都道府県穴埋めゲーム

処世術を説いたものにあるパターンによくあるようですが、不幸自慢はやめろ、正論で論破(実際は自己の怒りの批判精神をさも他人思いのような論調で正当化する)はやめろ、批判はやめろ、というようなものがあります。これらは全くもってもっともだと思います。しかし、こういう聖人君主的態度をとり続けるのはきわめて困難なので、妥協したところで、清濁あわせ持つというのは、どういう印象を抱かれるんでしょうか。

もちろん人を選ぶわけじゃなくて同じ人に違った態度をとるということです。たとえば、不幸自慢で「私こんな不幸な子供時代だったの、こんないやな人たちにかかわってきたの、あまりにわいそうでしょ、わかって!」と幸福感謝の喜びオーラ「すごく空がきれいなの、すごくかわいい猫がいたの、私はこんなつまらないことが幸福に感じるの(の例を本心から話す)私、ここ旅行したとき凄い感激したの」を両方やる。「あなたのためにマナーを改めろといってるんだ」「忙しいのに心配してやっているんだ」という偽善と「おれはこんなに醜くてろくでもない人間だけど、素直にこう思うよ」というのを両方やる。「この映画は実にくだらなくて一門の価値もないが、こっちの映画は人類の至宝とも言うべき超傑作だ!」という批判と絶賛を両方やる。つまり、気に入らないものを蹴落とす狭量さと、気に入ったものをとことん鑑賞し絶賛し愛するという感受性の豊かさを示す。

こういう灰色(というは白黒両方)の態度を、時によって可変的にするという態度はどうなのでしょうか。

A 回答 (2件)

とりあえず私の素直な感想を書きます。



>不幸自慢で「私こんな不幸な子供時代だったの、こんないやな人たちにかかわってきたの、あまりにわいそうでしょ、わかって!」と幸福感謝の喜びオーラ「すごく空がきれいなの、すごくかわいい猫がいたの、私はこんなつまらないことが幸福に感じるの(の例を本心から話す)

どれだけよいことを言っていても、「不幸自慢」を関わる全ての人にする人は信用できません。
親しい人だけなら問題ないと思いますが…。
「不幸自慢」って悪いことではないと思うのですが、「私のことを理解して!」と言うニュアンスがあるので、皆にこのような態度をとっている人は、「世の中全ての人に自分をわかってもらいたいワガママな人」「打ち明け話をする相手もいない寂しい人」と思います。
実際、親しい相手に「実は…」と子どものころの話をされても「私のことを信用してくれているのだなぁ」と思いますが、あまり親しくない人に距離感を考えずに不幸話を始められると同情や共感より「変な人だな」という警戒心が先に来ます。

>「あなたのためにマナーを改めろといってるんだ」「忙しいのに心配してやっているんだ」という偽善と「おれはこんなに醜くてろくでもない人間だけど、素直にこう思うよ」というのを両方やる

この二つを半々にやる人が居たら、情緒不安定な人なんだな、と思うと思います。
言い方の違いであって言っている内容はいっしょなのに、意図的に言い方をかえる必要がよくわかりません…。
一貫性のない主張の仕方をする人間は正直不気味です…。

>。「この映画は実にくだらなくて一門の価値もないが、こっちの映画は人類の至宝とも言うべき超傑作だ!」という批判と絶賛を両方やる。

たとえ、褒めるものがあったとしても、何かをこき下ろす人って付き合いにくいです。


私の感想であって他の人がどう思うかはわかりませんが…。
「一貫性」のない人って病的に感じられるし付き合いにくいと思わせてしまうのではないでしょうか。

参考になれば幸いです。

この回答への補足

なお、不幸自慢も恩義せがまし発言も芸術鑑賞の例も、どちらかというと親しい人間に対してしている場面を想定しています。まだあまり面識のない人にするというのは、抵抗を与えます。

補足日時:2008/06/05 00:48
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この回答へのお礼

そうですか!全体的に「一貫性」があるほうがすっきりするということですね。確かに「二重人格的」という印象をもたれるのはあるかもしれません。

今回は、もしかしたら、完全無欠的な人格者は帰って気持ち悪いのじゃないか、かえって、人間的にケチもつけるし愚痴も言うけど、すごく好印象なところもある人(という灰色的存在)は、かえってすんなり受け入れられる、あるいは帰って魅力が増すのではないかと考えたのですが、そう単純な問題ではないでしょうかね。

お礼日時:2008/06/05 00:46

人間の心理を白と黒に分けられると思うのですか。



白じゃなければ黒ですか。

黒じゃなければ白ですか。

白、黒、灰色、それぞれありと認められないのですか。

そもそも色分けにこだわる理由は何ですか。
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この回答へのお礼

shiftさまとは、かなりやり取りをさせていただいたことがあるのですが、「無機的、機械的に人間や生物を把握する」ということに反意を持っていらっしゃる方だと思っております。私もまさにその点同感でして、世の処世術本があたかも人間を白黒としか捉えていないんじゃないかという印象があるんです。やれ悪口を言うこと愚痴を言うことetc.そんなんに人間一面性ばかりじゃないだろと。なぜ、そんなに一面的に捉えたがるし、問題定義したダルのだろうという疑問とダブっての質問という感じです。

お礼日時:2008/06/03 20:33

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