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「暗い」という言葉は万能ではないし、意図するところも伝わりにくいものです。要は、「のりが悪い」(そりゃのりのいい曲もありますよ、ですがあくまで協和音的にしろ不協和音的にしろ、インテリジェント貴族的なのりです)「庶民的でない」「肩肘張った感じがする」「顔が硬直する」「異次元世界に入り込む気がする」「富裕層あるいはインテリ層と密接なような気がする」etc.の感覚のことです(サティは別枠にしてもいいと思いますが、作品の内容からあれはあまりクラシックの作曲家と思えないところがあります)

すなわち、なぜクラシック音楽にこのような感覚を生じさせるものがあるのか、それはどういうところから感じられるのか。
あるいは、ポピュラー音楽にはそれがほとんど感じられないのはなぜなのか、分かるようで分からない疑問です。

どういう風に考えたらよいでしょうか?

A 回答 (16件中1~10件)

歌詞がないからというよりほとんど歌えないからそう感じるのでは


ないかと思います。歌詞がついていて歌うことができればもっと身近に感じられるのではないかと思います。
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この回答へのお礼

歌曲はありますけどね。インストよりもっととっつきにくい気がしてしまいます。

お礼日時:2008/03/26 07:28

そもそも作られた目的が違うからじゃないかな?



クラシックは、もともと貴族や王族の道楽のために作られることが多かったのではないかと思います(宮廷音楽)。
水辺で遊ぶ最中に聴くために作曲させたりとか、食事中に聴く曲を作れとか。
あとは宗教音楽がクラシックになったもの。もともと神を賛美するための曲なので厳かだったり憂いのある曲になっているのでは?

以上、あくまで私個人のイメージですけど。
でも暗い曲調のクラシックにも好きな曲はたくさんありますよ。
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この回答へのお礼

歴史的に言って、貴族的なものや宗教的なものと密接というか、一体ですよね。そこのとろこが、はめをはずすことは絶対にないという暗黙になってしまったんでしょうかね。

お礼日時:2008/03/26 07:29

そりゃもちろん「パトロンの好み」です。


その上、ロマン派に入っちゃったら、「精神主義」の波を受けて「おちゃらけ」やっていると「生き残れなかった」分けでして、もちろん道端で演奏している分には良かったのですが。
最近は何と言っても大衆化、パトロンが「大衆」なので難しいのは受けませんモンね。MP3でバルトークなんかダウンロードしますか?
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この回答へのお礼

昔のパトロンって、おかしこまっている人たちばっかりだったんでしょうかね。どうも、それが信じがたくてこういう質問をしました。昔でも、音楽でお茶らけるとか下品に笑うとか強烈な歌詞に陶酔するとか、そういう需要もあっていいと思うんですけどね。

お礼日時:2008/03/26 07:31

クラッシクは、暗いと言う事はないと思います。

ポピュラー。歌謡曲は、軽いのりですが、クラッシクは、重厚な感じがします。それで暗いと言うイメージがあるのでは。ポピュラー音楽でも、クラッシクを取り入れている音楽が多いです。セミポピュラーとでも言うのでしょうか。明るい音楽もおおいです。
どういう、内容の音楽だとか、歌曲でしたらどういった内容かを調べるのも面白いでしょう。
むしろ、歌謡曲のほうが、暗い気がして、歌詞も男女関係で、女が苦しみ、泣く、振られる。などで、聞く気にもなりません。勿論いい内容の詩がありますが。
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この回答へのお礼

「暗い」なんて書いて、誤解を覚悟なんですが、要はインテリっぽいというか、お嬢お坊ちゃんっぽいというか、少なくともジーパンでステージには立たないのは何でかというか。そんなところなんです。セミポピュラーでも、クラシックの「暗さ」をひきずっています(私はそこらへんが好きですけどね)
歌謡曲の暗いのはまた別枠で考えなきゃならないと思いますね。これはクラシックの「貴族インテリお嬢」とは違った方面からの「暗さ」です。

お礼日時:2008/03/26 07:35

「クラシックの方が優れている」とか「深い」とか言うつもりは全くないので誤解しないでくださいね。



クラシックは調和を求めて色々な制約を作り、それを少しずつ時代の要求に合わせるように制約を改善し続けてきました。それでもまだ「理論」に裏付けられたものが多いのです。作曲家たちはその理論をさらに改革し応用し自由を求めています。「破壊」を試みる人も当然いるしそれも自由ですが多くは認められずに消えていきます。理論に則っているからこその作曲の「腕」なのです。理屈っぽいのは当たり前で、理屈が理解できるとこの上もなく面白いのです。

歌えない、という意見がありましたが、歌曲はもちろん歌手には歌えるように作られていますよね。器楽のメロディは音域が人間の声域を越えるものが多いので歌えないわけですよね。これも器楽の発展の中で上記のような試みを繰り返してきた結果でしょう。それとポップスやジャズに比べて歴史が遥かに長いせいで、和声理論も複雑怪奇なものになってしまっています。数えるほどしかない和音を使っている歌謡曲やポップスは親しみやすく感動も直接的です。ある意味とっても単純なんです。(オレはその単純さにすっかり飽きてしまってます。歌詞に感動できてもメロディやコード進行に感動することは滅多にありません)。ジャズは理論を発展させ今や理論書の勉強が必要なほど「理論的」ですよ。。

そんな中でも理論を知らない人の心の琴線に触れる音楽というものはすばらしい、とオレは思います。クラシック音楽を好きな人でクラシックを「暗い」という人に会ったことがありません。40歳すぎていきなり霊感に出会う人もたくさんいますよね。あなたにもそういう瞬間がいつか訪れるかもしれません。

解る必要なんてありません。感じればいいんです。感じなければ聴かなければいいだけです。
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この回答へのお礼

理屈っぽく、作曲家が頭を抱えて長期にわたって作り上げるのが、一般的なクラシック作品かとも思います。しかしなぜ、もっと小曲を中心に作らなかったものかと考えます。それらのほうがよっぽど需要に合うのではないかと。その中には、非常にのりのよいものだってあったっていいのではないかと。
理論を十分勉強することと、大曲とのりのいい小曲を作ることは平行してもいいのではないかと感じます。
ポップスは、クラシックの中の親しみやすい音形(和音進行)を取り出して、さらにリズムと結びついて世界を作っていったその作り方が、庶民的な本能と結びついている気がします。でも、庶民的な本能と貴族的なそれがそう違うとも思えないわけです。

お礼日時:2008/03/26 07:39

こんにちは



>「庶民的でない」「肩肘張った感じがする」「顔が硬直する」「異次元世界に入り込む>気がする」「富裕層あるいはインテリ層と密接なような気がする」etc.の感覚のこと

No2の方の言うとおり、曲を作ったときの目的が
そもそも教会で流れる曲だったり、貴族、王様に披露するものだったり
大金持ちのパトロンに依頼されて作曲しているから

ということでいいんじゃないですかね。

>ポピュラー音楽にはそれがほとんど感じられないのはなぜなのか
例えばポピュラー音楽の場合、そもそもカラオケで歌ってもらうことを
前提に音域を狭く(一般人でも歌えるように)してたりしますよね
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この回答へのお礼

そこらへんに、多分真実があるのでしょうかね。
貴族王侯宗教者というのはそれほど「ノリ」を求めなかったのかと疑問です。あるいは、単純に「音楽」というものがそういう方向性をまだ発見していなかった、その技術は可能であったと思います。が、盲点であったのかなぁとも思います。売れないものは作らない。

お礼日時:2008/03/26 07:42

今日歴史に残っているクラシックの土台は宗教音楽として残っている


曲が多いような気がします。
教会で奏でる曲が軽かったり、明るかったりするとちょっと不真面目
に見えちゃうんでしょう。
お葬式が重厚な感じに仕立て上げられてるのと似てるんじゃ
ないかな?
もちろん、宗教音楽でない音楽のほうがクラシック音楽としては
多いでしょうけど、理論として脈々と受け継がれている音楽の原型
は宗教音楽と切っても切れない関係だし、音楽の父はバッハだし。
(バッハは教会のオルガン弾きでしょ?)
私はカンツォーネなんかの明るくて朗々とした感じは好きですけどね。
あれは民謡みたいなものですが、歴史が古いためにクラシック
と分類されてるみたいですね。
そのうちビートルズやイーグルスもクラシック音楽と呼ばれる
時代がやってくるでしょう。
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この回答へのお礼

宗教と深く結びついてますね。ただ、それは17世紀くらいまでかなとも思えます。そのあとも、綿々と思索的なあるいは貴族的な曲を作り続けたわけで。もっとも宗教色は徐々に薄れていって(ロマン派になれば明らかです)しかし、庶民的なジョークとかそっちのほうにはぜんぜん向かなかった。あくまで、「高尚」な範囲にとどまった、少なくとも20世紀近くまで。そして、リズムと結びついたポピュラーの台頭まで、その方向は模索されなかった?
カンツォーネも明るいですが、やっぱり歌詞はそれなりですよね。

お礼日時:2008/03/26 07:45

こんにちは。



文学と漫画の比較みたいな感じですかね。
私は、クラシックもポピュラー音楽も、聴くだけでなく演奏した経験があるので、どちらのほうが「暗い」という感覚(頭の中での区別)がありません。

「のりが悪い」
「庶民的でない」「肩肘張った感じがする」
「顔が硬直する」
「異次元世界に入り込む気がする」
「富裕層あるいはインテリ層と密接なような気がする」
ということですね。

どれにも該当しないクラシック音楽としては、
・チャイコフスキー「くるみ割り人形」
・デュカ「魔法使いの弟子」
・ヨハン・シュトラウス1世「ラデツキー行進曲」
・モーツァルト「トルコ行進曲」
・ドボルザーク「ユーモレスク」
などがあると思うのですが、いかがでしょうか。
私の主観ですが。

どれかに該当するポピュラー音楽としては、
・Gackt「Returner」
・絢香「永遠の物語」
・レミオロメン「明日に架かる橋」
・Journey "Escape"
・Led Zeppelin "Stairway to Heaven"(天国への階段)
などが思い浮かびます。
これも私の主観ですが。

また、
荒井由実(後の松任谷由実)がデビューして間もない頃は、多くの人にとって彼女の曲は、庶民的でなく、異次元の世界の音楽に聞こえたことと思います。

クラシック音楽であれ、ポピュラー音楽であれ、自由な感覚があれば、幅広く楽しむことができることでしょうね。
自由な感覚を身に着けるためには、先入観を持たずに、幅広く音楽を聴くのがよいのではないかと思います。(できれば演奏も)
すなわち、食わず嫌いをしない、未知分野の開拓です。

ちなみに、上で挙げた曲の中では、私が好きな曲もありますし、そうでない曲もあります。
ジャンルの別を問わず、「好き」「嫌い」「暗い」「暗くない」があるわけです。

以上、ご参考までに。

この回答への補足

そういうことでなくて、言っちゃ悪いですが、柄の悪い人たちが「くるみ割り人形」とか「魔法使いの弟子」とか聴かないということです。

補足日時:2008/03/25 17:25
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この回答へのお礼

昔は「漫画」がなかったということに結びついているのかもしれません。どうしても、貴族的なものと文化というものが結びついているというのが、昔の姿なのかも知れません。庶民文化なんていうのは、文明技術発展があった後にはじめて可能になるのかもしれません。エジソン?

お礼日時:2008/03/26 07:48

こんばんは。

補足を拝見しました。
「暗い」と「柄が悪い」が対極的な言葉であるかはさておき、おっしゃることはわかるような気がします。

私の高校時代に部活で一緒だった連中の中で、柄があまり良くない奴らがストラビンスキー、ワーグナー、レスピーギが大好きであったりしました。

また、
私は柄は悪くなかったですけど、中学の頃、友人からセックスピストルズを聴かされたとき、"Anarchy In the U.K" はなかなかいい曲だなと思いました。

Fayrayや、さだまさしの曲は、どう見ても、柄が悪い人には似合いません。

クラシックにもポピュラーミュージックにも色々あるわけで、
また、ご質問文にある「このような感覚」というのは、人によってあったりなかったりする(少なくとも私にはない)ものですから、
一概にどちらとかこちらとか言えるものではないと思います。

もっとも、ドラムの音が4ビートや8ビートなどで入っていれば、乗りやすかったり踊りやすかったりしますよね。
多くのポピュラーミュージックがそれに該当します。
(これがご質問への答えになるのかもしれません。)

まー、「ポピュラー」という言葉自体に「庶民的」に近い意味がありますけどね。
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この回答へのお礼

柄がよくない人が、ストラヴィンスキー、ワーグナー、レスピーギはいいですね!かわいげがあります。クラシックにも「柄」が悪いのは近年になってやっと出てくるようです。
で、ここでひらめきましたが、時代の文明化が進んで、工業商業技術が蔓延し、庶民生活が豊かに開かれていきつつあってはじめて、ストラヴィンスキーのような新しい流れ、「貴族性」「文学性」「お嬢おぼちゃん性」からはなれたクラシックが台頭する。その枠を破るには、文明の進歩が不可欠というか、起爆剤なんでしょうかね。もちろんこれは、音楽だけの問題ではなく、文学や絵画の閉鎖性を打破するとき、新しい流れが起こり、その一方向がより庶民性であり、諧謔性であり、なんというか、より柔軟な方向性を許されたということなんではないかと。

あとは、おっしゃるようにリズムセクションの発展ですかね。これが長らく省みられなかった(植民地で土人がなんかいろいろたたくのを聞いたでしょうに)のが痛いところかもしれません。

お礼日時:2008/03/26 07:54

こんにちは。



かなり憶測が混じります,というか,ほとんど憶測ですが。

音楽の起源は,歌を歌ったり何かを吹いたり叩いたりしながら情景や感情をメロディやリズムにあらわしたことなのだろうと思います。
しかしあるとき,誰かが「なぜヒトはメロディやリズムで情景を思い浮かべたり心を動かされたりするのか?」という疑問を抱き,その理由を解き明かしたいと思うようになったのかもしれません。

優れた音楽を作るとは,「ヒトの心の動きや自然の営みを支配する法則をヒトの手で再現する」という,とても高等で神秘的で尊い営みであると考えられるようになります。言葉や数式によって自然のありようを「記述」し「理解」することができるように,音楽はそれをダイレクトに「感じさせる」ことができるのですから。
つまり,哲学の思索や物理学や数学の法則のように,音楽の霊感によってもヒトはモノゴトの本質に近づくことができると考えたわけです。

(おそらく)上記のような背景から,音楽はヒトと自然の摂理を解き明かすもののひとつとして,高等教育の中に取り入れられることになり(ここは憶測ではなくて事実として,音楽は中世ヨーロッパの大学の基本教科のひとつでした),それがいわゆるクラシック音楽へとつながっていきます。つまりそれは,「学問・高等教育」としての音楽だったわけです。
(この中で,神学のとのつながり,つまりキリスト教的な要素も強められていったのでしょう)

なので,質問者さまがおっしゃっているような印象は,ある意味では当たり前というか,それこそがクラシック音楽の本質の一部なのではないかと思っています。(もちろん,アカデミックな面だけがクラシック音楽のすべてではないですが)

そうした方向性は20世紀に入ったあたりから閉塞気味になり(注:単なる個人的な印象です),新しい響きや作曲技術の追究に過剰に傾いていってしまいます。あるいは新要素として民族/民俗的な要素を取り入れたり,あえて過去を否定・破壊する方向に行ってみたり。(でもそれも一応はアカデミックな範囲で。サティも?)

一方で,クラシック音楽で発展した理論・技術を受け継ぎながら,それぞれの地域に土着の音楽とも結びついたりして,人の心を動かすという音楽の力を素直に表現する方向に回帰していったのが現在のいわゆるポピュラー音楽なのだろうか,とも考えています。


以上,本や雑誌の拾い読みからの知識を自分で適当に組み立てただけですので,あまり信用はなさらないでください・・・。
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この回答へのお礼

学問であったのですね!そうすると、今のすべての学問がそうであるように、「ノリ」はよくない。なにか閉鎖的で敷居が高くて、その中でもいろいろ制約があり、行き詰る感じが多く存在する。そういう閉塞感がずっと「音楽界」にも存在したのでしょうかね。わたしもおっしゃるように20世紀に入って、ようやくその方向性を打破しだしたというか、本当はもっと早くしてもよかったと思うんですけど。

お礼日時:2008/03/26 07:57

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