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皆さんこんにちは。

先ほど一番右下のカテで、ある回答を見ていましたら
「この世界に悪は存在しない」という感じの回答が
ありました。
そしてその回答に賛同する人も何人かいたのですが。。

しかし「悪」というのは、殺人や強盗などの犯罪なども
そうでしょうし、人に故意に迷惑をかけるのも「悪」だと
思います。普通に「悪」は世の中に多いと思います。

では「この世界に悪は存在しない」というのは、いったい
どういった悪の事を指すのか、わかる方いらっしゃいますか?
推測で結構です。考えられることがあれば教えてください。

A 回答 (17件中1~10件)

善悪というものは相対的なものだからです。


AとBが争っていたらお互い相手が悪でしょう。
もしも絶対的価値観があるんだったら(神とか)そこから善悪を付けられるでしょうが。
もうひとつは”性善説”的な悪は存在しない、かな。
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この回答へのお礼

こんにちはー

性善説ですか。
私は無学なもので初めて聞きましたが、
大変参考になります。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/21 08:47

では「この世界に悪は存在しない」というのは、いったい


どういった悪の事を指すのか、わかる方いらっしゃいますか?

ここでいう悪とは自由と自由の相克による悪ですね。他の回答にもある相対的価値観から来る悪ですね。例えば国家間の戦争などは自由の相克ですね。悪とはいえないものですね。個人でいえば、大声で歌うことはいいことですが、人・時・場所を間違えると悪になりますね。渋谷の駅で突如として大声で歌い始めると間違いなく交番に連れて行かれますね。このように個人や集団間の自由の相克として生まれる悪については善悪の悪とはいえないものですね。
善悪の悪は、前向きに人や社会を困らせてやろうとして起こすものですね。これは相対的なものではないですね。恣意的・意図的という意味で悪も悪人もいるわけですね。
交通事故でたくさんの人が亡くなりますがほとんどは事故ですね。加害者を悪人とはいわないですね。車による保険金殺人なんかは悪意をもってですから悪・悪人ですね。
ということでこの世に悪がないわけじゃないですね。しかし、何とかは悪だということがいつも正しいわけではないと言うことでしょう。
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この回答へのお礼

こんにちはー

あ、なるほど。
世間一般で言われている悪の中にも、
必ずしも悪とは言えないこともある。という事ですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/21 08:51

「羅生門」の世界ですよ。


中学校の1年でやったでしょ(小生都内の某私立出身なの
で公立はよく知らん)。授業で先生が教えてくれた
通りです。あの作品を読むか価値ってのはこんな質問を
考えるときに分かるんだね。
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この回答へのお礼

こんにちはー

あ、なるほど。
悪は社会的なものが生んだことであって、
その人間自体は悪とはいえないと言う事ですね。
確かに、裕福であれば、あのお婆さんも、下人も悪事を
働いていないはずですよねー

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/21 08:55

「性善説」


先の回答者さんにも書かれた人がいますが、人間の本性は「善」であると考えるのが「性善説」です。

「殺人」や「強盗」、人に故意に迷惑をかける「悪い人」も、生まれた時から、そのような「悪人」では無いと考える説です。

私の推測ですが、
「この世界に悪は存在しない」
を、
「この世に、生まれながらの『悪人』は、存在しない」
と、修正した方が分かり易いと思います。
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この回答へのお礼

こんにちはー

たしかに人は生まれながらにしての
悪人はいないと思います。
その後の環境や状況がそうさせるのですねー

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/21 08:57

殺人や強盗などの犯罪などもその人にとって人を殺してでも得なければならない重要な理由がある=その人にとっての正義になりえます。


お金がなきゃ自分が死ぬ。人を殺してお金を奪うことは防衛ではないのか?なんてね。

最近話題のテロ(普通に考えて悪ですよね)が、彼らにしてみたら自分たちの正義と信念に基づいて行動しています。それこそ命を懸けてです。
攻撃される我々から見れば悪ですが見方によっては彼らの行動が正義になる。

宗教もそうです。十字軍なんてのがありましたが異教徒を殺せば神の国に近づくなんて教えの下イスラム人を残虐した彼らは本気で神を称え信じている善良な人々だったりします。

悪は存在しない。これは見方によって悪にも善にもなる事象はあっても悪としか見れない事象は存在しないってことでしょう。

実は人は憎しみよりも正義のほうが残虐になれるんです。
憎しみは憎む対象を必要とします。しかし、正義は対象を必要としません。自分の思う正義に反するものは皆敵になるんです。
人は正義ゆえに人を殺すなんていったら悲しいですよね。
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この回答へのお礼

こんにちはー

憎しみよりも正義のほうが残虐になれるのは、
そのとおりなのかも、しれませんね。

正義は盲信のところがりますから、信じる力は
強い、ということですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/22 12:16

悪というのは「良くないこと」だと思うのですが、誰かにとって良くないことが誰かにとっては良いことだったりする場合が案外多いわけで、たとえば社会的な悪にしても、その時代の社会に生きる大多数によって「これは良くないことだ」という合意が得られていること、にしか過ぎないのでしょう。



戦争で多数を殺せば英雄ですし、個人的理由で(複数の)人を殺めれば(日本の場合)基本的には死刑という国家的殺人が容認されています。
殺人を犯したという理由で国家によって殺人されるわけです。
理屈になりますが、殺人を悪とすれば、良くないことをした人が良くないことをされることになります。
殺人者も、それを処刑した国家も悪であるということになります。

しかし、現在の日本では死刑は悪いこととはされていません。
悪いことしたのだから殺す(という良くないことをする)のも致し方ない、という考え方なのでしょう。
死刑の例を持ち出さなくても、他者の不利益になることをした人に対しては、ある程度の(通常では許されていない、つまり、通常では悪と認識されているような)報復が為されるのもやむを得ないという暗黙の了解に私たちは従っているように思います。

結局、「悪」という概念は、個人的な都合によって規定されるものではないか、という気がします。
ヒトラーによるユダヤ虐殺にしても、現在でこそ悪とされていますが、当時は堂々と認められていたばかりではなく、同調する(日本やイタリアのような)国家も存在していました。
企業で社会的悪を確信犯的に犯す会社員にしても、家族にとっては、無くてはならない守護神であったりすることでしょう。

どのような場面でかはわかりませんが、「この世界に悪は存在しない」という言葉が、
神ならぬ人間が「絶対的な悪」というものを規定することは不可能(あるいは、難しい)。
という意味で使われていたのならば、なんとなくわかるような気はします。
 
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この回答へのお礼

こんにちはー

ヒトラーは自殺、ナチス幹部は戦犯にかけられた
わけですが、ヒトラーの野望が成功し第三帝国を
築き、現在も君臨していれば、ヒトラー、ナチスの
やったことが正当化されているかもしれませんね。

そう考えれば、人間の枠の中でしか悪は存在しない。
人間の持つ概念で、それが正しいかどうかなどは
わからず、それが本当に悪なのかどうかは疑問が
残るということですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/22 12:26

流行の新聞記事の解説から始めます。


事故米騒ぎ。
現在の日本政府には米のミニマムアクセス、海外からの輸入が国際的取り決めによって義務となっています。
事故米はほぼ全てが輸入米です。
政府が予め事故米を承知で輸入した可能性は、国際的信用の観点からゼロパーセントに近いです。
農業と言う産業を維持するために事故米のレッテルを貼って用途を限定したに過ぎません。食べても安全です
この新聞記事の語ることはどこにも悪党も罪人も欲張りも居ない、その証明です。

ところが世間は世の中に悪が居なくてもつい悪人を作ってとがめたがる。(生贄)
これは言わば自分自身が悪意たるフィクションを内包しているゆえです。
この苦しみを逃れるのが哲学カテの他の方の質問で盛り上がっている(明白な)「偽善」です。

結論は、
もし悪人が居るならそれは自分自身のみ。
人間は未だ生贄を必要としている。
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A7です。


蛇足ですが。
事故米を転売した業者は悪か?
政策に翻弄された生贄です。
仕組んだ政府は悪か?
しらばっくれてる偽善者ですが悪ではなく主権在民の立場の生贄です。
ミニマムアクセスの取り決めは悪法か?
自由の理想にささげられた生贄です。
高コストの日本式農業は悪か?
生存に必要不可欠な産業です。経済的には生贄のごとくいつも槍玉に上がっています。

きりが無いのでこの位にしておきますが、悪はとことんフィクションです。
それでも悪の存在が信じられるのなら(多分そうですが)自分だけが悪です。
この苦は、逃れるのではなく理解することでようやく雲散霧消します。
それが前向きに考えることです。
実のところ「善」も頭の中だけのフィクションです。
善は悪と戦って対消滅する運命です。
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この回答へのお礼

こんにちはー

あ、なるほど。
悪などないのに、人間の心の中で悪を
創ろうとしている。ということですね。

善悪を超えた、仕方がない事情というのが
確かにあります。
戦争なのがそうなのかもしれません。
私は戦争は悪と思っていますが、本当は
善悪を超えた、生存していくための、
いたしかたない手段なのかもしれません。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/22 12:40

自分だけが善です。



自分は決して悪をすることができません。

その行為を世間、常識、道徳、倫理、宗教、哲学、教育、法律などが
悪だと言っても、たとえ、自分自身が、上述のもろもろが悪であると判断していることに悪意だったとしても、
さらには、自分自身さえ悪であることを感じてさえいたとしても、
その行為の実行は、その時点において自分自身にとって善であるという
ことです。まぁ、善というかやった方が良いことですね。

>考えられることがあれば教えてください。
悪の存在否定にはなっていませんが、人間は、自己犠牲も含め、自分にとって善でないと行動しません。そういう意味ですべての行動は善である。つまり、悪はない・・・・と考えられることは考えられます。
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この回答へのお礼

こんにちはー

あ、なるほど。
悪の行為をして、他人には悪事と思われても
自分自身にとっては、それは悪ではなく善という事ですね。
ゆえに自分自身は悪いことができない。と、いう事ですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/22 12:58

あなたが、殺人犯を裁いて処刑したとしましょう。


これは善ですか?それとも悪ですか?

実際の物事は、善悪では絶対に割り切れません。
しょせん「悪」というものは、人間が人間を「裁く」ことを
正当化するための便利な概念にすぎない、という事です。
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この回答へのお礼

こんにちはー

あ、なるほど。
もともと、人間が人間を裁くことは、疑問がある。
ということですね。

人が集まれば、秩序を保つために法が必要になりなる。
そして、法を守らなければ罰則を与える。
これは、これで人間社会を構築するためには仕方が
ないことだともいえますが、その反面人が人を裁くと
いうのに、違和感というか、疑問を持つ考え方もありますよねー

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/22 13:05

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