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大清帝国や中国が同じアジアの日本やトルコの様に近代化出来なかった理由は何ですか?

恐らく中国は文盲が多く、そもそも同じ漢民族同士でも北京語、上海語、広東語と(その他にも沢山)言語がバラバラでその上50以上の少数民族がいてしかも清の時代は満州族という少数民族が中国大陸を統治していたからですか?

質問者からの補足コメント

  • 中国じゃ無くて中華民国です!

      補足日時:2023/06/26 12:59

A 回答 (7件)

清代に西洋的な近代化を目指す洋務運動が行われましたが失敗しています。

同じ頃に日本も明治維新で近代化を行っていますが、清が近代化に失敗したのに対して日本は近代化に成功したとされます。その最大の理由は、日清戦争で清が日本に敗北したことです。富国強兵で清は日本に負けたので、近代化競争でも清は日本に負け、失敗したとされるのです。では、なぜ洋務運動による富国強兵に失敗したのかというと、それは主として中華思想が原因と考えられます。

日本では近代化に際して「和魂洋才」というスローガンが使われました。「和魂洋才」とは、日本固有の精神を失わずに、西洋からのすぐれた学問・知識を摂取し、活用すべきであるということです。日本固有の精神というのは松下幸之助の言葉を借りれば「衆知を集める」、「主座を保つ」、「和の精神」の3つです。「衆知を集める」とは、何かを決める時、広く意見を集め、調整する過程を重視するということ、「首座を保つ」とは、一番トップの人が決断を行うことを維持するということです。つまり、広く国民の協力を求め、国民の意見を聞きながらも、最終決断はトップが行い、トップから下々の国民まで全員が一致団結して物事を行うというのが和魂なのです。

これに対して中国では「中体西用」というスローガンが使われました。これはどういうことかというと、「中体」=中国の儒学に基づく制度や伝統を維持しつつ、「西用」=西洋の科学や技術を採用することです。中国の儒学に基づく制度や伝統を守るというのは、「和魂」とは性質が異なります。そもそも儒学とは、儒教的価値観に基づく学問であり、儒教的価値感とは畢竟、中国が世界の中心であり、その文化・思想こそが最も価値があるとする価値観に他ならないのです。つまり西洋技術は利用するが、あくまで中国の思想や制度こそが世界一で、周辺民族である東夷・西戎・南蛮・北狄の文化などよりも漢民族の文化の方が優れているという立場を捨てていないのです。「西洋は火砲・軍艦では中国にまさるが、政治・社会の制度では遠く中国に及ばない。夷狄の長所を採って中国の短所を補えば自強は達成できる」というのが中体西用論者の代表的な考え方でした。

こんな考え方では、たとえ西洋の技術を学んだとしても、劣った民族の生み出したものという侮蔑意識は捨てきれません。心の中では西洋を馬鹿にしながら、表面的に西洋の技術だけを取り入れることになります。技術だけ手に入れれば、また中国が世界の中心となるという考え方です。ですから近代化が非常に中途半端で不徹底なものだったのです。一方、日本の和魂洋才は決して西洋を馬鹿になどせず、明治維新では西洋の政治・社会制度も採用し、徹底的な近代化改革を行いました。この点で日本と清とは決定的に異なるのです。しかも清朝内部にはもっと頑迷な中華思想の保守派が居て、西洋の技術など最初から採用すべきではないと主張する勢力が存在していたのです。また、洋務派の官僚たちにしても自己利益中心の人間ばかりで、清朝は日本の「和魂」とは全く異なる国情だったことも大きいです。

この中華思想の呪縛はその後も続き、中華民国の時代にも、やはりこの意識は全く消えず、中華人民共和国になっても同じで、それが中ソ対立の原因の一つになっています。毛沢東の言葉「東風は西風を圧す」にも中華思想がはっきりと表れています。中国が近代化にやっと成功し始めるのは、「4つの近代化」を打ち出した胡耀邦の時代でした。しかし、彼は失脚し、近代化の成果も保守派に奪われるのです。現代においては、下手に近代化に成功したため、中華思想が侵略思想と一体化し、世界にとって中国は厄介な存在になっています。
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中華人民共和国の事ですよね。


近代化が出来なかったのは、建国の父である、毛沢東のせいです。
革命家としては一流ですが、行政の為政者としては無能でした。
大躍進政策の失敗で、数年間で推定2000万人から5500万人の餓死者を
出しました、政治局では失脚しましたが、党の要職に留まっていました。
文化大革命を起こして、政治の表舞台に帰り咲こうとしました。
彭徳懐や劉少奇や鄧小平など、毛沢東を失脚させた、軍や党の要人達を
紅衛兵が追い詰め、病死、獄死させた人々は数知れず、中国古来の思想
である、孔子廟、関羽廟、仏教の寺院などを破壊しました。
毛沢東が死ぬまで、騒ぎは続きました、かくして、毛沢東はソ連の
スターリン以上の殺戮者として名を刻む事になりました。

辛うじて生き残った鄧小平が復権して、経済大国としての礎を作りました。
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基本的には中華思想では。

なんで世界の中心である中華が野蛮な西欧に学ばねばならんのか、と。
 清国でも当時「洋務運動」ってのはあって、国家の改革にとりくもうとした時期がありましたが、根本理念が「中体西用」というものでした。乱暴な解釈ですがこれは「西欧は武器では中華に勝るが、政治や社会制度では遠く及ばん」という中途半端なもの。実は政治や社会制度でも学ぶべきところはいっぱいあったのに、大事なところを見逃したということでは。
 質問者様のおっしゃる言語の不統一とか識字率とかもこの流れで、この辺を改善しなかったことも大きな原因の一つだと思います。
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一つは、国土が広大なので、


そう簡単に変わることが出来なかった。

一つは中華文明にあると思います。

中国は、自国の文化に絶対的自信を
持っています。

だから、科学技術などは取り入れましたが
文化を取り入れようとはしませんでした。

「少年よ大志を抱け」のクラーク博士も
指摘しています。

西洋に追いつき、追い越すためには
文化も学ぶ必要がある。
科学技術などは、文化の上に成り立って
いるからだ。

日本は、海外から学ぶことには
抵抗がありませんが
中国はそうは行きません。

その違いが大きかったと思います。
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今や共産党の指導で世界一の泥棒大国です。

強盗分野でも世界一です。
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近代化を拒んで共産主義を通したからです。


2000年代に入って一気に民主化し、あっという間に日本は追いこされてしまいましたね。
世界のインターネット衛星も支配し、携帯、PC、アプリから世界中の個人情報や機密情報を入手している中国には、アメリカもかないませんね。
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中華思想によるプライドで西洋文化の当時先進的だった部分を素直に取り入れきれなかった事でしょうか。

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