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19歳大学生です。私はいまだに自信という言葉がわかりません。
というと自分が悪いことしてしまって好きな人や尊敬する人に嫌われた場合自分を責めてしまいます。
そういう人たちと関係が断たれてしまうと自分が悪かったんだなと思ってしまいます。
私はどこか完璧主義なとこがあり、批判的な言葉を少し言っただけで「しまった」と思ってあれを言ったから嫌われたんだなと考えてしまいます。
自信とはどういうことでしょう?悪いことをしても絶対に自分を責めないということでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

理想の自分と今の自分の差にある程度納得できるかどうかです。

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たまに自分に自身がないという誤字?を質問にみますが、見るたびに意図的なら深いなぁと感じる事がありますね。



個人的には(自分)自身を持つことが自信に繋がるものだと思っています。世の中や他人の価値観に流されない自らの強さ、それを構成する背景・能力が自信に繋がる要素だと思います。個人的にはそういう要素が少なくても「自分とはこうだ!」と言える人は自信に溢れている様にも思えますし、そういう要素が溢れていても言えない人は自信がなさそうに見えるかもしれません。

質問の例で言うと謝らないから自信があるではなくて、行動する中で自分の中での信念や自分の本質を曲げるか・曲げないかのような気がします。逆に自分の為には曲げない信念を他人の為に曲げれる人も自分に自信があるんだなぁと感じたりもします。

明らかに自らが間違っている時は当然ですが、どっちもどっちの状況などで自分が悪いと言える人には自分は強さと自信を感じます。色々な場面で開き直らずにしっかりと自己と向き合う事ができる事が自信の言葉の定義のように自分は感じてます。偉そうに書いてますが、自分に自信があるか?と問われればノ~と胸を張って答えます。
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その年齢でじぶんに自信を持つことはなかなかないことだと思います。


だから、人の様子に右往左往してしまうのかもしれません。

私は、ひとつの物事に対して、私なりに正しい意見や考え方などを持ちます。
簡単な例だと、遅刻しないとか、仕事はできることはできる範囲でがんばるとか、人のコンプレックスは本人が話さない限りは触れないとか。
自分が苦しくならない程度に。。
そういう自分の芯をつくっていくんです。
それがその人らしさの一部にもなっていくかもしれません。
そんな自分と、他人への配慮があれば、少々意見が合わないというような事態がおきても、大丈夫な気がします。
けんかになっても仲直りすればいいし、関係が絶たれるというのは、よっぽど考え方が違うか了見が狭いか、多忙かetcということじゃないでしょうか。

自信って、「よし、自信をつけよう!」って思ってつけていくものではないことは確かだから、自分ってどんな考え方の人間?って考えてみるのもひとつの手かもしれません。
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19歳だったらこれから夢をかけていろんな挑戦ができるよね。


例えば資格をとる。
彼女を作る 
バイトをえらぶ
初めての趣味をする
就職を決める
海外研修にいく  など

たくさんの ドアがあります。
そのドアを開ける勇気 部屋の中は見えません。
その時自分を信じていれば 開けて入る事が出来ます。
もしも・・・・?失敗を想定してドアを開けなければ進歩はありません
完全を目指していればドアは開けられないでしょう。
平原綾香 のジュピターという曲聴いてみてください
その中に 夢を失うより自分を信じてあげられない事というところです
自信のある人は行動力があり結果をだします
自信のない人はやる前からどうせだめとあきらめるから結果はでないでしょう 
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反省する、ということと、自信を持つ、ということは、異なることです。



自信を持つというのは、「自分は能力がある」と信じる、思いこむこと。
それは無根拠でもいいんです。
なぜそれが大事かというと、逆にもし自分はダメだと思っていると、それが潜在意識にすり込まれて、なにかチャンスが訪れても無意識に逃げてしまったり、いい仕事をしながらもどうせこんなもの失敗だと自ら壊してしまったりするからです。
自身がある人は、積極的にチャンスもつかまえるし、直感的に仕事を成功させたりしやすくなります。
このあたりは心理学の話です。
芸能人でも、アーチストでも、経営者でも、成功している人の中に、無根拠に自分の力を信じている人が多いのはそういう理由だと思います。
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自分(性格、行動等)は間違っている、という感覚が「自信がない」で、


自分は正しい、という感覚が「自信がある」ということじゃないかなと思います。
質問者さんについて言うならば(No.5の回答者さんもおっしゃってますが)、
「自分が悪いと思って自分を責めること」が良いのか悪いのか、
よくわからず、みんなそうなのか確かめたくなった、その質問こそ、
自信のなさのあらわれということではないでしょうか。
それが良いとは思えない、考え方を変えたほうがいい気がする。
そう思っているのではありませんか?

もし違っていたら以下は読み飛ばしてかまいませんので!
あくまで私一個人の意見です。
「何が」悪かったのか考えずに、「誰が」悪かったと決めて終わってしまっては、ただの後悔だと思います。後悔先立たず!
たとえ本当に自分が悪かったのだとしても、
自分のどこが悪かったのか、何が悪かったのかを知れば、
「逆にこうすればうまくいくかも…」と次につながるかもしれません。

良くないと思った行動の逆を実践してみて、
その行動が正しいと思えたとき、自信を持った、ということになるのではないでしょうか。
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こんな事を質問しないようになる事です。

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この回答へのお礼

確かにその通りですね。

お礼日時:2008/03/16 19:38

煙に巻くことを言うようですが、自信というのは、自信が持てるようになるまでは、何のことだか理解できないものだと思います。



まず、自分の生き方に対する自信とは、「この道を行って、どうなっても後悔しないか?」と自問して、「後悔しない」と言えるようになることだと思います。これは、実際にその道を歩みながら、少しずつ固まっていくものだと思います。
悪いことをしても絶対に自分を責めない、というのとは似て非なるものです。
たとえれば、本当の自信というのは、静かな部屋に一人で座って、それで心安らかなものです。悪いことをしても自分を責めることを拒否するというのは、自分を責める言葉を大音量の音楽で聞こえなくするのと似ています。両方とも、自分を責める言葉はどこからも聞こえてこないのですが、かなりの違いがあります。

自分が悪いことをして相手に嫌われたのを責めるのは、とても正常なことで、自信云々とは関係ないと思います。こういうのは、気遣いがちゃんとできる人であって、持ち続けていたい資質です。立場が逆になった時を考えれば自明ではないでしょうか?悪いことをした誰かを、あなたが嫌だと思ったとして、その相手が何の反省もしていないのを見て、「私もそうなりたい」と思うでしょうか?
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悪いことをしたから嫌われたと考えてしまう、とのことですが、


そんな簡単に人との絆って壊れるものでしょうか?
悪いことをしたと思ったら誠意を持って謝る。
それで解決できないのですか?
「しまった」と思って終わってしまったのでは何の解決にもならず、
自分を責めるだけになってしまうのではないでしょうか?

自分を責めないことが自信ではありません。
トラブルを自力で回避していくことで自信って持てるようになるんじゃないでしょうか。
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自分が悪いことをしたなら自分の行為を反省すべきで


「嫌われた・・・」っていうのについて自分を責めるっておかしいですよね?
嫌われたかどうかに関係ないことじゃないでしょうか

ということから考えると
質問者さんは自分に自信がないのではなく「自己愛」が強い人だと思います

もっとかんたんに言うと「子どもだな~」って感じでしょうか

でも、私も19歳のときはそうだったと思います
これからいろいろな経験を通して大人になるのだと思うので
自分は変われる、自分はできる、ということを信じて努力してみてください。
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この回答へのお礼

自己愛とはどういう意味でしょうか?

お礼日時:2008/03/16 19:24

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