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例えば戦国時代などで多くの戦いが日本全国で行なわれたと思いますが、その多くは決着がつくまで数週間とか数ヶ月とか時間がかかっていますよね? 特に相手が籠城した時などは長期間にわたる戦いになったように思います。 今と違って結構ノンビリした戦いだったと思います。 その時の兵士の毎日について質問です。

1. まず寝る時はどうやっていたのでしょうか? 今のようにテントも寝袋も無い時代です。 やはり鎧・甲冑をつけたままで地面に横たわっていたのでしょうか? その場合、夏はいいとしても冬は?

2. その寝る時なんですが、総大将や上層部の武士はどうなんでしょうか? やはり下級武士と同じように寝ていたのでしょうか? あるいは何らかの形で布団に入れるようにしていた?

3. 例えば今川義元は何万の大軍を率いて都に上る途中で織田信長軍により倒れましたね。 その今川軍なのですが、何万の兵士に毎日食べさせられるだけの米を一緒に持っていったのでしょうか? となると、膨大な量になると思うのですが ・・・ 何万人 x 3食(2食?) x 総日数という事になりますよね。

もし基本的に毎日毎日、現地で買付けする事が念頭にあるのなら、もし敵方ばかりで誰も協力しなかったら、どうなるのでしょうか? その場合は力づくで?

4. 風呂は? 着替えは?
風呂については、おそらく濡れた手拭いで体を拭く程度だったかなと思うのですが、長期間になると髪に虫がわいたり衛生上の問題が出るように思います。 また着替えについても戦闘が無い時に自分で川で洗濯したのかなと思いますが、実際はどうだったのでしょうか?

5. もし病気になったら?
風邪をひいたり、お腹の調子が悪くなって、薬を飲ませたり医師に診せる必要が出た場合はどうしていたのでしょうか? 今のように前線から本国に連れ帰る事は出来なかったはず。 もしかして医師を戦場連れて行ったり、大量の薬品を持参していたのでしょうか? それに病気になった時、上層部と下級武士で扱いは違っていたのでしょうか?

6. 戦いの終了後、傷ついた兵士にはどう対処したのでしょうか? 例えば自分で歩けない人は誰か数人で故郷まで担いでいったとか?

と、素朴に疑問に感じています。 時代考証をしっかり研究した時代劇を見てもそのような描写はほとんどありません。

宜しくお願いします。

A 回答 (3件)

1基本的には甲冑を着たまま、草むらの上などで寝ます。


ただし長対陣となると、甲冑等は勝手に脱いでるやつが多いです。
またごく一部、上層部の判断で一部のものが脱ぐことを許可することもありえます。

2総大将クラスとなると、近くの小屋や寺などで本営を作り、そこで寝ます。

3基本的には数日分は自弁、あとは現地調達(略奪)です。
よって大軍が一箇所に長対陣すると、大抵食糧不足に陥ります。

ごく一部の大大名になると、荷駄隊を作り本国から食料を送ります。
織田豊臣徳川毛利武田といった面々です。
逆に言えばこうした体制がとれない大名は、遠征能力や長期戦遂行能力が無いといえます。上杉など一見優勢に見える状況での撤退が多いですが、食糧問題があったと考えられます。
ちなみに兵士を支える食料として、1日6合から12合の米を用意します。米以外は結局(手に入れば)現地調達です。

4洗う余裕があれば川や井戸で洗う、基本的には無理となるでしょう。
もちろん衛生的な問題はあったと思われます。

5戦場での病となると武田信玄が有名ですね。基本的には近くの寺などで養生させるか引き返すしか無いです。総大将だとよほど有力な嫡子でもいないかぎり全軍の進軍がストップしてしまいます。
有力武将なら、友のものを連れて寺に残すか送り返します。
足軽となると、近くの寺なり豪農に、多少の金を渡して預けます。
(もちろん本軍が負ければ、落ち武者狩りの対象です。)

医者は連れていきますし多少の薬も医者が持ってるでしょうが、基本的には大将クラスのためのものです。しかも当時は漢方医程度ですから、即効性のある医療ができるわけではないです。後方移送する必要があるかどうかの判断には使えたでしょう。

6連れて帰る余裕があれば連れ帰る、無理なら打ち捨てるか切腹してまわりの者が介錯です。


こういった疑問を本気で解決したいなら、雑兵物語がお勧めです。
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この回答へのお礼

詳しく解説して頂いて感謝します。
3.の食糧ですが、当時の(今でも?)戦いの中で最も重要な要素のひとつだったかも知れませんね。でも1日で最大12合となると、当時の兵士は滅茶苦茶に大食漢だったのですね。私など1日で食べる米の量は、せいぜい2合程度かなと思います。勿論、当時より副食が多いでしょうが ・・

あと負傷した兵士の扱いですが、つらいですねえ。連れて帰るのが無理なら切腹ですか。

当時の下級武士の実態を垣間見たような気がします。
有難うございました。

お礼日時:2008/09/30 11:45

2.御大将は小屋を建ててもらってそこで寝ていました。

一兵卒は雨よけがあればそれで良しとするしかありませんでした。

3.当時の軍隊は兵すべてに食わせられるだけの量の食料を運搬する能力はありませんでした。例えば今川軍の2万人分以上の食料を本国から運ぶとしたらどれだけの馬が必要となるか・・・。だから、ある程度の食料は本国から運びますが、それ以外は現地調達で賄っていました。戦国大名が兵の食料を自前で賄えるようになるのは、織田信長のように広大な後背地ができるようになってからでした。それと、戦国時代は食糧難の時代なので、それも現地調達に頼る要因になっています。まあ、ほとんど略奪だったと思いますが。
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この回答へのお礼

有難うございました。
総大将は小屋を建ててもらっていたのですか ・・ 総大将に万一の事があれば、即敗戦になるわけですから、健康には随分気をつかったのでしょうね。

食料ですが、ほとんどは現地で略奪状態で手に入れていたのですね。
もし自分が住んでいる地域を何万もの大軍が通過するとなったら、一般農民にすればハラハラ・ドキドキの毎日だったんでしょうね、きっと。

たしか関ヶ原の合戦は両軍併せて17万もの大軍を構成していたと聞きますが、兵士たちの食料の量を考えると気が遠くなりますね。

お礼日時:2008/09/29 13:59

1.自宅に帰って寝巻きに着替えて蒲団で寝てぇ、朝になったらまた出勤


2.寺など借りて畳みの部屋で蒲団で寝てぇ
3.持って行くのと現地調達と仕送りと
4.風呂は無し(^_^; 風呂に入る習慣は無かったですから。
5.薬飲んで寝るだけぇ、それでダメなら置いてけぼり
6.知り合いが居れば連れて帰ってもらって、無ければのたれ死に

色々な出撃パターンがあるので、一例です。

大河ドラマとかでよく描写されてますよ、
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この回答へのお礼

有難うございました。
1.なのですが、今川義元のように遠く京の都まで遠征する場合、一般の兵士は毎日家に帰って普通に寝るという事が出来ないわけですが、どうしていたのでしょうね? 特に雨が長く続いた時なんか、どうしていたのかなと感じています。

総大将はお寺などで布団で寝ていたのですね。 年老いた総大将だったら野宿はキツイですから、やっぱりという感じですね。

お礼日時:2008/09/29 13:53

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