A 回答 (11件中1~10件)
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No.11
- 回答日時:
私の説明が下手で誤解を招いてすみません
《トルコ》はテュルク語起源だと思いますよ
ただアナトリアにテュルク系遊牧民であるセルジュークが移住した時
まだアナトリアでのテュルク族は圧倒的少数なのですよ
ギリシア人、アルメニア人、キリキア人など多民族が居住しており
ビザンツのコムネノス朝時代はまだアナトリア沿岸地帯は帝国領でギリシア人が居住していました
アラブ人はテュルク系オグズ族を《トルクマーニユーン》と呼称していました
《トルコ》の呼称は西欧からの逆輸入ではありません
ムスタファ・ケマルのトルコ共和国建国時とほぼ同一時期にもう一つの《トルコ》の建国計画がありました
それは西アジアでなく、中央アジア
1920年ロシア革命の余波で混乱したこの地では
前述した汎テュルク主義を唱えたエンヴァル・ベイの思想が蔓延していました
その中、トルキスタン・ボリシェヴィキ中央実行委員長に選出されたトウロル・リスクロフは共産主義者にも関わらず
共産主義が否定する民族主義も密かに標榜しており
《トルコ人民共和国》の建国を画策していました
勿論、彼は中央アジアで、統一され共産化された唯一のトルコ民族国家を目指したのです
しかしながらモスクワが民族主義的国家樹立を容認するわけもなく
民族偏向(汎テュルク主義)と強く批判した上に
《共産主義の仮面を被った汎テュルク主義》を打倒すべくフルンゼ率いる赤軍トルキスタン遠征軍を派遣し弾圧しました
しかしこれでは終わらず
1921年汎テュルク主義創始者当人のエンヴァル・ベイが中央アジアのブハラに現れ
《バスマチ運動》を起こして汎テュルク主義者たちとボリシェヴィキとの激しい戦いを展開するのです
最終的に1923年赤軍がエンヴァル・ベイを戦死させ、汎テュルク主義者の完全弾圧に成功し
中央アジアでの《トルコ民族国家》建国は阻止されたたのです
No.10
- 回答日時:
参考というほど参考にはしていませんが
参考文献として読まれてもよいかと思われるものあげますと
・「中央アジアの歴史ー草原とオアシスの世界」間野英二著 講談社
・「中央アジア史研究」羽田明著 臨川書店
・「中央アジア史」梅村坦著 同朋舎
・「トルコの歴史」三橋冨治男著 紀伊國屋書店
・「アイハヌム 2003」加藤九ぞう著 東海大学出版会
・「アイハヌム 2009」同上
あげた中には古いものもあるので大型図書館あたりで探された方がよいと思います
No.9
- 回答日時:
補足致します
まず私は現在のwikiの人文科学、社会科学のジャンル(特に近現代史)には極めてバイアスがかかっている記述が目立つ為、参考にしていません
(擬似科学を排除した自然科学のジャンルは参考になりますが)
自分は元々西洋史専攻(中退ですが)で
社会人になってから中央アジア史はアレクサンドロスの東征の延長上で
セレウコス・シリア、パルティア、バクトリア、クシャーナ各史に興味を持ち
チャガタイ・ウルス~ティムール史にまで興味を広げた感じでオスマン朝や近代トルコに関してはさほど興味を感じませんが
トルコの《名称》が西欧から逆輸入されたということはないです
欧州でアナトリアに住む民を最初にトルコ人と称したのは
セルジューク侵入後のビザンツだと思いますが
西欧ではマルコ・ポーロがアナトリアの民を《トルコマニア》と称した以外に
アラブ人旅行家のイブン・バトゥータもアナトリアの民を《アル・トゥルキヤ》と称しています
そもそもテュルク系遊牧民を多数(他にアルメニア系もいる)、軍人奴隷(マムルーク)として導入したのはアラブ人です
日本人が南欧人を南蛮人、十字軍時代のイスラム国家が西欧人を引っくるめてフランク人と呼称したのに似ています
オスマン朝自体では《トルコ人》という名称はあるのですが、《トルコ人》というのはアナトリアに住む田舎者という意味合いがあったようで
知識人や上層階級は自らを好んで《オスマン人》と称していました
ムスタファ・ケマルがアナトリアをトルコ民族の国民国家として規定したのは
1919年シヴァスの国民会議だと思います
(年代は世界史検定試験勉強時のうる覚えなので間違ってたらすみません)
ムスタファ・ケマルは西欧式の国民国家思想の導入とともにイスラム教に対し批判的で世俗国家樹立に力を注ぎましたが
ムスタファ・ケマルに反対しオスマン人、イスラム教を前面に出しつつも
中央アジアのテュルク系民族やカフカスのテュルク系アゼルバイジャンをも統合するという汎テュルク主義思想を持つエンヴェル・ベイが
その死まで影響力のある指導者として存在していました
ムスタファ・ケマルの世俗的国民国家思想は現代のトルコ軍部に強い影響力を継承しており
イスラム教宗教政党が国政選挙で勝利し政権を奪取しそうになると介入してきます
回答ありがとうございます。
> 欧州でアナトリアに住む民を最初にトルコ人と称したのはセルジューク侵入後のビザンツだと思いますが
ということは、「トルコ人」という名称を最初に使用したのは西洋人で間違いないのでしょうか?
間違っているのは、ケマル・アタテュルクが「トルコ」の名称を逆輸入したということですか?
> 日本人が南欧人を南蛮人、十字軍時代のイスラム国家が西欧人を引っくるめてフランク人と呼称したのに似ています
つまり「トルコ人」という名称は南蛮人やフランク人と同様、きちんとした意味で使われた言葉ではなかったのですね。
No.8
- 回答日時:
他の方も回答されていますが,基本的に「トルコ人」というのは,主に西ヨーロッパの人が東方の民を指して呼んだ言葉です。
近世から現代にかけて勢威を振るったオスマン帝国は,ヨーロッパ人からは「オスマン=トルコ」または「トルコ」と呼ばれ恐れられていましたが,実際には明確にトルコ人と呼べる民族があったわけではなく,オスマン帝国内部でも「トルコ」という言葉が使われていたわけではなく,オスマン帝国は極めて雑多な民族により構成されていました。しかし,近代になってナショナリズム(国民国家)という思想が主流になると,それまでオスマン帝国に住んでいた人達は,自分達は何かの単一民族だということにしないと独立国家を築けないことになるので,ヨーロッパ人が使われていた「トルコ」という呼び名を逆輸入し,自分達は「トルコ人」だということにしました。こうして20世紀にオスマン帝国が滅亡した後,ケマル=アタテュルクを中心とする民主化活動家は「トルコ共和国」を建国しました。
つまり,トルコ(テュルク)というのは,もともとヨーロッパ人の側から見た「東方の民」という程度の意味しか無かったんですよ。現在のアジアというのも,ヨーロッパの側から見た「東方の地」というような意味で,もともとはアナトリア半島(現在のトルコあたり)を指す地域名であったものが,次第にトルコから東全部を指す地域名として定着してしまったものであり,人種も東方諸民族の多くは「モンゴロイド」という系統でいっしょくたにされていますが,それらは昔のヨーロッパ人が東方についてあまり知識がなかったことの名残です。
ちなみに,中世くらいのイスラム諸国では,イタリアなどヨーロッパ諸国の人間を「ルーミー(ローマ人)」と呼んでいたらしいので,もし日本が西欧ではなくイスラム教の影響を強く受けた国家になっていたら,ヨーロッパ人のことも「ローマ人」と呼ぶようになっていたかもしれませんね。
皆様、たくさんの回答をありがとうございます。
一人一人にお礼をすると手間がかかりますので、この場を借りて皆様にお礼を申し上げます。
皆様の主張をまとめますと
・中央アジアに住む民族のうち、テュルク系言語を使う民族がいた(テュルク人)
・突厥などのトルコ系王朝はテュルク人によって建国されたもの
・元来イラン人などが多かった地域にテュルク人が王朝を建国した(いわゆるトルコ化)
・現在ではテュルク系に正確な定義が存在するが、この名称が使われ始めた当初は「西欧から見た東方民族」程度の意味しか持っていなかった
となりますかね。
もし補足や訂正などありましたら、引き続き回答していただいて構いません。
あと、
ANo.7 zep19さん
> 感化されたムスタファ・ケマルがアナトリアのテュルク語を話す民をトルコ国民と規定し
ANo.8 kuroneko3さん
> 自分達は何かの単一民族だということにしないと独立国家を築けないことになるので,ヨーロッパ人が使われていた「トルコ」という呼び名を逆輸入し
近代の国民国家の成立と絡めたこれらの説はとても説得力があるのですが、Wikipediaに似たような記述があり、そこには「要出典」となっていました。
もしWikipediaからの引き写しでないのでしたら、どの本にこういう記述があったのか、出典を教えていただけると助かります。
No.7
- 回答日時:
はじめまして
テュルク系は当初はモンゴリア高原に遊牧民として居住していましたが
5世紀末、テュルク系の高車勅勒が西進し中央アジアへ移住し高車国を建国したのをきっかけに
それまでイラン系遊牧民が支配的であった中央アジアの草原地帯をテュルク化します
やがてテュルク系が突厥やウイグルという遊牧国家を建国
突厥文字やウイグル文字を作り石碑や文献を残し言語的にこれらの国家がテュルク系国家であることがわかるとともに
当時のウイグルの民が自らの民を《テュルク》と称していたこともわかっています
草原地帯がテュルク化された中央アジアもオアシス都市群はソグドなどイラン系が支配的でしたが
9世紀キルギスの攻撃により遊牧国家ウイグルが瓦解するとテュルク系の人々は中央アジアのオアシス都市群に移住定着化し始め中央アジアを完全にテュルク化します
ここで注意しなければいけないのはテュルク系はイラン系を暴力的に支配したのでなく平和的に共存同化したのです
やがてシルクロードの商業民もイラン系ソグド人からウイグル人に移行していくのです
現在の世界史ではオスマン《トルコ》、セルジューク《トルコ》などの呼称は使用していません
オスマン朝やセルジューク朝は多民族国家でありテュルク系のネーション的国民国家でなく
ローマのようにエトノス的共同体国家でした
つまり民族は問わずローマという共同体に所属すればローマ人であるというのと同じです
(ウズベクもカザフも当初は固有の民族名でなく民族を規定しないエトノス的遊牧集団名でした)
ネーション的民族国家、国民国家の思想を創設させたのは19世紀の西欧諸国です
それに感化されたムスタファ・ケマルがアナトリアのテュルク語を話す民をトルコ国民と規定し
第1次世界大戦敗戦後のオスマン朝にあってビザンツ帝国復活を目指すヴェニゼロスの辛辣なギリシャの侵略から《トルコ》国民を鼓舞し国土を回復するのです
《トルコ》国民にはイスラム教徒でテュルク語を話すギリシャ人も含まれましたが
排他的なネーション的民族主義はアルメニア人の東北域での存在やクルド人の独自性を認めず攻撃する結果を生むのです
長文失礼致しました
No.6
- 回答日時:
>そうすると、そもそもなぜ「トルコ系」という紛らわしい名称をつけたのかがわかりません。
誰も紛らわしいと考えなかったからです。19世紀以前の人には将来、トルコ共和国が誕生して、現在の版図となることは誰にも分かりません。現代の領土、国境に囚われているのは世界一馬鹿な日本人だけです。
No.5
- 回答日時:
補足に応答したい
>> トルコという概念そのものが怪しい
すると、「トルコ系民族」とか「トルコ系王朝」というのは何を根拠に「トルコ系」と呼んでいるのでしょうか?
根本的には、根拠は見当たらない
まぁ、通説としてあるのが
欧州人・トルコ域外の人間が
アナトリアのトルコ系の言葉を話すムスリムの人々をまとめて「トルコ人」と呼んでいた、という経緯は確認できる
現在、オスマントルコ帝国という呼称について論争されていて、おそらく『オスマン帝国』の呼称に多くの教科書が改訂されているはずである。
そもそも、トルコ系の言語という概念も怪しい話なのである。
というのは、トルコ系言語は、アルタイ語族に分類されるわけだが、モンゴル・ツングース、そして、日本語もこれに該当する。
では、言語としての共通性は認めうるにしても、どこまで拡大して共通性を認めて、カテゴライズするか?という問題で、極めて定義にしろ、規定にしろ、不明瞭かつ不整合が多いのである
これは、言語学が未だに欧米側の文献に依拠することに対しての批判がない部分の問題も指摘できるが、言語の分類そのものが歴史論争・政治論争との兼ね合いで恣意的なものであることにも由来する・・・仔細は割愛するが、大人の胡散臭い事情で区分・区分けが有耶無耶なわけである
ちなみに、この話は、トルコのEU加盟との兼ね合いがあって、議論の最中だったりするのだが・・・・仔細は割愛しよう
なにせ、面白くないというか、政治力学と学術論争であるにしても、ポジショントークばかりでちっとも客観性がないので・・
まぁ、トルコという概念が民族であるにしても、民族概念の区分は言語・文化・習俗・遺伝子などの多岐の分類因子が存在する以上は、簡単な話ではないし、学術的研究が盛んではない地域であることも関係するだろう。
まぁ、欧州人にとっては、実はトルコ系という話は、黒歴史が内在しえる「ゲルマン人の原初の話」から、あんまり追求したくない部分もある・・とは思うし、言われている
(確認したら、ウィキペディアも「オスマン帝国」だった)
> 欧州列強側の無知
「トルコ系」という概念は西洋人が作ったということなのでしょうか。
そう思っても問題ない
上記したように、あんまりトルコ系という概念を精査すると、自国の民族のオリジンからして、怪しくなってしまうだろうから、大雑把にトルコ系・・と扱っているとも言えるのだが・・・
アルタイ語族という最近までの言語系統の扱いからしても言えることで、ウラル語族とセットにしている部分などは、違和感しか存在しないほど不可思議な話ではあったのである
まぁ、預言者でもない立場だが、
太陽系惑星として冥王星が除外されたように、根本的に既存の概念定義が改訂される必要性があるものの一つと言えるだろうが、
改訂したらしたで、面倒なことが生じることは火を見るより明らかなので、当面は精査しようともしないし、精査しようとする研究に資金が降りない・・とは思う
正直、中央アジア通史やっている人間は、トルコ系などという表現の怪しさを理解しているので、言語的な分類を仔細に言及する傾向にあるので、敬遠されている。
根源的には、民族とは何か?というテーマもありえる話なので、仔細探求すれば、底なし沼の話であるので、自前で調べて欲しい・・・
回答したい部分はあるが、「仮説にすぎない」という注釈を連発するのが面倒なので割愛したいのでw
No.4
- 回答日時:
>そうするとますます「トルコ系」という言葉の意味が分かりません。
トルクメニスタンからウズベキスタン周辺に住んでいた部族なら「中央アジア系」とでも呼ぶほうが適切ではないでしょうか。
トルコ系というのは、チュルク系の言語を話す人達をいいます。
チュルク系言語は、ウラル・アルタイ語系の言語で、アルタイ語族に属します。
アルタイ語系は、チュルク系とツングース系とに分かれます。
ツングース系の言語を話すのは、モンゴル人、朝鮮人・韓国人、日本人、中国の満州族などがいます。
中央アジアには、チュルク系の言語を話す人ばかりではなく、ツングース系の言語を話す人(エベンキ族やトゥーバ人、モンゴル人、アルタイ人)などもいますし、ペルシャ語系のタジク人や、ウラル系のマリ・エル人やモルドビア人などもいます。
そのため、中央アジア系といつた場合、どれを指すのか混乱してしまいます。
そのため、共通の文化を持つチュルク系として使うわけです。
>>Wikipediaを見ても「テュルク諸語を母語とする人々」とあり、テュルク諸語は
「中央アジア全体やモンゴル高原以西にあるアルタイ山脈を中心に東ヨーロッパから北アジア(シベリア)に至る広大な地域で話される」とあり、とてもトルコ一国に収まるものではありません。
これを、怪しいとしている人がいますが、チュルク人の定義としては、ほぼ正確です。
ただ、モンゴル系との混血や文化の混合がかなり進んでしまっているため、モンゴル系と区別できない部族もいくつかあります。
ヤクート人などは、言語はチュルク系なのに、文化はモンゴル系といった状態です。
>簡単に言えば便宜上の問題であろう
と同時に、欧州列強側の無知が為しえた話とも言えるだろう
これは誤り。
チュルク系とは、あくまでチュルク系言語を話す人達であり、便宜上のものではありません。
>「トルコ系」という概念は西洋人が作ったということなのでしょうか。
中国史においても、「突厥」は、トルコ系の部族名からきています。
韃靼・契丹なども、トルコ系の部族名です。
ウイグル自治区やカザフスタンなどを、トルキスタンと呼ぶのは、西洋人が作った概念ではありませんし、トルクメニスタンも、トルコ語から来ています。
トルコとは、チュルク語で、「強い人」の意味で、転じて「人間」の意味でも使われる言葉です。
予備校の世界史で、「突厥」の名前は出てこないのでしょうか?
予備校講師のレベルは、そんなものなのですか?
No.3
- 回答日時:
小生、元教師・現役予備校講師(専門世界史)
>世界史には「トルコ系民族」とか「トルコ系王朝」という言葉が現れますが、これは現在のトルコ共和国とはほとんど関係ないですよね?
基本的には、関係ない、と言えるだろう
あくまでもトルコ共和国成立の経緯において、オスマントルコの影響があったことが指摘できようが、深い関係性は示唆できない
>Wikipediaを見ても「テュルク諸語を母語とする人々」とあり、テュルク諸語は
「中央アジア全体やモンゴル高原以西にあるアルタイ山脈を中心に東ヨーロッパから北アジア(シベリア)に至る広大な地域で話される」とあり、とてもトルコ一国に収まるものではありません。
ちなみに、ウィキエディアの定義もかなり怪しい話である
というよりも、トルコという概念そのものが怪しいもの・・と理解するのが適切かつ妥当であろう
>そうすると、そもそもなぜ「トルコ系」という紛らわしい名称をつけたのかがわかりません。
簡単に言えば便宜上の問題であろう
と同時に、欧州列強側の無知が為しえた話とも言えるだろう
回答ありがとうございます。
世界史の教師の方から回答をいただけてありがたいです。
> トルコという概念そのものが怪しい
すると、「トルコ系民族」とか「トルコ系王朝」というのは何を根拠に「トルコ系」と呼んでいるのでしょうか?
> 欧州列強側の無知
「トルコ系」という概念は西洋人が作ったということなのでしょうか。
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