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ドイツ語に"burg"という単語がありますね。辞書などで調べると中世の山城などを指すとのこと。Wikipedia独版などで"burg"を見てもそういった内容になっています。
一方でロシアなどの都市に見られる「ペテルブルグ」の「ブルグ」はドイツ語起源だそうで、英語の「バーグ」(burgh)なども同じ起源らしいという話です。
ここで疑問なのですが、日本人から見れば平安京を古風に「平安城」などと言ったりしますから、「城=城壁に囲まれた都市」っていうのも分かるんですが、すくなくとも今のドイツ語のburgに「城塞都市」の意味は全くないみたいですね。この単語は語源的にどういうもので、一体なぜ都市名に使われるようになったのか、今のドイツ語で中世山城の意味しか持っていないのはなぜなのか。

A 回答 (7件)

ANo.2です。



直接の回答ではありませんが、

Burgはドイツ語(ゲルマンの言葉)でラテン語ではcastellum=Burg, Kastell,英語のCastleです。

ザンクトぺテルブルク(最後のgはクと発音)について、
以下Wiki.を引用。
「都市の名は「聖ペテロの街」を意味する。これは、建都を命じた都市の名は「聖ペテロの街」を意味する。これは、建都を命じたピョートル大帝(ラテン語でペテロ)が自分と同名の聖人ペテロの名にちなんで付けたもの。隣国フィンランドではサンクトペテルブルクを、ペテロのフィンランド語名そのままにピエタリ(Pietari)の名で呼んでいる。 当初はオランダ語風にサンクト・ピーテルブールフ(Санкт-Питер-Бурх)後にドイツ語風にサンクト・ペテルブルク(Санкт-Петербург)と呼ばれるようになる。ちなみにドイツ語で正確には、ザンクト・ペーテルス(現在のドイツ語発音だとペータース)ブルク(Sankt Petersburg)と呼ばれる。ロシア帝国の首都として長く定着していた。」

当時のロシアの貴族は母国語以外にフランス語やドイツ語など外国語を話し、外国の貴族と付き合うことが、貴族のステータスでした。

山城のBurgが多く建てられたのは神聖ローマ時代で、ライン川の流域やハイデルベルク辺りから続く古城街道の山城で、目的は敵が攻めてきたときに良く見えることや、通行税の取立てに便利だったからです。また、山の上からだと、敵が攻めてくるのが良く見え、弓を射ったり、大砲の弾(石の玉)を撃つのにも好適でした。また、山の上には必ず井戸と教会やチャペル、兵糧攻めになったときに逃げ込める場所、居住空間、納屋や穀物倉庫、牢屋、台所等があり、小さな町の様になっていました。

サンスーシ宮殿は元々フリードリッヒ2世の夏の避暑地の為に建てられた宮殿でそのうち居城となった城です。多少の政務はそこで行われたかもしれませんが、ほとんどはベルリンで執務したのではないでしょうか。砦というならフリードリッヒ2世の個人の砦、終の棲家と言えると思います。

ドイツの要塞で有名な城はコブレンツのフェストゥングやヴュルツブルクのマリエンベルクの要塞、ハイデルベルクの要塞、ブルクホーエンツォレルンなどです。
今はオーストリアですがザルツブルクの要塞。

バイエルンのルードビッヒ二世においては、
ノイシュヴァンシュタイン(シュロッスでブルクではありません。)やベルサイユ宮殿を模写したヘレンキムゼー、ワーグナーを一人で楽しむために洞窟の舞台まで造ったリンダーホーフは建てただけでほとんど使わずに彼自身なぞの死を遂げています。
彼は国の税金をワーグナーに貢いだり、ルイ14世とマリアテレジアに憧れ、彼らを真似して時代遅れの城を建てることに国民から集めた税金をつぎ込み、ドイツの歴史上たった一人、戦争をしなかった王様。メルヒェン王として有名です。
「ルードビィッヒ2世」の映画の中でいとこのオーストリア皇帝のお妃であるSissiにヘレンキムゼーを建てたことを馬鹿にされています。

>burg、berg、furtなどは元々は全て砦という意味があります。

Bergには山の意味しかないと思います。
中世の要塞城が山の上に建てられたことで、○○ベルクと言う城の名前がつけられることが多かっただけだと思います。例えばハイデルベルクやニュールンベルク等がその例です。
また、Furtは「歩いて渡れる」浅瀬のことを意味です。砦の意味でしたら、Fortです。
「Frankfurt am Mainの名前の由来はローマ人により古代時代にはローマ軍の駐屯地であった。フランクフルトの地名は西暦5世紀頃にフランク王国が、隣国のアレマン族との戦争の際に、マイン川を渡る地点として選んだ、浅瀬の場所を「Frank(フランク人)Furt(渡る場所)」と呼んだ事に由来する。」(Wiki.引用)
その他フランケン地方にはマイン川沿いにSchweinfurtやOchsenfurtと言った町があります。
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>”城壁”を持った都市全てが”~burg"課と言えばそうではありませんね。

”Trier, Worms, Soestなどは~Burgではありませんね。

すみません。
”Burg"や都市名の”~burg"はドイツ語(ゲルマン語)です。

Trierはローマ帝国以前からある都でその名前はラテン語です。
Wormsもローマ帝国の駐屯地として紀元前よりあると地名で名前はおそらくケルト語です。
Soestもゲルマン以前から集落があったそうですので、名前はおそらくラテン語です。

Trier, Worms, Speyer など、ローマ帝国時代から栄えていたところは"~burg"という都市の名前にはならないのが普通です。
小さな都市を壁で囲むようになったのは神聖ローマ時代(ゲルマン人)で、ローマ帝国の時代にはリーメスという長城があったのでその中の都ごとには壁は要りませんでした。
Trier, Worms, Speyerなどはローマ帝国から栄えて、神聖ローマ時代に市壁が後から造られたものと思います。

リーメスというのは東に居るゲルマン人など野蛮な民族の侵入を防ぐために、ローマ人が築いた、高さ3m、幅1.2mで400~800ごとに3階建ての見張り塔がある長城壁です。それにも関わらず、ゲルマン人の侵入は防げませんでした。
神聖ローマ時代になって、ゲルマン人は山の上に城を建て騎士や領主がそこに住み、教会を中心として市ができ、そこには教会関係者とその信者(市民)を住まわせました。神聖ローマ時代になって都市の人口増加による市の拡大や封建制度が確立してくると、Bauer(農民や漁師など)は普段は壁の外で納税義務があり、市民(Buerger)は教会や領主に忠誠心を近い、献金や納税を払うことで市壁の中に住むことができました。神聖ローマ時代でも、市壁の外は野生の熊や猪や大鹿、狼等も住み、また、他民族〈オスマントルコ等)に対する恐怖もあり、壁の中に住むことと、その外に住むことは天と地ほど違うことでした。この辺りはグリム童話を思い出されれば、想像ができますね。

なぜ、市壁が造られなくなったかというと、火薬を使う大砲や鉄砲が出てきたことで、騎士も市壁も防衛手段として役立たなくなったのです。
最後の騎士はMaximilian I. von Habsburgといわれ、彼は初めて大砲を撃った人とも言われています。

産業革命以降、市壁は邪魔なところはどんどん取り壊されました。ロマンチック街道のローテンブルクやネルトリンゲンの様なところは、市壁「城塞都市」が残っていることで、観光客を呼んでいますが、それも他に産業がないから出来ることでしょう。それらの市壁も鉄砲や大砲を持ったスエーデン軍に対して役には立ちませんでした。
山の上の城も新しく造られるということも無かったと思います。今では、博物館、YHや一般のホテルやレストラン等に改築されて使われていたり、そのまま廃墟になって行く物も沢山あります。

嘗て、DDRと西ドイツの国境や西ベルリンの周りにも壁がDDRによって築かれましたが、監獄の壁と同じ役目をしていましたので、Burgとは呼ばないはずです。

神聖ローマ時代に出来たBurgは山城要塞や~burgは当時、沢山あった小さな都市国家の名称として現在残っているだけですね。

参考URL:http://www.noerdlingen.de/ISY/index.php?get=79
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この回答へのお礼

みなさん色々なご回答有難うございました。
大変参考になりました。

お礼日時:2008/11/04 23:45

ドイツ語の”Burg"は本来”都市”であり”城”なのだと思います。


”城壁で囲み敵から守られた都市”即ち”Burg"であり、そこの市民権を有し”城壁内に居住”する民衆を”Buerger"と呼ぶのです。市民権を持たない階層の民衆は”Buerger"ではないのです。
”城壁”を持った都市全てが”~burg"課と言えばそうではありませんね。”Trier, Worms, Soestなどは~Burgではありませんね。 

ロシアのペテルブルクは”ドイツかぶれの皇帝”が新都を建設するにたたり”ドイツ語らしき”言葉を付けたものでしょう。ドイツ語でしたらSankt Petersburgとなると思います。
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度々すみません。

ANo.2です。

Kirchenburg(要塞教会)というのをご存知ですか。

ドイツ国内にもありますが、有名なのはルーマニアにある中世にドイツ移民が建てたトランシルヴァニア地方の要塞教会(Siebenbuerger Sachsen Kirchenburgen)です。http://www.romaniatabi.jp/unesco/transilvania.html
http://de.wikipedia.org/wiki/Kirchenburg

先に書きましたBurgの概念
・壁の中に城や教会等の大きな建物があることを意味します。
の例です。
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burg、berg、furtなどは元々は全て砦という意味があります。

ただ、
ドイツの場合は領主の居城と庶民(城下の商工業者)は必ずしも同じ
城壁の中にあるとは限りませんでした。ただ、領主が先にやられて
しまってはいけないので、領主の城は庶民の街よりも高台(山や丘の上)に
作る方が一般的という傾向では一致しています。街の名は、当時は基本的に
領主(さらにカトリックの場合はローマ教皇庁)の許可を得てつける
ものですから、領主の砦があるところ、という意味で語尾に上記の
綴りがついたのはそれほど不自然ではありません。

現代は、今さら城を要塞として使うという感覚はないので、ドイツ人も
昔の貴族が使っていた山城という程度にしか思っていないのでしょう。

ちなみに、burgは砦ではなくても領主が政務に使うための建物として
建てられたものにはついている場合があります。ちなみに、schloβ
(またはschloss)はノイシュバンシュタイン城にも使われているように
(あれは思い切り崖のてっぺんにあります)平城とは限りません。
政務や戦の砦に使うのでなく、私生活もしくは夏休み等のみの別荘
(離宮)にのみ使うことを目的とした城を指すときに使います。

フリードリヒ大王が居住していたポツダムのサンスーシー宮殿は
schloβなのに砦として使っているじゃないかという意見もあります
が、建てて当初の数年は夏の離宮にしか使っていなかったのです。
しかし、ポーランドやチェコ、ロシアとのにらみ合いに絡む戦時体制の
司令塔に使う居城として、名前はschloβでつけたけど砦に使わざるを
得なくなった・・・という結果論で運用と食い違う例もあります。
フリードリヒ大王は即位前は戦いの訓練など大嫌いで文学青年を
目指しており基本的には平和主義でいたい人だったこともあって、
burgに名前を変えると本当に戦のためにしか使えなくなってしまう、
と思ってschloβのままにとどめた、という逸話もあります。

長くなってしまいましたがご参考に。
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ドイツ語のBurg〈名詞なので大文字です)の語源は、お書きになられた通りの意味です。



Burgの概念は二つで、
・要塞城
・壁の中に城や教会等の大きな建物があることを意味します。

例えばロマンチック街道のヴュルツブルクはマリエンベルク要塞とその周りを囲む市壁が100年以上前まではありました。今は、そのほとんどがリングパークとして、公園緑地になり壁はマリエンベルク要塞の後ろと、世界遺産のレジデンスの後ろにわずかしか残っていません。

要塞城もルイ14世がベルサイユ宮殿を建ててからは、諸侯(王や司教)はまねして、平地にベルサイユ宮殿風城を建てはじめます。
ウィーンのシェーンブルンやヴュルツブルクのレジデンスがそのような例です。

ニュールンベルクも市壁の中に城があります。

>今のドイツ語で中世山城の意味しか持っていないのはなぜなのか。

戦争で火薬が多く用いられるようになると騎士や市壁の意味がなくなりました。かえって邪魔だったりして、ウィーンの市壁はリングシュトラッセになり、ミュンヘンの市壁も道になり、壁の門(Tor)だったところにまだカールストアー、ゼンリンガートアーとか名前が残っています。

>一体なぜ都市名に使われるようになったのか

現在では○○ブルクと言うのは都市ですが、嘗て神聖ローマ時代には領主王や司教を長とした都市国家でした。領主王や司教の上には一人の皇帝と一人のローマ教皇が居て、それらの国家の庶民は重税や、贖宥状(しょくゆうじょう)に苦しんでいました。
市壁は普通要塞にもなる頑丈なもので、何箇所かに見張り台や門があり、門は朝に開かれ夜には閉じられました。壁の中に住めるのは農民や漁師、ジプシーなど以外の一般市民でした。朝門が開くと農民や漁師が教会前の広場で市を開くのは、今の時代も変らぬ光景です。
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語源的には「守る」という意味の語根 burg- にさかのぼりラテン語の fortis < *forctis「強い」、ラテン起源の英語 fortress と同語源とされています。

http://www.etymonline.com/index.php?search=burg& …/「英語語源小辞典」研究社)

基本的には「守るところ」→「要塞」でありルネサンス以降の平城である Schloss とは区別されます。「要塞」→「要塞都市」→「都市」という連想は難しくなくドイツ語では XXburg という地名(XXの城→XXの都市)でこの方法が多く行われました(漢字の「城」のように「取り囲む」という意味は本来持っていません)。

単独使用の場合に本来の意味だけで使うか「都市」という発展した意味で使うかは言語により事情が違い理由を説明するのはなかなか難しいようです。

古くはゴート語ですでに baurgs が「都市」の意味で使われている一方、英語の borough/burgh(単独では”バラ・バロゥ”と発音)を「一般の都市」の意味で使うのは地名からの近代の逆成のようです。「(限られた)自治都市」「行政区画の一つ」「選挙区」など特殊な意味は古くからの「要塞・城」という意味から発展したようです。

ロシアの地名は言ってみればカッコつけの「なんちゃってドイツ語」ですから burg が単独で使われることはなく単に地名の一部でしかありません。

「なぜドイツ語で単独の Burg は「城」としてしか使われないか」について結論が出ていなくてすみませんでした。
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