仏教カテゴリーの質問を見ていて疑問に思いました。
実際のところどうなんでしょうか。
というのも、仏教のカテゴリーにおける質問の多くは↓
たとえば、悟りとは何か?輪廻転生は何か?中道とは何か?
仏とは何か?我はあるのかないのか?空とは何か?
このように、何か?という質問が多いような気がします。
シッダッタに聞いたら毒矢のたとえで一蹴されそうな気もしますが、
仏陀になったという存在と、法という智慧の内容と
どっちが重要なのでしょうか?
もし、回答してくださるのであれば、申し訳ないですが
「厚く三宝を敬え。三宝とは仏法僧なり」
これは禁じ手とさせてもらいます。
No.12ベストアンサー
- 回答日時:
仏も法も執着することなく捨て去るものであるというのが教えであると理解しています。
手段ですから。筏のたとえ
http://www.geocities.jp/princegifu/budaint3.htm
http://www1.odn.ne.jp/ceu55990/IKADANOTATOE.html
No.16
- 回答日時:
ANo.15です。
もっと言えば、その法が実際に正しいのかを検証実験することこそが大事だと思います。
論理的に正しいのか
道徳的に正しいのか
人格の向上に役に立つのか
を吟味して実際に試してみて
正しいのか判断し、新たに構築していく
この繰り返しによって成長する
これこそが大事なことでしょうね。
「法自体は永遠であって欲しい」
これについてですが。
この言葉を発した人は法を遍く理解していなければいけない。ということは悟っている人。
法は法則でしょうから、法則を「これがありのままだ」と見つけた人(阿羅漢)にとって、「永遠であってほしい」という念も起こらないでしょう。成り立ちそうもありません。
もうひとつの可能性として、知ってつもりになっている人があると思います。
その場合も僕にはいまいちピンときません。
悟るまではひとつの概念に過ぎませんしね。
僕にとっては確認すべきもの・確認する態度を説いた仏法が重要です。
しかし仏陀の言葉以外でも上記の項目をクリアすれば新たに構築していきます。
この態度が「正見」の態度ではないかと思います。
何かのお役に立てれば幸いです。
No.15
- 回答日時:
テーラワーダ仏教徒です。
法という智慧の内容のほうだと私は考えます。
法がなければ、そもそも仏陀を想定できません
し、実践がなければ役に立ちません。
人格の向上法・苦しみに対する対処法をここまで完璧に語れるのは仏陀という悟った人が板からに違いない。試してみたらほんとにそのとうりになった。
これは感謝すべきことだ→法を伝えてきてくれたサンガにも感謝だ
この順番だと思います。
人によっては仏陀がいたに違いないというところまで思わない人がいるでしょう。
その場合でも、実践したらそのとうりになるような法があり、誰かが語られたことを試したらそのとうりになった、感謝すべきことだ→法を伝えてきてくれたサンガにも感謝だ
となり、論理的道徳的なものから自分の能力によって実践し理解し成長する。これが一番大切だと考えます。
仏陀の語ったといわれるこの実践方法をいろいろ試しながら実践することでいろんなことを理解し、成長し、阿羅漢(仏陀といってもいいかな?)になる。
法という智慧の内容がなければ、仏陀になったという存在が実際にいたであろうと確信できないでしょうから。
法という智慧の内容のほうが重要と言ってもいいのではないでしょうか。
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
回答ありがとうございます。
法派ということになりますね。
総括として
質問しておいて、ほったらかしていたので(汗)
御礼をしていなかった人たち(この場で、すみません)
今まで寄せられた回答をみると
どっちも大事(これは当然だと思います)
仏が大事(なによりもブッダがいるから。これもわかります。)
法が大事(今、この時代において重視されること。これもわかります)
ひとり、必要なくなるときが来る。
という筏のたとえも用いられた回答があって
これはとても参考になりました。(ありがとうございます)
で、圧倒的に多かったのが、どちらか選べというのなら
法。という人が多かったというのが、やはり仏教の特徴なのかな
と思いました。
それは、基本的にブッダ(もちろんシッダッタ)が今はいない。
それでも法はある。という解答が多かったのが興味深かったです。
諸行無常とはいってもその法自体は
永遠であって欲しいという感じかもしれませんね。
No.14
- 回答日時:
仏はその証とされています。
仏陀となられた方が居る。
それがお釈迦さまのことです。
私たちはどんな生き様をしていても、
ここ日本に生まれた以上、
どこかで仏様の存在に触れています。
色々な仏様がおられますが、
元々はお釈迦さまの教えがあってこその
今の仏教だと考えてください。
法は教えとされています。
私たちが争いのない平和な世を築くために、
お釈迦さまが残して下さった、
または諸仏が残して下さった大切な教えです。
私たちが健やかに過ごせるのも、
ご先祖様であったり、それも、
仏教と共に生きてきた文化があったからです。
もともとお釈迦さまの教えを大事にして行こうという精神で、
後々の人達が、仏・法・僧とこのように分けて考えるようになった。
それは大乗仏教成立以降の涅槃経の影響が大きいです。
(北伝で増補されたものだったと思います。)
しかし教えだけでは理論が成り立ちにくいので、
仏教教団や信仰を守るために考えられた筈です。
後に、やはりそれではバラバラになってしまうので、
三宝とするようにいいますが、
しかし、もともとお釈迦さまは、
仏を立てるとか三宝とかについても仰っていません。
ただ正しく教えを守るようお弟子様に伝えられて亡くなられました。
宗派により、私たちが何を色々と重んじることは、
悪いことではありませんが、
<どっちが重要か>というようなものではない筈です。
それでは争いを生むだけです。
お釈迦さまは何より争いを嫌いました。
二つに一つしか選べないなどと、
いう質問は無しです。
そして、仏陀や法を見て比べようととするのは、
外から見て中から見ないようなものです。
仏教というカテゴリーで質問される以上、
この質問にはまともな回答はないでしょう。
この回答への補足
>仏教というカテゴリーで質問される以上、
この質問にはまともな回答はないでしょう
確かにそうです。
そろそろ締め切ろうと思っていましたので
よかったら意見をお聞かせください。
今まで仏教と名のつくものが数多くありました。
結局どれでもいいのですか?
><どっちが重要か>というようなものではない筈です。
No.13
- 回答日時:
Q:仏陀になったという存在と、法という智慧の内容と どっちが重要なのでしょうか?
――条件として 《シッダッタに聞いたら毒矢のたとえで一蹴されそうな気もしますが》とあるからには 問題は 智慧の実践とその力としての智慧であると言おうとしておられることに間違いないでしょう。
《理法を体得したブッダもしくはボディサトヴァの境地》が 価値として 先行するというわけです。実際にも 強いてどちらなのかと言うならば 《人》のほうだとなると思います。わたしが習った限りでは 仏教は 実践のできない智慧を説いていると考えてはならないのだと言っていると思いますから。
このとき
Q:たとえば、悟りとは何か? 輪廻転生は何か? 中道とは何か? 仏とは何か? 我はあるのかないのか? 空とは何か?――このように、何か? という質問が多いような気がします。
――という事情との対比のうえで 上の質問があるということになれば どう考えるべきでしょう。
けっきょくは 実践ないし修行と並行した智慧の獲得が 問題とされているわけですが 具体的な修行や具体的な現実の問題について質問する以外では やはり智慧ないし理論としての《これこれは何か》という疑問におさまるようにも思ったのですが いかがでしょうか。
もしそうであるとするなら こう思います。
《何か一定の具体的な主題について 修行に裏打ちされた仏陀の智慧は どう答えるのか おしえたまえ》というかたちで もう一度問い直されるといいのではないでしょうか。
その上でさらに 課題があると考えます。わたしたちは――おそらく――ブッダの境地には達していないと思われ その点やはり 《これは 何か・それはどういうことか》といったかたちの質疑応答に落ち着かざるを得ないとは思うのですが。
消極的な内容を持ったものになってしまいましたが 上のような研究・尋究の歩みによっても じゅうぶん 前進してゆけるとわたしは思っておりますが いかがでしょうか。
No.11
- 回答日時:
仏教の知識は疎いのですが。
法(言葉)と仏(事物)どちらが重要か、
という問題だと捉えれば、、、
法が先にあって仏が定義されたのではなくて、
仏が先にあって法が定義されたのでしょうから、
まず仏が在ることが条件であり重要なのでは。
法は無くとも仏が在るならばブッダの代わりを成す者もありましょうが、仏がこの世に無くして法が生まれましょうか。
No.10
- 回答日時:
私は頭を真っ白にして何も考えない状態になれます。
未だ仏教的な悟りの境地には届かずに殆ど年中瞑想しているような精神状態です。
かんたんな言葉を使います。
仏とは真実の人間性を意味します。
智慧とはかんたんにバランスが取れて聡明な知性です。
日本人なら誰も抱く共通認識である「人間らしくありたい」このように願う心だけで菩薩です。
ちなみに「何ぞや」系の質問は頭を空っぽに出来る当方には確かな薬効がわかります。簡単な観念に還元すると悟りを開くのが早いです。
No.9
- 回答日時:
ANo.7さんのおっしゃるように、ブッダが説かなければそれは仏教ではないから、仏教で最重要視すべきは「ブッダ」であるという解釈も成り立つでしょう。
けれど、「仏」か「法」かのどちらかを敢えて選べというならば、やはり「法」の方になるでしょう。
ブッダ自身の言葉として、「自灯明、法灯明」というものがあります。
これは、「私(ブッダ自身)や他者に依拠することなく、自分を拠り所とし、法を拠り所とせよ」という言葉です。
確か、晩年の言葉で、「私もいずれは死ぬ。死んでしまった私という存在に執着するのではなく、また、私の代わりになるような誰かを頼るのではなく、私の説いた法に従って、自ら精進して、悟りを開け」という意味だと思います(この言葉によって、仏滅後数百年の間、仏像が造られることはなかったといいます)。
仏教の教えである「法」を説かれた「仏」に対する敬意、報恩、帰依の心がなければ仏教徒とは言えないでしょう。ですが、法よりも“仏という人間”を重視してしまうのは、ブッダの教えに反するように思います。
仏教は、仏を拝み仏に助けてもらう宗教ではなく、仏の教えに従って、自ら精進する宗教だからです。
No.8
- 回答日時:
ちょっと、yukiyama20さんの質問自体がいろいろ意味深(いみしん)で、この「質問を見ていて疑問に思いました」点から(笑)書いてみますね。
(1)まず「法と仏どちらが大事か?」という質問自体、書かれているところの「仏とは何か?」ともうひとつの「法とは何か」「(仏教)」という点が「?」のままだと成り立たない質問だと思うのですが?
これを言ってしまうと、そちらの文の前半が全部おかしくなってしまうわけですが、
書かれてる言葉から そちらの意図とかの深さがいろいろ推理され、その推理される深さから考えれば、そんなことはどうでもいい部類の疑問となってしまうところ、
(2)その推理に関するこちらの疑問は、かなり大きいです(笑)。
>シッダッタに聞いたら毒矢のたとえで人蹴りされそうな気もしますが、
と言われていますが、その対象は>例えば、悟りとは何か?輪廻転生とは何か?中道とは何か?仏とは何か?我はあるのか無いのか?空とは何か?
と書かれておられるそのすべての「?」やその仏教カテでの回答とかの事を暗に意味しておられるのでしょうか?
とすれば、yukiyama20さん御自身は、法派なのですか?
厳しい雪山を20も潜り抜け生き抜くようなそんなときには楽しくも命がけの人生にて、リーダーには迷いがあってはならないでしょうし、時には間違ってるかもしれなくても進んでいってみることを強引に意思決定しなければならないでしょうし、かといって弱い人を助けたり背負ったり助け合いを促したりすることも必要でしょうし、 そんなふうな人間的な生きる厳しさの前には、 具体的な生きる道の法がまずすべてだという 感じでしょうか?
最後の禁じ手も かなり意味深ですね(笑)
信仰という事の中には、頼るとい形の面が 一神教でなくてもあったりして、[敬う」というのが、真の意味での存在や人や命へのリスペクトの何がしかをも意味してない時もありますからね。
わざと、真実を言わないで、オブラートの優しく包んだような(笑)言い方なのかもしれませんね。
Yukiyama20さんは、たぶんでかい度量のリーダーの素養のある方なので笑。
私自身はこんなふうに思います。
自分が幸せだったら、美味しい味噌汁のダシの味に天国にでも上ったような感じがしたら、 そしてその時にどこかの風の吹く野に住処もそのあてもなくおびえつつ40度の熱にふらふらになりながらさまようおばあさんが、もし一生懸命大正昭和平成と生き抜いてこれたのにも関わらずそうなってしまったことを想像できたとしたら、 誰だって、そのおばあさんの手とか背中とかをさすってあげ、これを一緒に飲んで欲しいと思うでしょう。 でも同じそんな人間も もしあの南京の大虐殺の現場にて恐怖に神経がすでにおかしくなっている時には、おばあさんもなにも子供何も あの恐ろしい見方よりも大勢の捕虜のうなり声を聞いた時、威嚇的に大声をあげ、 いや、もっと身近にも、ただ仕事が超忙しければそれだけで、公園でびっこひいてひっくりかえりそうなおばあさんがいてもすこしも気にもならないのが、私たちの人間の心理の通常の場合の限界なのではないですか? そこをキリスト教ならば、十字架に架かることですべてを理解している神の遍在がどんな[愛」なのかを示したのでしょうし(贖罪というのは罪の意識、道徳意識から解釈したキリスト教会の独時の深みや伝統もある解釈の世界ですが、厳密に考えれば、神の知性の質で私たちがわかることのうちにも、神は最初からすべてを許してるということは自明のことです。)だから道徳的愛の世界が 時には無理をもともないながら生まれたのでしょうし、 仏教では、自然のな無理のない思いやりがいつも仏の悟りの入り口として説かれつづけてきたのだと思うのです。 その「おばあさん」が罪多き人だったとしても、自然にその手をさすりおいしい味噌汁をいっしょに食べる心になれるように、 最後は至福がゆるぎなく生身の人間なりに悟れるように、そんな感性を完成しなさい。 その模範がここにあるのだから、 これが仏とは、ということであり、そして、本来そのことへの謙虚さこそが信仰なのだと思う。
完成された自然な法、その中でほんとうは生身の人間でも[平和時」には実践できる文化や道徳や[和」の世界のそれなりの完成のための[法]方法と私は言い換えてもいいとおもうのですが、 たしかにそれならば、[法」がすべて、しかして、嘘は駄目、常に仏には謙虚に、 これしかないとおもう。
詳しいことはほんとに知らないただの肉体労働者ですが、60歳になってほんとにそうおもうんですので、
もうやるっきゃないです。あなたのような人が(神とちがって人間の知性での推理ですのでおかしなこと言ってるかもしれませんが)リーダーとなって この地元(日本)も改革していってください。
なんでこんなこと書きたくなるのかも不思議ですが、ご活躍をお祈りしています。(自分の書いたことへも「疑問」が出てきそうな文となってしまいましたが、一生懸命書きましたので、このままを投稿させていただきます。)
No.7
- 回答日時:
順序はくらませないんですね。
つまり因果の理法はくらませないと同じですね。「釈迦牟尼仏=釈迦大如来」がいなければ「仏法」はないし、「仏法」がなければ「仏教僧または仏教僧団」もないんですね。これが段階的順序ですね。段階的であって並列的ではありません。
従って「釈迦牟尼仏に帰依する」ことが正しい仏教徒の姿ですね。
例えば、「釈迦牟尼仏」の教え以外を信じて学んで行じても仏教を学んで行じるとはいわない。ということですね。
信仰の対象が違えば、教えは何でもありですから、つまり「法=教え」はいかようにも解釈も追加もできますから「法に帰依」のみでは「仏教」とはなりえないということですね。これが基本ですね。
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