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自動車運転免許を取得した学校で、
「時速35kmを越えるあたりから、人間の判断能力は周囲の変化についてゆけなくなる」と聞いたように思います。
もしそれが正しければ、時速50kmの幹線道路はかなり危ない場所ですね。

スローライフという言葉も定着してきたので、
試みに制限時速40kmの車社会について考えてみたいのです。
事故数への影響だけでなく、社会の他の面への波及も含めて
なにか思うところがおありでしたら、ぜひご投稿ください。

A 回答 (14件中1~10件)

>「時速40km」で事故数を減らせる?



減らせると思います、
この位の速度でしたら、瞬時に停車させやすく、ハンドル操作で安全に余裕持って危険を回避できる速度範囲です。
実際に、そう思えるのは35~40キロまででしょうかね。
それ以上になると、間に合わないし、危険回避のために周囲も巻き込みかねません。
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この回答へのお礼

yakiimopさん、こんにちは

自分の運転席から得た感覚では、私も同じ意見です。
そしてまた、のんびりしたスピードで走る快適さというのも
場所によってはありますね。

事故になる局面では、最終的にはその場にいる人の回避能力で結果(身体へのダメージ)が変わってくるのかと思うと、たとえば制限速度を5kmくらい下げてみるのもよいのでは、と思うのです。

ご回答ありがとうございました。よかったらまたどうぞ。

お礼日時:2008/09/27 12:41

私が思うに、制限速度も大切ですが流れに乗る事も大切ではないかと思います。

たとえば幹線道路ですといくら制限速度が50キロでも皆が70キロで走っているなら70キロで走るのが安全だと思います。

また、幹線道路に原付がいたり、バイクがいたりして車線変更を日っきりなく繰り返していますよね。もちろん車もそうです。また、わき道から幹線道路へ出てくる車がいますよね。幹線道路からすると左車線になるわけでキープレフトしていたバイク(単にすり抜けしていたバイクですが)それが左から中央へ膨らんできます。それをよけるなどして事故が起きます。車(原付、バイク、軽自動車、小型乗用車、中型乗用車、大型乗用車、普通トラック、大型トラック、バス、特殊自動車などなど)は種類が多すぎます。スローライフが定着したのなら、エコライフも定着していますよね。後部座席のシートベルトをチェックするよりも車自体を統一化するべきではないかと私は思います。

もちろん、トラックなどの商業車は別ですが、個人の乗る乗用車に軽からベンツまで本当に必要なのかを考える時期に来ているような気がします。
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この回答へのお礼

5gashiraさん こんにちは。

流れについては、わたしは違う意見を持ちました。
もちろん例としてあげられているケースですが、制限速度50km/hのところを70km/hで走っているのは、表面上何も起きていなくてもとても危ういと思います。その状況で急ブレーキを踏むことを考えると怖いので、私ならば徐々に減速してそのグループから離脱しようとするでしょう。
自動車の流れは信号機で停車のたびに仕切り直しにはなりますが、結構な長さで影響しあっていると思うのです。ですからある地点・時点での無理が皺寄せとなって別の時点・地点での事故として発現することもあると思っています。

スローライフはエコライフから派生しているような言葉で、耳には慣れてきましたが実際にはエコライフほどには浸透してはないと思います。でもどちらもこれから意味のある考え方だと思います。
ですので、個人的には車選びの際には「快適性」より「エコフレンドリー」が高い要件になりますが、大衆車に環境にやさしい仕様や技術を持ち込む前提に高級車での開発があるようで、意味もあると思っていたのです。
ですので、車種を少なくしてゆくというご提案はとても新鮮に感じました。そのことが 事故数の減少を含めて広い意味でのエコロジーにどのように役立ちそうなのか?その部分をもう少しお聞かせいただkればうれしいです。

ぜひまたご投稿ください。

お礼日時:2008/09/27 14:34

40キロなら死亡事故は激減します。


事故も間違いなく減ります。
ただ、一般道路に限ってのことと思います。

スピードが遅くなると60キロで走っていたとしたら、
1時間で20キロ距離が違うので、会社の経営効率が悪くなるだけで、
それほど影響はないと思います。
ただ、自動車メーカーは高性能が言えなくなるので、
高級車の売れ行きは大分落ちると思います。
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この回答へのお礼

mat983さん こんにちは

細やかにお考えくださりありがとうございます。ご指摘の通り
「死亡事故が減る」が確かにこのブレインストーミング(と私は思っています)の中心にある目的なんです。
自動車事故でのスピードという要因に着目しているわけですが、
(1)事故原因としてのスピードと、
(2)事故での人体への影響力としてのスピードと、
確かに二つの側面がありますね。

>ただ、一般道路に限ってのことと思います。
高速道路ではあらかじめ、歩行者なし、対向車線なしという環境がととのっているから(後者はないところもありますが)、一般道路での効果しか期待できないだろうという意味だと解釈しました。
逆にわたしも高速道路のことは考えに入れていませんでした。

幹線道路での交通ルールを共有している全体でスローダウンすることが前提なので、スピードを差別化の手段にしているサービスでも、業種内での競争力には影響はないのでは?と思っていますが、どうでしょうか。

また ご意見聞かせてください。

お礼日時:2008/09/27 15:16

事故数は激減しますし、死亡者も減るでしょうね。




ただ、今思いつくだけで

・車関係の保険をメインにしている保険会社の倒産
(入ってくる保険収入に対して、出て行くお金の方が上回るのではないか?)

・物流システムの崩壊
(高速を100キロ超えで走って、一般道も60~80位で走ってるから成り立ってるのは周知の事実)

・物流システムの崩壊による現代的生活の崩壊
(多分コンビニが成り立ちません)

・JRや航空会社による殿様商売
(特急、新幹線や飛行機等の価格高騰が目に見えてます)


などなど。
何のメリットも無いのではないかと。
私は車社会否定派ですが、そんな事する位ならばいっそ今の2種取得に相当する試験を合格できない人間には免許を与えない、という形にした方がよっぽどメリットがあると思います。

それに伴い、公共機関を今よりもっと細分化すれば個人で所有する台数も減り地球環境に対しても少しは貢献できるのかなと。


上にも少し書きましたが、たかだか2週間~1ヶ月程度の教習をクリアしただけの人間に人を殺す凶器になりうる機械を使える資格を与えているのが問題なのです。

ゴールド免許だからって運転が上手い訳ではないし、明らかに凶暴的な性格だったり、車の運転センスが異常に無い人間だって現実にはいます。そういった人間に免許を与える必要があるのか?と私は思います。
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この回答へのお礼

kaimu1さん こんにちは

生活への影響についてご指摘くださり、とても参考になります。

保険会社についてですが、自社の収支に影響するほど事故件数減少の兆しがあれば、そうした社会のニーズにふさわしい保険商品を開発するのではないでしょうか?逆にビジネスチャンスになりませんか?
(そういいつつちょっと苦しいです。実例を考え中です。)

一番直接影響がありそうなのがそれに続く2件だと思います。(すみません、少しまとめさせていただきました。)
>(1)・物流システムの崩壊・物流システムの崩壊による現代的生活の崩壊
>(高速を100キロ超えで走って、一般道も60~80位で走ってるから成り立ってる>のは周知の事実)
>(多分コンビニが成り立ちません)

>(2)JRや航空会社による殿様商売
>(特急、新幹線や飛行機等の価格高騰が目に見えてます)

高速道路を従来の規制から変更なしで利用する、とすると、そこからおりてからの交通上でのタイムロスはそれほど大きく響かないのでは?と思います。

メリットは、交通事故によって人生を狂わされる人が減る可能性がある、ということです。ですので、質問はこういう形で提出しましたが、交通事故を減らすいい方法はないかな?というのがほんとうは知りたいことなのです。車を使う以上は、凶器にならないように使用することが最低限度のルールだと思うので、それならば使う人の責任ということで全体で必要な不便(たとえば時速40kmの交通網)を受け入れて、事故で犠牲になる人を減らせないかな?というのが私の考えたことです。

ご自身が車社会否定派ということで、私もそちらに近いです。そうした志向と裏腹に、車での移動へのニーズは当分の間あると思います。老人・ハンディのある人・病人など、弱い人には車はありがたいものです。
過渡期の間に自分の人生は終わりそうですが^^、公共交通機関網の洗練は都市部から実現されている途中と聞きます。徐々に自然に運転免許免許は限られたものになってゆくかもしれませんね。

またご意見を聞かせてください。ご投稿ありがとうございます。

お礼日時:2008/09/27 16:50

 それってすべての運転者が制限速度を順守することが大前提ですよね。


 制限速度でそういったことを考える場合に、「制限速度を守らせる」システムが必要ですよ。車自体に仕掛けを設け一定速度以上にはならない方法とか、そういったものが必要です。

 また幹線道路を指摘されていますが、住宅街などの道路と、いわゆる「優先道路」を速度面から並べて議論するのは非現実的ですね。
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この回答へのお礼

おしえてQさん^^?こんにちは

おっしゃるとおり、速度を変えて制限しても、実行しなければ事故は起きると思います。しかし事故の内容は変わってくると思います。

ところで、ルールがまもられないせいで年間100万からの人が交通事故で死傷するのでしょうか?(この数字はおおきくてぎょっとしますが、うちわけな多くは軽傷者であり、死者は6000人弱だそうです。平成19年数字。減少の傾向ということでまずはよかった。)
わたしはドライバーの多くは良識があると思います。報道で大きく取り上げられるような悪質なドライバーは一握りだと。ただし悪意はないが一瞬うっかりしたためにルールをたがえてしまい、事故につながるということはよくありそうです。
それならば、問題はルールを守る意識以前ではないか?標準的なドライバーを想定しても現在の一般的な車の使い方が適切ではないのでは?と疑っているのです。

制限速度を強制的に護らせる機械は具体的な処方ですね。実際類似の機能を備えた車種があると聞きますし、路面に施設する自走誘導システムも開発されているということなので、両者補完する形で高速道路から導入されてゆくのではないでしょうか。
しかしそうなるといずれは「運転する楽しみ」はなくなりそうです。
運転する楽しみは自由の楽しみで、セットになる義務は公道を走る場合は「交通ルールを守る」です。
人間の理性や思いやりもルールを守るシステムだと私は数えたいのですが、そうするのならば無理のない速度規制を提示し、人を護ることも大切になってきます。

>また幹線道路を指摘されていますが、住宅街などの道路と、いわゆる「優先道路」を速度面から並べて議論するのは非現実的ですね。
幹線道路には優先道路とそうでない道路がある、というご指摘ですね。
優先道路では利便性・速度を重視し、それ以外では安全性を重視視するなど、制限する速度も調節すべきとの御意見と解釈しています。

そうですね、まずはどうしたところで事故が起きているのかを知るべきです。
参考になりました、ありがとうございます。またどうぞ。

お礼日時:2008/09/27 21:36

単純な速度制限論議は意味がないように思います。



事故はなぜ起こるか。速度が高いからうんぬんより、
速度差が大きい場合に起きやすいと考えるべきでしょう。
そういう意味では速度制限は有効な手段ですが、
絶対ではあり得ません。

まずは人車分離。を実現すること。です。
これが実現すれば重篤な人身事故は激減します。
新興の大規模ニュータウンなどではある程度実現されています。

次に、生活道路と幹線道路、都市間道路の分離です。
生活道路では人間優先、制限速度は10キロ程度、クランクや
道路上の凸凹などを設けて、徹底的に歩行者に安全なスペースを作る。

幹線道路では逆に歩行者を極力排除します。

都市間道路では、極力信号を失くし、歩行者は立体交差のみで道路を渡り、
車の流れを重視して制限速度は60-80キロ程度とします。

今の日本の都市計画は各種法整備やグランドデザインが無茶苦茶なので、
幹線道路が大渋滞で、生活道路を抜け道代りに暴走する車があるなど、
かなりお粗末です。また主要幹線道路でもせっかく2車線道路を
作っても、無用な信号をたくさん作ったり、大型店舗の出入りで
交通の流れが阻害されたりなど、事故の遠因を作り続けています。

時速20キロでも人を撥ねたら死ぬことがあります。
かなりの衝撃です。私的にはこんな状況が街中にころがりまくっている
状況のほうがよほど怖いですね。
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この回答へのお礼

narara2008さん こんにちは

整理されたご意見をありがとうございました。
お願いがひとつ。
もしよろしければ

>まずは人車分離。を実現すること。です。
>これが実現すれば重篤な人身事故は激減します。
>新興の大規模ニュータウンなどではある程度実現されています。

この事例(地域名)を教えていただけませんか?とても興味があります。
関連する情報を調べて、ここにリンクを掲示させていただきます。

こちらは鉄の枠の中で護られていながら生身の人にぶつかってしまいたくはありません。立場が歩行者側であっても同じです。人車分離によってその危険が減ることはよくわかります。高速道路で運転スピードにもかかわらずそれほどストレスがかからないのは、前方に進行するすることに気を使っていればいいからです。
幹線道路ではそうはいかない現状ですが、どのように改善されつつあるのか、知りたいと思います。

また、最後の一連がとても印象的なのですが、これは生活道路での自転車の振る舞いについて及んでおられるのでしょうか?とても実感がこもっているので、失礼ながら交通被害にあわれたのだろうかという印象を受けました。

私自身は無事故ではありませんが、重大な事故や人身事故を起こすことはなくここまできています。身近に事故にあった人もいません。でも、自分が運転者として交通の流れに入っていくときにはリスクをひしひしと感じます。一番怖いのはやはり他人を巻き込む事故の加害者になることです。そうした事態を避けるためにも、安全な運転速度という視点は持ち続けたいと思っています。

お礼日時:2008/09/27 22:39

人間が頑張って走る速度くらいが周囲状況を判断可能な速度というようなことでしょう。

(40キロでは走れないかもですが)
チーターなら100キロくらいとか。

でも状況に合わせて進化してきたのも人間です。
宇宙や深海に行くのは普通は不可能ですがそれ相応の技術装備規則によって可能としているのです。

40キロならば確かに安全性は増しますが物流流通移動時間にデメリットがあり、
現在の車や道路の能力を大幅に下回っています。

つまり現在の車や道路の能力を考慮したうえでソフトハードの整備をすすめたほうがより効果的な事故対策でしょう。
80キロで走っても人間の能力で認識可能で安全な車社会を作ったほうが安全快適で良いということです。

ちなみに現在の制限速度は車が走り始めた大昔のままの速度が多く、
それはいろんなしがらみによって実情に即していない状況となっているようです。
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この回答へのお礼

katugenumaさん こんにちは。

オリンピックのマラソンランナーのレース中の平均時速が20km/h,,陸上男子100m決勝が40km/.h位です。私が心から安心して自動車を運転できる最速は20km/hです。走るべきか?しかし高速道路でなら80km以上でも心理的に抵抗もなく、過剰なストレスも感じません。幹線道路で50km/hで走ると、せかされている感じがして、見落としが多いなと思います。安全に自動車を運転するためには確かにソフト(規制・制度)とハード(道路自体とその周辺環境)、そのよい組み合わせがとても重要だと思います。

しかし人の移動手段としての自動車に限れば、これ以上の速度が必要か、疑問です。所によってはもっと遅くてもいいのではないかとすら思っているわけです。実際、幹線道路40km/h制限を考えた場合の問題点は「物流システムへの弊害」との回答が主でした。
では、少し先の未来になるかもしれませんが、物流システムが交通網から独立したらどうでしょうか。ニューマー(空気圧による移送)網の整備は技術力を使って行うことが可能ではないでしょうか。

少し前に日本のメーカーがPOYOというコンセプトカーを発表しました。車の性能の意味合いも変化してきたなと感じました。車社会を共有する乗る人・乗らない人が、どちらも命がけにならなくていい便利を実現するのが快適な車社会だと思います。路上に倒れている事故被害者が後続車にはねられるという悲惨を回避するには、ドライバーには視認し判断しブレーキーを踏む時間が必要で、その余裕を保証する速度規制を提示できることは、制度の成熟といえると思います。
遅くなることですが、ここでは進化とないでしょうか。

>ちなみに現在の制限速度は車が走り始めた大昔のままの速度が多く、
それはいろんなしがらみによって実情に即していない状況となっているようです。
この部分は私にはわかりにくかったです。実情にかなった制限速度はどのようだとお考えですか?よかったらまたお聞かせください。ご投稿ありがとうございます。

お礼日時:2008/09/28 14:28

#4です。



>>そこからおりてからの交通上でのタイムロスはそれほど大きく響かないのでは?

いやいや。
そんな事は無いでしょう。
都市部だけで考えればおっしゃる通りだと思いますが、過疎地の環境を考えると40キロという規制は影響は少なくないと思います。
そのような考え方では地方軽視の今の政治と何も変わりません。


先にも述べましたが、事故を減らすには免許交付条件の厳格化、必要の無い免許を無駄に交付しない、という方法を取らない限りあまり効果は無いと私は思います。
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この回答へのお礼

kaimu1さん 再びこんにちは。

おっしゃること、わかってきました。
地域の状況を無視していっせいに同じ規制をするのは非現実的な押し付けになりかねませんね。
たとえばこの話題でいえば、公共交通期間の利便の薄い過疎地のほうが自家用車への依存度は高く、かつ事故にあうリスクも少ないのだから、速度制限をしても望んだ結果は得られないし、住民の移動にかかる時間が増すだけ、ということですね。
ご指摘ありがとうございました!

さてもしももう少し お付き合いいただけるならば.....。
ご回答くださっている方のうち、免許制度にフォーカスしておられるのがkaimu1さんだけなので、ご見解を伺いたいのです。
現行の免許制度のよくない点はどこですか?そういわれてみれば、免許を更新するときにはもう少し実質的なチェックがあったほうがいいと思います。
必要のない免許というのは今のところぴんと来ないので、こちらも補足していただければうれしいです。

ご投稿ありがとうございます。

お礼日時:2008/09/29 20:18

NO6です。



>この事例(地域名)を教えていただけませんか?

例えば、私が昔住んでいたこともあるのですが、
大阪 堺市の泉北ニュータウンです。
http://www2.sakai.ed.jp/takeshirodaihigashi-e/ne …
自宅から最寄駅までの2-3キロの区間を車と遭遇することなく
歩くことができました。ある一定エリアは完全分離の歩道が続きます。
住宅エリアは入口が一つで、全エリアがそのような作りになっているため、
抜け道代りによそ者が入り込んでくるということがありません。
住宅エリアに入ってくる車は住民だけであって、みな、静かに走っています。
また、ニュータウンから近隣の街までは信号のない二車線道路が
20キロ程度続きます。一般道ですがみな50-80キロ程度で走っています。
こことて完璧とはいえませんが、一つの理想形ではあると思います。

>これは生活道路での自転車の振る舞いについて及んでおられるのでしょうか?

実は自転車に乗っていて車にはねられたことがあります。
時速5キロ程度でよそ見しながらUターンしてきた車でしたが、
ものすごい衝撃で、10年以上たった今でも痛みがぶり返すことはあります。

ときたま耳にするのは歩行者は被害者だから撥ねられたら車側が
すべて弁償してくれる。とまことしやかに信じて疑わない人が意外と
多いことです。確かにある意味では事実ですが、過失相殺というものが
あるということを知らない人が多すぎて怖くなります。
走れない身体、働けない身体になる人もいるというのにです。

私が怖いのは車がよけてくれるものと思いこむ自転車、歩行者です。
狭い道でのすれ違いでも平気で友達同士ふざけたり、立ち話に夢中な人、
平気で飛び出す人が多いということです。これは子供大人関係ありません。
今日も道の真中に飛び出してきて、道の真中で固まったおばさんと
おばあさんに遭遇しました。

現在の住居地が軽同士も対抗できない狭い道が抜け道となっており、
その道を他地域から入り込んだ車が時速40キロ以上の猛スピードで
すっ飛んでくるのですが、(これは対向できるスペースまでダッシュしないと
対向できずに行き詰まるという理由があるからなのですが)
それにもかかわらず上のような状況です。
私は住人なので徐行すべきところは、指示、標識にかからわず徐行します。

といっても法定速度を順守している優良なドライバーというわけではありません。
若いころはバイクで峠道で100キロのスピードで転倒したこともありますし、
今でも長距離移動は140キロくらいで巡航することもあります。

要はメリハリのある運転ができるようにしないと危ない。ということです。
埼玉で40キロくらいで走っていた車が、幼稚園児に突っ込んで死傷させた
という例がありましたが、これも生活道路に都市間移動の車が入り込んで
きたために起こった事故の一例といえるのだと思います。
カセットテープを操作していた運転者が悪いということだけが取り上げられていますが、
状況が違えば車同士の接触事故で済んだはずなのです。極論ですが。

いきなりは無理でも、そのようなコンセプトの道路づくり、街づくりが
長年続けば、理想に少しでも近づくのではないかと思う次第です。

さらに極論をいえば、歩道のないところで歩行者が歩いているところは
車は時速10-20キロで走るくらいがちょうどいい。ということです。
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この回答へのお礼

narara2008さん こんにちは。

先進的な交通環境とそこまで至らない地域の両方で生活されたご経験、また運転を楽しむ気持ちと事故のご体験が、奥行きのあるご意見の基だと思います。

泉北ニュータウンについては今回はじめて知りました。現在お住まいの方が、ご自分の美しいHPの中で一部町の様子を紹介されています。許可をいただけたのでURLを掲載させていただきます。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/1891/nt.html
町の様子が伺えます。静かそうですね。また地図ですが
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&geocode= …
これが一周約1時間で走るという環状線だろうと思い、あげました。この中に信号なしの20KM長の一般道路があるのだろうと探しているところです。その道路の存在が驚きでした。narara2008さんのお話から察すると、50~80km/hで皆がそこを走っているのは違反だが、実際に人通りがないので事故も起こらない、ということだと思います。「速度を下げれば事故数は減る」に対するとてもよい反例です。高低差のある地形を利用して立体交差を多く取り入れ、人車分離を行ったとか。ですから、おそらくその道路も多くの箇所で人や自転車用の道路に跨がれている(あるいはその逆?)のだろうと思います。歩く人達の長距離移動のためには公共交通機関があり、接続もよさそうです。住んでいる方には安心できる快適な環境なのではないでしょうか。
こうした計画都市は丸ごとどの地域にも応用できるとはいえませんが、人車分離という基本のコンセプトは地域の特性に合わせて実行可能だと思います。いずれにしても車のための道路が十分にある今、本当に必要なのは快適な歩行者専用道路網ではないかと思いました。
(人車混在の環境での歩行者の責任について)
私はやはり「車に乗っている」側に多く責任があると思います。現行の保険上・法律上の考え方は車に有利になってはいないか?との疑問があります。

今回のお礼はあえて質問のテーマからそれたまま終わります。多くの方に読んでいただきたい回答をありがとうございました。まだしばらく公開していますので、またご意見お聞かせください。

お礼日時:2008/10/05 14:59

一つの感触?方向?としては、とは思います。



ただ、なにぶんにも人の集まりですから、そうひょっこりとは現れないんじゃないかと。

ぼくは、条件付きというより、もっと当たり前の?もっと普通の?、ものが現れる可能性を待ちたい気持ちが強いです。
具体的ではないけれど、そのくらいしか、今、イメージできていません。

自分も含め、ひとりひとり次第のような気がしていますので、そこが気になっているところではあります。
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この回答へのお礼

reebaububeさんこんにちは。

御礼が遅くなり申し訳ありませんでした。
失礼ですがこの回答は誤送信でしょうか?
そうでなければ、もう少し具体的なご意見を聞かせていただけるとうれしいです。

ご投稿ありがとうございます。(といっていいのかどうか悩んでいます)

お礼日時:2008/10/05 15:24

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