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数年前に母を病で亡くしました。
家庭事情が複雑で、どこの宗派で葬儀をすればいいか、ということで、ひと悶着ありましたが、母方の実家の曹洞宗で弔うことにしました。
葬儀はつつがなく終わりましたが、しばらくたって、親戚からこんな事を言われました。

「亡くなった人の魂は、供養すればするほど、天国で位(?)が上がって幸せになれるんだよ」

…供養すればするほど、って、要はお布施等を僧侶や寺に払うことになりますよね?
その時は「地獄の沙汰もカネ次第」かよ、と、ものすごく気分が悪くなりました。

そういうと、祈ったり念仏を上げるのに金は掛からない、と反論されましたが、カネは掛からなくても時間は掛かるし、お経も本を「買わない」とわかるわけありません。(読み方を教わるのにもお金は掛かるでしょうし)

もともと、宗教に対して批判的ではありましたが、この件で、一気に不信感を煽られました。
仮に天国なり地獄なりがあったとしても、そこでどう扱われるか、など、亡くなった本人の生前の行いが問題であって、なんで親子とはいえ他人の所業で扱いが変わるのか、理解に苦しみます。

宗教とはいえ「慈善事業」では無いのでしょうから、おカネを集めるのに色々算段しなくてはいけないことは理解しますが、前述の母の件はあまりに酷すぎます。
本当に日本の宗教の実態は、ここまでアコギなのでしょうか。

A 回答 (6件)

私は父を小学生の頃亡くしました、


人生で初めての「死」と言うものでした。
母の悲しみに比べれば子供の私はのん気な者でしたが、
ある意味人の死と言うものに対しては冷静な自分がいます。

他の方の質問にも書いたのですが、
私は父の仏壇に向かって手は合わせてはいません。
父の仏壇の前で父の事を出して母と笑い、
私なりに母を大切に思っていれば父も満足なんじゃ…と勝手に解釈しています。
付き合いの浅い天邪鬼な娘でしたから実父なら分かってくれるでしょう。
さすがに田舎に帰り墓の前では手を合わせますが、
フラフラ出歩くのが好きだった父の事ですから一箇所に止まる事はないと思われます。(笑)

私も「金次第」と言うのが好きではありません、
大金を出せば立派な戒名がもらえるなど弱みに付け込んでいるとしか思えません。
昨年は父の33回忌でした。
初めの頃は父の兄弟がまだ元気と言う事もあり普通に行いましたが、
母と私だけで田舎に帰り墓参りをしただけです。
お坊さんを呼べばいいんでしょうが、
知りもしない人からお経を上げてもらったって嬉しくはないだろうし、
母と私が顔を出す以上に父にとって嬉しい事はないと思います。

よく言いますよね、
墓を建てないとバチが当たるとか供養しないと成仏しないとか。
邪険にせず親を大切にし自分なりに出来る事をしていれば
実の親がバチなんて当てる訳ないって思っています。
お金を出さないからって
実の子を地獄にたたき落とす親がいるのなら見てみたいものですよ。

今年老いた母1人になりましたが、
母を大切にし心配をかけない様にするのが
思いを一杯残して死んでいった父に対する一番の供養かな?と思っています。
周りから見ると親不孝な子供でしょうけど…。
これで父が満足しているのかどうかは聞けないので分かりませんが…。

>「法事を営まないのは先祖を軽んじているからだ」
そう言う人間にはそう思わせておけばいいんですよ、
法事に呼ばれて飲んで食って騒いだりしたい人もいるでしょうし。
供養の行い方など人それぞれだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>大金を出せば立派な戒名がもらえるなど弱みに付け込んでいるとしか思えません。
全く、その通りですね。
私の祖父が亡くなったとき、戒名に「徳」の字を入れて欲しい、と要望したところ、10万円の「お布施」を要求されました。
今から35年以上前(私が生まれる前)のことなので、当時の10万円というのは、どれだけの金額なのか、想像もできません。

生前の私の母が苦境に立たされたとき、不治の病に侵されたとき、呻く様に言ったものです。
「いくら拝んだって祈ったって、救われやしない」と。
母は、それなりに敬虔に信仰心を抱いていましたが、私が「現実の行動」をもってして母を助けたこと、いくら祈ってもカネを吸い取るばかりの宗教のやり方にどれだけ怒りを抱いていたか、母が亡くなった今は、私ですら想像が付きません。

今では、私も墓を立てたこと自体、後悔しています。
親類が一切居ないので、墓など、私が死ぬときにでも立てて母と一緒に納骨してもらえばそれでよかったのに、「苦しむ心」につけこまれて、400万円もの大金をつぎ込んで、一銭のの見返りも無い石の塊を立てたところで、それがなんの意味に値するでしょう。
その「400万円」が、今私の手元にあったら、どれだけの力になるか、計り知れません。

つくづく度がしがたい、連中だ、と、思います。

>そう言う人間にはそう思わせておけばいいんですよ、
そうかもしれませんが、そういう連中が「宗教法人」の名の元に、どれだけ度がしがたい事を行っている事を、常に意識するべきでは無いか、と、昨今では思います。
無視さえすれば無害な存在なら許容できますが、有害ときては、遇する法を知りません。

まとまりの無い文章となり申し訳ないですが、御礼を申し上げます。

お礼日時:2008/02/02 18:23

 ご返答ありがとうございます。


 
>極論を言うなら、収入の1割を寄付する事を強いられてもかまいません。
>ただし、きちんと寄付した金の使い道と、それがどういう形で具体的に信者に還元されるのか明確にしてもらえばいいのです。
そこに、支払う費用と、自分の心を託すものを見出せば、私だって信者になるかもしれません。
>僧侶・寺・教会を「政府」、寄付を「税金」、施設の増改築を「公共事業」に置き換えると、分かりやすい話だと思いますが。

 質問者の方がお世話になった寺院では,収支報告が公開されていないのですか。
 うちの菩提寺では,護持会(檀家の組織)の役員会(檀家総代会)で予算・決算の審議をしますから,収支報告書が出されます。役員ではない私ども一般檀家は,それら書類を寺の寺務所で閲覧することができ,その旨も周知されています。
 氏子になっている神社も同様です。
 ですので,どこの寺院でも同じだと思いこんでおりました。

>>寺を維持するだけでも相当のお金が必要

>批判をすると必ずといっていいほどこの答えが返ってきます。
 
 収支報告を見ているからこそ,寺院維持費が支出の多くを占めているのを知っているので,左様に申し上げたわけですが。
 うちの菩提寺の坊さんは,高級外車に乗っている訳でもなく,うちに来るときは自転車でやってくるし,贅沢をしている様子もありません。

 というようなことで,質問者の方がお世話になった寺院と,うちの菩提寺ではかなりの違いがあるようですので,私の回答は参考にならないみたいですね。失礼しました。
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この回答へのお礼

>質問者の方がお世話になった寺院では,収支報告が公開されていないのですか。
そんなものがあるとは、全く、知りませんでした。
過半数の寺院・神社・教会がその様な事を行っていれば、そういうお話は、世間にもっと認知されていると思うのですが…?

よほど立派な僧侶が居らっしゃるお寺なのですね。

>私の回答は参考にならないみたいですね。失礼しました。
まるで、「誠意」というものが感じられない謝罪、非常にお見事です。
自分が正しい見解をもっている、と信じていても、他人を傷つけてしまった、と感じれば、誠意の在る言葉が自然に出るものです。
よほど世間や社会というものを知らないか、「仏教を信じないものなど愚か者だ」と木で鼻をくくる態度と、価値観が染み付いてしまっているのでしょう。

これでは、如何に貴方が正しい事を言っても、誰も信じてくれないでしょうね。

>高級外車に乗っている訳でもなく,うちに来るときは自転車で
>やってくるし,贅沢をしている様子もありません。
それはそうでしょう。見た目ですぐ贅沢をしているとばれてしまえば、ありがたみがなくなるのですから。
そういう外車をもっている僧侶等は、複数台、車を所有しており、檀家さん・信者さんを巡る際は、軽自動車とか、スクーターとか目立たない車を使うのは常識ですよ。

>うちの菩提寺ではかなりの違いがあるようですので
「かなりの違いがある」寺院・神社等のほうが多い事を認識され、危機感を持ったほうがよろしいかと思います。
貴方の言葉を信じるのは、同門の信者だけでしょう。

本当に信仰や信頼を得るのには、その信仰を否定している人を信じさせるだけの器量と努力と実績をもって、初めて実現されるものです。
もう少し、社会に揉まれた方がいいように思います。

お礼日時:2008/02/02 18:40

 No.3の回答者です。


 回答の文中に誤りがありましたので,訂正します。

 東南アジアの仏教国では,坊さんを敬い,布施する文化があり,そのような国では,坊さんは多くの信徒に衣食住を支えてもらい,自らは仏道修行に専念できるのですが,日本においてはそのような状況にありません。寺を維持するだけでも相当のお金が必要となります。仏道修行に専念できる状況ではないわけです。
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この回答へのお礼

仏教の実態です。
「坊主丸儲け」でGoogleで検索すると、でるわでるわ…。

http://219.121.16.30/blog/archives/000068.html
特に必見↑

http://www.venus.dti.ne.jp/~bouzu893/iitai/it01_ …
他の宗教を批判するのもかまわないですが、まず自分が模範になったら?

http://black.no-blog.jp/hone0625fk/2004/06/post_ …
これには私も異見がありますが、世間からの目というのは、大体こういうものかと。

http://www3.ocn.ne.jp/~xyz/hoby/es/es/temple.htm
これが日本の宗教の実態。ちっとは反省しろ。切腹級です。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
外国ではどうなのか?明朗会計で、「気持ち次第」という心の間隙につけこむ余地はありません。

お礼日時:2008/02/03 08:55

 我が国日本は,神道も儒教も道教も仏教もごちゃごちゃになった習俗の国です。



 そもそも,仏教の教えに「天国」はありません。「天国」はキリスト教の教義に出てきます。仏教では「浄土」です。浄土真宗などの教義では,亡くなられた方は,阿弥陀様がいらっしゃる西方極楽浄土に往生すると説かれています。ところが,曹洞宗の教義にはその「浄土」すらないのです。
 平たく言えば,曹洞宗をはじめ,禅宗では,亡くなられた方を僧に仕立て,僧としての名「戒名」と授け,この世との未練・因縁を断ち切り引導を渡し,亡くなられた方は仏道修行に励むということになっています。
 突き詰めて言えば,いくらお金を積んだところで,仏道修行をしなければなんにもならないという教義です。
 
 先祖崇拝は儒教や土着宗教に依拠し,仏教などに取り込まれ,「先祖供養」「追善供養」という習俗が生まれました。

 仏教で言うところの「供養」とは,坊さんに読経してもらうことではありません。そもそもは「他の人々に振る舞う」ことを言います。
 中国で創作されたのではないかと言われている仏教教典には,「神通力に非常に秀でているお釈迦様のお弟子さんが,自分の母が地獄で苦しんでいるのを見て,どうしたら良いかとお釈迦様に相談したところ,『供養しなさい』と言われ,お坊さん方に食事を振る舞ったところ,善行を積んだその功徳で地獄にいたお母さんが救われて,地獄から脱出した。」というような話があります。
 また,達磨さんの話の中で,中国の王様が達磨さんを招いた時に,王様は「私は寺をたくさん建てたり,尼僧に施したりしてきた。なので,私にはどんな報い(利益)がありますでしょうか?」と達磨さんに尋ねたら,達磨さんは即座に「無功徳!(利益なんてないよ)」と返答されたという話が伝わっています。
 古来,日本は自分の利益のためだけに何かをするというのは恥ずかしいことだとされてきました。ですので,仏教が日本文化に溶け込む過程で,良いことをすれば,そのポイントが自分自身ではなく,御先祖様のポイントに上乗せされるという説が生み出され,受け入れられた訳です。
 ですので,ご親戚の方がおっしゃったのは,日本的宗教観に基づくものであると言えます。仏教の本来的教義に基づくものではないことをご理解ください。
 
 宗教には,教義と寺院の維持という2つの側面があります。
 日本は,東南アジアの仏教国のように,坊さんを敬い,布施する文化があり,坊さんは多くの信徒に衣食住を支えてもらい,自らは仏道修行に専念できる状況にありません。寺を維持するだけでも相当のお金が必要となります。仏道修行に専念できる状況ではないわけです。
 中には,アコギな坊主もおりますが。

 日頃から仏教に帰依し,寺院・坊さんとの交流がある人もいれば,葬式や法事の時だけ寺院・坊さんに頼むという人も居ます。おおむね,後者の方が多いかと思います。そのような方々が「葬式仏教」だの,「坊主丸儲け」などと言っている訳です。

>本当に日本の宗教の実態は、ここまでアコギなのでしょうか。
 坊さんではなく,親戚が言ったことで宗教を批判されるのはいかがなものかと思いますが。
 キリスト教では,聖書に「収入の10%を教会に寄付しなさい。」と書かれています。これに比べれば,お寺に納める御布施はまだ少ない方だとは思います。

 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

仏教だろうが何だろうが、関係ないのです。
要は、「供養」とか「死後の世界」とか、人智の及ばぬものを持って、人に出費や時間を強いらせて、必要以上に利益を上げようとすることに、非常に不信感を抱いているのです。

>東南アジアの仏教国のように,坊さんを敬い,布施する文化があり
さるドキュメンタリー番組で、東南アジアのとある寺院が、「困窮して行き詰った人にお金を貸す」という“美談”が紹介されていました。
そこでは、「いたずらに金を借りることに安直になってはいけない」という意味を込めて、年率200%の利子で貸し付けられているそうです。

日本の「アコギな」サラ金ですら、上限は年率15~20%です。

新興国なので、インフレの問題もあるでしょうが、それでも、許される数字ではありません。
私の親戚の見解が「純粋な仏教では無い」と指摘されていますが、では、日本で「適切且つ正しい仏教」というのは、どこにあるのでしょう?
外国の「美談の僧侶」ですら前述の状態です。

>坊さんではなく,親戚が言ったことで宗教を批判されるのはいかがなものかと思いますが。
僧侶と話したことも勿論あり、その上での批判です。話せば話すほど、わけがわからなくなります。
キリスト教のことは詳しくないので、批判の仕様が無いですが、仏教と比べて、どっちが良いか悪いかなど、論じるつもりもありません。

>寺を維持するだけでも相当のお金が必要

批判をすると必ずといっていいほどこの答えが返ってきます。
しかし、現実に近所の寺の多くは、ものすごいサイクルで改修・改築され、式典場(?)まで増築されて行きます。
有名どころのお寺の住職は、とんでもなく高額な外国車を所有しているともよく言われます。
統計に基づいたお答えならともかく、そうでは無いお話と、目の前の現実の、どちらを信じればよいのでしょうか。

極論を言うなら、収入の1割を寄付する事を強いられてもかまいません。
ただし、きちんと寄付した金の使い道と、それがどういう形で具体的に信者に還元されるのか明確にしてもらえばいいのです。
そこに、支払う費用と、自分の心を託すものを見出せば、私だって信者になるかもしれません。
僧侶・寺・教会を「政府」、寄付を「税金」、施設の増改築を「公共事業」に置き換えると、分かりやすい話だと思いますが。

お礼日時:2008/02/01 22:05

お布施をすれば救われるとか


お金を出さないと地獄に落ちるなど
そういうようなことを言って恐怖心みたいなものを煽る坊主もいますよ。
葬式仏教と言って葬儀やあとの年忌にお金を出させよyとやっきになる坊主なんてたくさん居ます。
もちろんなかには真っ当なお坊さんもおられますけども。


供養ってなんでしょう?

私はあなたがお母様の位牌や遺影などの前でお線香をあげて手を合わせて「今日も見守ってくれてありがとう。今日も元気で仕事行ってきますね」とか朝に夕に個人を偲んで個人に感謝していくことが供養になるのではないかと思いますが。
お経をあげるだけが供養ではないと思います。

まして坊主にお経あげてもらうことだけが供養ではないと思いますよ
坊主にやってもらわないと成仏しないとかはないと思います
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>お母様の位牌や遺影などの前でお線香をあげて手を合わせて「今日も見守ってくれてありがとう。
>今日も元気で仕事行ってきますね」とか朝に夕に個人を偲んで個人に感謝していくことが
>供養になるのではないかと思いますが。

そうですよね。生きている人間がしっかりする事が、供養になると私も思っていました。
しかし、某仏教系サイトで問い合わせたら、そうではない、と、自称僧侶を語る輩に、こっぴどっく罵られ、いい晒し者にされてしまいました。

恐怖心を煽る様な坊主は論外としても、「祈れば祈るほど報われる」という見解を持って、生きている人間を責め立てる僧侶が大半のような気がします…。なんともやるせない話で、胸が焦げるような思いをします…。

お礼日時:2008/01/31 21:27

あこぎな僧侶もいます。


大事な事は先祖を大切にすることです。
お墓に手を合わせる、
綺麗にするなど基本的な事をすれば良いのです。
また法事を行うのです。

http://www.houjinavi-saika.com/knowledge/what.html

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
アコギな僧侶…そう問うと、「そういった僧侶はごく一部だ、過疎地ではまっとうにやっているのに貧乏な僧侶は居る」という

答えが必ず返ってくるのですが、それは逆に言えば、多数の都市圏に居る僧侶は、信用できない、という風に取れるのですが…



>大事な事は先祖を大切にすることです。
>また法事を行うのです。

これこそが、まさに法事を行うたびに、僧侶を呼んだり、お経を読んでもらうことになり、結局は負担を強いられる事になると

思っているのですが…。
ここで「法事を営まないのは先祖を軽んじているからだ」と気にし始めると、際限がありません。
そういう心につけこまれるのが、許し難い、と思う次第なのです。

補足日時:2008/01/31 21:19
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