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No.1ベストアンサー
- 回答日時:
バルカン半島を制圧したオスマン帝国は、17世紀後半、ウクライナ(ポーランド領)へ侵攻しますが、ヤン・ソビエスキ(後にポーランド王ヤン3世として即位)の巧妙な指揮に敗れます。
北上を断念したオスマン帝国が次の目標にしたのが、三十年戦争に敗北したハプスブルク家でした。ヴィーンを包囲したオスマン軍ですが、包囲の間に、ポーランド・ハプスブルク・ドイツ諸侯の同盟が結ばれます。オスマン軍との戦い方を熟知したヤン3世率いる同盟軍はヴィーンを解囲し、そのままオスマン帝国との戦争は継続します。
同盟は、ローマ教皇を盟主とする神聖同盟へと発展し、ヴェネツィアやロシアの参加により、優勢となった同盟軍は、オスマン帝国と十年以上戦い続け、勝利しました。この戦いで、さしものオスマン帝国も消耗し、衰退へと向かいました。
No.5
- 回答日時:
N04の補足です。
戦いの勝敗は兵数のみで決まるものではありません。
アレキサンダーは数倍するペルシャ連合軍に勝利したのは戦意、装備、訓練、用兵において勝っていたからです。
ナポレオンも劣勢でも何度も勝利しています。
これはフランス軍が市民軍であり対するオーストリア軍が傭兵などを主体とする召集兵であり、戦意が全く異なったことが影響しています。
ウイーン攻囲戦ではオスマントルコ軍はウイーンの包囲にも兵を割かねばならず、それらの部隊は広く展開していたので機動は出来なかったし、救援に駆けつけた同盟軍に対して備える部隊の数は決して多くはなかったとおもわれます。
同盟軍は機動も自由で敵の弱点に集中攻撃をかける事ができました。
少数で大軍を破るのは集中と奇襲によるのが軍事の常道です。
No.4
- 回答日時:
オスマントルコの衰退は殆ど自壊の状態でした。
有能なスルタンのスレイマン大帝のあと、イスラム王室は奇妙な習慣からお互いの殺害を繰り返すようになり、ついには精神病者ともいえるような人物が連続してスルタンに就任するようになりました。
またオスマントルコ軍の精鋭であったイエニチェリは本来キリスト教徒の少年を選抜してイスラム教に改宗させた者を軍事訓練した独身の戦争のプロ集団だったのですが、次第に強力になってスルタンの解任や選出に容喙するようになり結婚もするように変化して、規律もみだれて弱体化してきました。
しかし過去の勝利の栄光を信じ帝国の拡大を意図して侵略を続けたのですが次第に敗北の回数が増えて、国力の衰退が現れてきたのです。
これに対しキリスト教の危機と領土の自衛の為団結した同盟軍は次第に強力になりオスマントルコ軍を敗北させたのです。
この回答へのお礼
お礼日時:2006/07/12 19:54
ありがとうございました。
ただ疑問に思うのは、トルコは20万以上、対するヤン王の軍は5万程度と聞いています。
なぜ、惨敗してしまったのでしょうか。
No.3
- 回答日時:
第2次ウイーン包囲の前から、トルコの凋落は、著しい状況でした。
トルコの最盛期は、スレイマン大帝(1520年~1566年)からムハメット3世(1595年~1603年)ころです。
それ以後、トルコは、負けが多くなり、財政的にも苦しくなってゆきます。
1604年、財政的に苦しくなったトルコと、プロテスタントとの対立を控えたオーストリアは、休戦協定を結びます。
1661年皇帝レオポルド1世は、トルコの属国トランシルバニア公国の抱きこみにかかり、トルコとオーストリアとの対立が再発します。
1669年トルコは、ベネチュアよりクレタ島を奪回し、東地中海からベネチュアを排除し、ポーランドでも戦果をあげます。
その勢いに乗り、実行されたのが、第2次ウイーン包囲です。
トルコは、ウイーン包囲の失敗により凋落したのではなく、凋落が続いていた中で、たまたま続いた戦果を、拡大しようとしてウィーン包囲を行い、その失敗により、凋落傾向にはずみをつけてしまったのです。
トルコのウィーン包囲時に、フランスがトルコ支援の約束をしていたとの話もありまりますが、イスラム対キリスト教諸国という対立軸のなかでは、表立った協力はできなかったようです。
ポーランドは、フランス系の王が支配する国でしたが、ポーランドを侵略するトルコをフランスが支援していたため、ポーランド貴族たちは、フランスを見限り、ヤン・ソビエスキーをポーランド王に選出し、オーストリアと対トルコ同盟を締結し、ウィーンのトルコ軍撃破の中心となります。
もっとも、トルコのポーランド侵攻は、ポーランドが、トルコの属国モルダビアに手を出したのが原因なのですが。
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