『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜこれほど人々を魅了するのか

さだまさしのグレープ時代に「ほおずき」という歌がありますが、この歌に出てくる「君」(女性)と「僕」は別れたのでしょうか? それとも「君」は亡くなってしまったのでしょうか?
♪とまらずにとまらずに回れと二人祈っていたのに
♪消えない花火があるならほしいと
などの歌詞から、僕はこの小さな女性の死を連想するのですが、「縁切寺」や「飛梅」のように恋人と別れた歌とする説もあるようです。
皆様はどうお考えでしょうか。
解釈は自由だと思いますが、あるいはさださんははっきりとどちらかを意図してこの歌をつくったのでしょうか。ご存知でしたら教えてください。
お願いします。

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A 回答 (7件)

僕は恋人は亡くなったと解釈しております。


「消えない花火があるならほしいと」の詩、切れた鼻緒を見て怯える描写で壊れるまたは消える事に敏感な心理が見てとれます。「僕の肩越しに子供の花火を見つめ」の歌詩は君が僕より身長が小さいことを表しています。その後背伸びをしても届かない丈比べは君が天に召されたことを意味します。
さだまさしさんの曲はタイトルや歌詩に植物が多々使われます。飛び梅は主人のいる場所まで風に乗って飛びその地に根付いたことが由来だそうです。別れた恋人は風が吹けば僕を思い出してくれるだろうか。デイジーは非常に繊細で咲き始めた
季節を越せないらしいです。ほおずきの花は仏教では亡くなった方の供養に供えられるそうです。この曲のタイトルがほおずきだということで君は亡くなっていると考えています。
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私は二人は恋人で、そして、女性が亡くなってしまうのだと思っています。



この歌は皆さんが仰っているように、二人が何か不吉なものから逃れようとしますが、それが叶わないということを歌っていると思います。
しかし、その不吉なものが何かは歌の中でははっきりと明かされずに終わります。

この歌の中には次にあげるように、その正体を明らかにするヒントが隠されているように思います。

(1)「かざぐるま とまらずに とまらずに まわれと二人祈っていたのに」
(2)「きみの下駄の鼻緒が切れた 僕の肩にすがり うつむいた君は おびえるように涙をこぼした」
(3)「きみは小さくつぶやいた 消えない花火があるならほしいと」

歌詞の順に書き出しましたが、この歌は進行していくにつれ、次第に不吉なものの正体が絞り込まれ、明らかになっていくようにつくられているのだと思います。

つまり、
(1)では二人にとって好ましい状況が続くことを願うが、それが長くはないこと、
(2)では不吉なものが女性の身に起きること、
(3)ではそれが花火に例えられるようなものであることがそれぞれ分かるように思います。
花火に例えられるというのは、おそらく恋や死などそういったものでしょう。

ではなぜ二人がやぶれるのは恋でなく死に対してなのか、その重要なヒントが
「二人のたけくらべ 背のびして 背のびして つま先立ってもとどかない」
というこの一節にあるのだと思います。

ここには何が、何に対して届かないのかが歌われていません。
これは男性と女性、どちらの立場に立ったとしても同じことが言えるからだと思います。

女性側ではもちろん、女性なのですから背伸びしても男性に背丈が届かないという意味なのだと思います。
そして、私が女性が亡くなってしまったのだと考える理由が男性の立場に立った場合にあります。
つまり、男性は死んでしまう女性に対して、つま先立っているのだと思います。
背伸びとは上を目指すものなので、これからいわゆる上方である天国とかそういった場所へいってしまう女性へ向けて、、背のびして 背のびして つま先立っても届かない という風に歌っているのだと思います。

そして、この歌の冒頭の
「いくつかの水たまりを残して」や、しめった風の背中越しに」
といった表現から男性が過去に対して後ろ髪引かれる思いを抱いていることが考えられます。
それはもちろん、自分を残して手の届かない場所にいってしまった女性をずっと思っているためだと思います。
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今更ですが、自分も最近、この歌詞が気になってここにきました。



自分も、「僕」は子供で、「きみ」は亡くなった(病気)と思ってます。
子供と思うのは、
綿菓子、たけくらべなどの言葉。
亡くなった、それも病気だと思わせるのは、
tanntanntoさんが書いた、
♪とまらずにとまらずに回れと二人祈っていたのに
♪消えない花火があるならほしいと
などですよね。

たけくらべの節をみると、きみが背が高いと思われるので、
「僕」よりも「きみ」のほうが歳上かなと想像してます。

そういう設定だとかなり切ない。
歳上で、下駄の鼻緒が切れただけで、泣いてしまう。
団扇で煽いでくれる優しいひと、
小さな声で、消えない花火があるなら欲しい、とつぶやく。
小さなお祭りなのに「きみ」がせがんだ。
生きたいと思うのに死期が近いことを悟っている、
そんな感じを受けます。
最初の水たまりも、
大人よりも子供の感性だと思うし、
そう思って聴くと情景が鮮やかに感じる。
走馬灯も暗示としてもいいし、情景を感じさせる。
「僕」が子供だとすると、最後の一人でお祭りに行ったことも、
すごく切ない。
さすがさださま。

自分の中では、「きみ」は世界の中心で愛をさけぶのヒロインの子って感じがする。
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『ほおずき』、さきほどもラジオで流れてました。



私は、亡くなったんだと思ってました。

>きみの好きな夏が来ます
>
梅雨明けになると否応無く思い出してしまうんです。

>あの日のお祭りに
>今夜は一人で行ったよ
>
やっと一人で行く事ができたよ。
そろそろ吹っ切れるかもしれないね。
と、天国へ報告しているんです。
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私はずっと、二人は別れたのだと思っていました。

でも、この質問と他の方の回答を見て、彼女が亡くなったという解釈もできるのだというのは理解できましたし、なるほど…と感心しました。

そこで、改めて歌詞を見てみました。
結論としては、やはり「別れた」と思います。

私は女性なので、男性の感覚は分かりませんが、彼女が泣いたり、「消えない花火があるならほしい」と言ったのは、彼女が別れを予感していたからではないかと思います。
どんなに好きな恋人でも、別れなければいけない場合があります。
あるいは、もうあまり好きではなくなって、別れようかと悩んだりしている時でも、いざ別れるとなると寂しいと思うこともあります。
「あんなに好きだったのに」という気持ちが、「消えない花火が『あるなら』ほしい」というセリフに反映されていると解釈しています。

あと、他の方の回答に女々しいという意見が出ています。でも昔の恋人を思い出すのも、ずっと毎日のように思い出すのであれば女々しいかもしれませんが、何かのきっかけがあったり、思い出の場所や行事で思い出すのであれば、そんなことはないと思います。
さださんの歌って、結構そういう歌多いですよね。でも、若い頃のそういう歌に、名曲(私が好きな歌)が多いような気がします。
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私も同じことを考えています。


結論からいうと、恋人の死だろうなと。(そうであってほしい)
いわば精霊流しの男女逆バージョン。

ただの別れだと、ずいぶん未練たらしい女々しい歌に聞こえてしまいますね。
死による別れだと、もうこれは、涙なくしては聞けない
グレープ時代の最高傑作だと思います。
しかも、交際中から二人とも、彼女が死ぬのを知っていた感じに聞こえます。

鼻緒が切れただけで、おびえて泣いたのはなぜでしょうか。
人混みにまかれたから?あるいはいくかくる漠然とした別れに対する恐れ?
いずれにせよ、そんな理由で泣くのはちょっと精神的に異常です。
しかし彼女自身も死を知っていたのならば、これはものすごく意味の深い歌詞になります。

さださんの歌詞は、心情は書かずにただ情景を描写するものが多く、
これが素晴らしいです。
今の時代の歌はなんでもかんでも「君が死んだ、愛してたのに。淋しい。戻ってきて」などと
結論を単純にいいきってしまい、私には「詩」には聞こえないのです。
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30余年以上のファンです。

恐らく恋人との別れだと思います。“消えない花火=煌めいている恋人恋愛関係が継続する”を暗示しているのではないかという気がします。さだまさしさんは続いて「線香花火」「風の篝火」ソロとして発表しています。いずれの作品も原因はハッキリしない(おそらく女性が田舎から都会へ出て行くパターン?)が何らかの理由で女性との交際関係が終焉を迎える状況を、現在と過去を織り込んで特有のストップモーション的描写で唄っています。さださんは一つのテーマで言い尽くせなかった場合、違う切り口で再度表現しようとする姿勢があるようです。如何でしょうか?
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