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はじめまして。

僕は現在高校2年生なのですが、今度、学校内で開かれる討論会でのテーマが「延命措置に賛成か、反対か」で、僕達は反対の立場で意見を述べることになりました。

意見を考えるために、様々なネットのページを見たり、ニュースや文献も見たりしたのですが、どうもうまく意見をまとめることができません。

そこで、みなさんの力をお借りしたいと思います。みなさんは延命措置について、どうお考えでしょうか?賛成か、反対か・・・あとその理由なども答えていただけると非常にありがたいです。

身勝手な質問だと思いますが、よろしくお願いします。

A 回答 (8件)

No#4です。

ご丁寧なお返事ありがとうございます。
討論会、ということで、突いて来られそうな点として思い付くのは

『急な病状変化』
例えば、癌が進行している状態であっても(身体的には末期)、まだ普通に話せて少しは歩ける程度の方が、急に呼吸困難になった時。。。
『見込み違い』
例えば、高齢だが肺炎のために呼吸困難になり最初は回復の見込みが有ったので人工呼吸器をつけたがすでに延命処置のみの状態になっている場合。。。

それでも、反対か、といった突っ込みに対して
私はこう考えています。
延命処置、という状態の定義をしっかり決めて、そういう状態になった方に対しては定期的に効果の判定をする事を国(いや、地球?)全体で統一し、家族にはカウンセラーなどがついた上で、無意味な延命を中止する方向にすると良いと思います。基準は施設毎にすると「あの病院に入院したから。。。」と、後々問題になりかねませんので。
今は、そういうことがちゃんと決まっていないので医者も患者の家族も「もう、いいんじゃないか。。。」と思っても切り出せない事が有るのではないでしょうか。
延命処置の是非、なんて話題が出るのも“どこからが延命処置なのか”“誰がする、しないを決めるのか”がはっきりしていないので、関わった皆がつらい思いをするのではないでしょうか。
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単純な「ディベートのネタ」としての話から離れて、現実の話を少々さ


せて下さい。

「どこまで治療を継続するか」の問題については、私も何度も悩ませら
れております。
我々医療従事者は、基本的に「なんとか患者さんを助けよう」として動
きます。特に私の関係する分野は、持てる知識、技術を尽くしてがんばっ
て、それでも力及ばず・・・という場合に、「これ以上の延命をすべき
かどうか」が問題になって来ます。
その場合の多くは、患者さんご本人はもちろんご家族の方々も、そのよ
うな事態になるなど予想すらしておりませんので、クリアカットに「も
うこれ以上の治療は結構です」とは、ならない場合もままあります。
で、最後の最後までがんばって、結局救命できずに終わってしまう。

ただ、先ほどの書き込みとは相反するかもしれませんし、それこそ理性
的に考えると問題があるかも知れませんが、(医療従事者としての)個
人としては、そのような「過剰な」治療が全て無駄であるとは思いたく
ありません。
「もう助からないかもしれない」と思われる患者さんを延命するために、
毎日多量の血液製剤を投与するような、端から見たら無駄使いとしか思
われないような治療でも、患者さんの回りの人々をケアするためには、
ある程度(無制限に、は無理として)必要なんじゃないかと思います。

これが、癌末期の場合とかは、また別なのかも知れませんが・・・。

混乱させてしまうかもしれませんが、一応ご参考まで。
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#2です。

補足要求について回答もどうもです。

すでにウエッブでいろいろごらんになっていらっしゃるということで、「尊厳死」、「リビング・ウィル」、「DNR」などの言葉もごぞんじでしょうか?(もし、ご存知なければ、ウエッブ検索で調べられてみてください)。

補足の回答で「安楽死」のことに触れられていますが、「尊厳死」と「安楽死」は大きく違いますので、そこらへんも、しっかり押さえておくといいかもしれません(↓ためしに検索でみつかったURLをご紹介します)。

日本でもここ20年ほどの間に、上述の尊厳死や終末期医療についての認識が深まり、患者さんの意思を大切にする、過剰な延命治療は行わないというのが一般的な常識となってきていると思います。

そういう意味では、討論で「反対」の立場に立たれたのは有利かもしれませんね。

世界的には、延命治療という問題から、不知の病におかされて回復の見込みがない場合に安楽死を合法化するようになっており、オランダ、米国の一部の州、オーストラリアの一部の地域などが合法化しています(安楽死の問題にまで、討論を広げるべきかどうかはわかりませんが)。

#2で、状況によって大きく異なるといいましたが、たとえば90歳で、癌が骨に転移して長らく痛みに苦しんでこられた方が、いよいよ呼吸がとまりそうになったときに、人工呼吸器で命を長らえようとすることは、少ないと思います。

一方で、例えば大学に入ったばかりの18才で、交通事故で頭を打って脳死状態になってしまったとしても、親にとっては、奇跡が起こるかもしれないと、できるだけ長く生きてほしいと思うでしょう。

まあ、両極端な例かもしれませんが、本人の意思を確認できるのであれば尊厳死は、その人にとっての尊重すべき権利である、しかし、愛する人を失いたくないという気持の強い身内の人にとって、時に、延命治療を続けてほしいという要求を否定することも難しい...

まともな回答になってませんが、ご参考になれば。

参考URL:http://www.naika.or.jp/bigbang/content/15/15.html
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問題は、患者さん本人のご意志と、その患者さんに回復の可能性があるか


どうかだと思います。

明らかに患者さん本人に回復の見込みがないのなら、延命処置は「家族の
気持ちを整理するための時間稼ぎ」以外に意味が無いような気もします。
しかし、「明らかに回復の見込みがない」と言い切るのは、実はかなり難
しい事だと思います。僅かでも可能性が有る場合、それをどう考えるか。
他の方がおっしゃってる通り、ご家族の方の負担も相当です。僅かの可能
性のために、ご家族に負担を強いて良いのだろうか?という点が、問題に
なると思います。

一方、たとえば痛みで苦しむ末期癌の人とかの場合。
痛みで苦しみつつ「死にたい」と言ってても、痛みが軽くなればご本人は
「死にたい」とは思わないでしょう。その場合、痛みを取る、あるいは軽
くする手段が全て尽くされたかどうかが問題になります。この点は、医療
機関によって(残念ながら)格差が大きく残っている部分でもあります。
まあ、もっとも「医療機関の格差」を言い始めたら、それこそ議論になら
なくなるかもしれませんが、現実に80歳代の患者さんが肺炎をこじらせて
人工呼吸管理になった場合なども、ここの病院だと助からないが(この場
合、延命の是非が問題になる)あそこの病院だと助かる場合があるなんて
事もあるわけで、・・・。

話がそれてしまいました(笑)。すみません。

単純に、ディベートについて言うのなら、「家族の自己満足のために、医
療資源(物やお金だけでなく、スタッフの労働力なども含めて)を無駄に
使うのは問題である」という切り口もあるかもしれません。現実には、医
療スタッフは(ご家族の心情を考えると)決して言えない言葉ではありま
すが・・・。
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現場の看護師です。


“延命措置”と一言に言ってもその範囲が明確で無いので、お答えしにくいのですが、高校生さんということで、あまり細かい事はうるさくしないで、一般的に
“もう、病気の進行によって命が消えかかっているのに人工的な機械でかろうじて息はしており、各種薬剤に寄って心拍もある状態”としましょう。
“病気の進行によって”は“老衰によって”にも“脳死状態によって”にも置き換えられますよね。

この事については、とてもココでは書き切れないくらいの意見が有りますが、satelliteさんが『反対の立場』なのでそれの裏付けになることとしては

1、患者本人の立場を想像して嫌だろうと思う事
・病気と戦って、もう、がんばる必要のない(=死)所まで来ているのに、安らかに逝けない。
・全ての事が自分の意志とは関係ないところで決定され、実行される。
・ついには心臓が動いて息をしているだけの“屍”になり手足の末端や口腔内からは腐臭が漂う。
・先の事と関連して、点滴をしても体が受け付けないので全身むくんできて醜くなる。

2、家族、近親者のつらいだろうと思う事
・人工呼吸器装着で全身管理、となると病院の支払いだけでもかなりの高額なのに、お見舞いのために仕事を休んで通う事が多くなり経済的に苦しい。
・がんばっても、良くなる可能性が限り無く少ないので精神的にかなりの疲労が有る。
・機械に囲まれた家族を見るつらさがある。
・いつまでもいて欲しい、けれど“生かされている”状態の家族をみて“これでいいのか。。。”という葛藤をもってしまう。

人工呼吸器以外でも、明らかに老衰だと思う人に食事が食べられないから、、と胃にチューブを入れて流動食を流し込むこともあります。
かわいそうでなりません。

参考URL:http://www.toyama-mpu.ac.jp/hp/hospital/TERMA.HTML
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この回答へのお礼

貴重な現場のご意見、ありがとうございます。

確かに少し質問の範囲が広すぎましたね。申し訳ありません。

現場の意見というのは、文献などにあまり掲載されていないため、とても参考になります。いくつか書いていただいた例の中にも、知らなかったことが沢山ありました。僕個人としても、延命措置については反対です。

僕の祖母も亡くなる直前には病院に入院し、延命措置を受けるかどうかの選択を迫られたのですが、家族で相談した末、お断りしました。
祖母がいなくなることは辛かったですが、それ以上に祖母をもうこれ以上苦しませたくないという気持ちがあったのです。

参考ページも見てみます。本当にありがとうございました。

お礼日時:2002/12/10 00:00

こんばんは。


私も「反対派」です。
5年ほど前に母がなくなりました。
正確には10年ほど前に脳梗塞で倒れ、手術もしたのですが後遺症が残り
話もろくにできない、トイレに行くのがやっとという状態で5年過ごした後の他界でした。
そもそも不自由な生活を5年間過ごしたわけですが、もともと活発で行動派の(娘でもビックリするくらい)人だったのでまるで別人となってしまいその生活でさえ疑問を感じることがありました。

亡くなるときは病院だったのですが様子が変わったときにお医者さんを呼んで
処置をして頂きました。その際お医者さんが「人工呼吸器などの処置でこのままの状態をもう少し延ばすこともできます」と言われ、家族みんなでお断りしました。
5年間が長かったせいもあるとおもうのですが「もういいよ」と言う気持ちでいっぱいでした。
母は元気な頃からそういうのはいやだとか言っていたのできっとわかってくれるだろうと。
呼吸が止まってから心臓が停止するまで1時間強ありましたがみんなで静かに眠るのを見守りました。

なんだかしめったお話ですが、その時周りには呼吸器の音が響き「生かされてる」と言う感じの患者さんが数人いました。母が入院中に病院へ行くとある日ベットがガランと片付いていたり・・
呼吸器の音とあの電子音(ぴっ・・ぴっというあの音)は聞きたくもないです。
私は#1の方の意見に賛成です。
考え方はいろいろあるし難しい問題ではあるとおもいますが
私の考えとしては「生きて」ほしいのです。

参考にはならないかもしれませんが読んで下さってありがとうございました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

僕の祖母も、亡くなる間際にはruruさんのお母様と似たような状態でした。

確かに、延命措置というと「生かされている」という感が抜けません。僕の考えも同じです。人がつくる命なら、それは「命」と呼ばないのではないかと・・・。

参考にならない、などとんでもないです。実際に体験された方(自分もなのですが)の言葉としてとても貴重な意見をありがとうございました。
僕の心の中にも留めておきたいと思います。

お礼日時:2002/12/10 00:10

ご質問について二点、こちらのほうから「補足要求」してもよろしいでしょうか(もしかすると、その内容が討論のテーマに関係するかもしれませんが)。



1)「延命措置」の対象となる人は、どのような状態の人を想定されていますでしょうか?

具体的には、例えば「がん」にかかって治療法がなく、耐えられない痛みが続いているとか、すでに意識がなくて、自分で呼吸ができない状態とか。

おそらく、対象が、いろんな状況の人にとって、判断がかわってくると思います。

2)「延命措置」とは具体的には、どのようなものを考えていますか?

字からいくと、命をながらえるために行う治療ということですと、広い意味でとれば、治療全体のことをいうこともできるかと思いますが、さしあたり、呼吸と循環に対する治療・・・具体的には人工呼吸器と、昇圧剤などの心臓に対する治療のことでしょうか。

討論をするとなると、対象と定義をはっきりさせることが大切かと思います。

この回答への補足

補足します。

>1)「延命措置」の対象となる人は、どのような状態の人を想定されていますでしょうか?

そうですね・・・今回の場合は後者のような、意識がなく、人工呼吸器なしでは自分で呼吸ができない方のほうを想定しています。おそらく一番のテーマとなってくるのは、「仮死状態で延命処置を施すことは正しいことなのか」とか「安楽死を選択すべきではないか」ということだと思います。

>2)「延命措置」とは具体的には、どのようなものを考えていますか?

今回僕達が取り上げようと思っているのは、人工呼吸器など、器具を使って行うものです。あまりに広くとってしまうと、討論に使う時間は限られているので、全ては話しつくせないかと思いまして。

僕個人としては、死期というのはたとえどんな形で迎えるにしろ、あらかじめ決まっているものだと考えています。そこに延命措置という人の手を加えて、人の運命まで左右していいものかどうかと・・・。しかし家族の方の気持ちを思えば、運命なんて言葉で片付けてしまえるほど単純な問題でもないんですよね。

補足日時:2002/12/09 23:29
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わたしは反対。


人間には健康で文化的な最低限度の生活を営む権利があります。
延命処置されているヒトはもはやそのような生活を営めない
状態であると思います。それはもう人間である、とは言えない
のではないでしょうか。 安らかに眠らせてあげましょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>人間には健康で文化的な最低限度の生活を営む権利があります。

確かにその通りですね。ベッドに横たわってただ心臓が動いているだけでは生きているとは言えないと、僕も思います。

延命措置で「生きて」いるからといって、その人が幸せとは限らないんですよね・・・。

お礼日時:2002/12/09 23:49

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