アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

こんばんは。
先日もこちらのカテゴリーでお世話になりました者です。
その節は本当にありがとうございました。
今回も、自分のカウンセリングを兼ねた質問を立てさせて頂きます。
お付き合い頂ければ、幸いです。

質問は、
「ポルノと言う、性を扇情的に扱うもの」の存在を「初めて知った時」、どういう風に感じましたか?
*当たり前
*違和感
どちらでしょうか?
そして、これは男女の違い(本人の性別/被写体の同性or異性)によって、変わるのでしょうか?

いえ。。。
多くの子ども達は「身体は大切に」「人の嫌がる事はしない」。。。等と言い聞かされ、またそれを「人としての基本」に据えて育って来ていると思うのです。

でも。。。
ポルノ、と言う存在を「当然」或は「必要悪」等と捉える時、それはその「基本」との違和感、を生じないのでしょうか?
また。。。「違和感」を感じた方は、それによって「自分が傷付く」と感じないのでしょうか?

ちなみに、私は20代後半の女性で、既婚6年、三児の母でもあります。
夫との関係、性的関係も問題無く、とても幸せを実感しております。^^
そして、(男女によってその程度の差はあれ)「性欲は愛情とイコールでは無い」事、性欲と言うものは「性的禁止」と「性的刺激」によって形成される、と言う事も判ります。
現に私自身、例えば好きな海外サッカーの或る選手等、「いや。。。脱いでも綺麗だろうなあ。。。ニカニカ」等と、思ってもいます(恥!)。

でもでも、翻って「初めて知った時」の記憶を辿り、以後の感じ方を辿ると、私には「違和感」以外、浮かばないのです。
何故、大切にすべき「人の身体」を、そのように扇情的に不特定多数の目に「現実の画像として」晒せるのか、それは、「人としての基本」に反しているのでは無いか?。。。そう思えてなりません。

そう思うのは、「同性としての(不要な?)共感/想像力の為せる事」なのでしょうか?(現に、先述のように私自身「妄想」はしても、それについて違和感はありません。汗)

では、男性は男性のポルノ(有りますよね?)に対して、「違和感」は感じますでしょうか?


つまり、「感じ方の前提」として、
*自分を被写体に置き換えて、の臨場感、の有無
があるのかしら。。。。とも思います。
このように、私もすれ違う見知らぬ異性から「あらぬ姿」を思い描かれているのかしら? そうだとしたら。。。皆様はどうお感じになるのでしょうか?そして、まだ「性の入り口」に居たご自分は、どうお感じになりましたでしょうか?

纏まりの無い長文で、申し訳ありませんが、
よろしくお願い致します。
尚、お礼が遅くなる、または、順不同になるかも知れませんが、必ず書き込ませて頂きますので、その旨お許しください。

A 回答 (66件中1~10件)

まず「ポルノ」という物がどうして生まれたのか考えてみてください



人間と言わず、全ての生物は本能として子孫を残そうとします
私は男ですので女性のそういった本能についてはわかりませんが、人間の男性は(といっても知ってる男性の本当の心は自分だけなのですが^^;)常にそういった感情を持っていて、それを理性で抑えています
生物は子供を作り、育てなければいけないので、それに適した時期に子供を作ろうとします
しかし人間の男性の場合、そういった本能はすでになくなっています

全ての男性に彼女や奥さんがいて、そういった感情が生まれなければポルノを見る人はおらず、このポルノ産業は衰退していくことでしょう
しかし現状ではそんなことはなく、ポルノによってその感情を満たす人がいるのです

>男性は男性のポルノ(有りますよね?)に対して、「違和感」は感じますでしょうか?

私は同性愛者ではないのでもちろん違和感を感じます
違和感どころか嫌悪感すら感じます(中学生の頃、美少年だった?私は電車の中で同性愛者の痴漢に遭ったことがあるので)
ですが同性愛志向者の方には必要な物なのでしょう
需要のない物が産業として成り立つはずがないからです

ポルノによって感情を抑制できるという面もあれば、ポルノによって逆に感情を抑えられなくなっている人がいるのも事実です
ポルノの歴史は非常に古いですが(私の知る限りで紀元後600年頃の中国ですでにありました。皇帝がその晩の伽を選ぶ際に後宮の美女の裸体を描かせた絵を見て判断していた)、現在でもなくなっていない以上、限度を超えない範囲で必要な物だと私は考えています

>質問は、
「ポルノと言う、性を扇情的に扱うもの」の存在を「初めて知った時」、どういう風に感じましたか?

もちろん初めて見た時は興味がありましたので、その興味から見ました
内容はつまらなく、こんな物か~と興醒めしちゃいましたね
それ以降は彼女がいたので見ることもなかったです

この回答への補足

回答ありがとうございます。
最初に頂いた回答、と言う事で、「質問全体についての補足」をしますので、他の回答者樣方もお読みくださると嬉しいです。

まず、
私は「ポルノの存在の是非」を問いたいのではなく、「其処に在るもの」として、「存在を受け入れ」た上で、「ポルノとの適切な距離」がどのようなものかのか?を問いたいのです。
質問を立てた時点では、はっきりとしていなかったかも知れませんが。。。

質問文全体に、私自身のポルノに対する拒否感と嫌悪感が滲み出ていますね。。。汗
自分でも不思議、なのですが、この「ポルノに対する拒否感、嫌悪感」が、殊更に強く感じられる時、と、大して気にならない時、があるのです。
質問を立てた時は、その「強く感じられる時」でした。

この「強く感じられる時」は、それこそ、「我を我が手で切り刻んでしまいたい!!」という状態になります。
実際にそのような夢(自身をメッタ刺しにする夢)、をよく見ます。これは思春期から変わりません。
そんな睡眠中の夢を、「現実にしたい衝動」を抑える事に必死になる事さえあります。汗

逆に「気にならない時」は、ポルノをネタに夫とはしゃぐ事も可能ですし、その存在が場を盛り上げるスパイスにさえ、なり得ます。

この「差」が、自分で不思議に思うのです。
私は何か、この「扇情的な存在」に「考え間違い」をしているのではないか?そう思えて、今回の質問に至りました。

どうにもふらふらしていて主題が捉え難い人間で、申し訳ありません!
質問者がこんな、ですので、あまり硬く捉えずにお付き合いください。




>私は同性愛者ではないのでもちろん違和感を感じます

うーーーーん。。。私は、同性である女性の裸体の映像って、余程男性の視点になり切って撮られていない限り、なかなか「楽しめる」と思います。
これって「異常」?大汗
いえ。。。もともと、おそらくバイ、の傾向も軽くある、と自覚しているので構わないのですが。。。。^^
夫とその手の話題で盛り上がったりもします。汗

女性は女性の裸で、「ちょっと。。。ドキドキ!」なんてしないのかしら?
うーーん。。。。古代から「女性の裸体画」が、芸術の一分野で存在している事から、女性の裸体は「男女問わず」美しさを感じられるもの、だと言う気がします。

そう言う点からも、「ポルノの発生」は当たり前だ、と感じます。

では、「男性の裸体」に、同性の男性が違和感と多くが嫌悪感を抱くのは、何故なのでしょうか?
単に「美しくない」から?。。。汗
うーーん。。。でも、ダビデ像、なんて、とても素敵だと思います。
あと、「考える人」も裸ですよね?あれも「美しい」と私は感じます。

では、ポルノ、としての男性の裸体が嫌悪の対象になるのは何故なのでしょうか?
これは、男性の肉体は、女性よりも「美しく見える範囲が極端に狭い」からかしら?
ふっくらしていても、痩せていても「それなりに美しい」とはなり難い、からかしら?。。。。

>もちろん初めて見た時は興味がありましたので、その興味から見ました

そうですね。。。思い返せば、私も「興味津々!」でしたね。汗
その「強い興味」と「興奮(きゃっ!恥)」とは別次元で、これまた「強い拒否感と嫌悪感」がありました。

>内容はつまらなく、こんな物か~と興醒めしちゃいましたね

ふうん。。。。そうなのですか。。。。私は「へえええ!凄いや!!ふうううん。。。。ドキドキ!!」でした。(恥!)

自分の事ながら、「理解出来ない事」って、いっぱいあるものなのですね。。。

補足日時:2008/12/08 14:27
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答をありがとうございます!
補足欄に書き込ませて頂きました。

補足に書いたように、私には
*ポルノと言う存在に対する拒否感と嫌悪感を、激しく感じる時
*気にならない時、「スパイス」に出来ちゃう時
。。。と二種類在ります。

「気になる時」は、それこそwolfhat様が書いてくださった「ポルノの発祥の理由」が、「そんなの汚らわしい男の勝手な言い訳でしょ?」と受け取り、

「気にならない時」は、「そうね。。。芸術の一分野になるくらい、人の身体って命って魅力的だものね」と受け止めます。

この「二面性」のような状態が、質問を立てた本筋の理由です。
ゆっくり考えていきたいと思います。
お手伝いくださり、ありがとうございました!!

お礼日時:2008/12/08 15:51

まず、私は男性です。



1.初めて知ったときどう思ったか
→とても興味があり、少なからず興奮したと思います。(小4くらいだったと思います。)

2.男女の違い(本人や被写体の性別)によって、変わるのか?
→少なくとも男のポルノに興味はなく、興奮もせず、気持ち悪い(過去も現在も)。従い、ご質問の回答はYESです。

3.基本との違和感について、基本に反しているのではないか?
→初めて見たとき(小4のころ)は、罪悪感がありました。それは(広義の)教育から来る罪悪感だと思います。当然か、必要悪かは教育から来る思想だと思います。
一例として、イスラムの多くの女性は全身をくまなく布で覆います。肌を露出することは罪であります。
一例として、チュニジアの多くの女性は顔から下の毛は全て処理します。陰毛もです。毛があると不快に思います。
多くの他の宗教の人、他の国籍の人から見ると、これらの例は違和感があると思いますが、当人にしてみれば最も自然なことなのだと思います。

4.男性のポルノをみて違和感を感じるか?
→前述の通り、大変違和感を感じます。

5.自分や自分の大切な人が他の人から「あらぬ姿」を思い描かれているとしたら?
→そんなことは考えたことがありませんでした。今まで考えたことがなかったので、まだ性の入り口にいた自分も当然考えたことがありません。
他人が想像するのは勝手ですが、それが元で変な目で見られるのは気持ち良くないだろうとは思います。まぁ、私を見てそんな想像する人はいないでしょうが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

こんにちは。
回答をありがとうございます!
#1の方の補足欄も併せてお読みくださると幸いです。

>→とても興味があり、少なからず興奮したと思います。(小4くらいだったと思います。)

同様です。汗 時期も同じです。
遊びに行った公園にたまたま落ちていて、友だち(女子)と面白がって見ました。

>→少なくとも男のポルノに興味はなく、興奮もせず、気持ち悪い(過去も現在も)。従い、ご質問の回答はYESです。

これについて、なのですが。。。。
「性的な意味でなく」おおーーーー!とか言う事は無いのでしょうか?
私自身は、どんなに卑猥な視点で表現で描かれた物も性的でない視点で良い悪い(好み?)を採点している感じがあります。(変なの!汗)
そのような観点は持たれないのでしょうか?

>→初めて見たとき(小4のころ)は、罪悪感がありました。

と言う事は、「その後は罪悪感が無くなった」と言う事なのでしょうか?
それはどうしてなのでしょうか?

私自身に戻れば、
余程「初めて知った(見た)時」の方が興味津々!。その後知識が増えるのと自身の成長に従って、「違和感/嫌悪感が増した」ように感じます。
(質問文とは違ってしまいましたが、ご了承ください)

>→前述の通り、大変違和感を感じます。

先程の付け足しになってしまいますが、
例えば、性的でなく「同性に肉体美を感じる」と言う事は無いのでしょうか?

>→そんなことは考えたことがありませんでした。

大変失礼な言い方かも知れませんが、
そのような「想像」があれば、ポルノと言う物はかなり数を減らして行くのでは無いだろうか?と私は思うのですが、いかが思われますか?
要は、(この場合概ね異性愛の男性と言う事になりますが)そのような「想像力の欠如と未熟さ」がポルノを蔓延させたのでは?と思うのです。

辛辣な言い方になりますが、
例えば、自身の彼女/妻/姉妹等がそのような目で見られる、と言う事への「思慮/思いやり」が男性に在るならば、現実に商業的に存在するポルノは縮小の傾向になる筈、と言うのは私の思い違いと理解不足でしょうか?

丁寧な回答に反駁、のようにお感じになられましたら、お詫び申し上げます。
純粋な思いと疑問を述べた迄、なのですが。。。。
そして、皆様に教えて頂きたい、と思うのです。

お礼日時:2008/12/08 16:23

理念よりも、経済優先の法則になっているのかも知れません。


世の中にある商売も、多くは、「これをこういう理念理想理論で打ち立ててやってみよう」という精神で創業されたものは少ないんじゃないですか。八百屋であれ、インバイ屋であれ、エステティックであれ、プロスポーツであれ。なにか、それをやると金が流れてくるという必然的な法則がそれを設立ならしめた、それが歴史じゃないでしょうか。
そう考えると、ポルノの理念が何だということは、机上の空論そのものじゃないでしょうか。それをやったら金が流れてきたからその流儀が続いているのだ、いつからか知りませんが、現代は映像仮想体験的なメディア利用に到達しているということでしょう。

人間結局(円)ということなんじゃないでしょうかね残念ながら。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

こんにちは。
garcon2000様、先日はありがとうございました!^^
#1の方の補足欄も読んで頂けたら嬉しいです。


>理念よりも、経済優先の法則になっているのかも知れません。

それはそう、でしょうね。。。
元々、ポルノに理念等存在しない、と思います。


>なにか、それをやると金が流れてくるという必然的な法則がそれを設立ならしめた、それが歴史じゃないでしょうか。

これには、私は「そうかなあ?」と疑問です。
元々「貨幣経済」が始まる以前から、「現在ある商売/職業の原型」は存在した。
其処に「貨幣経済」が発祥し、「お金(貨幣)の動き」が加わった事で「新たな人間の欲」が生まれた、私はそう考えています。
だから、現存する全ての組織/理論/方法/しきたり等は、根本の根本は「人と人との助け合い」や「人間の向上心」が生み出したものだと思うのです。
根本にそれが無ければ、人間社会は立ち行かない、と考えております。

でも、「理念の無い物」も、当然ながら存在する。
それはでも「過渡期としての存在」、「いずれ消え行く物としての存在」だと思うのです。

ポルノは「人としての理念は無い」けれど、「生物としての理念はある」ように思います。
だから、存在し続けて来た。。。。

でも、それにしては「多過ぎる」と言うか「目につき過ぎる」と言うか。。。。
これが「私の勝手な感想」でないなら、人間は「人間として堕落/退化して来ている」と言う事になるのでしょう。。。。

回答ありがとうございました!!

お礼日時:2008/12/08 16:48

随分と昔の話です♪


勿論、ヌード写真と呼ばれるモノは子供の頃から見ていましたが、ポルノグラフティ、そのものズバリの性行為の写真というものを見たのは、高校一年の時、水泳部の部室でした。
いやはや、鮮明に覚えていますよ。(笑)

40年近く前の話ですから、当時は今と違ってそういうものは手に入りにくかった。
その写真は、所謂スエーデン物の一冊の本で、牧師さんに懺悔に来た女性信者が、キリスト像の前で各種行為に及ぶというストーリーでした。
当時の僕にはどぎつかったねぇ。
オーラルセックスの男女性器のアップ、挿入している局部、射精後の様子、、、若僧らしく興奮を抑え平静を装いながら、皆興奮していました。(笑)

●「ポルノと言う、性を扇情的に扱うもの」の存在を「初めて知った時」、どういう風に感じましたか?
*当たり前
*違和感

う~~ん。
当時、僕の脳細胞の98%は「性」を巡って活動していたような気がするので(笑)、お~~~!!!こうなんだ!という純粋?な興奮が記憶に残って、当たり前とか違和感という感覚はなかったね。

ポルノグラフィティに「違和感」を持ったのは、むしろ初体験の時。
大学1年生の時に、先輩に当たる25才の中学校の音楽教師と付き合い、初体験をして性の手ほどきを受けてからのような気がする。
セックスって、ベッドの上で行うことは、ほんの一部なんだ…という当たり前のことを理解してからは、ポルノには違和感が先に立って、実際にカメラの前に立っている男女は、この世のゴミのような無教養でくだらない連中なんだろうなぁ~~としか感じなくなった。(笑)

●つまり、「感じ方の前提」として、
*自分を被写体に置き換えて、の臨場感、の有無

言い換えれば、僕には彼等の立場に自分を置き換えることが不可能な故に、興味が失せたのかもしれない。

でもね、当時の日活ロマンポルノは時々観たよ。(笑)
宮下順子なんていう、その辺を歩いてそうな、普通以上に普通の容姿の女優の演技としての性は、それはそれで興味深かった。
また、当時のストリップというのは、本番生板といって、お客さんが舞台に上がって、踊り子と実際に性行為をしてしまうというものが主流で、面白半分で何度か見に行きましたね。
就職後も、同僚の女性達も一緒に行ったこともある。
女の子達は「へぇ~~~」っといった感想だったようだ。

「商品」としての性ってのは、一時期通過しなければ後々面倒なことになるような気がするけれども、やはり、本質的には「つまんない」もの。
だって、僕の肉体の方がずっと綺麗だし(笑)、僕が貫いている女性の反応の方が、ずっと楽しく凄い♪

セックスの90%を占める、ベッドの上での性交以外の「セックス」は、ポルノよりもむしろ、他のものにあるからね♪

この回答への補足

回答をありがとうございます。
見つけてくださって光栄です。^^
センサーには感謝、ですね。
#1の方の補足欄もご覧頂けましたら嬉しいです。


>勿論、ヌード写真と呼ばれるモノは子供の頃から見ていましたが、

そうなのですか??ちょっとびっくりです。
これは、「時代」と言う事なのか、「男の子だったから」と言う事なのか?どちらなのでしょうか?

私は#2の方へ書きましたように、小4か5の頃初見!です。
それ迄、(子どもはともかくとして)「人の裸」は、家族以外見た事が無かった、と記憶しております。
どちらかと言うと、「純粋培養された」と感じている娘です。汗
私が目にしなかったのは「両親の努力」でしょうか。。。。

>ポルノグラフィティに「違和感」を持ったのは、むしろ初体験の時。

そうですね。。。自分の成長と性徴に従って、違和感が増したようです。
初見の時は、「純粋に興味津々!」でした。

>言い換えれば、僕には彼等の立場に自分を置き換えることが不可能な故に、興味が失せたのかもしれない。

私は、「被写体に自分を重ねる」では無く、「被写体を垂涎して見る(だろう)男性の目に映る自分」に重ねている、だから「激しい拒否と嫌悪」を感じるように思います。
これって、「自分の力ではどうしようもない事」だと思うので、どう処理すれば良いのか?が判らないのです。。。。

>でもね、当時の日活ロマンポルノは時々観たよ。(笑)

私がその手のものかな?というので観たのは、「花と蛇」「完全なる飼育」「香港情夜」くらいですね。。。。
まあ、夜更かしして色々映画を観ちゃう事はありますが、あまり他に興味深い物はありません。この三つは、色々と考えました。綺麗だ。。。とも思いました(女優や風景)し、物語の流れにも変な違和感はありませんでした。もっとも、これらが「日活ロマンポルノ」と同じように観る物か?となると詳しくないので判りません。^^

>「商品」としての性ってのは、一時期通過しなければ後々面倒なことになるような気がするけれども、

それは「女性についても言える事」なのでしょうか?
また、ご自慢の(^^)お嬢様方にはどのようにこの分野についてお話しされていらっしゃるのか、おきかせ頂けませんでしょうか?
私は我が子達にポルノの扱い方をどう話せば良いのか?、または親が会話に出すべき事では無いのか?、皆目見当がつきません。まだ後10年の猶予はあるのですが。。。。

我が子は既にセックスと言う単語を知っています。これは、「赤ちゃんはどうやって生まれて来るの?」と言う、小さな子どもの極普通の問いかけに対する答えとして、答えて行く過程で話した事です。
でも、このように「本質の無い性」または「本質そのものの性」をどのように子ども達と向かい合って行けば良いのか?は判りません。。。

お時間、お手間掛けて頂き、ありがとうございます!!

補足日時:2008/12/08 17:41
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答、ありがとうございます!
長くなってしまったので補足欄に書き込みました。
よろしくお願いします!

お礼日時:2008/12/08 17:44

今回のご質問ご感想文で、女性心理というものを改めて男とは異質なもの、はるかに情があり芳しいもの、「生」の息吹が感じられるもの、という風に納得いたしました。

回答じゃなくてすみません。そのような強烈な情動によって女性は動いているし、人類も滅亡しなくてすんでいるのだ、まさに男と女の異質なコラボレーション以外の何者でもない、ということを思い知らされたしだいです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再びの回答をありがとうございます。

>回答じゃなくてすみません

いいえ。口べたな夫と違って、男性の生の言葉で、しかも思慮深く言葉を選ばれて表現された「回答/感想」を聴かせて頂ける事がとても嬉しいです。汗

私の夫と来たら、身体能力は素晴らしいくせに、言葉選びがまるっきりダメで。。。それでもまあ、考えている事は判りますから構わないのですが。^^

また何かありましたら、直接の回答でなくても構いませんので、よろしくお願いします。

お礼日時:2008/12/10 16:11

#2です。



1.「性的な意味でなく」おおー!という事は無いのか?

よく分からないのですが、yukkinn66さんにとって、ポルノ≒ヌードなんですかね?

私の中ではポルノ≠ヌードです。
私の中では、
ポルノ=性行為が対象、やっちゃっている写真、やっている所を想像させる写真
ヌード=裸体を純粋に美として表現する写真~やっていなくても性的魅力を感じさせる(セクシー)写真
という感じです。

で、上述私のいうところのヌードに関しては男性のグラビアをみて「お~!」と思うこともありますし、セクシーだと感じる場合もあります。
でもポルノはダメです。

例えばハンドボールの宮崎選手のグラビア見ましたが、セクシーだと思いました。きっと自分が女だったら抱かれてみたいんだろうなぁ、という感じです。
一瞬自分が女の視線で見ているのかも知れません。そういう意識はありませんが。

ヌードに関しては、むしろ女性のヌードより男性のヌードの方が良く思えるモノが多いです。女性は「脱げばイイってもんじゃないだろ」みたいに思えるモノが多いのに対して、男性のは洗練されている写真が多いと思います。⇒変ですかね???

ポルノについては男性のものは全てNGですね。それ抜きに見たり感じたりすることが出来ないです。

でも女性のポルノでも、自分の中で下品に感じるものがあって、そういうのはNGです。何を基準に下品と感じるのかは自分でもよく分かりませんが、見た時に下品と思うモノがあるのです。
男性のポルノは全て下品に感じるので、その点では違います。女性のポルノだとイイと思うモノが沢山あります。


2.「その後は罪悪感が無くなった」ということなのか?

最初は、オトナが見るモノを見てしまったというか、自分だけ見てしまったというか、そんな感じだったのかも知れませんね。
その後は、興味も津々だし、実は他の人も見ているみたいだし、徐々に罪悪感は無くなっていったのかも知れません。
でも自分がそういうのを見ている所を親兄弟には見られたく無いですよね。それは罪悪感があるって事なんですかね・・・?


3.そのような「想像」があれば、ポルノは数を減らして行くのではないか?自身の彼女等がそのような目で見られる、と言う事への「思慮/思いやり」があれば、商業ポルノは縮小の傾向になるか?

これはポルノの問題ではないです。分かっていてもヤメられないのです。人間には欲がありますから。性欲、金銭欲、名誉欲、食欲・・・。やめられないのが必ずしも悪とも思いません。(ポルノが悪とも思いません。)
無くそうと思えば完全共産主義にでもするしかありません。しかし人間には欲があるので完全共産主義には絶対に到達せず、完全共産主義=欲を無くすので、すなわち人間では無くなってしまいます。(この辺りは思想論なので異論もあると思いますが。)

貧しい国の人を助けましょう。分かっています。でも私財を全部なげうって寄付しません。いや私財の0.1%も寄付していません。
人間みな平等に扱いましょう。分かっています。気をつけています。でもどこかである時、誰かを見下している自分に気付きます。
食べ過ぎに注意しましょう。運動しましょう。分かっています。でもメタボ検診に引っかかります。
飲み過ぎに注意しましょう。分かっています。でも翌朝は二日酔いのこともしばしばです。

たぶん、下に行くほど実行しやすいはずですが、一番下でさえ、出来ません。それに対して罪悪感を感じる場合もありますし、感じない事もあります。
それと同じレベルの事だと思うのです。
・・・変ですか???

yukkinn66さんがポルノをみて、罪悪感を感じたり、感じなかったりするのは、それらとはまた違うのでしょうか?

長文失礼。

この回答への補足

回答下さった皆様、本当に感謝申し上げます。
皆様の回答を読み、考え、返信を考えるにつれ、やはりこの質問は、一般化を試みようとしても無理なのでは無いか?、そう思えて来ました。
現に、一般化して考えようとしても、私自身がどうしても引き戻され立ち戻り、「同じ地点」に立ち尽くしているのが実感出来ました。

その「地点」について、こちらに書かせて頂きたいと思います。
よろしくお願い致します。

先に#1の方の補足欄に書きましたように、私の感覚には「二種類」あります。これははっきりと分かれます。そして、共存はしません。
その時々の何らかの具合によって、どちらかの感覚が選択されます。
その強弱はありますし、最近ではある程度のコントロールと矯正も可能になって来ておりますが、まだまだ不可解で自動的、抵抗不可能な場合が多いです。

はっきり言って、そう言った「成熟した男性性の思考/嗜好」に対して、私自身「子ども」のまま拒否している部分が大きいと思っています。
#4様に申し上げましたように、「純粋培養された」ところもあります。

自ら書きました質問文を翻すようですが、
*「初見の時」は興味津々!
*「違和感」はその後発生し、膨張した。
これが「事実」です。そして、その違和感を無視出来ない状態迄膨張させた幾つかの事件もあります。

>ポルノ=性行為が対象、やっちゃっている写真、やっている所を想像させる写真
>ヌード=裸体を純粋に美として表現する写真~やっていなくても性的魅力を感じさせる(セクシー)写真

と説明頂き感謝します。
はい.混同しています。
例えば、ヤングジャンプ等の巻頭のグラビア。あれは「ヌード」でしょうか? それから、プレイボーイの中身はどちらでしょうか?
(私自身週刊誌には縁も興味も無いので、街中でちらっと垣間みる、程度なので、実際の写真をじっくり見た事も少ないのですが。。。これじゃあ、話になりませんね。。。)

あれら「裸に近い写真」も、「扇情的」としてしまいたい、自分がいます。

おそらく。。。おそらく、です。
「これらの見知らぬ女性の肌を、垂涎して眺めるであろう男性達」と、中学生当時の私の身体を、撫で上げ、通り過ぎ、恐怖と嫌悪と絶望と屈辱で硬直し、やっとの思いで振り向いた私を、物陰から何とも言えない目つきで笑った男、が重なるのだと思います。

でもでも、痴漢に遭う女性なんて、世の中に幾らでもいるでしょう?
こんな小さな出来事が私の「男性の思考/嗜好」に対する理解の成長を止めてしまった、なんてあり得ない。何か、私の「考え違い」なのだ、と今迄考えて来ました。
でも、今回こうしてこの課題に逃げられなうように仕向けてみて、どうしてもこの「地点」に引き戻される自分に気が付きました。。。。

意外に「引っかかって」いるのかも知れませんね。。。。
この後にもあるのですが。。。。二つ程引っかかる事件が。汗
これらの「小さな事件」について、今迄にも何度も考えて来ました。
そして、思い返す度に「男にはきっと理解してもらえないのだ」と諦めたくなる自分が居るのです。
これらの事件は夫も知っています。「大変だったね」とも言ってくれました。それでも「理解してもらえた」とは思えない自分が居ます。時に大好きな大好きな夫にすら、激しい憎しみを抱く私が居ます。

元来、負けん気が強く、男勝りで女嫌いで男友達ばかりで、「人生のライバルはいつも男友達」で生きて来た私が、「男には理解出来ないだろう」と思ってしまう事は、なかなかキツいです。
女嫌いもあり「女ってわけわからん!」といつも思って来ましたし、いつも男の中にとけ込めるように努力して来ました。それが、此処に来て、「結局、私はどちらにも属していない」事実を突きつけられた感じです。
まあ。。。群れたくないので構わないのですが。。。。

女は嫌い。男にも嫌悪感と憎しみ。。。自分の生まれた性別よりも、この世に「男女の違い」が存在する事、そのものに憎しみすら憶えます。
それでも、自分の命よりも大切な小さな我が子達を見るにつけ、彼らを生み出す事が出来た、その「性別の存在」に感謝したい、とも思うのです。。。。

と、言う訳で、ふらふら、どころかメチャクチャな質問者である事が、ここに露呈しました。汗
お礼は遅くなっても必ずさせて頂きますので、突然締め切っても「自己防衛の策」とご理解下さい。まだ頑張れるか、試みてはみますが。。。。

何かご意見、感想等ありましたら、よろしくお願い申し上げます。

補足日時:2008/12/09 14:25
    • good
    • 0

こんばんは。



こういう質問には他の誰よりも早く飛びつきたがるはずなのですが、今回は飛びついてはみたものの、書いては消してを繰り返しつつも、なかなか回答操作をするまでには至りませんでした。

で、回答を断念しかけていたところ、「補足」・「お礼」がなされているのを興味深く拝見し、今までのもどかしさが多少は払拭されたように思われました。
でも、まだ「もしかして回答なさった男性陣も、実はyukkinn66さんのポルノへの興味・関心との間に微妙なズレのような違和感?を、多少の差こそあれ、どなたも感じたのではないかな」という疑いを抱いております。

私の覚えた違和感というのは、yukkinn66さんのポルノへの興味・関心のあり方は女性ならではの普遍的なものなのか、それともyukkinn66さん独自の固有性を帯びているのか、いずれにせよ、男性のポルノへの興味・関心との間にずいぶんとズレがあるのではないか、という戸惑いに近い気がします。

>私は何か、この「扇情的な存在」に「考え間違い」をしているのではないか?そう思えて、今回の質問に至りました。

「考え間違い」と思わないどころか、ある意味、女性からすれば当然だと思いますが、それにしても男性のポルノへの興味・関心の実態からずいぶん離れた地点で問題設定をなさっているように感じました。

>古代から「女性の裸体画」が、芸術の一分野で存在している事から、女性の裸体は「男女問わず」美しさを感じられるもの、だと言う気がします。

現在の私なら、「女性の裸体」・「女性の裸体画」・「女性のポルノ」に対し、ほとんど反射的にそれぞれを別次元のものとして区別しますが、思春期に入った田舎育ちの少年には、片想いの彼女に見咎められないように細心の注意を払って覗いた図書館の画集中の裸体画が十分ポルノに匹敵する性的刺激を与えてくれたのを想い出します。

要するに、「裸体画」が芸術かポルノかにしても、男性の置かれている性的条件によって規定されるしかないということです。
同じ意味で、本物の画家にとっては、どんなにセクシーなモデルの女性であろうと、それは画家の脳裏に宿る理想の肉体のイメージを具体化するための恰好のモチーフ以上には作用しえないはずです。

ちなみに、明治時代には官憲が裸体画の下半身を布で覆うという、所謂「腰巻事件」が実際に起こっております(乳房には今ほど性的な価値は認められていなかったか?)。
まだまだ平気で混浴が行われていた時代のことです。

>では、ポルノ、としての男性の裸体が嫌悪の対象になるのは何故なのでしょうか?

う~ん、今は廃刊となった、かの有名な男性ポルノ雑誌『○○族』のバックナンバー数十冊を所蔵していますが、私を含めた平均的男性の反応となると、「嫌悪」というより、物珍しさ以上の興味・関心はないといったところでしょうね。
そう、同性愛者を除けば、おそらくyukkinn66さんが拍子抜けするくらいに興味を示さないはずです。

>例えば、自身の彼女/妻/姉妹等がそのような目で見られる、と言う事への「思慮/思いやり」が男性に在るならば、現実に商業的に存在するポルノは縮小の傾向になる筈、と言うのは私の思い違いと理解不足でしょうか?

ここには、失礼ながら、多くの女性に共通するポルノ観が窺えるような気がします。
平均的な男性なら、身内の女性が性的対象視されることを許し難いと思いつつ、一方で平気でアカの他人の女性を性的欲望対象と見なしたり、これにひそかに欲情したりせずにはいられないはずです。
こういう論理的矛盾?を堂々と冒しうるのも、男性の性欲や欲情動機と言ったところで、所詮は歴史的・文化的なマインドコントロールによる妄想に他ならないからと私は考えます。

なお、社会にポルノが溢れれば溢れるほど、その欲情装置としての価値も低下する、つまりポルノも性的刺激としては機能しなくなってくるのでしょうね。
逆に、「ポルノ」を減らしたにしても、代わりに他の欲情装置が擡頭してくると予想されます。

>私は、「被写体に自分を重ねる」では無く、「被写体を垂涎して見る(だろう)男性の目に映る自分」に重ねている、だから「激しい拒否と嫌悪」を感じるように思います。

「被写体」は、良くも悪くも、それを《見る》男性の性的・美的想念を投影する鏡の役割を果たしますが、現実存在としての女性の場合、その人格と意思の力によって、男性の欲望の投影を跳ね返すことができるのだと思います。
なお、女性から《見られる》とき、男性は女性に欲情、これはしばしば夫側レスの要因となっているはずと私は考えています。
こういうときには、妻がアイマスクを着用すれば、容易に夫の性的欲望対象に早変わりするはずです。

まだまだ意を尽くせないもどかしさを感じますが、あまりにも駄文が冗長になりすぎましたので、この辺で尻切れとんぼのまま終わらせていただきます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

kadowaki様、来て頂き感謝致します。

昨日#6hypnotize様の補足欄に書き込んだ後、皆様の回答を何度も読み返しました。特に「性の実態」とそれに対する「社会的なカモフラージュ」と言った「性の落差」に関してとても深い思考をなさるkadowaki様のご回答は、読み落としが無いように、と何度も何度も読みました。

>「被写体」は、良くも悪くも、それを《見る》男性の性的・美的想念を投影する鏡の役割を果たしますが、
>現実存在としての女性の場合、その人格と意思の力によって、男性の欲望の投影を跳ね返すことができる

そうなのです。とても判り易く表現して頂き、感激です。
「仮想の存在」と「現実の女性」の違い、をどう区別しているか?についての、私のこれ迄の「漠然とした理解」を、具体化出来ました。

そして、それは同時に、中学生当時の私はその「人格と意思の力によって、男性の欲望の投影を跳ね返す」事が出来なかったのだ、と言う事が判りました。それが、私の落ち度であれ、あの男性の落ち度であれ、あの時の私は、あの男性にとって「物」であったのだ、いいえ「物」ですら人には大切にされ、価値がある。私は「物以下」だったのだ、と判りました。

そう理解し、私はわんわん泣きました。これは夕方の事。
やがてひとまず泣き止め、子ども達の世話をし、いつも通り寝かし付け、夫が帰宅し、ホッとくつろぐ夫に凭れていたら、またドッと哀しくなってまた大泣きしました。。。汗
「泣く」のは嫌いです。「涙は女の最終兵器」とか言われますから。
なかなか泣かない私があまり泣くので夫は困っていました。^^

でも、確か、この中学の時の出来事で泣いた事って、昨日が初めてだった気がします。
そう。。。あの時の私を「物以下」に貶めたのは「何」なのでしょうね。。。

>「裸体画」が芸術かポルノかにしても、男性の置かれている性的条件によって規定されるしかない

その通りですね。これは「実感」です。^^
同一の対象をどう見なすのか?は、性的条件が決める。
では、同一の対象をどう扱うのか?は何が決めるのでしょう?
あの時の私に足りなかった「跳ね返す要素」は何なのでしょうか?

お心遣いは感謝申し上げますが、事実に関して容赦は無用です。
お願いします。

お礼日時:2008/12/10 16:47

>古代から「女性の裸体画」が、芸術の一分野で存在している事から、女性の裸体は「男女問わず」美しさを感じられるもの、だと言う気がします。



エドゥアール・マネという画家をご存知かと思います。
発表当時スキャンダラスであると大変物議を醸し出した『草上の昼食』の二年後に発表した『オランピア』は、ティツィアーノの描いた『ウルビーノのヴィーナス』からインスピレーションを得て意識して製作したと伝えられています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F: …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F: …

ルネサンス時代より伝統的な美のモチーフとして好まれてきた神話上の女神ではなく、あえて当時の高級娼婦をモデルとして描いたために、”我こそは芸術を理解する”と自負があったであろうサロンに出入りする人々からでさえも大変に非難された作品でした。
1865年発表当時「ポルノ」の類とみなされたであろうこの作品は、従来のヴィーナス像に「当時の現代的なパリの退廃感、快楽的・享楽的価値観」を明るい色調や平坦なコンポジションといった新鮮な画法を用いて加味することにより、古典的な絵画からその後の近代絵画へ連なる橋渡し役を担った上に、当時の画家達に製作意欲の鼓舞をもたらしたとも言えます。

今日においてこのような名画と称される裸婦絵画でさえ、発表当時は上述のような大変酷い扱いを受けました。
ですが現代に生きる私達は男女を問わず「よこしまでない眼」で芸術鑑賞することができるのです。
だとすると、質問者様のおっしゃる「ポルノ」に対するこだわりや嫌悪の感情というものは「モチーフそのもの」に対する印象以上に、現代が孕む諸事情や世論にも左右され、更にはオールド・ファッションでレトロなサブ・カルチャーの一種であった、と将来はご主人と共に懐かしみ一笑するに過ぎない、という可能性も否めません。

一般的には、昨今の急速なネット環境の発達に伴う情報の細分化と検索の安易な傾向に伴い、「ポルノ」におけるフェチ度の特殊化、専門化という点に関して言えば、間違いなく男性より女性の方が嫌悪を感じる部分が多いことが予想されるのではないでしょうかね。

幼少より私立女子一貫校で育ち、巷に氾濫する女性の裸婦に比較的「鈍感、おおらか」な私のポルノに対する印象はかなり質問者様とは異なります。
若干の海外滞在経験を含め、自らのひとりよがりな価値観で「美」「芸術」と認識するものはポルノを含む含まないにかかわらず積極的に許容し、「その他」は故意に無視します。
ですが無視すべきその他の存在までは否定したり嫌悪する気は何らなく、また、肝心の自意識過剰な価値観でさえ多くの「現代のバイアス」に縛られているものなのでしょう。

最後に、
>現に私自身、例えば好きな海外サッカーの或る選手等、「いや。。。脱いでも綺麗だろうなあ。。。ニカニカ」等と、思ってもいます

仮に好きなサッカー選手が卑猥かつ低俗なポルノに出演していた場合、質問者様は「違和感」「ニカニカ」どちらを感じると想像出来ますか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

こんにちは、mashumaro2様。^^
回答をありがとうございます。

>オールド・ファッションでレトロなサブ・カルチャーの一種であった、と将来はご主人と共に懐かしみ一笑するに過ぎない、

是非是非、そのような将来にしたいものです。
昨夜、#7様の回答にて切っ掛けを得、今朝は腫れぼったい目で起きました。汗  夫に対し、もっと言葉にして当時の自分と今の自分の心を表現する事がそのような未来に近づく手っ取り早い方法かも知れませんね。

>自らのひとりよがりな価値観で「美」「芸術」と認識するものはポルノを含む含まないにかかわらず積極的に許容し、「その他」は故意に無視します。

この「故意に無視」が印象的でした。
同性の立場からの「具体的擦り抜け方法」に感謝申し上げます!^^

>仮に好きなサッカー選手が卑猥かつ低俗なポルノに出演していた場合、質問者様は「違和感」「ニカニカ」どちらを感じると想像出来ますか?

「気にならない時」であれば、好奇心でニカニカ。。。かも知れません。
「気になる時」であれば、夫の着衣の身体も嫌悪感の対象になるくらいですから、絶対無理、でしょうね。。。。やれやれ。。。。厄介な妻です。

お礼日時:2008/12/10 17:29

No.4です♪



>私は我が子達にポルノの扱い方をどう話せば良いのか?、または親が会話に出すべき事では無いのか?、皆目見当がつきません。まだ後10年の猶予はあるのですが。。。。

娘が中学生2年生の時に、彼女の机の上に積み上げている本の中に、所謂「官能小説」を見つけて、「へぇ~~!」と驚いたことを思い出しました。
コイツ、随分と文学的だな…と。(笑)
考えてみれば、中学から高校の頃の自分の頭の中って、セックスとか挿入とか、ヤルなんて言葉ばかりだったんですから、女の子だって同じなんだろうな…と感じました。
まあ、僕もイロイロ問題はありますが、特に破綻していませんので、彼女だって大丈夫だろ…と考えていますし、今のところ大きな問題はありません。(笑)

会話にセックスの話は出ましたね。
女の子の場合は中学生の頃に興味が外側に発散され、高校生になると内にこもるというか…。(笑)
あと、「パパ!浮気してたんだって?どうだったか、私の将来の参考のために、ちゃんと教えなさい!」と、しつこかったのも中学生の頃でした。(冷汗)
最近は、そんな野暮なことは言いません♪

まあ、様々な刺激的なセックスをするたびに、我が娘のことを思い出していたら萎えてしまうように、娘達は娘達なりに、かってに成長するんだと思いますよ。
今は、ネットなどで‘そのものズバリ’なんていくらでも目に入りますしね。

僕が子供達に身をもって示せるのは、
●人生って、日々の些細な日常って楽しい
●嘘も誠意も、冗談も大真面目も、その人間の器量次第で善にもなれば悪にもなる
ということだけ♪
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再びの回答、ありがおとうございます。
いつもの事ながら元気が出ます。^^

>娘が中学生2年生の時に、彼女の机の上に積み上げている本の中に、所謂「官能小説」を見つけて、

そう言えば、中学の時、友人達と面白がって18禁の小説を読みましたっけ。汗
確か「殺戮に至る病」って言うものでした。推理物でエロエロで、全体の構成も凝っていました。面白がって読んだは良いけど、その後しばらく吐き気に悩まされたおバカさんです。笑

>考えてみれば、中学から高校の頃の自分の頭の中って、セックスとか挿入とか、ヤルなんて言葉ばかりだったんですから、女の子だって同じなんだろうな…と感じました。

図星です。恥
でも、私の場合、「頭がいっぱい」は小学校高学年から中学でしたね。
高校は意識的に排除していたかも知れません。(#6の方の補足参照)音楽と学校行事と読書に勉強で頭がいっぱい、でした。^^

>まあ、僕もイロイロ問題はありますが、特に破綻していませんので、彼女だって大丈夫だろ…と考えていますし、今のところ大きな問題はありません。(笑)

そうですね、bagnacauda家のお嬢様方なら大丈夫そうですね。
愛情たっぷりで注意深いお父様がちゃんと見てくださっていますし、きっとそれがお嬢様方も実感出来ていらっしゃると感じられます。^^
私の父はイマイチ鈍感で。。。。「人生の楽しみ方」は主に母から教わりました。それでも何だか掴み所無く、憎めない可愛い(?)父親なのです。^^

その「事件」はデパートの書店で、母が用事を片付けて来るのを父と二人で待っている時でした。御陰でその後、父は母に色々とちくちく言われていました。そうは言っても、書棚の間で、の事でしたし、私の顔色が変わった事に「どうした?」と聴きはしたものの、肝心の私が何も言わなかったので何も出来る筈が無かったのです。父も嫌な思いをしたのでしょうね。。。悪い事をしました。

お礼日時:2008/12/10 18:50

> 「ポルノと言う、性を扇情的に扱うもの」の存在を「初めて知った時」、


> どういう風に感じましたか?
存在を「知った」というのはちょっと違うかしら。

小学校に入った頃までは
おじさんたちが女性の裸を見て喜んでいることは知っていたけど
それがどうして喜ばしいのか分からなかったし
そういうことを何とも思わなかったの。
可愛いと思う女性タレントや、女の子の友達はいたけど
まだそれは性的な欲望ではありませんでした。

小学校5年生ぐらいだったかしら
以前同じクラスだった女の子を見て、突然ドキン!としたの。
今までの「可愛いな」という印象とは違って
とにかく、すごくやるせない、苦しい感じがしたの。
要するに、自分が初めて異性に性的欲望を感じた瞬間だったわけですね。
それ以来、それまで眼中になかった筈の
ポルノ雑誌の表紙なんかが本屋で目に入ったときも
彼女を見かけたときと同じような
やるせない苦しい感じがするようになりました。
あれは、自分でもよく分かりませんよ。
きっと、野生とか、本能とか、そういうものの目覚めですよ。

このとき、初めてポルノの扇情性を感じたんです。

そして、そういうものは「見てはいけない」と言われていたから
よけい見たくて、我慢できなくて、苦しい感じしました。
そこに「道徳に反する」即ち「背徳的なこと」の喜びがあると知ったのも
それ以降、いわゆる反抗期の真っ只中でのことだと思います。

とにかくコントロールできない性欲が芽生え
コントロールできない自らの性器に唖然としだしました。
多くの男性がそういう経験を持つと信じます。

そこに「人としての自分」と「雄としての自分」の間の葛藤が芽生えます。
理性と本能の葛藤といった方が分かりやすいかしら。
理性が本能を嫌悪する男性もいるでしょうし
本能が理性を嫌悪する男性もいるでしょう。
でも多くの男性はその間で社会的なことなども加味して
何とかバランスを取るのでしょう。

> 私もすれ違う見知らぬ異性から「あらぬ姿」を思い描かれているのかしら?
先に「あらぬ姿」を思い描くのではありません。
性的な魅力を感じて、初めて「あらぬ姿」を想像したくなります。
性的な魅力を感じない異性の「あらぬ姿」は
(言い方は大変よくないですが)嫌悪感さえ感じてしまいます。
酷いことだと思いますが、でもどうしようもない。
酷いと思うからこそ、私は「男女差別」など各種差別に
ひどく敏感になってしまいました。
でも、ジェンダーによる偏見を減らそうとするほどに
セックスによる違いを強く感じる今日この頃です。

No.7さんが
>「考え間違い」と思わないどころか、
> ある意味、女性からすれば当然だと思いますが、
> それにしても男性のポルノへの興味・関心の実態から
> ずいぶん離れた地点で問題設定をなさっているように感じました。
と仰っていますが、私も全くもって同感です。
男性ポルノとか女性ポルノは関係ないのです。
何に「欲望」を感じるか?だけだと思うのです。
「欲望」を感じなれば「眼中に入らない」ということだと思います。

そして、人としての基本云々を語る以前に
他人の欲望とは「怖い」ものだと思うのです。
怖いと感じたとき、拒否感が生まれるのは
これまた本能だと思います。

美しい裸体には、性的興奮を覚えません。
そして、性的興奮を覚えなくなると(卑猥を感じ取る力を失うと)
多分、雄としての役割を果たせなくなるのです。

この回答への補足

CUE009様こんにちは。
先日読書カテにて「ミステリーの楽しみ方」を丁寧にご教授下さった方ですよね? その節は本当にありがとうございました!
そして、また回答を頂けた事、感謝申し上げます。

>小学校に入った頃までは
>おじさんたちが女性の裸を見て喜んでいることは知っていたけど

そうなのですね。。。。私はそれすら知らなかったように記憶しております。
様々な理由と地理的条件で、私の育った家は親戚付き合いが皆無、に等しい状態でしたし、近所付き合いも「互いの家に上がり込む仲」の相手はおりませんでした。加えて超ど田舎の農村地帯、でしたし、私自身も友だちと遊ぶ時は外。家の中は厳禁!だった為、そのような雑誌等を目にする機会が無かったのだ、と思います。

ですから、私の「猥褻文書初見!」は、ポルノと言う物の存在を初めて知った時、でもあったように思います。
そして、その初見時、既に私は、「そのような物で自分の肉体が反応する」事を知ったように記憶しております。
既に知らず知らずのうちに自分の肉体が求めていた物を、具体的には無知の状態で、いきなりその求める物を目の前に突き出された感じだった、と記憶を辿って感じております。

でも、だからと言って、同級生等に性的な欲望等は感じませんでした。
まだ、そのような行為が存在する実感は沸かないまま、それに反応し感情(?)を掻き立てられる自分が居ました。

両親は仲の良い夫婦でしたが、そのような「性的な空気」は子どもに覚られないよう、注意を払ってくれていました。(あ。。。でもよく子どもの前でもキスはしていました。。。軽いものを。それについては、普通の夫婦のする事、と思っていました。^^)
両親とセックス、は結び付かず、自分と実在の誰かのセックス、は尚更想像出来ず。。。でも、自分の身体はそれを求めている事だけは判る。変な状態でした。

>とにかくコントロールできない性欲が芽生え
>コントロールできない自らの性器に唖然としだしました。
>多くの男性がそういう経験を持つと信じます。

私は女性ですが、その感覚は実感で判ります。
それこそ、小学校等学年から中学校の私は、明らかにそのような状態であった、と感じられます。(これって、「女性には稀」な事なのでしょうか。。。。?汗)

>そして、人としての基本云々を語る以前に
>他人の欲望とは「怖い」ものだと思うのです。

はい。
「自分の欲望」ですら、自分を傷付ける事はありますものね。
私は、「まず、自分の欲望と自分との適切な距離」を測ろうとしていました。そして、その試行錯誤の直中(まだ「他人の欲望の存在」に思考が辿り着く前に)、「例の事件」に遭ってしまったのだと思います。

これでは「全てがしっちゃかめっちゃか」になってしまってもおかしくないかも知れませんね。。。。

補足日時:2008/12/11 14:04
    • good
    • 0
この回答へのお礼

CUE009様、回答をありがとうございます!
長くなってしまったので、補足欄に書き込みました。
よろしくお願いします。

お礼日時:2008/12/11 14:07
1  2  3  4  5  6  7 次の回答→

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!