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「動機付け」や「モチベーション」という言葉を聞くと多くの人々がマズロー理論を思い浮かべると思います。

大学の心理学や経営学それから教育学の講義では必ず紹介される学説だし、ビジネス書でも盛んに紹介されています。
また2003年にはセンター試験の現代社会でもマズロー理論が出題されたことからも、高校生の間でも知られている非常に認知度が高い学説だと思われます。

今更説明する必要はないと思うけど、人間の欲求には5段階があり、上位の欲求を求める者にとっては下位の欲求は当たり前すぎて動機付けにならない。また優秀な人間ほど早く欲求の階段を駆け上がるのが早いと紹介しています。
下から順に並べると
1.生理的欲求(衣食住を満たす)
2.安全の欲求(安全に生活する)
3.親和の欲求(仲間を得る、仲間と楽しい時間を過ごす))
4.自我の欲求(他人から尊敬されたい、感謝されたい)
5.自己実現の欲求(自分らしく行きたい)

5の自己実現の欲求は、金銭欲や名誉欲などの欲望を超越した究極の欲求としています。

僕は大学1年生の心理学の講義で初めてマズロー理論を知って感銘を受けました。その後、経営学の講義でも習ったし、大学卒業後もビジネス講習などで繰り返しマズロー理論に接してきました。
日本の企業はマズロー理論を経営に活かしてきたと思っています。
給料を支払うこと(生理的欲求)は勿論、福利厚生(安全の欲求)、クラブ活動や社員旅行・忘年会(親和の欲求)、昇進制度や改善活動(自我の欲求)を利用して、従業員の永続勤務(のための動機付け)を図ってきたと思います。
私が経営する会社でも、上記のことを実践してこようとしました。
30人くらいしかいない会社なので大企業並みに行うのは無理ですが、それでも大体上手くいってきました。
ところが、時々「自分らしさ(自己実現の欲求)」を主張する従業員がいて困っています。
特に短期雇用のアルバイトに、「自分らしさ」を主張する傾向があります。

僕・社長「お客様には笑顔で接してくださいね」
従業員「私は笑顔が苦手なんです。笑顔の私は私らしくないので嫌です」
僕・社長「黒髪の方が好感度が高いから茶髪は禁止ですよ」
従業員「それなら仕事辞めます」
僕・社長「もう夏なんだから黒い服をやめて、明るく涼しげな服を着てください」
従業員「明るい服は私に似合いません。強制されるのなら仕事を辞めます」

一昔前だったら「収入に多少不満があっても人間関係が良ければ簡単には辞めない」と言われていたのに、現在は本当に簡単に辞められてしまいます。

本来自己実現欲求というのは、金銭欲や名誉欲を十分に満たした者が主張することなのに、日々の収入さえ不安定な人が自己実現欲求を求めるのが不思議です。
もっとも世の中には、自分らしい髪型やファッションのためにフリーターを続ける人もいます。
そこで最近は、自分が信じていたマズロー理論が間違っているのではないかと思い始めました。

経営者としては、会社存続のためにも、従業員に給料を払うためにも売上を大きくしたいし、費用を圧縮したい。
そのために従業員の質も高めたいし、ある程度長く努めて欲しい。
研修中もお金を支払わなくてはならないのだから、すぐに辞められたら困る。
そのために従業員にとっても魅力的な会社づくりをしたい。
1~4の欲求に対しては対策を立てられます。ところが5の自己実現の欲求に対しては対策の建てようがない。
すべて従業員の自由では組織とは言えないと思う。
僕の感覚だと、自分らしさなんてどうでもいいから、たくさんの収入があって、仲間から祝福された方が幸せだと思う。

そこで質問です。
1.広く普及してるけど、マズロー理論は正しいのか?
2.収入や仲間や社会的なステータスに関心を持たず、ひたすら「自分らしさ」を求める人の心理を教えてください。

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A 回答 (11件中1~10件)

1)マズローの理論について、



potorasheさまが、演繹的・経験的に、
マズロー理論を疑い出した経緯はよく理解できます、

しかしながら、理論は理論だけでは存在せずに、
理論には必ずその前提なるものが在ります。前提を外すと、
当てはまるらないことも多々おこります、ましてや、人の心の理論は、
心という様々なファクターの絡むブラックボックスを扱う為に、
物理的な理論や法則とは、同じようには考えらないものです。

マズロー理論の前提(対象とする人達)が、一般的・平均的に
歪み無く育った人間の理論値(理想像?)を対象に構築されたと考えるなら
大きな間違いはないのだろと(私は)考えてます。

しかしながら、人はそれぞれに違う背景を背負って、育って来ております、
成育歴や基本的な性質、モノの受け取り方や考え方が
全く同じ状況で育った人間は居りませんから、(マズロー理論に限らず)
心の理論がそのまま適応できるとは、考えない方が良いだろうと思います、

工学の世界でいう、理論値と実行値が違うようなものです

2)ひたすら「自分らしさ」を求める人の心理・・・

で、ここからは、今の若者たちについてです。
ここ数十年の我が国の間違った個性化教育(個人的意見です)の結果、
「自分らしさ」や「個性」を勘違いしている人間が大量発生しております。

 ※「らしさ・個性」は、どのような画一的な状況でも、発揮されるものであり、
  むしろ、他人と同じ事を行う時に際立ったり、他人と比べることで、解るもので、
  本当に個性的な人は、自分を個性的だなどとは少しも考えておりません。

  会社の要求を呑めないのは、単なる“ワガママ”"自分勝手”を
  個性とすり替えての言い訳に過ぎません。
  
マズロー理論がどうのこうの前に、彼らは勘違いしているのです。

「笑顔」や「服の色」は個性などではありません。
彼らは、自分が楽なこと(状態)や自分の好みを自分らしいと、
思いこんでいるのです、単なる幼稚な勘違いでしかないのです、
そしてそれは、自己実現に向かっているわけではなく、
むしろ自己実現から遠ざかり、自分が怠惰であることの言い訳に、
「自分らしさ」を多用しているだけです。

一度、「自己実現とは何か?」徹底して考えて、
議論してみる必要があるかも知れません。

そして、彼らは、本当の命の危険や生命の危機、飢餓なるものを知りません。
生理的な欲求や、安全の欲求を何となく充たされた、ぬるま湯の状態です、
逆説的ですが、飢えを知らなければ、本質的な満足、充たされた感謝も
また知りようがないのです。当然、お金(収入)の有り難さもまだ知らないのです。

身に染みて、収入の有り難みを知らない人間に、
その重要性を言っても、まったく伝わりません、
一番下の欲求でさえ、自分で充たしていない(充たした実感のない)人達には、
それより上位の欲求は沸いてこないものと思われます。

この点で、研修なりなんらかの仕掛けが必要だとは思いますが・・・

十数年前に、人材教育会社で勉強していたことを思い出しました、
どのように人材を育てるかがテーマの講習会で、「どのような手を尽くしても、
 駄目な社員をどう再教育するのか?」との問が出たことがあります。

社員のモチベーションを上げるには、従業員が働きやすい会社とは、
どのようにあるべきか、散々勉強してきた後の質問でしたので、
皆興味を持って、講師の答えをまって待っていました。しばしの沈黙の後で
「残念だけど、やめてもらうしかないなぁ」との答えでした、

会社には会社の倫理やルールがあります、それを満たせないと、
従業員としては、使えませんし、それを満たせていない社員を置くことは、
多の従業員の規律に影響してくる為に、企業の力にも限度があります、
ある程度の研修なり、教育をしても、企業理念を実行しない社員は切るしかない
と言うのが最終的な結論のようです。

老婆心ながら・・・
「金銭面」でのモチベートは、効力期間が案外短いものですし、
人は、一度得た収入が基準になり、そこから下がったときには、不満が増大します。
言わば諸刃の刃です、ご存じとは思いますが・・・
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

金銭に対して全く執着がない人の存在を僕は不思議に思っていましたが、harrywithers様の回答で理解できました。

>工学の世界でいう、理論値と実行値が違うようなものです

これは上手い表現ですね。こういう表現方法は大好きです。

お礼日時:2008/10/31 00:04

5の自己実現の欲求の解釈ですが、



<自分の能力・可能性を発揮し、創作的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求>

とすれば

「私は笑顔が苦手なんです。笑顔の私は私らしくないので嫌です。」は、スーパーエゴとは逆。

スーパーエゴとは、今の自分を超越してもっと高次の立場から、自分をコントロールすること。


子供の頃、自分にとって楽しいというものに自分の主体を置く。

目の前に食べ物がある。
食べたい。
でも、それはお店のもので、代金を払って自分のものにならないと食べれない。

お店の人が見ていないから、取っても怒られない。

でも、盗みはいけないことだ。
大人たちは盗みをしない自分を愛してくれる。
じゃあ 盗むのはやめよう。


子供のうちはI(自我)なのですが、経験を積んでいくと、他人からみた自分というもの存在の大切さを学んでいく。
他人から見た自分 他人が期待する自分→me。

で、おかあさんが「テレビばっかり見てないで、宿題しなさい」を無視していると、おかあさんから自分への評価が下がり、おかあさんから愛されないmeになっちゃう。

それだと他人から、社会で良い評価され気持ちがいい立場で生きることが困難になる。
でも 今一番面白いところ テレビも見たいし お母さんからも良く思われる自分でいたい。


どうするか。

「おかさん、あと15分で終わるから、そうしたらちゃんと宿題します」

すると好きな番組を見て、かつ おかあさんが望む自分にもなれちゃう。

テレビを楽しむIが、テレビも勉強もやるIに変化するわけです。
meがIになる。
社会に融和してなおかつ自分を失っていないので、自己実現。


で、例えばおかあさんが「宿題を早くしなさい」と言って子供が「いやだ」と強情に反抗すると、おかあさんは言うのも無駄だと思って言わなくなる。

おかあさんは子供に愛情をもてなくなる。
子供が何をやっても無視。 興味が無いから。

子供は、おかあさんに干渉されないので、Iをやり続ける。

「俺は茶髪が好きだから、茶髪じゃない俺は俺じゃない」

「俺は黒い服が好きだから、黒以外は俺じゃない」

これでは集団の中で孤立してしまう。
茶髪でなければ自己を失うわけない。
黒い服でなければ、自分らしさを失うわけじゃない。

そんな安易なもので自分がコロコロ変わるはずない。
ホメオスタシスがあるから、本来のものは、服などで変わらない。

他人に与える印象は服装で変えることは可能。
じゃあ 自分の本質は変わらないが、人は自分の服装で、印象をガラっと変えて、愛してくれたり、思いやりをもってくれたり、とにかく敵対視しないのなら、いい印象を持ってもらい 生きやすくなるように、服装を変えちゃおう となるのが普通。

集団に融合する道を普通は選ぶ。
何故なら人は集団の中で生かされると本能的に知っているから。


ところが、放っておかれた子供は、自分が所属する集団と融合する手段を獲得できない。

勝手気ままにふるまっても、誰もとがめなかった子供は、自己主張をすれば、他人は黙ってくれると思って、自己主張をすることに長けてくる。
時には暴力で、社会に融合させようとする人を排除する。
もしくは、自分が集団から出て行くことを安易に選ぶ。
それしか道が無いから。
何故なら、融合するという思考が育たなかったから。

集団への融合の仕方がわからない。
わからなければ、出て行くしかない。
孤立の道を選ぶしかない。

孤立すれば、誰もとがめないので、早々に孤立の道を選ぶ。

でも、集団で生きる人間が孤立をすると生きずらい。
また、仕事を探しに出て収入を得ようとする。
でも、融合の仕方、他人から見た自分のありかたを考えないので、異質だと指摘され、融合を望まれても、どうしていいのかわからない。
で、自己主張をして、他人が自分に合わせるように望むか、自分が出て行く。


というわけで、発達段階で失敗していますね、その人たち。

でも完璧な人はいない、成人してからも、失敗を何度もしながら、学んでいき成長していく。
失敗が多い人ほど、他人に対して面倒見がよかったりする。
かつて自分が社会に融合するやり方を知らなかったために失敗してきた数々の経験が活きるわけです。

「ああ 俺も若い頃 こうやって反発したな。どうして反発したかとうと どうしたら融合できるかわからなかったからな。」とか。


「ああ 俺も失敗ばかりしていた。俺の人生は失敗づくしだったが、よくまあ ここまでこれたもんだな。」
これが自己実現。
失敗すら自分の人生として受容している。
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あ~なるほど


よく読んでいませんでしたすみません。
つまりらしさという話ですね。
つまりこれは自分が確立するためにそのオブジェクトを身に着けているんですよ
なのであなたが「~らしくないから」というあなたの【社会的には~が良い】という感性で見られることがとても嫌なんですよ、つまりあなたは社長ですよね?ですから多分相手は{社長≒会社}という無意識の感性が発生したと思うんですよ、そしてあなたは「お客様には笑顔で接してくださいね」「黒髪の方が好感度が高いから茶髪は禁止ですよ」「もう夏なんだから黒い服をやめて、明るく涼しげな服を着てください」みたいなことをいったわけですよね、なので相手は会社からの社会的感性を強要されて『社会的感性ばかり気にしていて自分は気にしてくれないのか(ガックリ)』や『社会的感性を気にした会社から認められなかった』とか『社会的感性を気にしてる会社から否定された』と感じてしまったんではないでしょうか?
なので「じゃあ辞めるわ!」となったんではないでしょうか?
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一つの考え方ですから、「正しい」「正しくない」というのは避けますが、


人間を非常に狭いくくりで「モデル化」した例だと思います。
例えば、彼のモデルで、「動機のある殺人」行動の説明が出来ません。
このモデルが「人間」の「すべて」を「概念化」していないことは、「動機のある殺人」という卑近な例を説明が出来ないことからも明らかです。
(できるのであれば、殺人を犯した人が「人間」ではない。もしくは「人間」は殺人を犯さないことになります。)

そう考えると、このモデルがたった一つの「象徴的なシステム」に裏打ちされた人間形成のプロセスを表しているにすぎないことが見えてきます。
マズローのモデルは、【「自然」の秩序の中にいる「素の人間」が、成長していくプロセスをとらえた】説として、位置づけられているのでしょう。
ですが、先ほどのようなことから考えるとそうではなく、
「ある特定の思想・管理システム」の秩序の中にいる人間が成長「させられていく」プロセスを表しているように思えてなりません。

ここでいう「ある特定の思想・管理システム」を、「アメリカ的管理社会システム」と言えばより直接的になるかと思います。

マズローの考えは、ある特定の視座から見た「限定的な人間像」「限定的な人間形成プロセス」をモデル化したに過ぎないのではないでしょうか。

とても「これが自然だ」とも「人間ってこんなもんだ」とも思えません。

参考にしてください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

>例えば、彼のモデルで、「動機のある殺人」行動の説明が出来ません。

何故?
「刑事コロンボ」を読んでいれば、該当例はたくさん出てきますが、如何でしょうか?
あの小説の犯人は、マズロー理論にピッタリと合う人が大量に出てきます。というよりも僕が知る限り全員がマズロー理論に合う犯人ばかりです。

お礼日時:2008/10/31 00:24

>1.広く普及してるけど、マズロー理論は正しいのか?


マズロー理論、Wikipediaあたりで、ちょっと、おさらいしてみましょうね。
―――
彼は特に人間の欲求の階層(マズローの欲求のピラミッド)を主張した。
「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。これは「マズローの欲求段階説」とも称される。
1.生理的欲求
2.安全の欲求
3.親和(所属愛)の欲求
4.自我(自尊)の欲求
5.自己実現の欲求
の5段階に分類した。このことから「階層説」とも呼ばれる。また、「生理的欲求」から「自我(自尊)の欲求」までの4階層に動機付けられた欲求を「欠乏欲求」とし、「自己実現の欲求」に動機付けられた欲求を「成長欲求」としている。
マズローの人格理論は通称「自己実現理論(欲求段階説)」と呼ばれ、心理学のみならず経営学、看護学など他の分野でも言及される。
マズローは人間についての学問に新しい方向付けを与えようとしたが彼の著作はそれ以上に内容豊かなものになっている。著書、雑誌論文は100編以上に及び、アカデミックな心理学のみならず教育や経営学のような隣接領域にまで彼の思索は及んでいる。
―――
別のサイトでは
―――
フロイトが主に病理的な人を対象に研究し精神分析を開発したのに対し、マズローは健康で人々から尊敬されるような人を研究対象にした。そこから欲求の階層論という仮説を導きだした。

マズローは優れたパーソナリティーをさす言葉を集め定義し、その定義に合いそうな人物のデータから特徴を取り出し、定義を修正し直すということを繰り返した。そして幾つかの特徴を描き出した。完全なものではないが一つの目安になる。

私たちの社会や経済は、低次の欲求を満たすように出来ているため自己実現の欲求は、すぐにどこかへ追いやられてしまう。同じような欲求を持ったものどうしがシェアする場が緊急に必要になってくると思う。
―――
とも述べられていました。

(Wikipediaから)
マズローは、自己実現した人の特徴として、客観的で正確な判断、自己受容と他者受容、自然な態度、自発性、自律、心理的自由などを挙げている。優秀な人ほどこの段階を駆け上がるのは速いが、自己実現を果たし、自己超越の域に達する人は極めて少ない。数多くの人が階段を踏み外し、これまでその人にとって当たり前だと思っていた事が当たり前でなくなるような状況に陥ってしまうとも述べている。
―――
1から5までの各段階は、それぞれが密接に絡み合っているものだと思います。
生理的欲求と安全の欲求は、ほぼイコールと言っていいものですし親和(所属愛)の欲求も、安全欲求と切り離せるものではありません。自我(自尊)の欲求も、その前3段階が満たせてこそなのだろうなと思います。
なにもヒトに限ったことではなく、私個人的に猫などを観察していて分かったことなんですが、最初、人に慣れないうちは、ご飯やオヤツをもらうとき、離れた位置から放り投げるようにして与えてもらっただけで満足してますが、だんだん慣れてきて安心して接することができるようになると今度は食べ物を放り投げるようにして与えられることを嫌がり、可愛がってくれている人の手から直接、自分の口もとへ運んでもらうことを要求するようになってきました。それも、なるべく他の猫仲間たちにはしないで自分だけ、そうしてくれろと拗ねたりし始めます。(笑)オモシロいものです。
実はマズローの理論については私も、ちょっと不審に思ったことがありました。このサイトのなかでのことだったのですが、以前に、ある心理学の徒を自称する人が頻繁にマズローの理論を挙げては、当該理論中、最高段階に位置する「自己実現欲求」段階を希求してやまない自分は、であるから精神的レベルが高い人間なのであり、そして(当時、対立していた相手である)私のような、第5段階どころか最低段階あたりすら十全には満たせないような(生活苦しい身障者;笑)人間は、だから低レベルの人格であると言わんばかりでした。しかし、それにしては、本人自身が認めるように、ネットサイトのみならずリアルでの日常生活でも特に人間関係のトラブルが多く、それが原因なのか結果なのかは知りませんが、いまでは精神科に通院している状態なのだそうです。
よくよく話を追ってみますと、これまでマトモに職についたと言える経歴もなく、心理学の勉強にしても、凝っているアレやコレやの趣味にしても、精神科通院費や高額のカウンセリング費用にしても、それらひっくるめて生活全てを自力で営んできたのではなかったのです。つまり当の本人自身がリッパに第1段階で躓いている「健康で人々から尊敬されるような人という研究対象」から外れまくった人だったんですね。どうりで被害妄想的なメチャクチャなヘリクツを言うもんだと呆れたものでした。この人が周囲からの経済的支援を失ったらどのような事態に陥るかは火を見るより明らかです。
そこで、御質問者さまの会社の従業員のかたですが、「金銭欲や名誉欲を十分に満たし」ていない「日々の収入さえ不安定な」
>短期雇用のアルバイトに、「自分らしさ」を主張する傾向があります
とのことですね。
はたして、この場合、仰るように「自己実現の欲求」に該当するのでしょうか。むしろ逆ではないでしょうか。
「お客様には笑顔で接」すること
「黒髪の方が好感度が高いから茶髪は禁止」
「夏なんだから黒い服をやめて明るく涼しげな服を着」る。
これら全て、会社での業務上に必要あるいは望ましいことなのですよね?
…まず、質問者さまが御考えになっていらっしゃるマズローの欲求段階説の応用としての
>給料を支払うこと(生理的欲求)
福利厚生(安全の欲求)
クラブ活動や社員旅行・忘年会(親和の欲求)
昇進制度や改善活動(自我の欲求)
ここまでは飽くまで会社人としての視点で設定されています。しかし、仰るところのアルバイト従業員の諸々の主張、この部分だけが会社員としてではなく個人の主張となっています。ですから、これをマズロー最終段階の「自己実現欲求」のレベルに持ってくること自体に無理があるようです。全く次元が違うということです。

個人的な話ですが、私自身は業務上の必要が認められない限りは基本的にヘアスタイルや服装等について細かく指示されることを好みません。なにしろ茶髪どころか金髪で派遣社員をやってた時代があるくらいです(笑)
ですが、会社員になる、企業に入社するということは即ち、組織の利益に則った規範に従うという契約関係に入るわけです。(ここのようなサイトに参加するのだってそうですよね。このサイトのルールに従うことを同意したうえで参加できるわけです)ですから、個人の主張が会社の利益を損なうものであれば、最悪、クビになっても仕方ない。とは言っても給与不安定のアルバイト社員ということですと、給与や待遇が不安定だからこそ、個人の趣味嗜好に関して細かい口出しをするだけの権利を会社側に認めていない感覚でいるということも考えられますし(所属欲求、自尊欲求の不満足)、彼らの経済事情が親なり保護者なりの庇護下にあるゆえの強気ということも考えられます。

>一昔前だったら「収入に多少不満があっても人間関係が良ければ簡単には辞めない」と言われていたのに、現在は本当に簡単に辞められてしまいます。

いまは「滅私奉公」の時代でなくなりましたしね(笑)正社員と同等の待遇が用意されていないのであれば、アルバイト社員のような身分の者に対して、どこまで雇い主側の意向に従わせられるか。。。

>経営者としては、会社存続のためにも従業員に給料を払うためにも売上を大きくしたいし、費用を圧縮したい。そのために従業員の質も高めたいし、ある程度長く努めて欲しい。
>研修中もお金を支払わなくてはならないのだから、すぐに辞められたら困る。

売り上げを高め、給料を高めて、会社に存続してもらう。このことが貴社従業員のかたがたにとって、どれほどの切実性があるか。会社の利益と個々自分たちの利益とが、どう絡み合うのか。自分の能力、力量が、どう会社の命運を左右するか。そして経営者である質問者さまと従業員のかたがたの理想とする会社の姿が、どこまで一致しているか。

>僕の感覚だと、自分らしさなんてどうでもいいから、たくさんの収入があって、仲間から祝福された方が幸せだと思う。

このへんは、やはり会社経営に乗り出されるだけの人物タイプを感じさせられますが、世のなかは収入を多く得ること、仲間からの祝福を幸せの必要条件として設定している人ばかりではないです。「価値観の多様化」が殊更言われる時代でもあります。

正社員であり、会社の運命は自分の運命とばかり、それこそ会社と命運を共にするくらいの覚悟があればともかく、質問者さまの会社の場合は30人規模ですか、恐らく、まだまだ組織としても将来性の定まらない、多かれ少かれ待遇格差のある不安定雇用に甘んじている人に、細部に至るまで会社の利益優先を貫くことが、その本人にとっても、どれだけのメリットがもたらされるのか、そのあたり、説得力を持って説き伏せることが困難であれば、ありきたりのことながら事前のふるい分けをしておくことでしょう。
実際的な方法としましては、まず最初期の雇用段階、面接段階などで会社の規定を細部まで明示しておき、そのうえで契約を結ぶということが簡単にして無難です。その段階において会社の規定や経営者から見て望ましくないと判断できるような要素を、ある程度、排除しておけます。(たとえば、かつての私のようなパツキンであったら、黒い髪に戻してもらう、ということを雇用前提にする笑)
これで防げないような、たとえば例に挙げていらしたような、接客時の表情などは、気づいたその時に注意するとして、受容、改善してもらうためには、それが会社の利益と、どう関わる問題なのか説得力をもって説明できなければなりません。そのうえで、それが理解できなければ、その従業員の能力の問題ですし、理解できても個人的理由で受け入れることができないならば辞めてもらうまでです。
できれば、こうなる前の段階で手を打っておきたいものですね。
いずれにしましても、他の従業員のかたがたの就業態度と乖離があるようでしたら
>親和の欲求(仲間を得る、仲間と楽しい時間を過ごす))
>自我の欲求(他人から尊敬されたい、感謝されたい)
こうした段階の欲求を満たせない、つまり人間関係にひびく、居心地が良くないということにもなってきます。
出発して間もない若い組織というのは、また人数が少ないほど、一人ひとりが組織内の雰囲気や規律に及ぼす影響がダイレクトなものになると思います。できれば経営者である貴方一人がヤキモキと気を配らなくとも所属年数が長い社員のかたがた自ずから、入社間もない人やアルバイト従業員を望ましい方向へと感化するような気風が生じてほしいものですよね。

最近、当カテゴリーで見かけたスレッドですが、御参考になるのではと思います。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=4389290
『「個性」に関する本を探しています。』ANo.1御回答から抜粋

「だいたい会社というのは、ひとつの目的を持って組織されておるんやから、当然ながら、その方向に進んで行くための枠組みというものがあるんや。だから個性を発揮するといっても、その方向で発揮するということになるわね。けど、個性というものは、もともとひとつの、まあ、いわば拘束というものがないと発揮できんのや。非常に矛盾したことをいうようやけど、個性は拘束なくしてありえない。そういうことや。」
これは、著者がかの有名な松下幸之助から聞いた話をまとめたものです。……
                   
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大いに暇なので、もうちょっと


NO5で述べた3と5の中になぜ4が含まれていないのかについて多少述べておきます。
4はどちらかというと物理的な意味合いは大いに低いように思うわけです、なので【環境としては】3と5であろうというわけです。
なので詳しく書くと
・{3,5}⇔4
ということになるかと思います。
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マズロー理論というのはあまりよく知らないのですが、


1・2は、生物としての基本である本能的な欲求。
3・4は、そういった本能的な自分を社会的な現実に適合させていこうとする自我的欲求。
5は、さらなる精神的高みを目指そうとする超自我的欲求。
と大別することができるように思われます。

これらの過程を順に辿ることが人間の自然な成長と言えるのでしょう。
ただ、この自然な成長過程をたどることの可能な人がどれほど存在しているのか、ということも留意する必要があるのではないでしょうか。
人間は本能の壊れた生き物である、と言った学者がいました。
確かに一般の動物より脳は発達しているでしょうし、(一応)高度の文明・文化も築いてきています。
しかし、本能的欲求を完全に制御しきれているわけではないこともまた事実でしょう。
マズロー理論の段階的モチベーションにおける『下位の欲求』とは、実は「たまたま抑圧されていた」だけでのものであって、それこそが本質的な欲求である場合も非常に多いというのが真実ではないか、という気がします。
つまり、あげられている5つの欲求(≒私の上げた本能・自我・超自我)に上位も下位もなく、それぞれの欲求がバランスよく満たされていることが本当の満足につながるのではないでしょうか。

「>本来自己実現欲求というのは、金銭欲や名誉欲を十分に満たした者が主張することなのに、日々の収入さえ不安定な人が自己実現欲求を求めるのが不思議です。」
という箇所がご質問の骨子と思いますが、以上のような感想を持ちました。

また、
「>日々の収入さえ不安定」であればこそ、あるいは、そういった欲求(=1または2)が実現できそうもないと感じればこそ、せめて他の欲求(=5)を満たそうとするのかもしれません。
収入が不安定であるために、せめて3や4の欲求を満たそうとする人もいるはずですが、それによって会社の利益に何ら不都合が生じるわけではないので目立たないだけなのでしょう。

さて、マズロー理論における「5.自己実現の欲求(自分らしく行きたい)」は、崇高な精神の高みに向かう人間として希求されるべき内容を含んでいることと思われます。
これを会社の場合に当てはめてみるとどうなるでしょうか。
本来の「会社らしく」とは、やはり社会に対して、人間に対して、より有益であるような商品なりサービスを提供することを目的とするものだと思います。
従業員のためでもあるでしょうが、それも含めた社会全体に目を向けているのが理想的な会社ではないかと考えます。
言わずもがなですが、その点においてトップが確固とした信念を持っていることが重要になるでしょう。
社会に対してどのような会社にしていきたいのか、という信念が確固としたものであれば、道は自ずと見えてくるように思われます。

細々したことに社長直々に口を出しているようでは業務の根本がおろそかになります。
信念を基盤にして服務規程などを明確に作成しておき、管理する人間を育てれば良いのです。
「>5の自己実現の欲求に対しては対策の建てようがない。」
とのことですが、従業員の身分における自己実現とは、会社の自己実現と一致しているべきでしょう。
会社の目的が高ければ従業員のモチベーションも上がらざるを得ません。
それを理解できなければ従業員とは言えませんし、また、自信を持ってそう言えるような会社にしていくビジョンを明確に示すのが最善の方法だろうと思います。
 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/31 00:16

 これはね実はマズローも指摘していて、その5段階は「必ずしもその順番で発生するわけではない」と述べているんです。


マズローの時代がそうだったので後続の人達が5段階と設定してしまったんですけど、実は違って1・2が満たせられていれば幾らでも飛び移出来るわけであって、3が不満足でも4へ移行するとか3・4不満足でも5へ移行するとかいう現象は大いに考えられます。つまり物理的に考えて無理でないければ幾らでも心理変化は可能です。
さて今回の質問はそれに加え自己実現を優先するのはなぜか?ということだと思います、これは多分その時代の特有の暗示があるのだと思います、つまり幸せの心理構造の変化です。
 信じられないかもしれませんが、その人達は次のような生育環境にさらされていたと考えられます。
簡単に言う1と2と3と5を満されることが当然という外界環境です。
1と2は必然的に存在するものでもはや当然の感覚であり満たされるというよりか当たり前の感覚でしょう。
3と5については暗示によるものだと思います、メディアや性格作りの段階で3と5の構造入り込んでいるように思います、例えば親が小遣いを与えても買うものはゲームや服,ファッション等における5を磨くために使っているでしょう、そのことによって3を満たすことが可能なわけです。
子供~青年はもはやすでに1と2は確保出来ているわけですから、その小遣いをどのように使うのかといえば3と5を満たすためだと言うわけです。
小学校~青年を良く見てください、何を持っていますか?何を身に着けていますか?何に興味をもっていますか?多分ゲームやピアス,服装,アクセサリー,イケテル車,イケテルバイク,など(総称してイケテルオブジェクト(自称))に多大な執着心を抱いていると旗から見て分かるはずです、なのでその枠の中で生きている分そのオプションが外れると極度な不安に陥るというメカニズムが実は知らず知らずの間にできているわけです、とくに会社勤めの人なんかはその下でなにが起こっているか知る由もないのかもしれませんが、すさまじく起こっています。実はその3と5により4を満たすことが可能なんです。結果3~5を完全に満たすことが出来その時代を生きているわけです。
 例えば企業が景気の良い事業を見てみるとその先の消費者には1と2以外の企業の場合、5と3を売り込む戦略をとっているはずです、企業もなぜ3と5に力を入れて消費者に受け入れられているのか?と疑問すらもっているかもしれませんね?そのように消費者側が育成されているので3と5が絶対軸だというある種の集団暗示に掛かっているのだろうと思います。とくに5は自分の確立をするために必需品とまで思い込んでいるのだろうと思います。つまり自分はAという感じを帯びることで維持できるのだという勝手な暗示に掛かっているのだろうと思います。
なので5を弾かれると心の軸を壊されたのと同じ事で「そん企業やめてやる!」となるのだと思います。
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この回答へのお礼

>多分ゲームやピアス,服装,アクセサリー,イケテル車,イケテルバイク,など(総称してイケテルオブジェクト(自称))に多大な執着心を抱いていると旗から見て分かるはずです

これはどうかなと思いました。
「車はデートの必需品」と言われたのは僕が若い頃、10年以上前の話でしょう。プレイボーイなど男性週刊誌では盛んに新車の記事が載っていました。
でも今は「車は単なる移動手段」という考えの方が多くて、お洒落な車よりも居住性重視の車の方が若い人にも売れているそうです。スポーツカー(フェアレディなど)を買うのは年配の人が多くて、若者はお洒落な車には目を向けないそうですね。
ファッションについても80年代バブルの頃の方がお洒落だったような気がします。

というか、ファッションとかに気を配っている人の方が管理はしやすいです。何故ならば、それだけ周囲の人の目を気にしているからです。
寧ろ扱いにくいのは、お洒落に興味がないタイプ、他人の目などどうでも良いタイプの人で、この質問でもそう言ったタイプ=自分の興味がある分野には拘るけどそれ以外には興味を示さないオタクタイプを問題にしています。

お礼日時:2008/10/31 00:14

> 1.広く普及してるけど、マズロー理論は正しいのか?



 ちゃんと論文を読みましょう。あと、単語の扱いにも注意。
 説、であって理論、ではありません。
 マズローが五段階欲求説を述べた背景データは、さして多いものではありません。物語としては分かり易いですが、それをヒトの人生によく当てはまるかどうかは、怪しいですね。そもそも定量評価できない現状では、この判断自体できませんし。
 所詮、仮説のひとつ。

> 2.収入や仲間や社会的なステータスに関心を持たず、ひ
> たすら「自分らしさ」を求める人の心理を教えてください。

 あなたが「自己実現」としてあげている例は、マズローの言う自己実現ではありません。敢えて言えば、No.3 や No.4 の歪んだ形だと見るべきでしょう。

 収入に関心を持たないように見えるのは、親などがいて食べていけるからです。
 仲間に関心を持たないように見えるのは、あなたが仲間だと思われていないに過ぎません。会社の外には、彼らの「仲間」がいるのです。社会的なステータスは、あなたやあなたの会社が仲間と思われていない以上、彼らにとって意味がありません。


> 僕の感覚だと、自分らしさなんてどうでもいいから、たくさ
> んの収入があって、仲間から祝福された方が幸せだと思う。

 それが達成されたら、次に、その「仲間」の中で自分の存在の証のようなものを明確にしたくなるものです。言い換えると、仲間達の役に立っている自分、というものでありたくなるのですね。これが自己実現。
 つまり、「自分らしさ」と自己実現とは、別の概念です。


 ちなみに、「自分らしさ」という概念は、そもそも幻想です。

 日本語における「らしさ」という語は、要するにモノサシです。対象の外にあり、対象を評価する尺度。男らしさ、女らしさ、子供らしさ、確からしさ、みな、「○○はこうあるべき」という規範がるものです。
 具体的には、対象物とその規範を比較して、あっていれば「男らしい」とか「女らしい」とかいう評価になり、あっていなければ「男らしくない」「女らしくない」という評価になるわけです。

 これらに対し、「自分らしさ」という言葉は、評価対象も自分なのに、モノサシが自分の中にしかあり得ません。何が自分らしいか、なんてことはその本人にしか判定できませんからね。つまり、お手盛り以外の何物でも無いということです。要は、自己矛盾した言葉なんですよ。気づかないか目を逸らしている人が多いのですが。
 結局「自分らしさ」とは、努力を放棄して結論を自分の都合のいいように操りたい、ヘタレの抱いた夢でしかないのですよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

>社会的なステータス・・・・・

そうですか、なるほど。

お礼日時:2008/10/31 00:01

こんにちは。



>1.広く普及してるけど、マズロー理論は正しいのか?

広く普及していますので、ありとあらゆるところで「その解釈」が間違っています。
日本の企業経営という言葉が使われていますが、特にここでは、これまで「マズローの自己実現理論」いいますのは極めて都合良く解釈し尽くされてきたと思います。まず、これを自己啓発に応用しようというのがそもそも間違いです。何故ならば、企業や社会の側が一方的定めた「価値(二次的欲求)」に対してこれを成功と評価することがマズローの結論と一致しないからです。従いまして、こうすれ人生に成功するなどというのは、これはもはや心理学でも哲学でも何でもないです。
マズローはサンプルとなる成功事例に基づいてその結果を分類しました。そして、これにより人間の欲求には「五段階の優先順位」があるとしたわけです。この「優先順位」といいますのは下のものほど「重要度」が高く、上に行くならば「理性的価値」が高まります。ですが、これに対して何を選択するのかというのは個人の価値観によって決定されるものでありますから、それが企業の利益と一致するという法則は何処にもありません。これが日本の企業の大きな勘違いだったと思います。

>2.収入や仲間や社会的なステータスに関心を持たず、ひたすら「自分らしさ」を求める人の心理を教えてください。

では、下の方が重要度が高いのに、どうしてみな自己実現の方を主張するのでしょうか。これは極めて単純なことでありまして、つまりその基盤となる下層の欲求などというものは誰でも当たり前のように保障されると思っているからです。要は「平和ボケ」というわけですね。加えて将来というものを見ていません。未来を予測するというのが即ち理性行動であります。従いまして、そのままでは理性的価値は一向に向上しません。
ここで結論を先に書きますと、それはマズローの言う自己実現とは全くの別物です。一番怖いのは、社会的評価も当たり前に獲得できると思っていることです。ですが、これがない場合、自己実現といいますのは単に「自己満足」でしかありません。従いまして、ここで欲求はぷっつりと途絶えてしまいますので、これでは最後の壁を突破するのはどうやっても不可能ということになります。このためマズローは、「成功者は限られる」と指摘したのではないでしょうか。

あんなことを平気で言う社員を使う社長さんはたいへんだと思います。良く我慢していられますね、私には経営者はとても無理です。
別にマズローの理論が間違っているというわけではないです。ですけど、そのひとにはそのひとの価値観や意志というものがありますよね。結局のところ個人の自由なのですから、こんなことに経営学やマズローの理論など振り回している場合ではないと思います。若いひとはまだまるで分別が付かないのですから、社長さん自身が社長さんの言葉できちんと教えて上げられなければどうにもならんのではないでしょうか。
経営や社員教育にアドバイスはできませんが、とにかくがんばって下さい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
頑張ります。

お礼日時:2008/10/30 23:57

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マズローとアルファーダの勉強をしているのですが、上手く理解できないことがあります。

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アルファーダは、「欲求には階層性がなく、マズローのピラミッドのように重なり合わない」と考えたのですよね?しかし、私の使用するテキストには、アルファーダの理論の特徴として、「高次の欲求が満たされず欲求不満の状態に陥ると、低次の欲求に戻って、再びその欲求を満たそうとする」と書いてあります。「階層性がない」と言っているのに、「欲求の間に高次・低次の違い」があるのですか?アルファーダの生存欲求・関係欲求・成長欲求の3つの欲求の中で、高次・低次があるのであれば、それは階層性があるということのような気がしてしまいます。この部分がどうも理解できません。
マズローの理論ならば、階層性があると言っているので、ピラミッドの一番下が低次で、ピラミッドの上が高次になると分かるのですが……。

質問2、
マズローは、「人は本来、外から指示されなくても、本能として旺盛な労働意欲を持つ」と考えているのですよね?マズロー理論を踏襲しているアルファーダも、マズローと同じように、「人は本来、外から指示されなくても、本能として旺盛な労働意欲を持つ」と考えている、としていいのでしょうか?

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Aベストアンサー

まず、質問1についてですがアルダーファは、マズローの欲求階層論をふまえて、修正し、3段階の欲求階層からなるERG理論を提唱していますので、階層性はないのではなく、むしろアルダーファの考え方の方がマズローより階層が複雑化されています。マズローの欲求階層理論では、上位階層に向かって一方方向に段階的な流れで欲求が活性化されてきますが、ERG理論では、複数の階層を双方向からとらえ、欲求の活性化をさせていきます。
ちなみにアルダーファの理論は生存欲求・関係欲求・成長欲求の3つの欲求区分は重なりあわず、低次の欲求が満たさなければ高次の欲求は起こらないと考えられています。なので、ここがマズローの理論と大きな違いです。

2つめの質問ですが、人は本来怠け者であるというマグレガーの提唱に対して、人間性心理学の提唱者であるマズローは欲求階層説によって「人間は本来旺盛な労働意欲をもつ」と唱えましたが実証はされませんでした。そこで修正集約されたものがアルダーファのERG理論です。なので、踏襲した上で成立するものと考えてよいです。
ちなみに、補足となりますがのちにマグレガーは旧来の考え方をX理論、望ましい考え方をY理論として「働くことは人間の本性であり、条件次第で満足感の源になる」としています。

まず、質問1についてですがアルダーファは、マズローの欲求階層論をふまえて、修正し、3段階の欲求階層からなるERG理論を提唱していますので、階層性はないのではなく、むしろアルダーファの考え方の方がマズローより階層が複雑化されています。マズローの欲求階層理論では、上位階層に向かって一方方向に段階的な流れで欲求が活性化されてきますが、ERG理論では、複数の階層を双方向からとらえ、欲求の活性化をさせていきます。
ちなみにアルダーファの理論は生存欲求・関係欲求・成長欲求の3つの欲求区分は重な...続きを読む


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