『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜ人々を魅了したのか >>

スイスが国連に加盟した現在、国として認められている国の中で国連非加盟国はバチカン市国だけですか?
と言うか、国として認められる=国連加盟ですか?

少し話がずれるかもしれませんが、永世中立を宣言している国はありますが、国連に加盟した時点で永世中立になってないと思うのですが・・・。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (2件)

ツバル(2000年9月)スイス(2002年9月)に加盟したので従来からの国で未加盟はバチカンだけですが、新しく独立する国が生まれるので今後ともある時点で未加盟国は存在するでしょう。

従来も未加盟国があったように国連に加入する事が国として認められる要件ではありません。

永世中立の形態は種々あるので国連に加盟しても問題ありません。形態がひとつならそういえるかも知れませんが。永世中立を語るとき、スイスとコスタリカの例がよく引用されます。

スイス・・条約で認められた国民皆兵制度を持つ武装中立。従来は国連未加盟だった。

コスタリカ・・・一方的宣言による完全非武装中立(軍隊を放棄)国連加盟。米州機構にも加盟。

その他下記の国々も中立宣言を行っています。
スエーデン、オーストリア、トルクメニスウタン、リヒテンシュタイン、
ラオス、(他にもまだ小国があったように思います)
    • good
    • 1

ツバルも加盟国でない様です。



もともと軍事同盟ですもんねぇ。

やはり、加盟したら本当の中立ではなさそうですね。

参考URL:http://www.westkobe.com/materials/world_data/int …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ほんとですね!素早い回答ありがとうございます。

お礼日時:2002/11/28 05:02

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q国際連合非加盟国とは

6年生の社会の教科書に、「国際連合の加盟国は世界の独立国190カ国の内、189カ国である」とありますが、
加盟していない1カ国とはどこでしょうか。
私のうろ覚えの記憶では、スイスだったような気がするのですが、
そうだった場合、スイスが加盟していない理由は何でしょうか。
ご存じの方、教えてください。

Aベストアンサー

教科書に記載されている数字は、東ティモール独立(2002.5.20)スイスの国連加盟(2002.9.10)、
東ティモールの国連加盟(2002.9.27)前のことでしょうから、現在の独立国は191ヶ国、国連加盟国も191ヶ国ということになります。
それでは全ての独立国が国連に加盟しているのかというとそうではなく、
独立国の数は、北朝鮮を除いた数字です。(日本は北朝鮮を独立国として承認していませんので)
ややこしいですが、独立国は北朝鮮をのぞいて191ヶ国、国連加盟国は北朝鮮を含んで190ヶ国なのですね。

国連に加盟していない独立国というのは、ヴァチカン市国。
キリスト教の総本山ですね。
宗教的な立場から、国連に加盟していないのです。

スイスは、2002年3月に国民投票を行い、国連に加盟しました。
そこらへんについては下記URL等をご参考にしてください。

参考URL:http://www.719019.com/nattoku/atama_01_34.html

Q目処(めど)と目途(もくと)

目処と目途の使い分けについて教えてください。
送り仮名に違いがありますか。
PC辞書で「めど」の変換を探すと目途が入っているのもありますね。
これは明らかに誤用ですよね。

Aベストアンサー

めどはやまと言葉ではないでしょうか。もしそうなら漢字は当て字であり、どちらが正しいというものでもなく、世間で一般的にどう使い分けされているかということに過ぎないと思います。

広辞苑ではめど(目処)もくと(目途)と分けて記載されているだけで説明がなく
不親切です。朝日新聞社の漢字用語辞典では、めど(目処、目途)とあり、私のPCでも、めどで両方が転換できます。

解決のめどがつくとか、目標達成のめどが立ったなどと使われるので、
ものごとがその完成、実現にちかずいたということを意味し、目標とは若干ニュアンスが異なると思います。目標は高くとは言いますが、目途(目処)は高くとはいいませんね(この部分は蛇足です)

Q紀元前と紀元後をなぜ分けるの?

タイトル通りの疑問なのです。当たり前すぎなことなのかもしれませんが、教えてくださいお願いします。どういういきさつで分ける必要になったのでしょうか?
またいつから分ける様になったのですか?

Aベストアンサー

つまりは、西暦に関するご質問ですね?

いま現在、我々が使っている西暦は、イエス・キリストが生まれた年を紀元(はじまり。すなわち西暦1年)としています。(ところが後日、実際には何年か違うらしいことがわかった。)
この西暦を考え出したのは、数学と天文学に通じていたローマの修道院長、ディオニシウスで、6世紀半ばのことです。
それまでは、日本の元号のように、何皇帝の何年というような呼び方をしていました。
しかし、それでは年数の計算が不便なので、ディオニシウスは、キリストが生まれた年を紀元とすることにしました。
これが、現在我々が使っている西暦の始まりです。
何故西暦0年が存在しないかと言うと、西暦が作られた6世紀半ばのヨーロッパは、まだ数学が発達していなかったためか、「0」の概念が無かったのです。
そのため、「西暦0年」ではなく、「西暦1年」から始まったのです。これは平成0年がないのと同じですね。
だから、紀元1年より前の年をあらわすには、0がないので当然ながらマイナスを使えず、「紀元前」とするしかないわけです。
この西暦は、まず教会で用いられ、それがヨーロッパの一般人に定着するのはそれから数世紀経ってからで、 実際に世界的に使われるようになったのは、18世紀になってからです。
日本に至っては、明治以降、つまり19世紀に入ってから、やっと使い始めました。

つまりは、西暦に関するご質問ですね?

いま現在、我々が使っている西暦は、イエス・キリストが生まれた年を紀元(はじまり。すなわち西暦1年)としています。(ところが後日、実際には何年か違うらしいことがわかった。)
この西暦を考え出したのは、数学と天文学に通じていたローマの修道院長、ディオニシウスで、6世紀半ばのことです。
それまでは、日本の元号のように、何皇帝の何年というような呼び方をしていました。
しかし、それでは年数の計算が不便なので、ディオニシウスは、キリストが生まれ...続きを読む

Qエルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?

エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。
世俗的には、エレサレムの街自体は、たとえば交通の要所とかではなく、たいして重要な街とは思えません。
それなのに、、なぜ3宗教は、エルサレムに聖地を持っているのですか?
たまたまエルサレムに3聖地が混在するだけなのですか? あるいは、歴史上や宗教上で、何か慨依性を持っているのですか?

Aベストアンサー

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む

Q書類送検と逮捕の違い?

書類送検と逮捕とはどう違うのでしょうか?
書類送検の方が、拘束されないだけ罪が軽いような気がします。
書類送検でも前科となるのですか。
どういう場合に書類送検となるのでしょうか?
どうも分かりません。

Aベストアンサー

既に適切な回答があるので蛇足かもしれませんが、刑事手続きがどうなっているのかを知ればその違いが自ずと分かるので刑事手続きの概要を必要最小限(のつもり)説明しておきます。長いですので覚悟してください。

刑事手続きの大雑把な流れは、
捜査->起訴(公訴提起)->公判->判決->刑の執行
というところ。全部話をするわけにもいきませんしその必要もないので質問に関するところ(主に捜査)だけ説明します。

犯罪が犯罪として処罰の対象になるためには、まず裁判に先立って、その犯罪の存在を捜査機関が知り、必要な証拠を集め、被疑者(=容疑者)の身柄の確保をしないとなりません。これを捜査と言います。
被疑者の身柄の確保というのは、「後で裁判になった時に被疑者の出廷が必要」なので逃げられては裁判ができなくて困るというのが第一点。それと「自由にさせておくと証拠を隠滅するかもしれない」というのが第二点。
ですから逆に言えば、「逃げも隠れもしない、証拠隠滅のおそれも無い」のであれば身柄を確保する必要はありません(一定の軽微な犯罪につき、更に例外あり)。入院しているような人間なら逮捕しないことはよくあります。この身柄の確保のための手続きが、「逮捕」であり「勾留(起訴前勾留)」です(起訴前と言っているのは起訴後というのがあるからですがここでは関係ないので説明しません)。
「逮捕」というのは、被疑者の身柄を確保する手続きの内、「短時間のもの」。具体的には、身柄を拘束し最大48時間拘束し続けることです。この制限時間が過ぎると釈放しなければなりません。
しかし、それでは困る場合には、引き続いて身柄を拘束することができます。これが「勾留」です。勾留は最大10日間身柄を拘束できます。なお、勾留は1回に限り最大10日間延長することができますから、都合20日間まで勾留できることになります(例外として25日可能な場合もあります)。

ところで勾留の申請ができるのは検察官だけです。ですから警察官が逮捕した場合には、検察官に勾留申請をしてもらうかどうか決めてもらう必要があります。そこで48時間の逮捕の制限時間内に検察官に証拠物、捜査書類と一緒に身柄を送致しなければなりません(刑事訴訟法203条1項)。これを「検察官送致、略して送検」と言います。無論、警察限りで釈放する場合は必要ありません。
検察官送致を受けると検察官は24時間以内に釈放するか勾留請求をするかしなければなりません。ですから、警察官が逮捕した場合の身柄拘束は48時間+24時間の最大72時間に及ぶ可能性があることになります。このような身体を拘束した被疑者を送検することを「身柄付送検」と言う場合があります。これはなぜかと言えば、質問にある「書類送検」と明確に区別するためです。ただ、一般には単に「送検」と言えば「身柄付送検」を意味します。

さて、では「書類送検」とはなんぞや?ということになりますが、まず前提として犯罪捜査は常に被疑者の身柄を拘束するわけではないということを知っておかなければなりません。全犯罪件数から見れば、身柄を拘束しない事件の方が多いです。身柄を拘束していない場合には、先に述べたように「(203条1項による)検察官送致」をする必要がありません。と言うか、身柄を拘束していないのでできません。たとえ逮捕した場合でも、警察限りで釈放すればやはり検察官送致の必要はありません。
しかし、それとは別に、警察は犯罪の捜査をしたら原則として必ず検察官にその捜査についての資料、証拠などを送らなければなりません(刑事訴訟法246条本文)。これを「書類送検」と呼んでいます。書類(証拠物、捜査資料、捜査報告書などなど)を検察官に送致するということです。正確には送致しているのは「事件」なのですが、実際に何を送るのかと言えば「書類」であるということです。
つまり、「(身柄付)送検」と「書類送検」は同じ送検でも別の条文に基づく別の手続きです。と言っても、(身柄付)送検をすればそのとき書類も一緒に送っているので、重ねて書類送検を行う必要はないので、(身柄付)送検は書類送検を実際には兼ねていますが(と言っても、身柄付送検をすれば書類送検をしなくていいのはあくまでも246条本文に「この法律に特別の定のある場合を除いては」と書いてあり、身柄付送検が「特別の定」だから)。

というわけで、「逮捕」と「送検」というのは次元の違う話であることがわかると思います。
まとめれば、
1.「逮捕」とは、捜査において被疑者の身柄を確保すること。
2.警察が「逮捕」した場合は、刑事訴訟法203条1項により、釈放しない限り48時間以内に被疑者の身柄を検察官に送致しなければならず、これを「(身柄付)送検」と呼ぶ。
3.「書類送検」とは、警察が捜査した事件について刑事訴訟法246条本文に基づきその証拠、捜査資料を検察官に送致すること。
4.「(身柄付)送検」は「書類送検」を兼ねている。
5.警察が「逮捕」した場合でも、釈放すれば「(身柄付)送検」はできないので、その場合は「書類送検」を行わねばならない。
ということです。

そして、「書類送検」するということは「身柄付送検」をしていないということですからつまりは「身柄を拘束していない」ということになります。身柄を拘束していない場合というのは大概は相対的に軽微な犯罪であることが多いのでその意味では、逮捕した事件(これを身柄事件と言う場合があります)に比べれば罪が軽いことが多いのは確かです。しかし、それはあくまで結果論であって、書類送検だから、逮捕したから、と言うわけではありません。既に述べたように逮捕しても身柄付送検せずに釈放すれば書類送検ということになりますし。

なお、先に述べたとおり、「捜査した事件はすべて検察官に送致する」のが原則(全件送致の原則)ですが、例外として検察官送致にしないものが幾つかあります。例えば、検察官が指定した事件について、月報でまとめて報告するだけの微罪処分ですとか、あるいは報告すらしない始末書処分などがあります。ちなみに、交通反則通告制度については、微罪処分の一種とする文献もあるにはありますが、多少なり疑問のあるところではあります。
そういうわけで、どういう場合に書類送検となるかと言えば、「刑事訴訟法246条前段に当たる場合」ということになります。もう少し具体的に言えば、「微罪処分等で済ませることのできない事件で、かつ、身柄付送検等もしなかった事件」ということになります。

ところで、前科というのが何かと言えば、これは法律用語ではないということになっているのですが、法律的に見れば「有罪の判決を受けたこと」を言うと思ってください。ですから、前科が付くためには、「裁判を経て有罪判決が出なければならない」ことになります。しかし、最初に述べたとおり「検察官送致」というのは単なる捜査手続きの一部でしかなく、この後で検察官が起訴するかどうかを決め、起訴して初めて裁判になるのですから、検察官送致だけではまだ前科は付きません。その後どうなるかはその後の話です。無論、逮捕だけでも前科は付きません。逮捕=有罪ではありません(そう勘違いしているとしか思えない報道が多いのは事実ですが、有罪判決が出ない限りは被疑者、被告人はあくまでも「無罪」です)。
ちなみに、捜査したが起訴しなかった犯罪事実について「前歴」と呼ぶことがあります。

既に適切な回答があるので蛇足かもしれませんが、刑事手続きがどうなっているのかを知ればその違いが自ずと分かるので刑事手続きの概要を必要最小限(のつもり)説明しておきます。長いですので覚悟してください。

刑事手続きの大雑把な流れは、
捜査->起訴(公訴提起)->公判->判決->刑の執行
というところ。全部話をするわけにもいきませんしその必要もないので質問に関するところ(主に捜査)だけ説明します。

犯罪が犯罪として処罰の対象になるためには、まず裁判に先立って、その犯罪の存在を捜査機...続きを読む

QGmailアドレス変更方法

Gmailのアドレスを変更したいと考えているのですが、どのようにして変更すればよいのでしょうか?

Aベストアンサー

Gmailアドレスの変更はできません。

今使っているものと違うGmailアドレスを使いたいのならば、新規にGmailアドレスを取得してください。

そして従来のアドレスが必要ないならばそのまま放置しておけばOK。確か半年アクセスしなければそのアカウントは削除されるはずです。

なお、もし古いアドレスに配信されるメールもチェックする必要があるならば、新しいアドレスに転送設定しておきましょう。

Q共和制って何?民主制とどう違うの?大統領制とは?

ウィキをみたのですが、
共和制のところは記述が少なくて、わかりませんでした。

民主制にも、
間接と直接の違い。

大統領制など、

違いを教えてください。

Aベストアンサー

ANo.4です。
色々と疑問が提示されてるみたいなので、補足を。

>直接民主制をしている国はないのですか?

現在の国家レベルでは、ほぼ無いと言っても過言ではないでしょう。
殆どの国は、君主制であれ共和制であれ議会を持っており、国家の意思は議会が行います。
ただ、地方自治レベルでは行われているところもあります。
turukame2005さんの挙げておられるスイスですが、こちらも議会がありますので、直接民主制ではありません。
ただ、重要な議題については国民投票で決定しますので、「直接民主制に近いシステム」を持っていると言えます。
「直接民主制」と「間接民主制」を取り入れたシステムですね。
日本でも、最近可決された「国民投票法案」の運用・拡大しだいではこうした道もありますが、ソレを上手く機能させられるかは国民の力量しだいですね。(個人的には、人口が多く国土もそれなりにありますので直接民主制は向かないと思いますが)
直接民主制のデメリットは、政治的議案を討議する度に国民全員が拘束されるため、生活が制限されてしまい、現実的でないという事でしょう。
あとは、扇動に弱いという事でしょうね。

>>国民により行政府の長が直接に選挙される

>これは、直接民主制、とは違うのですか?
>直接選挙と、直接民主制はどう違うのですか?

直接民主制というのは、「議題について、一人一人が投票する」という事です。(国民投票を行い、その結果が政治的決定となる)
首長を選ぶ選挙は、「行政(政治)を任せたい人を選ぶ」という事で、その選んだ人を通して政治的行動を行うので「間接民主制」となります。
つまり、「議題」と「意志決定」の間に「代表者」を挟むので「間接的に意志決定をしている」という事になります。
なので、「大統領」などを選ぶことも「間接民主主義の手続き」という事になります。


>日本が共和制になる可能性はありますか?
>それから、直接民主制に変わる可能性も。

日本は「立憲君主制」ですが、「共和制」と言えなくもありません。
元々、「立憲君主制」というのが「君主制」と「共和制」の折半案なのです。
この事を示すために、以下に少し整理してみます。

●君主制の場合
・国家の代表=君主
・国家の意思決定=君主

●共和制(直接民主制)の場合
・国家の代表=国民全員(正確には、必要な時に選ぶ)
・国家の意思決定=国民全員

●共和制(間接民主制)の場合
・国家の代表=選挙で選ばれた代表者。(大統領・総理大臣など)
・国家の意思決定=選挙で選ばれた人々(代議士(議会議員))


●立憲君主制
・国家の代表=君主
・国家の意思決定=議会を構成する人
         (民主制の場合は、間接民主制の共和制と同じ)

と、まぁこんな感じでしょうか。
国家の代表というのは、(形式的な意味での)国家元首を指します。
つまり、その国を代表する第一人者という事になります。
「立憲君主制」や「象徴大統領制」の場合、政治的実権は握っていませんので、典礼などの行事の時に国を代表すると言うことになります。
で、この「元首」の下に実権を握った「首相」が置かれることになります。
「首相」というのは、「議会を代表する人」と言ったら良いかもしれません。
米国のような場合は、「元首」と「首相」を兼ねていると言えます。(厳密には違いますがややこしくなるので、、、)

>日本は、直接民主制に変わる可能性はありますか?

先にも書いたように、人口が多く現実的でないため難しいと思われます。
ただ、国民投票法案の運用の仕方では、それに近いシステムを作ることは可能です。
まぁ、それが上手くいくかは国民一人一人の努力にかかってきますが。(直接民主主義は扇動に弱いので、これを克服できるかが要です。)

※「投票システムで賛否を決める」という制度を念頭に置いて回答していますが、細かくみると「投票で決める」意外にも「全会一致でないといけない」というシステムもあります。
ただ、現実的ではないので単純化する意味で省いています。
また、同様の意味で念頭に置いてる国は
古代ギリシア・近世ヨーロッパ・現代では、日本・英国・ドイツ・イタリア・米国etc,,,です。
共和制の所には、「寡頭制=国家の意思決定に関わる人が制限されている共和制」とも言うべきモノがあるのですがこれは割愛しています。

ANo.4です。
色々と疑問が提示されてるみたいなので、補足を。

>直接民主制をしている国はないのですか?

現在の国家レベルでは、ほぼ無いと言っても過言ではないでしょう。
殆どの国は、君主制であれ共和制であれ議会を持っており、国家の意思は議会が行います。
ただ、地方自治レベルでは行われているところもあります。
turukame2005さんの挙げておられるスイスですが、こちらも議会がありますので、直接民主制ではありません。
ただ、重要な議題については国民投票で決定しますので、「直接民主制...続きを読む

Q「幕府」と「朝廷」の違いを教えて

中学校1年生の子供からの質問なのですが、

・「幕府」と「朝廷」の違いが分からない。
・そもそも「幕府」って何?「朝廷」って何?

と言われました。
お恥ずかしながら的確に説明できません。
教科書には説明が載ってないし、「先生に聞いてみたら?」と言うと
「先生は授業が終わるとすぐに職員室に戻ってしまうし、あまり質問しやすい先生じゃないもん!o(;△;)o 」
とのこと・・・(´_`;)

どなたか教えていただけますか?
私も勉強したいです。よろしくお願いします。<(_ _;)>

Aベストアンサー

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるということはほとんどなく、武士に言われるがままに任命していたわけですから、実権は武士の側にあったということになります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D
これを端的にお子さんに説明するのは難しいかもしれません。
ただ、今の天皇陛下も政治的な実権はまったくなくて象徴として存在しているわけなので、それとちょっと似ているというような説明は、できるかもしれませんね。(今でも首相を任命するのは天皇と決まっています。ただし天皇が首相を選ぶことはできず、国会が選んだ人を形式的に任命するだけです)

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるという...続きを読む

Qメニューバーやツールバーが 見えなくなりました。

メニューバーやツールバーが 見えなくなりました。

10日ほど前に新しくパソコンを買い替えました。 NEC の LAVIE です。うれしくて かちゃかちゃやっていたら メニューバーや ツールバーが消えてしまいました。 何か設定をかえたようですが覚えていません。
インターネット ワード エクセル の画面で メニューバー等が 消えていまして メール(Windows Live Mail) では メニューバー等が ちゃんと表示されているのです。
またペイントソフトでも ファイル とか 編集 とかの 項目 が 無いのです。

自分でも 質問集などでしらべまして ALT をおして Vキーを おしてみたりとか してみたのですが
全然表示されません。

どうしてこんな重要なものが消えてしまうような設定があるのかわかりませんが、とても困っています。

どうすれば表示されるか おしえていただけませんか。 OSは ウィンドウズセブン です。

なお初心者ですので 難しい用語はわかりません。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

参考URLがヒントになりませんか?

参考URL:http://win7.tk/2009/10/post_16.html


人気Q&Aランキング

価格.com 格安SIM 料金比較