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日本共産党が自分たちに従わない左翼たちを呼ぶ呼称ですが、以前はトロツキストと
呼んでいたと思います。いつ頃からこの呼び方に変えたのでしょうか?
またその理由を教えてください。

A 回答 (1件)

それほど詳しくはないのですが、



戦前、講座派と労農派の対立があって、現在の共産党につながっているのは講座派です。労農派は社会党左派となりました。当時、講座派が労農派をトロツキストと呼んでいたのではないでしょうか。当時、世界的にも共産党と社会民主主義者は対立関係にありましたが、ファシズムの台頭によって、手を組む動きが起こりました。これを人民戦線といいます。

戦後、ファシズムが消滅すると、再びこの両者の対立が深まりましたが、トロツキストとはあまり言っていないのではないでしょうか。

寧ろ、共産党がニセ左翼暴力集団と言うのは、新左翼のことではないかと思います。。5全協で先鋭化した共産党が、いきなり6全協で合法路線をとりました。このときこの動きに反して、暴力革命路線にとどまったのが、新左翼です。かれらはその後、安保闘争や東大闘争を経て、さらに先鋭化し共産同赤軍派となり連合赤軍や日本赤軍となります。これとは別の路線ではあるが暴力革命主義に走ったのが核マル派とか中核派だったと思います。まああまり自身はないのですけれども。間違っていたら教えてください。

まあ、傍から見ると、どちらも対して違うとは思えません。

この回答への補足

. 講座派と労農派
1. 講座派とは1932年から33年までに刊行された『日本資本主義発達史講座』(全 7巻)の執筆者、山田盛太郎・平野義太郎・野呂栄太郎・小林良正などをさす。
2. 労農派とは1927年雑誌『労農』を創刊した山川均、猪股津南雄・向坂逸郎・櫛 田民蔵らをさす。
3. 両派は、日本資本主義の分析と地主的土地所有の性質をめぐって激しい論争をした。
4. 中心的論点は、講座派が地主的土地所有は地主が小作人から搾取する小作料は高額現物地代(米で納入)であるから半封建的地代と規定すべきで、本質的に明治以前の封建的性格を継承しているとするのに対して、労農派は明治以降土地の商品化が認められ、地主と小作人との関係は契約にもとづくもので経済外強制は存在しないから、「近代的」地代とすべきとした。
5. 国家権力の性格をめぐっても講座派は絶対主義国家説をとり、労農派は近代資 本主義国家説をとった。きたるべき革命は講座派がブルジョア民主主義革命、労農 派が社会主義革命を主張した。
6. アメリカの占領政策は講座派の文献を研究しており、戦後改革ではブルジョア 民主主義革命的な課題が提起されている。
7. 戦後改革の評価 山田;再版原蓄 大内力国家独占資本(管理通貨制度)のも つ内在的傾向の急進的促進
ということです。

戦前は共産党は非合法でしたから人民戦線は日本では作られなかったと思います。
警察のでっち上げの人民戦線事件というのはありましたが。

共産党の影響下から離れた左翼が作ったのが革命的共産主義者同盟です。かれらの
ことを共産党は「トロツキスト」と罵倒していたのです。

核マルではなく革マル派というのが正しいです。革命的マルキストの略です。

で、私が聞きたかったのは共産党が「トロツキスト」と罵倒するのを止めて、「ニセ左翼暴力集団」というようになった時期と理由なのですが・・・

補足日時:2002/10/22 09:43
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。一般人には関係の無い質問でごめんなさい。

お礼日時:2002/10/23 13:01

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