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35歳女性です。先日、実家に行って亡き祖父の電車と一緒に写っている写真を見せてもらい懐かしみました。祖父は旧国鉄職員で秋田や山梨
、北海道にも居たそうです。私が記憶しているのは山梨のみです。写真裏に「北航荷」とか「北オク」、「北スミ」、「秋アキ」、「ユソレ」と書かれていた記号がありました。これらは一体何でしょうか?父は「おやじ(祖父のこと)は秋田で見る「北オク」の文字が感激だ。」とよく言っていたそうです。秋田とその文字は何か関係があるのでしょうか?また国鉄の人事ってよくそんな遠くまで移動させると思いませんか?父はよく転校させられたようです。私の同級生のお父さん達だって山梨県内くらいの異動だったのですが・・・

A 回答 (7件)

「北航荷」


おそらく「北海道総局青函航路荷扱い」の略で、荷物用の車両の行程を表示したものでしょう。
国鉄の北海道総局は昭和25年に釧路・旭川・札幌の3つの鉄道管理局に分割されました。以後は「札航」など釧・旭・札が使用され、「北」は次に示す東京北鉄道管理局を表すようになりましたが、混乱を避けるためでしょうか、東京北鉄道管理局の航送便(青函連絡船に乗る荷物車・貨車です)は「北東航」と「北of東キョウ」の「航ソウビン」言った感じになっています。
また、北海道総局は国鉄の支社制廃止の時に北海道支社が北海道総局になり、札幌鉄道管理局とくっついたり離れたりしていましたが、「北」は東京北鉄道管理局が使用していたため、札幌鉄道管理局の所属は北海道総局に統合されたときも「札」を使用していました。

「北オク」
車両の所属を表したもので、東京北鉄道管理局の「北」と、尾久駅(上野駅の隣です)にある尾久電車区・尾久客車区の略号の「オク」です。
現在はJR東日本の尾久車両センターという名称になっています。
尾久区は東京から北へ向かう特急・急行用車両の多くが配置されていたため、とかく注目される存在でした。
ちなみに、いろいろなところを走る車両ですが、管理上の必要性から、車両それぞれに所属する客車区・電車区が決まっていました。貨車は常備駅という形で表記され、人でいう戸籍のような感じで所属が決まっていました。

「北スミ」
車両の所属を表したもので、東京北鉄道管理局の「北」と、隅田川客貨車区の略号の「スミ」です。
「隅田川」という駅は、荷物・貨物専用の駅で隅田川客貨車区も同じ地域にあり、東京都荒川区南千住4丁目にあります。南千住、三ノ輪駅のあたりですね。
ちなみに、東京鉄道管理局(略号:東)が3つに分割され、東京北鉄道管理局(略号:北)・東京西鉄道管理局(略号:西)・東京南鉄道管理局(略号:南)となりました。もともと東京鉄道管理局の略号が東なのが理由なのか、関東の地形と東京の位置関係が理由なのかわかりませんが、分割の時に東京東(ひがし)鉄道管理局は登場しませんでした。

「秋アキ」
車両の所属を表したもので、秋田鉄道管理局の「秋」と、秋田客貨車区の略号の「アキ」です。
現在はJR東日本の秋田車両センターという名称になっています。秋田駅の南方約1kmの奥羽線沿いにあります。

「ユソレ」
職種名の略号で、輸送指令のことです。
列車の運転に関して管理する人のことですね。ダイヤ通りに運転できないような場合などは、輸送指令さんがいろいろ指示をして正常ダイヤに戻すような仕事などをしています。

ちなみに、電略は電報略号の略で、電報料金は字数で決まっているように、昔は多用していた電報の通信費を削減するために、駅や車両区をはじめとして、いろいろな国鉄の固有名詞に略号が決まっていました。

国鉄の現場の方は、基本的にあまり広範囲にわたって異動することはありませんが(JRのなる直前の頃は別です)、ある程度以上のお偉いさんや、特殊な技能を有しているなどといった場合は、広範囲の異動もありました。

回答においては、鉄道管理局などの変遷などを詳細に記述するととてつもない量になってしまいますので、わかりやすいのではないかと私が思う感じてまとめさせていただきました。
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深夜にごめんなさい。

質問事項ですが、
1.写真裏に書かれていた謎の記号について
これは、その車両の所属する住所を簡単に記した国鉄部内の略号です。
「北航荷」→客車のドア付近にある手差札(サボ)で、この車両は、関東圏から北海道へ行く必要があります、という意味を表す。
「北オク」「北スミ」「秋アキ」はそれぞれ、その車両の所属箇所を表しており、すでに回答されておりますし、「ユソレ」についても、同じく回答されていますから、ここでは省略いたしますので、すいません。しかし、秋田で東京の所属車両を見たら嬉しい又は安堵する時代でしたから、非常に感激すると思います。道中、どんな苦労をしてきたんだろうと自分の人生に重ねてきたかと思います。
さて、最後に人事関係ですが、ご尊父様は大正末若しくは昭和初期採用ではありませんでしたか?その時代は、戦後でよく言われる鉄道管理局内異動というのはあり得ない時代で、更に633義務教育(昭和22年公布)以前の時代は、14歳で当時の国鉄に『庸』(今で言うと雑巾専門係みたいなもの)として採用される時代でしたので、当然ながら鉄道管理局単位異動という感覚はありませんでした。また、東京出身だから東京に希望という訳にも絶対になかった時代でしたから、その文字が非常に感激したかも知れません。
1940年代(特に終戦以降)を境に、職員の異動は学士以上であれば全国異動となりましたが、戦前は北海道から九州及び中国大陸(入営すれば)まで異動範囲がかなり広かったのでねぇ。
ご尊父様、相当苦労をなされたと思います。
すいません。それ以降の言葉で適当な言葉が見つからないので、ここで私からの回答を終わりにします。

この回答への補足

私の祖父は技術系だったそうです。

補足日時:2008/09/14 23:21
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それらは「電略」と呼ばれる車輌基地の略称ですね。



国鉄の車輌の検査や修理をするための車輌基地は、全国各地にいくつもありました。そして電信などで連絡を取り合うときに正式名では長すぎて不便なので、それぞれに略称が決められていました。写真に書いてあるのは、おそらくその写真を撮影した基地の略称だと思います。

一方、国鉄のすべての車輌には、その車輌の検査や修理に責任を持つ「所属基地」が厳密に決められていました。そしてその車輌がどこの所属なのかすぐにわかるように、一輌一輌の車体に所属基地の略称を書き込んでありました。今でもJRの車輌をよく見ると、車体の隅にちゃんと書いてあります。

「北オク」とは、東京の上野の近くにある尾久客車区という車輌基地の略称です。つまり車体に北オクと書いてあるということは、その車輌は通常は東京周辺を中心に活躍している車輌だということです。それがはるばる秋田までやって来ているのだと思うと感動的だということでしょう。
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写真裏に書かれていた「北航荷」、「北オク」、「北スミ」、「秋アキ」、「ユソレ」とは皆さんの回答通りですね。



ちなみに、「北航荷」は北海道総局青函航路荷扱だったような気がします。

旧国鉄人事は基本的に各鉄道管理局採用でしたので秋田、北海道、山梨と転勤になる事はなかったと思いますが、もし、おじいさんが本社採用だったらこのような転勤もあったかも知れませんね。
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「北オク」というのは、東京・上野駅の少し北にある、尾久の車庫に在籍している客車だということです。

秋田でそれを見るということは、上野からの特急、或いは、急行列車であると思います。昔の長距離列車は地方では看板列車ですから、地方勤務の国鉄職員ならそれなりの感情を抱くのではないかと思いますよ。

旧国鉄の人事異動に関してはよくわかりませんが、設備の更新や路線や列車の廃止などが理由の場合もあります。当方の職場にも、北海道出身の元国鉄マンがいらっしゃいます。

#蒸気機関車が電気機関車になれば、それだけで不要になる人員がいますので。
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http://homepage3.nifty.com/jnrpc/P-train/PC-RYAK …

客車の所属標記というようです。
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「電略」で調べるといろいろ見つかるとおもいます。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%A0%B1% …
輸送指令=ユソレ
などなど。
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