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生きた魚を、さばくことが出来ません。
痛いんだろうなぁとか、可哀想だなぁとか思ってしまいます。
鰻なんか、店員が頭に釘打ち付けただけで、可哀想で泣きたくなります。
しかし、矛盾しているのですが、鰻は大好きです。
魚も大好きです。
可哀想だけど、食べている。
この矛盾している自分が、なんとなく嫌いです。
寿司屋でも、さばくのを見せてくれる所は、可哀想でみてられません。
しかし、刺身は大好きです。

こんな矛盾を抱えているのって、私だけでしょうか?
可哀想と思ったら、何も食べられないですし、ましてや父の実家が伊勢なので、魚をとったら即、さばいて食べます。
私だけ、輪の中に入れません。しかし‥‥食べたいです。

こんな矛盾した問題に、どう自分に言い聞かせたら良いのかわかりません。
エゴな事を言っている自分が、すごく醜いと感じてしまいます。

A 回答 (15件中11~15件)

>こんな矛盾した問題に、どう自分に言い聞かせたら良いのかわかりません。


これが「教えて!」の部分だと思いますので、アドバイスを。(といっても、私の考えですが)

小難しいことはわかりません!

   「私に食べられるために捕まったのね?」
     →「なら、おいしく食べてあげましょう!」
       →「だって、『弱肉強食』が、自然の法則なんだもんっ」

ちょっとバカっぽいせりふですが、質問者様を女性と捉えて書きました。※せりふのことです、念のため>バカっぽい

私は釣りをするとき、この考えで見えざる相手(=お魚)と対峙します。
自然の摂理に飲まれるか否か!とっても楽しいです!! (^^)
・・・とか言いながら、滅多に釣りはしないし、あまりお魚も食べないのですが。(あはは)
※とりあえず、「釣ったら食べる」人です

追伸)
「魚は痛みを感じませんので・・・」と、書こうと思ったら、最初の方が書かれてました。(笑)
ちなみに、学生のころ、生物の先生に聞きました。

以上。
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この回答へのお礼

そうですね。
気楽に‥‥というか、深く考えちゃったら抜け出せなくなりそうです。
『弱肉強食』は、自然界の摂理なので、人間にその頂点に当てはまるかはよくわかりませんが‥‥
釣った以上は、食べてあげたいと思います。
釣って食べずに放置したら、それこそ可哀想ですものね。
先日まで、父の実家に戻りました。
魚を釣って、初めて捌きました。
命を頂くと考えたら、すんなり捌けました。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/20 17:30

どうも、釣りバカです。



大体触れておきたい事は出ちゃっているので「食べる時に感謝」「必要以上の殺生は慎む」についてはこれ以上触れる必要もないでしょう。
そこで「痛点」と「捌き」についてちょっと目線を変えて考えてみましょうか。

サカナに痛点があるのかどうか…最終的には「魚に聞かなきゃわからない」わけで、サカナに聞くことができるまで真実は謎のままです。そこで「痛点がある」という前提で考えます。
この前提で考えると痛点に関しては魚類も哺乳類と同じという事になりますね。(実際には神経の通っている位置とか痛みを感じる脳組織の発達具合とかいろんな違いがあるのですが)すっごく大雑把に考えると「痛いと感じるのは人間も魚も同じ」という事になります。この前提で考えるとますます捌けなくなっちゃうでしょ?それでいいんです。そうでないと話が纏まりません。痛点があるからむやみに刃物を当てる事ができない、むやみに引っ掛けて釣ることすらできなくなっちゃいます。
だったらやらないでいる?食べないでいる?そう割り切れればこんな所で質問なんか出さないですよね。栄養とか食事を楽しみたいとかせっかく料理になったんだからとかいろんな理由があってあなたの生活から切り離せないでいるんですよね。

だからこそ「捌く」という行為が重要になってくるのです。

単に生命を奪うなら、魚なら水から揚げればいずれ絶命します。その代わり水から揚げられた魚は酸素が吸えずにのた打ち回りもがき苦しみながらジワジワと死を迎える、残酷ですね。辿り着くのが絶命であれば、せめて苦痛を出来るだけ与えないで死を迎えさせてやる、それこそ痛みも苦痛も感じずに気がついたらあの世にいた、というのがベストとなると思いませんか?
一番苦痛を与えない捌き方は首を跳ねる事。とても生々しい嫌な話で心苦しいですが、田舎に行くと鶏を〆る場合首の骨を折るか首を跳ねます。特に首を跳ねるとしばらく鳥の胴体はそこらへんを駆けずり回りますが、痛みを感じる脳と胴体が完全に分離しているので痛みは感じない、既に魂はあの世に召されて胴体は神経の生物的反応で動いているに過ぎません。魚でも〆ると身体をものずごい勢いで痙攣させますが、意識や魂は既にこの世には無く、単に首(脊髄)を切断されたショックによる神経の電気反応によるものなのです。事実上手く切れないとこの反応は起こりません。
ただしこれは飽くまで一気に、上手く脊髄が切れた場合のみ起こる反応で、切る場所が違ったり一気に切れなかった場合は痙攣は起こらずのた打ち回ります。痙攣はビビビビビ…と電気ショックを受けたような動きになりますがのた打ち回るのはドタンバタンと暴れるので一目瞭然です。

ここで問題になるのが「一気に昇天できるだけの捌き方」が出来るか?と言う事。ここで尋ねる「出来る」は精神的なものは一切排除した技術的な「出来る」です。

あなたが例に出したウナギの釘打ちだって、単に捌きやすいからというだけで打っているのではなく(素人の場合はそうかもしれませんが)、苦痛を与えず一気に昇天させる技なのです。だから職人さんの言葉に「釘打ち3年、捌き3年、焼きは一生」とあるように釘打ちの難しさを示しているのです。単に捌きやすくするためだけなら尻尾を固定してもいいわけですからね。
この発想が究極まで突き詰められたのが大昔の武士階級の「切腹」の介錯で、骨を絶つには高度な技術が伴うので「介錯人」という首切りを専門職とする人がいたそうです(子連れ狼・拝一刀の「公儀解釈人」という役職は実在していません、念の為)。敢えて残酷物語を語ると、三島由紀夫が防衛庁で割腹自殺を図りましたが介錯人が未熟だったうえに刀がナマクラだったため刀が首の骨の所で止まってしまい三島由紀夫はのた打ち回ってもがき苦しみながら死んでいったそうです。とても気分を害する話であることは重々承知していますが、何でもかんでも首を跳ねれば良いというわけではない、命を奪うにはそれ相当の覚悟と技術がいるという極端な例としてあげました。

切腹の技術まで必要かと尋ねられると甚だ大袈裟ですが、魚を捌く方法を親から教わりませんでした?実は日本の魚の捌き方は長い歴史で培われた先人の知恵が詰まっています。解剖学や生物学などの科学が進歩して一見野蛮で残酷な行為と思われていた事も理に適っている事が多々あるのです(もちろんその逆もたくさんありますが)。魚を捌く・魚を〆るという行為は一見すると残酷ですが、キッチリと手順を知っていればむしろ痛みを与えず昇天させる事が出来る、最も人道的な先人の知恵なのです。だからおばあちゃんが教えてくれる調理の方法は蔑ろにしてはいけません、という事で巣。

あなたはキッチリ捌くだけの捌き方を体得していますか?よく切れる包丁や研ぎ上げた包丁を使っています?これがひとつでもできていないと三島由紀夫の最期のようにいつまで経っても「かわいそう」な行為でしかないですから。

長々と書きましたが、結構深い問題だと思ったので書き連ねました事をご了承下さい。
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この回答へのお礼

>あなたはキッチリ捌くだけの捌き方を体得していますか?よく切れる包丁や研ぎ上げた包丁を使っています?
それは、バッチリです。
父の実家の都合上、子供の頃から嫌と言うほど教えられましたから。
包丁も、自宅のと違って、ギラギラと光っていて、怖いぐらいです。
失敗したら、指丸ごと切っちゃうんじゃ無いか!?って程、切れ味は凄いです。
おばあちゃんの知恵袋は、理に適っているんですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/20 17:34

>こんな矛盾した問題に、どう自分に言い聞かせたら良いのかわかりません。



イヤイヤ、矛盾してないですよ^^。
誰だって命を奪うのは大なり小なり抵抗ありますよ。

>生きた魚を、さばくことが出来ません。

なら締めてあればさばくのは大丈夫かな。
実際には魚は締めてから数時間から1日(ものによっては数日)寝かしたほうがおいしいです(例外もありますが)。よく言われるタンパク質が分解されてアミノ酸やイノシン酸が増えるからですけどね。なので生きた魚をさばいてすぐ食べるのはコリコリとした食感を楽しむ為で味はそうでもない。特にマグロなんかは取れたてを食べるとまずくて食えないそうです。なので冷蔵技術の発達してなかった江戸時代は外道だったんですね。

という事で魚は取れたらすぐ野締めしてやる、ちゃんと一発で締めてやる、さばくのは後の話。
その上で命を奪ったものはちゃんと食べるのが供養ですから、ちゃんと食べてやる。
だから「しかし、刺身は大好きです。」は”矛盾してない”です。「魚」と「その魚が成長するまでに食べられた他の生き物」に感謝しておいしく「いただき」ましょう。

あと太陽にも感謝しましょう。
(すべての動物は体内で栄養を合成する事が出来ず、食物連鎖を遡れば必ず植物か藻類か植物プランクトンに行き着く為。つまり私の体も魚の体も全ては「太陽の恵み」。)
んで、無益な殺生はしない、それでいいじゃないですかね^^。

あとちょっと鯨の話・・・。
魚に痛覚があるとして、釣り針で引っ掛けて暴れながら引っ張りまわされるのも痛めつけてると思うんだがどうなんだろう。西洋で人気のカジキ釣りは棒で頭を殴りつけるけど、それはどうなんだろう。
ライオンが獲物をしとめるのに後ろからかぶりついて、そのあと首に噛み付いて、絶命するまでその態勢なんだけどそれはどうなんだろう。
もっと言えば、私は食べる為に命をいただくのはしょうがないと思っているが、西洋ではハンティングと言って快楽(楽しみ)の為に命を奪う、殺すこと自体が目的なのはどうなんだろう?
う~ん、鯨のこと言う人って不思議だなぁ。

ちなみに私はイルカも鯨も大好きだが(食べるほうじゃなく生き物として)、食べるほうは別の話で、別に食文化とか言うつもりもなく、それが利用できる海洋資源であれば利用するべきであり、それ以上でもそれ以下でもないと思っています。
この件について議論するつもりはないのであしからずw。
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この回答へのお礼

父の実家で、生きた魚を捌いてきました。
質問する前とは違い、面と向かって捌く事が出来ました。
『捌く』『頂く』という意味が、何となく分かってきたかもしれません。
そう考えると、1口1口が、とても美味しかったです。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/20 17:39

 生きた魚をさばく事は、漁師や釣りをやっている人以外はほとんど体験しない事だと思います。


 私は、釣りをやっているので実際に生きた魚をさばく事もありますが、さばく魚の顔を見ていると「助けてくれ・・・」と懇願しているような気になる事も多々あります。

 さて、生きた魚をかわいそうで裁けないと言う事ですが、死んだ魚はさばけるのでしょうか?
さばけるのであれば死んだ魚をさばくか、生きた魚を活き締めにしてもらった後にさばいていくかしてある程度慣れた後、生きた魚に挑戦するのも手の一つだと思います。
 又、魚の顔、特に目を見ると魚の感情を連想しやすく、大きめの生きた魚だと大暴れする事があるので、魚の頭を濡らしたふきんなどで隠してやるとおとなしくなるので比較的さばきやすくなると思います。

 魚だけではなく牛や豚、鳥等の肉類、野菜などの植物類を食べる事は食材の命を奪っている事に他ならないのですし、生きる以上必要不可欠な事ですから、命を提供してもらった食材に感謝の意を忘れない事は大切な事だと思います。
その心が食事の前の「頂きます」(「あなたの命を有難く頂きます」と私は解釈しています)という言葉につながっていると私は思っています。

最後は、宗教観が入ってしまいましたが、自分なりの食材に対する供養みたいな事をやってみると生きた魚をさばいた後の気持ちも多少は晴れるかもしれ無いと思います。
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この回答へのお礼

>「助けてくれ・・・」と懇願しているような気になる事も多々あります。
これは、私が今まで感じていた事です。
魚が命乞いをしているみたいで、捌くに捌けませんでした。
そして、血が出る為、痛そう‥‥と思ったのです。
しかし、先日、父の実家に行きまして、思い切って捌きました。
初日は、やっぱり頭を覆ってしまいましたが、「あなたの命を有難く頂きます」と、呟きながら捌いて行ったら、2日目からは覆わずにも捌けました。
そう思ったら、自分がいかに奇麗事で「怖い」だの「可哀想」だの言ってたんだな~と反省。
3日目は、少し大きい魚を捌き、海老にも挑戦しました。

何となくですが、命を頂く意味が分かった様な気がします。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/20 17:45

はじめまして。


質問や回答を読んでいるうちに、回答したくなりましたので、書きます。
質問者様と同じで私もすごく捌く事に抵抗があります。
アジや小型の魚なら、結構抵抗なく捌く事ができるのですが、大型の魚を捌く時は、殺しているという感覚になり、いまだに魚の顔を思いだします。
初めて釣り上げた、大きなグレを捌いた事はいまだにすごく記憶に残っています。
本当に魚の目がグリグリと動き、包丁を突きたてる瞬間、助けてくれと言われている気がして、何度も包丁を置き、自分で殺すか、自然に死ぬのを待つか考えましたが、自分は釣り師になると思い、包丁を立てました、その時すごい暴れて、血がすごく出てきた事がいまだに忘れられません。
そのあと刺身にしましたが、美味しいのですが、何か味気ないというか、味より気持ちが美味しくなかった事を覚えています。
実際綺麗に美味しく食べれば魚が喜ぶとか言われますが、
本当に気持ちよくないものですね。
だからあなたがエゴなど言っていますが、そんな事ないと思います。
しかし加工品ばかり見ているのと、本当に命を直接触れ合うことは重要なことだと思います。
なので回答になっているかわかりませんが、自分の気持ちを素直に受け止めればいいと思います。
そのうちに気持ちの変化がでてくるはずです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
お盆休みに、三重で魚を捌いてきました。
考えがモヤモヤしているときは、葛藤がありましたが、皆さんから回答を頂いたおかげで、無事に捌けるようになりました。
大きい魚も、暴れますが‥‥捌けました。
帰郷すると、加工品ばっかりにしか会えませんが、この魚も生きてたんだなぁと思うと、食べることについて、何となくですがわかったような気がします。
エゴではないってことですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/26 19:15

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