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私は人生においてひきこもり期間があって・・・4年。そのうちの残り1年半はバイトができるほどに。今は20代後半なのですが、若い時期を無駄にしてしまいました。
深く後悔してます。毎日後悔してます。一番いい時代を無駄にしたと。
でも、これからを真剣に生きて、価値のある人生を送りたいと思ってます。でも、やはり過去になにもやってこなかった時間を悔いてます。同世代は家庭をもったり、いい仕事をしてたり。私は専門学校へ行き、専門職を目指す方向に決めました。それは来年には就職できる予定であります。ですが、今までの空白期間をすごく悔いてます。いろいろできたのに、遊べたのに、なにかできたのに、こもってた。
さらに、周りは「悲惨な人生だね」「楽しめたのに、重要な時期を失ってるんだね」とか言ってきて追い討ちをかけてきます。

私は今までは後悔の過去でしたが、これからを充実した人生にしていきたいと思ってます。そこで質問ですが、私のように過去を無駄にすごしてしまって後悔しているって方、おられましたら、どの無駄な時間にどういう意味づけをされてるのでしょうか?私は無駄にすごしてしまったことをバネにこれからのモチベーションにして活用していきたいです。例えば、やる気ないときに「無駄な時間をすごしてしまった・・・」って後悔の情念をわきおこし、漸進するための活力にしようと思ってます。やはり負の遺産をもってるので、負の力としてしか利用できないです・・・ポジティブに考えて、「ひきこもったことが実はよかったことなんだな。ああ幸せだったなあ」とは無理に思えないんです。やはり後悔してる、その事実はゆるがない。

過去を無駄にしてしまった後悔を皆さんはどのようにとらえてますか?

A 回答 (18件中1~10件)

敢えて私の年齢は伏せておきます(すぐに分かりますが)



結論から言いますと遅いなんてことは決してありません。
私の父親は現在55歳ですが、騙されやすい性格のせいか苦労もたくさんしてきたようです。

彼は18で高校を卒業し、その後都心の専門学校へ進学。田舎育ちの父は都会の生活に耐えられず、わずか半年で帰ってきたそうです。その後は親のコネですぐに工場に就職しました。25歳までそこで働き、自分の人生を考えて、悩んだ挙句、教師になることを目指したそうです。
父は親に頼ることをやめ、授業料の心配の無い国立大学に向けて猛勉強をし、わずか半年で無事合格。30歳手前で念願の教師になりました。
そのころ私の母と出会い、私が生まれました。

私は父のこの話を耳にするたび、「人生に早い遅いはない」と感じます。私自身も、保育士として働く身ですが、遅くなってもいいから大学進学をしたいと思っていますし、またいつかはシニア海外協力隊に参加したいなと思っています。(私の場合は高校の3年間が引きこもりでした。テスト等を受けて免除されましたが、卒業式には参加しませんでした。)

自分の心さえ色あせなければ人生が色あせることは決して無い。断言できます。
私は趣味で絵画を嗜みますがそこで出会う方々は皆年配の方ばかりで、彼らの中には今から美大へ進む人もいます。あなたも気付いているのではないでしょうか。

頑張ってください。
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この回答へのお礼

とてもためになる体験談をありがとうございます。
回答者さまは大学進出、海外協力隊への夢があるとのこと。
私もこれからの方向性は決めてあるのですが、本当にやりたいことなのかどうかわからないです。
回答者さまのお父上は親に頼らなかったとのこと。このへんが見習わなきゃと思いました。私なぞ、ひきこもりのときは完全に親のお金をむさぼりたおしてしまったという後悔があります。
人生やり直しが聞くのですね。

回答者さまの話を聞けてよかったです。
私も教師や美大学に進むかもしれませんし、海外協力隊に参加するかもしれません。やりたいことなんてまだまだわかりませんが、みつけていきたいです。そのためにいろいろ視野をひろげていきたいです。
学びですね。ありがとうございました

お礼日時:2007/12/10 08:49

 二十歳で社会からひきこもり、はや六年になります。

夢や雲やネットを見つつ、至らぬ隠居暮らしを続けています。
 目もあてられないなあ、何もない、寂しい人生だ、という気分になることしきりです。
 ふと、二十歳前から書いてきた日記をひらくと、これまでの日々がつづられています。薄い暮らしの中にもそれぞれに小さな発見があったことを思い出します。確かに愚かで虚しい日々なのですが、どこか味わいのようなもの、充実に似たものを、しばしば感じていたことも思い出します。こんな暮らしも、そう嘆くほどのものではないかもしれない、と思えてきます。
 
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この回答へのお礼

ありがとうございます、日記をつけるというのもすごいです
わたしなぞは日記は三日坊主で終わってしまいますから・//

お礼日時:2007/12/11 08:17

ご自身の人生プランによっては遅すぎることもあると思います。

年齢制限のかかる資格等を取得したい場合や、ご自身が20歳台前半に年相応の異性とお付き合いする等、要は時が関連する事象ですね。過ぎ去りし時は残念ながらどれほど欲しても帰ってきませんので・・・。

このような場合は人生プランの変更や妥協を強いられることになると思います。もちろん後悔することも有り得ますが、どうしようもないことです。しかし、大抵の人は取り返しのつかない失敗の1つや2つ経験していると思いますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/12/11 08:18

38歳・男です。



 「一番いい時代を無駄にした」

 ...そうか。
 有名な双子の長寿おばあちゃん、金さん・銀さん(いずれも故人)が一番良かった時期は、100歳越えてからだったそうですが。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/12/10 08:49

44歳設備関係の仕事をしています。


失恋が引き金で10年ぐらい引きこもりました、
その後アルバイト生活で実際には20年無駄に
過ごしたと思います。
正直恋愛も結婚もあきらめていましたが奇跡が起きて
相方もでき一戸建てに住めるようになりました。
20代後半ならまだまだですよ、終りよければ全てよし。
がんばって下さい。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/12/10 08:50

引きこもっていた期間が無駄なのかどうかは、今いくら考えても仕方が無いと思います。


なぜなら将来貴女が幸せであれば笑い話になるでしょうし、そうではないのなら笑えない話になります。
つまりは将来の貴女の状態が、過去の貴女の価値を決めるのですから・・・
(だから過去から見たら将来に相当する今、家庭も無い・良い仕事もしていないので、現時点での貴女はその過去を美化出来ないから「後悔」となっているのだと思います)

過去の事実は変えられません。
しかし現在と将来は自分のこれからでいくらでも変えられますし、過去をどの様に捉えるのかという、捉え方は貴女のこれからで決まると思います。

過去を良い意味で捉えたいのでしたら、将来輝くように現在を一生懸命目標(将来)に向かって頑張るしかないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/12/10 08:52

人生で生きてきた時間を、無駄か価値がある時間だったか判断しようとしたら、きっと自分でも他人でも神様でもできないとおもいます。


どれだけ大きな功績を残した人でも、例えばノーベル賞をとった人とかマザーテレサとか、、色々他人から見てすごいっていう人はたくさんいますけど、でも、結局人生には期限があって、みんな死んでいきます。
だから、どんな記録を残そうとみんな死んでいくんだから結局人生は虚しいものだと思います。
過去はすべて無駄なんだとわりきってみてはどうですか。もっと、グローバルに考えてみてください。人間も虫もみな同じ。ただ生きている、ということに関しては。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/12/10 08:53

こんばんは。


質問者様と同じく、引きこもり体験者です。
私の場合は、6~7年そんな期間がありました。今は20代後半ですが、
10代、いわゆる青春時代という時期をすべてそれで潰してしまった
感じです。

私も正直なところでは、一番いい時代をなんでそんなふうに過ごした
んだろうと、今でもたまに思います。
もう10年以上前のことですが、たまに泣けることもあるくらいです。

でも、後悔しても何も始まらないですよね。
後悔して時間が戻ってくるなら、いくらでもするけど、過ぎ去った
時間は戻りません。

質問者様は、それに気付いて、これからはポジティブにと思っているのですよね。
それでいいと思います!
私は、もう空白の時間は作りたくないと思って、何をするにしても、
もう後悔はしないで生きていこうと思って、毎日を過ごしています。
遊ぶのも、勉強をするのも、考えるのも、常に精一杯、全力で。
いつもそんな風に考えています。
引きこもったことがよかったとは、無理に考えなくていいのではないでしょうか?
私は無理でした(苦笑)なので、自分には必要な人生の休息期間だったと思うようにしています。

今の自分は、過去があってのものです。
質問者様はきっと、他の人よりずっと時間の大切さをわかっていらっしゃると思います。
これからの人生を充実させていけばいいんです。
過去は過去、これからはこれからです。
お互い頑張りましょうね!
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この回答へのお礼

ありがとうございました

同じような境遇の方なんですね。共感してくださりうれしいです
確かに私は他の人たちよりも、時間の大切さをわかっているつもりであります。そういうふうに思えるようになったのは今までの無駄な時間によるところだと思ってます。

お礼日時:2007/12/10 08:55

私はあなたの考え方を「全否定」します。



「後悔」から生まれるものは「後悔の肯定」でしかない。
それは「事実」を非常に小さく捉えるだけの手段であり、格好の「逃げ道」にしかならない。
ていの良い「いいわけ」程度の事でしかない。

「人生のやりなおし」の意味を勘違いしている。
「やりなおし」は「仕切り直し」。
過去の反省、肯定の上にこそ成り立つ「一段高いグレードアップ」を望むものだ。
昔の出来事を「後悔」などとしか呼べないようでは、先に進んでも「新たな穴」にはまってしまったり、否定を続けていく事で「自分が進む道を狭く取るしかない」ということにつながる。

人生の必然は「出来なくなる事」だ。
年を重ねていくうちに出来なくなる事ばかりが多くなる。
なのに「過去の事を否定しつづけて」いれば、ただでさえ狭くなっていく道(可能性)を「穴ぼこだらけで歩けなくなっていく道」にしてしまうのだ。

だからこそ「やりなおし」をはからないと、手詰まりになっていく。
失敗という穴ぼこは、自分で「補修」していくものだ。
そして「何故穴が開いたか?」を追求していく事だ。
そうすることで「歩いていける道」を広くしておかないと先には進んでいけない。

自分を苛めていても、誰も誉めちゃくれないし、助けてもくれないぞ!!。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/12/11 08:20

自分の経験と重なり、思わず書き込ませて頂きます。


私も今年から20代後半、仕事も契約社員ですが何とか頑張っています。

私は19~23の頃に引きこもっていました。
ろくに仕事もせず、友達の誘いを断り、気付けば友達0で完璧に社会から孤立していました。

しかし、2年前に偶然旧友と再会し、活を入れられ社会復帰し、今では趣味のバスケットで友達も増え、地元の飲み会等にも誘われるようになりました。
しかしそれでも周りの同年代の人と比べれば、まだまだ友達は少ないです。”いつも一緒な仲間”というのもいないと思います。
私が憧れているのが、キャンパスライフ?というヤツでしょうか。19~23歳、大学時代と言えばお金も多少入り・お酒も飲めるようになり、車も運転出来るようになり、遊びの幅も増える時です。
サークル等に入り、皆で遊びに行ったり、飲み会や旅行や色々経験しておきたかった…。
と、今でもしょっちゅう考えています。

しかし引きこもった頃に比べれば全然マシです。


>「ひきこもったことが実はよかったことなんだな。ああ幸せだったなあ」とは無理に思えないんです。
これは当然だと思いますよ。私も「引きこもったことが良かった」と思えた事はまだありません。
しかし、「今はあの頃とは違う」「あの頃よりは前進している」と考えるようにしています。
引きこもってしまった過去は変えられません。後悔もして当然だと思います。
しかし大事なのはこれからですよ!
あなたは自分の力で一歩踏み出しています。とても素晴らしいことだと思います!
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