「一気に最後まで読んだ」本、教えて下さい!

 質問させて頂きます。
 18世紀のオーストリア・プロイセンについて興味があります。
 一般に「フリードリヒ2世(大王)の初恋はマリア・テレジアで、生涯忘れられなかった」と言われているみたいですが、何故でしょう?
 一応、日本語で読める関連書籍は20冊近く目を通しているのですが、何処にも明確に書かれていないんですよね。
 確かに、マリア・テレジアの結婚相手の候補にプロイセン王太子(フリードリヒ2世)が上がったことがあるのは事実で、フリードリヒの方も乗り気であったことは間違いなのですが……しかし、彼がわざわざウィーンへ行ってマリア・テレジアを見て一目惚れしたとか、恋に落ちたとか言うエピソードは、何が出典なのでしょう?
 やはり、上記の話やフリードリヒがテレジアを政治家として評価していた点から、後世の人が勝手に逸話を作り上げてしまっただけなのでしょうか。

A 回答 (3件)

Who's who in Contemporary Gay and Lesbian History


これの P168ですね。
マリアテレジアの姪ととか書いてある。

ていうか 表題にあるように 同性愛者だったとか・・・ふーむ
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この回答へのお礼

 おぉ、ありがとうございます( ̄Д ̄*)
 今度確認してみます。やっぱり、日本語の文献が出典ではなかったのですね。英語で良かったです。ドイツ語はサッパリなので。

お礼日時:2008/05/27 16:37

マリアテレジアの初恋の相手が、ロートリゲン公フランツだったという話(本当かどうかは知りませんが)は聞いた事がありますが、フリードリッヒ2世と面識があったのかどうかさえ疑われます。


当時の王室においての結婚は、政略的なもので、自由恋愛などできるものではありませんし、マリアテレジアは、オーストリアの継承者ですから、プロイセンのフリードリッヒ皇太子との結婚は、オーストリアがプロイセンに併合される事になりますから、オーストリア側が合わせる事を拒否したでしょう。
もしもマリアテレジアに兄か弟がいて、次女以降であったら結婚が無かったとは言い切れません。
(兄弟がいて長女だったらバイエルンに嫁いでいたと思います)
オーストリアにとって、マリアテレジアのフリードリッヒとの結婚は、オーストリア側に全く利益の無いものでした。
一方プロイセンにしてみますと、両者の結婚は、プロイセンがオーストリアを併合する事となり、莫大な利益を得る事になります。
領土拡大の野望を持っていたフリードリッヒ2世にとって、マリアテレジアとの結婚ができれば願っても無い事になります。
そういった意味で、フリードリッヒ2世が、マリアテレジアとの結婚を望んだ可能性はあります。

また7年戦争の苦い経験から、回想的に「マリアテレジアと結婚できていれば・・・」と思った事もあったかもしれません。
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この回答へのお礼

 結婚が成立したとして、プロイセンがオーストリアを併合する形を取るとは、当時考えてはいなかったと思うのですが。
 どちらかと言うと、フランツ1世と同じく婿にとるつもりだったように思います。フリードリヒには弟もいますし、年齢的にも跡継ぎとして教育させるには遅くない年だったはずです。マリア・テレジアと結婚したフランツも次男で、最初は長男の方に結婚話がありましたし。
 むしろ、オーストリアがプロイセンを併合してしまうことはあったかもしれませんけど。フリードリヒの方だって、仮に皇帝になったとしたら、とりあえず、現在の自分の領土であるオーストリアのことを考えたはずです。そういう意味で、野心を燃やした可能性は大いに有り得ます。
 すみません。同じことを言いたいのですが、わたしが考えていたニュアンスとちょっと違っていたので。

 やっぱり、考えれば考えるほど出典や所以が判らなくなってきましたorz
 一体、誰が最初に初恋だなんて言い出したんでしょうね。

お礼日時:2008/05/25 23:48

フリードリヒ大王がマリア・テレジアに初恋をした話なんて


聞いた事がありませんが、
そういう言葉があったとしても、実際にそういう事実があったということではなくて、
プロシアとオーストリアという国家間の確執を恋愛に喩えた、
たとえ話だと思います。
そもそもフリードリヒ2世は女性関係が希薄で、はっきりいえば(性格的に)同性愛的傾向がある。
フリードリヒが結婚相手を探していたとき(1730年)の望みは、父親の暴力から逃れられる
有力な相手というだけで、恋愛感情とかは問題じゃなかった。
それに結婚までのフリードリヒの女性関係は、全部プラトニックなもので、
遊戯的な手紙のやり取りだけです。
初恋どころか、王太子は、ロマンスの無い環境、実質的軟禁状態であり、
この人間には恋愛沙汰は全く無縁といっていいですし、
あったとしても観念的なもの、プラトニックな、頭の恋愛だと思います。そういう人ですから。
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この回答へのお礼

 そうなんですよね。だから、何でそんな話が浮上したのか疑問で仕方ないんですよ。
 一応、そのエピソードについてはウィキペディアやネットに書かれています。もしかしたら、最初にウィキを編集した方の勘違いで普及した話しかもしれないとは思っているのですが。

>プロシアとオーストリアという国家間の確執を恋愛に喩えた
 その説には疑問を感じます。喩えとしては、少々無理があるかと。

お礼日時:2008/05/25 22:45

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