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NHK大河ドラマ「風林火山」を見ていて、川中島合戦において勘助が信玄に献策したとされる、「啄木鳥戦法」はどのような戦法だったのでしょうか。そして、なぜ見破られてしまったのでしょうか。

いよいよ最終回を迎えるので、それまでにもう一度見るつもりなのですが、世界観をより感じるためにも知っておきたいと思っています。
もしよろしければ、回答よろしくおねがいします。

A 回答 (5件)

一応、煙の多さにより見破ったよ言われています。


しかし山中を1万の軍勢が通るのは極めて困難かつ時間がかかります。松代藩の歴史好きな武士が現地に行った際「こんなところを大軍が通るのは無理じゃないか」と書き記しています。
もし武田が2手に軍勢をわけたとするなら善光寺にいる軍を叩くのと上杉本体を見張る抑えの2手にわけたのが自然な考えです。
上杉は敵の領土の山にこもるわけですから武田は黙っていても良かったはず。第二次のように持久戦になったら上杉は下山するでしょうし。

風林火山にあわせた合戦を説明すると
死者は武田4000・上杉3000で、信玄本隊対上杉の前半合戦と昼過ぎの武田対上杉の後半の合戦にわかれます。前半は上杉の勝、後半は武田の勝というのが定説です。
武田は鶴翼の陣(敵を包囲する体系)でした。合戦が始まるとは思っておらず事実上の奇襲です。鶴翼の先端は敵の方に突き出ているのでそこに敵が集中しやすく信繁は…。
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この回答へのお礼

詳しい解説ありがとうございます。

確かに、1万の軍勢が通るには地形的に難しいようですね。
ある程度は知っていたのですが、車懸りの陣がドラマでは見事に再現されていて、感動しました。
うやむやで終わった訳ですが、信玄が重要な幹部を失った戦いだったのですね・・・。

お礼日時:2007/12/15 15:22

行ってみればわかりますが、妻女山は狭くて急な山ですから、大軍を山上に置くことはできません。

大軍を置くなら山のふもとに置くしかない地形です。
従って、「山上の敵に攻撃をかければ、反撃のために反対側から下山するだろう」という設定そのものがフィクション、100%ありえない話です。
もし妻女山のふもとにいる敵に攻撃をかければ、そのまま反撃食らうのが当然でしょ?
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この回答へのお礼

確かにおっしゃる通りですね。
大軍を山上に置けないとすれば、ふもとに置くしかないですね。
となれば下山というのもありえない話になりますね。

啄木鳥戦法、実際にあったのかどうか考えたくなります^^;
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/12/15 15:24

一説には出陣前の飯炊きの煙が通常の食事時間でない時間に上がっていたのを見つかり、不審に思われたからバレたとか。

(実際は物見を出していたのでしょう)奇襲に近いことはあったのかも知れません。

妻女山の上に陣を張っている上杉方に対して武田方は下から攻め入ろうとしていますが、上からの方(上杉方)が圧倒的有利です。霧の中であればなおさら武田方が不利です。これでは啄木鳥にはならない可能性があります。
啄木鳥戦法は「実践されたとしたら」あまり良策とは言いがたいです。
No1さんの言うように霧での遭遇による乱戦であった、と言うほうがしっくりきます。
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この回答へのお礼

炊煙から策がバレてしまった、という見方が多いのですね。
謙信が軍略に長けていたとは言え、なぜ見抜けたかが気になって仕方ありませんでした。

この戦で武田信繁や諸角豊後守などの重要人物が亡くなり、犠牲は計り知れない物だったと思うのですが、武田別働隊の合流で形勢が傾いた上杉軍は犀川を渡って退却、勝敗がはっきり分かれた戦ではなかったようですね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/12/13 23:14

史実にあった話かどうかは別として、上杉謙信が武田軍の炊煙の数の多さから大規模な軍事行動を行うことを見破ったといった話を聞いたことがあります。

史記からとった話だとは思いますが。
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この回答へのお礼

炊煙から見抜いた謙信はかなりの推理力ですね。
川中島に関する史実がほとんどないそうですね・・・。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/12/13 23:04

キツツキが木をたたいて餌になる虫を木の中から追い出し、食べてしまうというのをまねて、妻女山の上杉軍を川中島に追い出して混乱したところを、川中島に待ち構える本軍と追い出したキツツキ軍とのはさみうちにするという戦法です。


見破られたのは理由は不明です。
ただ、『甲陽軍鑑』などの軍記物に書いてあるだけで良質の資料はこの戦闘に関してはほとんどなく、実際にそのような戦法は無理(キツツキ軍の通ったという道がとうてい大軍の通れるような地形ではない、上杉軍が妻女山に布陣するには武田軍を破らないと無理がある)という説もあり、実際には深い霧の中で上杉軍と武田軍が戦闘の準備の無いまま不意に接触して乱戦になって武田信繁や諸角豊後守などが戦死し、上杉政虎も太刀を取って戦わなければならなかった(信玄との一騎打ちは眉唾)のではないかとも言われます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

>信玄との一騎打ちは眉唾
思えば、武将が死んだら負けの戦なのに、武将が自ら先陣を切る事は非常に危険だと思いますし、無いと思います・・・。

お礼日時:2007/12/13 22:59

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