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近頃頻発している無差別殺傷事件ですが、犯人は判で押したように、「むしゃくしゃして人を殺したかった。」とか「誰でもよかった。」などとほざいています。殺された方はたまったものではありませんし、このような犯人を鬼畜扱いして非難することは簡単ですが、果たして我々の心の中に、もし仮に人生何もかもうまく行かず、周囲からも孤立してしまった場合、世の中全体を敵に回してでも報復を図るために、反社会的な行動も敢えてしてしまいたい、といった心がこれまでなかったでしょうか?

勿論そんなことは絶対にないと言い切れる人はいくらでもおられるでしょうし、例え人生不運でも、いかなる理由があっても、社会を的に回し、人に危害を加えるような行動は、絶対に許されるはずがないことは当然ですが、殺人までには至らなくても、周囲に対する暴力レベルなら、自分の不運の憂さ晴らしに反社会的行動を起こしてしまった方もおられるのではないかと思います。

そこで、冒頭の質問ですが、これらの事件を見て、自分もひとつ間違えていれば・・・とお考えかどうか、そしてそのような最悪の事態を避けることができたのはどうしてか、お答え頂ければ、幸いです。

A 回答 (12件中11~12件)

今のところ、そんな事は今まで考えたこともないし、きっとこれからもないだろうと、思っています。


そんな私は、恵まれているのでしょう。
幼い頃から悪いことをしようと思うと、親や家族の顔など、大切な人が浮かんでしまうタイプです。
ただ、今回の事件で、知らない間に後押しをしてしまっている可能性はあると感じました。
犯人がサイトの中で
「自分の横の席が空いても誰も座らなかったのに、二つ向こうの席が空いたら人が座った。さすが、嫌われ者のオレだ」
みたいな投稿がありましたよね。
知らないうちに知らない人を傷つけていることがあるんだと、思い知らされました。
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この回答へのお礼

人間は、誰しも知らないうちに知らない人を傷つけていることがあるんだと思います。
しかし、それを過度に意識して被害妄想を抱く人と、何とも思わない人がいるのではないかと思います。こちらに悪意がないのであれば、あとは相手がどう思うかにまで、気を病む必要はないと思います。

お礼日時:2008/06/12 23:28

>自分もひとつ間違えていれば・・・とお考えかどうか



考えた事あります。

特に、オウムのサリン事件の時は、非常に精神面が不安定な時期でしたので、自分が実行犯に加わっていたかも知れないと思ったりもしました。

>そのような最悪の事態を避けることができたのはどうしてか

これが、理論整然と説明出来れば苦労しないんですけどねぇ~・・・。

結果論でしかない、というのが正直な答えなんです。

少なくとも私にとっては、「そんなことは絶対にないと言い切れる人」の方が怖く感じるのです。
そういう人ほど、ふとした切っ掛けで豹変すると凄い事になりはしないかと・・・。

多少なりとも、自己に対して危機意識を持ち続けていると、それが反面教師として何らかの歯止めを掛ける事になるのかも知れないような気もします。
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この回答へのお礼

オウム事件の前、オウムの勧誘チラシが普通に私の当時住んでいたマンションのポストに入っていたりして、そんなに危険な存在だとは気がつきませんでした。私もだまされやすい方なので、一歩間違えていればオウムに入っていたかもしれないです。一度洗脳されると、誰も抜け出せなくなる所があると思います。

「結果論でしかない。」、「そんなことは絶対にないと言い切れる人の方が怖く感じるのです。」というお言葉に、誰しもひとつ間違えれば変な方向に行く可能性があることを認めざるを得ないことを感じました。

何より、そのような危機意識を持ち続けていることにより、それが反面教師として何らかの歯止めを掛ける事になるのかも知れないというお言葉に真実味を感じました。

お礼日時:2008/06/12 23:25

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