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自由民主主主義体制の下で、少数派はどのような役割を果たすべきで、多数派はそれに対してどのような対応を取るべきなのか教えてください!

あと、今、日本社会は少数派のニーズにも沿った社会となっているのでしょうか??

A 回答 (2件)

>少数派の役割


というテーマだけで考えるなら、進化論的な意味で遺伝子の多様性を保つことは急激な変化にも対応しやすく、また新たな発展も生みやすいため、マイノリティというのは存在するだけで意義があると思います。
ただ1番さんへの補足からは、単に社会的弱者に対する政策的な意味での保護なり保証なりと言ったテーマということになるのでしょうか。

それだと、「今」と強調されていますが、少なくとも数千年の歴史から振り返ると、多少ブレはありますが時代の移り変わりとともにマイノリティでも一方的にすみやすくなっていると私は思うのですが、極端に「今」の時代だけが悪いという評価なのでしょうか? それとも単にまだまだ足りないということになるのでしょうか。
もしまだ足りないということであれば、こういうのは一足飛びに切り替わるものではないですから、徐々に変わっていくものでしかないでしょう。ただ現在足りないとしても、すくなくとも悪い方向に向かう予兆は全くないとしか私には思えないのですが。質問者さんはその辺は違う見解なのでしょうか。変化のスピードが遅いという程度ならまぁ同意はしますが。

話は少し変わりますが、五体不満足で有名な乙武氏は現在ジャーナリストとして活躍されています。五体不満足でもジャーナリストとしてそれなりに活躍できるようになったのは、社会の方にそれを受け入れられるだけの土壌ができてきたというような事情もあるでしょうし、逆にジャーナリストとしては平々凡々でも五体不満足だから注目されているという事情も多少はあるでしょうが、それよりも五体不満足でもジャーナリストとしての仕事が出来るだけの科学技術が発展したということの方が大きいと思います。具体的には音声入力だったり、手足の代わりとなって働く機械だったりが実用化されたため。
性同一性障害も同様でしょう。制度的には婚姻やら相続やらの権利の話になりますが、この辺は今の段階においても認められつつあります。どのような対応をとるという意味においては、少なくとも日本社会はその辺は宗教的なタブーがない分慣用的ですよ。後は性転換や人工子宮なりな技術が揃ってしまえば、健常者同士のカップルとの違いは無くなってしまうことになります。
逆にそうやって垣根がなくなってしまうと、究極的には障害者手当てみたいなものも必要なくなりますし(健常者と同様の仕事が出来るのですから)、あるいは一般人と同じく仕事を選ぶということもできなくなります(好きな仕事で腹いっぱい喰えるというのは一般人でも極限られた人です)。そういう世の中になれば五体不満足や性同一障害程度ではマイノリティとも呼ばれなくなってしまうでしょうかね。それはさすがに相当な未来の話かと思いますが。
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この回答へのお礼

貴重な意見ありがとうございます。すごく参考になりました。


そうですね。確かにスピードは遅いながらも、今の日本社会は良い方向に向かっているというべきかもしれません。性同一性障害に関して言うなら、2003年に「性同一性障害者特例法」が成立して戸籍上でも自分の性を決定することができるようになりました。この法律制定の立役者となったのは、自分自身性同一性障害の患者である世田谷区議会議員上川あやさんです。彼女は同年四月に当選しました。彼女が当選してから法律の制定まで異例のはやさです。このことからも分かるように、少数派の人たち自身の「生の声」が政治に直接届けば、すぐに反映される社会に今あるとおもいます。だからこそ、もっと少数派の人たちには政治に積極的に参加してほしいのです。



多数派の人たちにとっては普通のことでも、少数派の人たちにとっては困難なことがたくさんあります。多数派の人たちはどうしても常識(固定観念)にとらわれがちで現状認識が完全にはできません。社会的弱者にしか感じ取れない生活への不満を、政治に「生の声」として届けることが肝要だと思います。「声をあげないことは存在しないこと」が日本社会の側面であることもまた事実なのですから。

お礼日時:2008/01/15 05:40

質問者さんの指す少数派という抽象的な人々の集まりが、なぜ社会において特別な役割を果たさなければならないのでしょうか。

例えばの話ですが、思想や宗教が違えど、社会に対して成すべき権利も義務もあると思います。具体的な話にまで押し広めて考えるべき問題だとおもいます。

この回答への補足

抽象的すぎましたね。。すいません。
ここでいう少数派というのは、身体障害者や性同一性障害の人など、いわゆる社会的弱者、実生活において十分な補償がなされていないために満足のいく生活を送ることができていない人たちのことだと思って下さい。

僕の意見では、今の世の中は少数派の人たちにとってはみよい社会ではないと思います。

しかし、かといって少数派の人たちがそのままの生活に甘んじてはいけないと思います。


確かに多数派の人たちの働きかけも必要ですが、本人たちも、自分達の生活をよりよいものにするために、何らかの働きをするべきだとおもうのです。

補足日時:2008/01/14 17:33
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