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銀行に公的資金の注入などが行われた金融危機のときに、ある評論家が銀行を批判して「銀行は他人のふんどしで相撲を取っている、けしからん!」と叩きました。


「他人のふんどし・・・。」の使い方として、合っているんでしょうか。

銀行は預金者のお金を貸したり、投資したりして、その利ざやで儲けています。元もとのお金は預金者のものなのですから、「他人のふんどし」なのでしょうか。
運用に失敗したため、税金投入という形で世間様に尻拭いをさせたので、「他人のふんどし」なのでしょうか。

こんがらがってきました。お考えをお聞かせください。

A 回答 (5件)

>元もとのお金は預金者のものなのですから、「他人のふんどし」なのでしょうか…



そうではないです。
銀行にとって、預金者から預かったお金は、あくまでも自分のふんどしです。

>銀行に公的資金の注入などが行われた金融危機のときに…

注入された公的資金が、他人のふんどしなのです。
銀行本来のあり方ではないということを、その評論家は指摘しているのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
他人のお金を預るのが本業なのですから、初めから他人のふんどしイコール自分のふんどしなのでしょうね。これを非難したら本業が成り立ちません。
よくわかりました。

お礼日時:2008/03/01 12:37

この言葉で、いろいろ当てはめて考える言葉ではないと思います。


要するに自分の手を汚さず、汚いものは、他人にさせるといった風に考えてみるべきです。自分の責任を他人に押し付けるといったと思います。
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この回答へのお礼

>要するに自分の手を汚さず、汚いものは、他人にさせるといった風に

なるほど、ふんどしは汚いところを包んでいるものです。
この慣用句には、「汚いものの始末には自分のものを使え」という意味があるように思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/03/01 12:45

>ある評論家が銀行を批判して「銀行は他人のふんどしで相撲を取っている、けしからん!」と叩きました。



このところをもうちょっと正確に言葉を書いていただけませんでしょうか?
ちょっと、あるはずであろう言葉が抜けていて、その評論家がどういう意味で
それを言ったのかが意図をつかみかねます。

ちなみに、
>銀行は預金者のお金を貸したり、投資したりして、その利ざやで儲けています。元もとのお金は預金者のものなのですから、「他人のふんどし」なのでしょうか。
これではないと思いますよ。
こういう言い方・捕らえ方をし始めるなら、株やファンドの投資家やファンド会社の方
さらに言うなら、その手数料で稼いでいる証券会社の方ががもっと
他人のふんどしで相撲をとっているとおもいますよ。というかやってますね。
銀行よりも利己主義的で、世間の物価が高騰しようがそれで困る人がでてこようが
関係なしで、えげつない事一杯やっています。
銀行は、単に扱っている商品が「お金」というだけであって、真っ当に
商売をしているところも多い(昔は多かった、かな?)です。
バブル時代に、真っ当商売に徹せずに、株やファンドの投資家連中のやり口に
便乗して儲けようとして失敗した、それにたいして公的資金を注入したり
公定歩合を一気に引き下げたりしたことで
>運用に失敗したため、税金投入という形で世間様に尻拭いをさせた
のを「他人のふんどしで・・・」といっているのだと思いますけどね。
もうひとつは、公的資金を注入してもらっていたり、公定歩合を下げてもらって
格安金利で日本銀行からお金を借りておきながら、肝心の預金者には還元せずに
手数料をたくさん取ったり、職員の給料レベルはほとんど変わらずきていたり
そういうやり方を批判していたのだと思います。
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この回答へのお礼

>このところをもうちょっと正確に言葉を書いていただけませんでしょうか?
すみません。大分前のことでしたので忘れてしまいました。
その評論家は昔風の人間で、「お金は汚いもの」という考えがあったように思います。極端な言い方をすれば「今は上品そうな顔をしているが、銀行の本性は因業な金貸しだ。つぶせばいいんだ。」のような口ぶりでした。
ご解説よくわかりました。ありがとうございました。

お礼日時:2008/03/01 12:57

銀行は一切物を作っていません。

また、預金を集める行為を一般企業における商品・材料等の仕入れに見立てる向きもありますが、企業が仕入れたものはその企業の資産です。これ対し、消費寄託契約に基づいて集めた預金は銀行にとって債務であり、いずれ預金者に返さなくてはならないお金です。その点で仕入れとは根本的に違います。ですから、銀行が「人の褌で相撲をとっている」という見方は決して間違ってはいません。

ただし、それは銀行という業種の特殊性であり、「けしからん!」と指摘される筋合いは何もありません。評論家さんが「けしからん!」とおっしゃったのは、もちろん公的資金の注入を受けたことを指しているのだと思います。
しかし‥

「人の褌で相撲をとる」は、端からそのつもりがあった場合の指摘になると思います。銀行は、不動産市況や景気の予測を見誤ったために大きな営業損失を出し、結果としてお国の財政出動を仰がなければならなくなりましたが、それは銀行にとって予め想定していたことではありません。つまり端から公的資金の注入を見込んで意図的に不良債権を作ったわけではなく、単に先見の明がなかっただけです。そういうことを指して「人の褌‥」と言うのはちょっと的外れです。

以上のことから、その評論家さんが言わんとしたのは、恐らく次のような意味だったのではないかと思います。

「銀行は他人のふんどしで相撲を取っているというのに、けしからん!」

つまり、銀行は他人のお金を運用する(人の褌を利用する)のだから、融資業務にあたっては極力リスクを避ける慎重な姿勢で臨まなくてはならない。それにも拘わらず多額の不良債権を作ったばかりか、それによって被った損失を国にカバーしてもらうなど、とんでもない話だということでしょう。
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この回答へのお礼

>「人の褌で相撲をとる」は、端からそのつもりがあった場合

なるほど、そういう見方ができますですね。
同じ慣用句でも人によって解釈がいろいろです。

誰か忘れましたが、作家で、「人の褌で相撲をとる」は「他人の入れ歯でご馳走を食べる」と同じだと言った人がいました。汚いところは似ていますが、他人の入れ歯じゃ不自由でしょう。ズルイという感じが出ないとダメなんじゃないでしょうか。

詳しいご説明感じ入りました。ありがとうございました。

お礼日時:2008/03/01 15:47

> ズルイという感じが出ないとダメなんじゃないでしょうか。



類似の諺に「人の太刀で功名する」、「人の提灯で明りをとる」、「人の牛蒡で法事をする」などがありますが、何れもシニカルな響きがあります。
まあ、“狡い”かどうかはともかく、少なくとも結果的に「他人の力を借りた」というよりは、「他人の力を巧く利用した」という積極性を感じる故の皮肉だろうと私は思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/03/04 08:49

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