dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

誰が言った言葉かわかりませんが、こういう言葉がありますよね
これをどう思いますか?

A 回答 (18件中1~10件)

マンガ家のみうらじゅんかな。


その解釈で良いこともあるんじゃないですか。
思い出が作れないとか、何々が出来ないとか、どうやってもうまくいかないという悩みはたまに聞きますが、
そんなに思いつめるなよ、人生なんて死ぬまでの暇つぶしだと。
    • good
    • 6

 江戸びと、文人の述懐。


 「人生はなんのへちま(糸瓜)と思えども、ぶらりとしては暮らされもせず。」

 聖者は、「人生なんて死ぬまでの暇つぶし」というでしょうね。
 いや聖者にとっては。謹厳な装いで地上を訪れてきている聖者は、人が一生懸命、あるいは七転八倒、あるいは風雨に翻弄されている人生について、自分にはもちろん、「人生なんて死ぬまでの暇つぶし」であろうけれども、口にはしないでしょうね。聞いたことはない。仏教やキリスト教では、もっと自分を離れなさい、という教えやことばはお会いできますが、「人生なんて死ぬまでの暇つぶし」とはいいませんよね。

 みんな生まれてこなければならないことを背負ってきて、それなりのことをそれぞれはたしていくのでしょうから、真面目くさって、余裕なくやるかどうか、格好よくやるかどうかは別にして、「人生なんて死ぬまでの暇つぶし」とはいかないですよね。
 
 生まれさせられ、死んでいかななければならない、そしてまた、決してその間も自分の完全な尊厳と意志で終始できない私たち凡俗は、とてもいえないことばですね。
 いつも咽喉元すぎて、知らん顔の半兵衛をきめても、お荷物は主人を忘れてくれませんね。せいぜい一瞬だけかな、「人生なんて死ぬまでの暇つぶし」を決め込むことができるのは。後の跳ね返りが恐ろしいですが、このことを気づけるのは何千万人の内の一人とか、ヒンドゥのある哲学は詳しく、人間性を分析していますね。
    • good
    • 6
この回答へのお礼

どうやらこの言葉お嫌いと言うか軽蔑、嘲笑されているようですね
同時に私のことも軽蔑、嘲笑されれているようですね(;^ω^)
ただの質問ですから・・・
お許しください(;´д`)

お礼日時:2008/10/16 23:33

 神の創造も暇つぶしなのかな。


 そういう観点から、人生を暇つぶしと達観できると、それは達観ですがね。
    • good
    • 6

関西芸人の言葉ですか?

    • good
    • 6

こりゃ、おもしろいパラドクスだね。



ヒマっていうのは、時間っていうことでしょ。
ヒマをつぶすってことは、マンガよんだり、パチンコしたり、
毒にも薬にもならないことをするってことでしょ。

人生ってのは、ヒマを自分が生き続けているってことかな。
終わりが死ぬということ?ようわからんけど・・・

ヒマっていうのは、結局、自分が作っているんだよね。時間ってことだよ。
自分が作ったものを自分が潰すってことはだよ、
はじめから作らなければ、人生は終わらないってことだね。
だって、はじめからヒマがないんだから。
そうすると、死ぬまでってのが無くなるだね。

ってことは、ヒマを作るから死ぬって事だね。
    • good
    • 6
この回答へのお礼

とても高次元ですね・・・
よくわかりませんでした

お礼日時:2008/10/16 23:28

例えば、日本の政治家などに「あなたのやっていることは、しょせん暇つぶしですよね」と言ったら絶対に怒るでしょうね。

でも外国ではどうでしょうか。
また、科学者や哲学者などにそう言ったらどうでしょう。結構、自分の興味の赴くままに人生を生きているだけで、あまり世のため人のためなどと考えてはいないのではないでしょうか。
「人生なんて死ぬまでの暇つぶし」ってやや偽悪的な表現ですが、偽善よりは良いと思います。
ただ、あまり人間的に小さな奴が言うと単なる居直りに聞こえます。こういう言葉は、やはり大きな人間が言うとひどく説得力がありますね。

私はこの様に言えるだけの価値ある人間になりたいと思います。
でも、きっと無理でしょう。
暇つぶしさえも出来ないで死ぬんでしょうね。あ~あ
    • good
    • 6
この回答へのお礼

おおむね同意できます

お礼日時:2008/10/16 23:36

人により、それぞれの人が、快と思うことも不快になることも違って当然(価値感が多様化している)という前提で、明白な区別のない状態も人は耐えられなくなってしまうそうです。

どうやっても差異を見つける刺激を欲して区切りをつけたくなってしまう。

でも退屈がこの上なく自由な気分(解放感)となることもあります。これは意思的というより制度、法則から逃れて自分に向かいあう喜びというものだと思う。

「暇つぶし」は自分に向き合うというより自分を使って自分から離れることを欲している状態じゃないかと思う。
    • good
    • 6

こんばんは、toraneko9さん。




生まれてから死ぬまでの間に

あんなことやこんなことすることいっぱい

ほでも、できることはかぎられてる…

生き急ぐように慌しく暮らしていると

あんなことやこんなことも忘れてしまう

いくつできただろう?

いっこいっこプチプチ指でおさえ

“プチッ”って音を実感するみたく“確認”

いま生きていることを実感するってことじゃないのかな。



【気泡緩衝材】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A2% …
【プチプチ】
http://www.asovision.com/putiputi/movie.html
    • good
    • 6

つまるところ生の実感というのは記憶の蓄積であり、その繰り返しが人生です。


人生には遅かれ早かれ死という形で必ず終わりが来ます。
死という物がなにも解明されていない以上、死によって自身の脳、体を失う事が意味する物は、
自身が今まで行って感じてきた全ての事を実感する事は金輪際出来なくなる、そう考える事が今の所順当です。

人生なんて死ぬまでの暇つぶし、これを言った人間は、
人生という枠内で何をしようと何を感じようと最終的には同じ結果が訪れいずれは全てを失う、
そういう事を見据えて言ったのではないか、と考える事も出来ます。

まあ考え方の一つとして、参考になれば幸いです。
    • good
    • 6
この回答へのお礼

とても参考になりました

お礼日時:2008/10/16 23:38

 生きる意味が見つからないと自分を追い込みながら生きるより、人生は暇つぶしだと割り切っていかに暇を潰すかを考える方がまだ生産的かと思います。



 
    • good
    • 6

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す