
No.1ベストアンサー
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こんにちは
運慶は、平安末期から鎌倉の仏師といわれていますね。
夢の中とはいえ、鎌倉の仏師である運慶が明治時代にでてきたということは、運慶を日本文化の一つの象徴として漱石がとらえているということでしょう。
つまり、明治時代には文明開化として外国の文化が選別される事なくどんどんはいってきました。それは逆にもともとの日本文化の衰退を意味し、そういった状況を当時の文化人(漱石もそのひとり)はとても嘆いていました。
運慶は無心に日本の文化を深めていったが、その精神、おおもとが、時代とともに失われ、それが明治時代でいよいよ終焉にちかづいてきた(ように感じた)。本来なら、運慶の次の世代の名人が輩出され、いよいよ文化を深め、時代を次々支えてくるはずだったが、そうならなかったため運慶(の精神が)がこの時代に至るまで生き残らざるをえなかった・・・
(本当の日本の精神は一番この時代のものに残っているということ)
もちろん漱石の夢のなかでの空想でしょうすが、間違いでは決して無いことは、明治→大正→昭和→平成と日本の文化がどんどん衰退した事をみても明白な事実だと思いませんか。
No.2
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