさくなって
今では友人とライブに行かなくなりました。
taiyo7さんは(けっして、押し付けているわけではないのですが。)
と書かれているのでこれには当てはまらないかと存じますが、
参考意見までにコメントさせていただきました。
とてもわかりやすく、また的確な御説明ありがとうございました。
なるほどなあ、と思いました。
masumonさまのご回答を肝に銘じ、他の静かな人々を理解するようにしたいと思います。
ありがとうございました。
心より感謝申し上げます。
No.13
- 回答日時:
その話している物事に対しての関心度に対して、テンションはある程度比例すると思います。
例えば、まったく興味のない分野の話をされてもテンション高くしゃべれるものではありません。
ご本人さんもテンションの高い人の、自分の全くと言っていいほどの興味のない話をされてもテンションを上げることができません。
でも、もし自分の知っている分野、もしくは好きな(得意な)分野の話になったら、ある程度(もしくは少しは、)他の人に
「自分をもっと知ってもらいらいかも・・・」
「好きになってもらいたいかも・・・」
みたいな感情がわきでて、てんしょんがそれに比例して高くなっているのかもしれませんね。
自分の気持ちを素直に、情熱的にあらわせることが、
テンション高いとなってしまう、
ようは、テンションの持ちようは人それぞれで、
それが嫌なのは、また嫌なのは、その人との感性の違い、
と思ってしまいます。
No.11
- 回答日時:
本質的には未熟さ(よく言えば純粋さ)だと思いますね。
人間にとって他者というのは環境の一部でもありますから、そこに自分との差異を感じると、その差異を感じた分だけ「刺激が大きい」ということになります。
そういった意味で、あるひとつの刺激に対して大きいと感じるか普通と感じるか、ということはその人の精神的な発達度合によって違ってきます。
精神的な発達とは色々な解釈ができるかと思いますが、基本はアイデンティティがどれほど確立されているか、つまり、他者と比較しなくとも自分に自信が持てる程度がどれほどか、ということではないか、と私は思っています。
ですから精神的に未熟な人は、相手のテンションが高すぎても、低すぎても気になるはずです。
つまり、他者との相対的な比較によってより自己基盤を確立することができないために、ほんの少しの差異に敏感になり、それを怖れるわけです。
差異とは異質ということでもあり、これがいじめを初め、他者と軋轢が生じる根本的な要因になっていると言えるでしょう。
すばらしいですね~。
「精神的に未熟な人は、相手のテンションが高すぎても、低すぎても気になるはずです。」
なるほど、非常によく分かりました。
自己確立、自信、などですね。
う~ん、なるほど。
すばらしいご回答心より感謝申し上げます。
No.10
- 回答日時:
1・安定性重視の人
これはあなたの仰る2に当てはまると思います
2・仮想有能感タイプの人
この手のタイプの人は相手のテンションの高さを崩すことによって
自分の方が有能だと思い込みたいタイプであなたの仰る1にあては
まると思います。
1・2は相手から攻撃されていると思い込んでいると思いますね
この手のタイプはその行為と同時に自尊心が破壊されていきますから
キレるのではないでしょうか?
いやはや、たいへんな勉強になりました。
みごとですね~。
すばらしいご回答に頭が下がります。
ありがとうございました。
心より感謝いたします。
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