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一昨年、2006年11月6日に14年間飼っていた猫が死にました。

高齢でしたがまだまだ元気でした。
ただ排便がうまくいかないようで、肛門にウンチが残る状態が続いたので近所の動物病院に連れて行ったところ、直腸肥大症で便が大量に詰まってる、と言われ便を軟化させる薬というのを貰いました。

毎日飲ませてましたが症状の改善は見られず、それどころか段々動きが鈍くなったような気がしたので週末にまた病院に連れて行こうと思ってました。しかし薬を飲ませ始めてから6日目に仕事から帰ると、ヨロヨロと歩いてきたかと思うとパタっと倒れ起き上がれなくなりました。目は開いてますがまったく自力では立ち上がれないようでした。夜の11時頃だったので慌ててインターネットで深夜救急をやっている動物病院を探し、電話連絡した上で連れて行きました。

連れて行った病院で診察したところ、強度の脱水症状を起こして腎不全を併発してる、と言われました。恐らく便を柔らかくする薬というのは内臓からの水分吸収を抑える薬で、それが原因で脱水症状を起こしたのだろうということでした。お医者さんは一生懸命に治療に当たってくれました。しかし強度の脱水症状を起こしているため血管が細くなり点滴の注射も入れられず、それならば肛門からと、詰まった便を手で掻き出しましたが時すでに遅く、次第に動きが少なくなり、ついに微かな痙攣も止まりました。明けて6日の0時6分でした。

私の手の中にいたあの子はもう動きませんでした。
涙が止まりませんでした。お医者さんの前で声を出して泣いてしまいました。
しばらくして落ち着いてからお医者さんが綺麗な箱に亡骸を柔らかなタオルで包んで入れてくれました。
「高齢の猫の腎不全はしょうがないと思ったほうがいい」と慰めてくれ「お役にたてなかったので」と診療代も救急料金等をとらずに5000円程にしてくれました。

帰り道はとても長く感じました。どういうルートで、どこの信号で止まったのかもはっきり覚えてます。

前兆はありました。最初に元気が無いな?と思ったときにもっと早く医者に見てもらってればと後悔してやみません。自分がもっと注意深く接していればと、自分が殺してしまったような気さえします。

翌日、出張の火葬業者に来てもらい自宅前で火葬して遺骨を骨壷と化粧箱に入れてもらいました。ペット墓地だと数年すると処分されてしまうので、49日が過ぎてから自宅近所の雑木林の一番大きな木の根元に深く穴を掘り、お骨だけを埋めました。

死んだ翌日、最初に連れて行った病院に電話をして経過と結果を伝え診断と治療についての見解を聞きたいと申し入れました。「診断に間違いはなかったとは思うが、結果的にみると治療方法については間違っていたことを認めざるを得ない」と認めてくれたので私もそれ以上追及はしませんでした。

3月17日はあの子の誕生日です。
生きていれば16歳。大好物だったカニカマを買って祈ろうと思います。

これを書きながらも涙が止まりません。でも書かずにはいられない心境です。
忘れたいけど忘れたくない。14年間生活を共にした家族ですから。
まだ1年とちょっとですが、いつか忘れられる日が来るんでしょうか。
思い出しても涙が出なくなる日が来るんでしょうか。

A 回答 (11件中1~10件)

私も子供のころ初めて家で飼った猫のことは忘れないです。

10年くらい飼ったとおもいます。いつも私の布団にもぐりこんで寝ていました。あなたの猫も喜んでいるとおもいますよ。そして元気に生活することが供養になると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私の心の中では彼女は一生生き続けるでしょうが、悲しみよりも大切な思い出と感じられるようになることを願ってます。

お礼日時:2008/03/19 13:40

私は六歳から二十歳(十四年間)まで飼っていたネコが死んだ時は泣きました。


老衰でしたが仕事から帰ってきて家族から
「死んじゃった」と告げられた時はショックでした。

忘れたいけど忘れたくない。
 それでいいと思います。そのネコちゃんが家に来て幸せだったと思いますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
自分が飼い主でで本当に彼女は幸せだったのかを悩んだ時もありましたが、これから良い思い出だと思える日が来ることを願っています。

お礼日時:2008/03/19 13:42

こんばんは。

読みながら涙がでてしまいました。。。
本当につらかったですね。。
私も動物が大好きで昔からたくさんの動物を飼ってきて
たくさんの動物の死を見てきたので、、
辛い気持が手に取るようにわかるのです。

いまだに数年前に・・・野良犬にかみ殺されてしまったかつて飼い猫の写真をみると涙がでたりします。 電話でそれを知らされ、その場で嗚咽するくらいおお泣きしました。 
他にも・・25年くらい前でしょうか。飼っていた猫が原因でシラクモという病気に私たちがかかり(円形のはげがでるんですが・・)
父が、私たちが学校に行ってる間に猫を捨ててしまったこともあります。 今でも、この猫のことをおもうと、涙がでてきます。
心の底からごめんねごめんね・・って
そういう思いでいっぱいです。
どこをどうさまよって、どうやって死んでいったんだろう?
その瞬間私たちはどうすごしていたんだろう?
いろんなことを考えて罪の意識にさいなまれましたし、今でも、罪を背負って生きています。。。

死んでいった動物たちのことを忘れずにいてあげられる心をもっているということだけで、素晴らしいことなんじゃないでしょうか?
今の世の中、子猫が大きくなったからといって捨ててしまう人も多いのですから。 
死んでしまった猫ちゃんのこと、忘れずにいてあげても
何も悪いことじゃないとおもいますよ。

わたしは、、、
私が死んだら、みんなと(死んでいった動物たちと)一緒になれるって
そうおもってます。
その時はきっと永遠に一緒にいられるんだろうなって。

悲しんでてもいいけれど・・

悲しんでる猫ちゃん、いっぱいいるから
そのネコちゃんたちに新しい命をあげるってことも考えてあげてはどうかな・・・。 そしたら天国にいった猫ちゃんも、きっと喜んでくれるとおもうよ・・・。 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私はあの世があるとは思っていませんが、こんな時だけはあって欲しいと考えてしまいます。私が死んだ時に会えたら、どんな顔をしてくれるでしょうか...
いつか良い思い出だと考えられる日が来ることを願っています。

お礼日時:2008/03/19 13:46

その猫ちゃんはきっと幸せだったと思いますよ。


私が子供の頃に猫を飼っていました。小学生の頃だったので、結構いじめたりして、今から思うと可哀想な事をしました。ある日交通事故にあった様で、片目が見えなくなりましたが数年元気でいました。最後には体が弱ってきて、ある日を境に姿を消しました。よくある事らしいですが、猫はどこへ一人で行って死んじゃったんだろうと考えると子供心に切なかったです。
貴方の猫ちゃんは、最後まで貴方と一緒に居て幸せだったと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
最期を看取ることが出来たことは不幸中の幸いだったと思います。
今は東京の多摩北部にある雑木林で眠っています。
いつか良い思い出と考えられるように願っています。

お礼日時:2008/03/19 13:48

知り合いの猫がやはり高齢で直腸肥大症になり、自力で排便ができないため2年以上、人工肛門で人がマッサージをして大便を取り出す介護をしていました。


歩くことも出来ず、食事も自力で食べらでないので、口までもっていってあげる介護の日々でした。
そして15歳で永眠しました。

ここまで長い時間と介護に力を注いだ飼い主は、猫の死に顔をみても、とても満足そうな気持ちで、悲しみはそれほど感じているように見えませんでした。

お別れはつきものですが、その別れ方がよくなかったので、ショックをうけているだけですよ。
むしろ14年もいっしょにいれた方を感謝して、良い思い出を思い出してあげた方が、猫ちゃんも喜ぶと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
14年間の生活は彼女無しではまったく違うものになっていたと思います。いつか良い思い出と考えられるようになることを願っています

お礼日時:2008/03/19 13:49

ニャアは虹の橋のたもとであなたを待っています。


あなたが寂しいと言わないでくれることを祈りながら、あなたの心を誰か別の人が慰めてくれるといいのになぁと思いながら再会できる日を待つのです。たくさんのお友達と一緒に。
ニャアはお友達と一緒です。そしてあなたを見ています。
予定より早く旅立たなくてはならなかったニャアは、そのせいで大好きなあなたが悲しんでいることが辛いと思います。
簡単に忘れろとはいいません。でも再会の日を待っているニャアのためにも、元気を出して下さい。あなたの思いをひきずると虹の橋のたもとでも他の仲間と元気に遊ぶことができなくてかわいそうですから。

参考URL:http://www2s.biglobe.ne.jp/~symd/Rainbow/Rainbow …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
悲しみが薄れるにはまだ数年掛かるとは思いますが、いつの日か良い思い出だと思える日が来ることを願っています。

お礼日時:2008/03/19 13:52

うちでも猫を飼っていました。



私も死んだ時分は大変悲しい思いをしたので、それ以降は動物は飼う気持ちになれず、野良猫を見ては飼っていた猫の姿を映して気を紛らわしてきました。

しかしながら私は彼らから、雨が振っても体の濡れない暖かい家、毎日食べられるおいしい餌、安心して眠れる寝床を与えられている猫と、生まれながらにして泥だらけの家に住み、痛んだ物を食べ、2~3年という短い期間しか生きられない運命を与えられた猫がいることを改めて気づかされました。

質問者様が飼われていた猫は、確かにかわいそうな最期でありましたが、生きている間は恐らく幸せを実感することが出来ていたのではないでしょうか?

何よりも最期にはあなたは懸命に出来る限りのことをなさっていると思いますし、最期のときをあなたに看取ってもらえたことは、家族であることを実感しながら旅立っていけたと天国で感謝していると思います。

今は形が無くなってしまいましたが、忘れる必要は無いと思います。いつまでも忘れずにいてあげてください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
写真がいっぱいあります。フィルムで撮ったものも、デジカメで撮ったものも。今はまだそれらを見ることはできません。悲しみが薄れてきた時に彼女との幸せな生活を思い出しながら見たいと思います。

お礼日時:2008/03/19 13:54

私も、10年以上前に、18歳で猫をなくしました。

ばったりと倒れていたので、前日まで何の兆候もなかったこともあり病気だと慌てて病院へ...でも、あまりいいお医者様ではなく(人はいいものの、腕が。)、無駄な延命治療の挙句、かなり苦しませて老衰だとわかった後に失ってしまったので、(何十万もとられ、死んだ後も払い続けました。それも、思い出してしまうので、つらかったです。)いまでも、思い出したり、最後のほうの写真を見たりするとだめです。これをかいていても、思い出して泣いてます。

当初の、鋭いほど胸が痛くなるつらい泣き方とは違いますが、
やっぱり、1匹1匹、全て、いままでいっしょだった子達、
思い出すとどうしても泣きますね。そのことちょうど同じ時期にいた犬も、病院の麻酔ミス、治療ミスで失ったり...これまでの人生で十数匹以上、失ったことになります。特に、その18歳の猫の死がものすごくショックで、それで、10年つらくて動物と暮らせないかも、と思ったところ、殺されそうになっていた目も開かない子猫を助けました。

結局、その子自体は水につけられていた時間が長すぎて1ヶ月弱でわかれることになってしまったのですけれど、そのこのお兄さん猫が、
いま一緒にいます。トラウマもあり、性格も激しくて問題は多いものの、「ああ、こんなに、私は、動物といるということを欲していたんだなあ。」と実感しています。縁あって、うちの子の殺されそうな兄弟たちも助けて、里親に出したりしました。

そのうちの1件のお宅が、ちょうど、1年前に十数年も一緒にいた猫を失ったお宅でした。飼い主だったお母さんは、「まだ前の子が忘れられない」とおっしゃっておりましたが、娘さんの勧めで、新しい子を受け入れたのです。いまは、新しいこのいない生活は、やっぱり考えられないようになっているようです。

もちろん、前のこの代わりは、絶対にいません。
でも、泣きながらも、忘れることがなくても、
新しい出会いがあるかもしれません。なんとか、悲しくても、そのこと一緒にいられた幸せも、思い出してあげてください。

長くなってしまいましたが、
いっしょにいたその子は、とても幸せだったと思います。
きっと、そんなに悲しまないでね、と思ってると思いますよ。
いまでも、泣いてるあなたを心配して見守ってくれてる、幸せなところで待ってくれてる...と、私は思いたいです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
皆様も色々ご経験されてますので参考になります。
悲しみが薄れるまでにはまだ数年かかると思います。
いつの日かあの世で会えたら嬉しいですね。

お礼日時:2008/03/19 13:57

可愛がっていた猫ちゃんがなくなられた悲しいお気持ち、私にもわかります。



私の家でも何代か猫を飼いましたが、いちばん長く飼っていた最初の猫は家で13年生きていました。
なくなったとき、家の中でしたが、痙攣を起こし失禁してそのあと息を引き取りました。
自分の死がわかっていたのか、外に出ようとしている途中でした。
私たち家族は、泣きました。しばらく、悲しくて猫も飼えませんでした。

でもね、新しい猫ちゃんとご縁があって飼うことにしました。
そこでわかりました。新しい猫ちゃんを飼うということは、前の猫ちゃんを忘れることではないのだと。

ご質問者様は、今はまだ悲しさが癒えていないかも知れません。
まだ、新しい猫ちゃんを飼う気にもなれないかもしれません。
でもね、もしも、何かのきっかけで新しい猫ちゃんにご縁があったら思い切って飼ってみてください。
新しい猫ちゃんの思い出が出来ていくのと一緒に、前の猫ちゃんの思い出も
一緒によみがえってきますから。
そして、前の猫ちゃんに注いでいた愛情を新しい猫ちゃんに注げるようになりますから。

そのご縁があるまでは、前の猫ちゃんの思い出を、ノートに書き綴ったり
写真を整理してアルバムを作ったりして、ご質問者様の悲しみの整理をして、
その悲しみに区切りをつけてください。
ご質問者様がいつまでも悲しんでいてはなくなった猫ちゃんも安心して
黄泉の国へ旅立つことが出来ませんから。

それとなくなった猫ちゃんは幸せですよ。
猫は自分の死期を悟ると、本能で人に姿を見せないところへ行くといわれています。
病気で苦しんだとはいえご質問者様に世話をしてもらって、姿を隠すこともなく
最後を看取ってもらったのですから。

>まだ1年とちょっとですが、いつか忘れられる日が来るんでしょうか。
>思い出しても涙が出なくなる日が来るんでしょうか。
必ず心が癒えて、その悲しみだけを忘れられる日がきますよ。
思い出して涙するのはいいのです、でも、その涙をご質問者様の心が前向きに
向くためのものなら、なくなった猫ちゃんも心置きなく黄泉の国へいけると思いますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
今はまだたくさんある彼女の写真を見ることが出来ません。
いつかもう少し悲しみが薄れた時に、写真を見ながら良い思い出として整理したいと思います。

お礼日時:2008/03/19 14:06

じっくりと読ませていただきました。


質問者様のネコちゃんへの愛情が本当に伝わってきました。
精一杯の事をされたと思います。
でも、どんな事をしても後悔は必ずついて回るものですよね。

私も04年に15歳の子を亡くしました。
05年には生後2歳にもならない子を亡くしました。

その時日記を付けていたり闘病の記録を付けていたのですが、今現在も読むことが出来ずに居ます。

猫を忘れるには猫しかないと言われ新しく迎えましたが、忘れることは生涯できないと思いました。
でも、悲しみは時間とともに薄れていくのも事実です。
あの子達の後に迎えた今の子達は本当に可愛くひょっとしたら生まれ変わり?と思えるような時もあったりします。

亡くなった当初はもっとあんな風にすればとかこんな方法もあったのではないかとか、可哀想なことをしたとか、後悔ばかりで毎日ごめんねの言葉ばかりを言っていました。

でも、時間が過ぎることに感謝したことがあります。
それは、あの子達にありがとうと言えるようになったことです。
本当はもっと早くに言ってあげるべきだったのに、そうすれば天国へ逝ったあの子達を安心させてあげられたのに、私は泣いてばかりで後悔ばかりで毎日を過ごしていました。

今思うときっとそんな私を見ていてあの子達の方が辛かったかもしれません。

写真を前に家の子になってくれてありがとうと、ずっと大好きだからねと、そう話し掛けてあげられるようになりました。
そうして今居る可愛い子達の事を話してあげたりもしました。

忘れる事は自分が死ぬまでないだろうと思っています。もちろん今いる子達の事も同じです。
それでいいのだと思います。
悲しみを引きずるのではなく、思い出を沢山持っているというのは幸せだと思うのです。

質問者様のネコちゃんも今はとても元気に天国でお友達を作って走り回っていると思いますよ。
そんな姿を想像してみて下さい。
健康な体を取り戻して、きっと可愛い顔していますよ。
いつか生まれ変わって会いに来てくれるかもしれません。

どうか心に無理を掛けないでネコちゃんのこと沢山思い出して、涙が出たらそのままでいいと思います。
もしも出来るなら新しくネコちゃんを迎えてもいいと思いますよ。
きっとその子が悲しみを癒してくれると思います。

新しい猫ちゃんと暮らす事によってまた新たな気持ちに気づく事もあります。
長くなってすみませんでした。

今日の誕生日きっと天国のネコちゃんも楽しみにしているでしょうね。きっとそうですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
時間が私の悲しみを薄れさせてくれるだろうと思います。
もう少し経ったらまた猫を飼うことも考えたいと思います。
今はまだ飼っても彼女の代わりとしか見られないと思いますので...

お礼日時:2008/03/19 14:11

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