14歳の自分に衝撃の事実を告げてください


人間は、尊重や賞賛を自分なりに分配する場合に一様ではない。彼は、いくつかの価値に不当に敏感であるが、他の諸価値には割合、無関心である。彼は、彼の仕方の中にはめこまれる。そして彼の直接的実感や納得は、彼が意識しないうちに形成された習慣が設定した溝の中を往復するのである。だから価値の自発的「直感」は、どうしてももたなければならないとしても、それは、帰結に関する自分の観察や、帰結の性質や範囲に関する反問による訂正、すなわち、確証と修正の支配をうけるのである。

こうした過程にあたえられるふつうの名前は、熟考である。習慣的になっている道徳的熟考にあたえられる名前は、良心である。この性質は、何らかの行動なり提案された目標なりのさまざまな現実的可能性への周到な注目によって、つくりあげられる。この性質をもつことが、直接的な感覚的欲望や情熱によって不当に支配されたり、慣習的行動の溝に落ち込んだりすることを容認しえない人々の特徴である。じつのところ、「過剰良心」とよばれる性質があるが、これは、悪徳とそれほど大きく違わない。過剰良心は、自分が本当に善であるかどうかについてのたえざる不安を意味し、困惑や行動の自縛や病的恐怖をものがたる道徳的「自己意識」を意味する。それは、ほんものの良心のカリカチュアである。なぜなら、ほんものの良心は、「動機」が善であるかどうかをあばきだすために、動機を気づかわしくせん索すること、行動の内的発条をいじりまわすことではないからである。

僕の要約
人間には敏感になる価値観と、無関心な価値観とがある。直接的実感や納得は、無意識の中で起こるものである。(その後の確証と修正の話は意味がよくわかりませんでした。)

直感の確証と修正は、熟考と呼ばれる。習慣になっている=修正を受けないものは、良心である。熟考も良心も、目標やありえる可能性を目指してつくりあげられる。それこそが、理性的に判断・行動することができるということである。過剰良心=悪徳=道徳的自己意識=ほんものの良心の誇張←自分が善であるかどうかについて悩み、行動にブレーキをかける。ほんものの良心=過剰良心=悪徳=道徳的自己意識は、動機についてはせん索しない。

不明点
・何の価値に敏感で何の価値に無関心なのですか?
・無意識で彼の仕方にはめられるのに、修正を受けるのですか?
・習慣的になっている道徳的熟考=良心というのが「?」です。
・突然、「じつのところ、過剰良心という性質が…」とはじまりましたが、直前の文章とのつながりがよくわかりません。
・自分が善であるかで悩み、困惑や行動の自縛ということと、動機を気づかわしくせん索しないということの、イコール関係がわかりません。むしろ反対のことを述べているように感じます。

選択肢
1.人間は、自分の直接的実感による価値を認めるが、それだけの価値観によると自分が本当に善であるか絶えず不安になり、過剰良心の状態に陥る。
2.道徳的な熟考が習慣化されると良心という性質になるが、この性質は慣習的行動の溝に落ち込まないように、行動の動機を道徳的に正すものである。
3.感覚的欲望や情熱によって行動することは、過剰良心と同様に悪徳であるので、価値判断から感覚的欲望をすべて排除しなければならない。
4.良心は、行動の動機が善であるかどうかをせん索するものではなく、行動の結果に十分に配慮するものである。
5.道徳的熟考が習慣化すると、その熟考に基づく行動の動機は善となり、また、その行動の帰結も道徳的なものになる。

A 回答 (1件)

自分なりに要約してみました




人間の価値観は一様ではない。

一つの例として、彼は、彼の体験的に学んだ彼だけの価値観にもとづく行動しようとする。
つまり彼は、今まで学んだ事と、学んだ事を下敷きにした「直感」をもとに考える。
これを熟考と呼ぶ。

なお、ただの習慣的な道徳にもとづく思考を、道徳的熟考と呼び、良心と呼ぶ。

彼の性質を産み出したのは強力目標意識、使命感などである。
彼や、彼に似た人々は感覚・欲望・慣習などに支配される事を望まない特徴を持つ。

「過剰良心」は悪徳とそれほどの相違は無い。
過剰良心の者は、絶えず自分が善であるかに困惑し病的恐怖のため自縛する。
過剰良心は、道徳的「自己意識」を意味する。
それ、つまり過剰良心を含む一般的良心は、
真の良心の紛い物である。
真の良心とは、行動の内的発条を善であるか詮索するものではないのだ。

と言いたいのだと思います。

ここからがさらに短い奴

人の価値観はそれぞれで、慣習などに縛られず自分の価値観に基づいて生きている人もいる。
そのほかに慣習的道徳、つまり社会性を尊重する人もいる。
後者は、一般的な良心であるが、真の良心ではない。
前者は、ポリシーに基づく思考、行動を第一に置き、それが善かなど考えることなど無い。
前者のポリシーに基づく生き方こそが、真の良心である。

答えになってないかもしれませんが
参考までにお目通し下さい。

いったいどこの大先生の文ですか。

自分は無学な者で、失礼致します。
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この回答へのお礼

>いったいどこの大先生の文ですか。

出典はテキストです。ありがとうございました。

お礼日時:2008/12/23 22:22

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