プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

初めて質問します。誰にもいえないことで悩んでいます。今回こういう匿名相談室を見つけましたので、恥を忍んで相談します。
メンタルヘルスか性の悩みか心理学かどこにするかと迷いましたが、自分の心理が分からないのでこちらにします。

まず、お酒のことです。いつもというわけではないのですが、普通に楽しく適度に切り上げれるときもあるのですが、どういうわけか前後不覚になるまで飲んでしまうことがあります。量が多くても起きないときもあるくせに、あまり飲んでいないのに起きてしまうことがあります。感じとして、多いときのほうが少なくて、あまり飲んでいなかったときのほうが頻度が高いような気がします。
そして、ここからが問題なのですが、記憶に残ってないときにHなことをしてしまうのです。(うっすら記憶が残っているときも、その直前やそのさなかに気づいたこともあります)
私は女性です。ただ淫乱女なのかというと、ここから先も言いにくいのですが、対象が女性なのです。
だとしたら、自分は同性愛者なのかということになるわけなのですが、不思議とその方を特別好きとか思っていたわけではないのです。

初めて気が付いたというか、気がつかされたとき、相手の方がものすごく変な言い方をされたので、わけが分からなくて問いただしたら、なにやらそういう行為に及んだようで、まるで覚えてないのでその人もあきれてしまって病気なんじゃないかと言われました。
以来時々起きてしまいます。もしかしてそれ以前にもあったかも分かりません。
最近はどうも自分は女性の体に興味があるというか、Hなことがしたい人間なのだということが自覚されてきました。が、特別誰かを好きになるということができません。

自分自身は男性と性交渉は持ってます。特定の異性もおります。ただ、セックスが好きかというと、分からない感じです。どちらかといえば、あまり積極的ではないほうだと思います。断る理由が見当たらないから応じているというのが正解かもしれません。
そして最近、彼氏とHをしているときにちょっと不思議な感じに取り付かれるようになりました。Hされているのは私なのに他の誰か(特定の女性)にこういう思いをさせたいというか、彼女になった感じで受けているというか。受けているのは自分の癖に責めているのも自分のような、なんだかごっちゃになってしまいます。そして、ここが一番悩ましいのですが、彼氏とHして感じて興奮すればするほどどういうわけか女性の体に触ってみたい気持ちになります。

申し遅れましたが、私は多分不感症に近かったと思います。ただ、今の彼氏とは長くなっており、Hをする回数も増えてきて、それなりに感じるようになってきました。
自分が思うにはストレートに快感を得られなくてまたは心理的に邪魔されていて、自分でない何かに置き換えないとHの快感を受け付けられないのだろうか、ということです。
そして、最中に頭に浮かぶ人のパターンが分かってきたということです。やはり恋愛感情は持ってないのですが、社会的にステータスの高そうな人とか同性にも異性にも素敵と見られている人。たぶん自分はその人にコンプレックスを持っているのではないだろうか、ということです。

尚、普段は女性の体に関心はありませんし、興奮することも勿論ありません。ごく普通に付き合ってますし、特別な感情は持ちません。

いったいどういう風に考えればいいのでしょう。

A 回答 (17件中1~10件)

お返事、拝見しました。


実は、ちょっと慌てました。いえ、御相談の内容とか補足の内容じたいに今さら驚いてるのではなくて、質問者さまの お悩みのようすが、私の予想以上だったからです。
先回でも、決して御自分だけ特異であるとまで思われる必要ないのではと申しましたけど、より詳しく伺ったところによれば、やはり、おかあさまの養育態度と言うか御方針が、ちょっと変わっていたのかもしれませんね。それでしたらなおのこと、質問者さまの思われることや現在 気にしていらっしゃる行動などは、ある意味、当然なのではないですか。

長くなりそうですが御容赦ください。
巷の話題で、以前にテレビで見たことがありますが、質問者さまは御存じかしら?
中高年のオヂサンたちが、とある秘密のクラブみたいな お店にやってきて、早速あかちゃんのような衣装を身につけ、お店の人に哺乳瓶をあてがってもらって、でれでれしながら嬉しそうに飲んでいました。とっても癒されるんですって。。。
まあ、こういうのは極端な話で、男性のは少し割り引いて考えるべきなのかもしれませんが。
心理学の理論でも、乳幼児期には、ある種、徹底した甘えが許される時期が必要なんだそうですね。

あかちゃんが歩き始める前の「這えば立て、立てば歩めの…」って言いますけれど、こういうのも、自然に定まっている順序は必要なことなんだそうです。
実は実は、私、産まれる前後に、学会発表しますぞ、と取り上げ医が宣言したというくらい、変わった経緯があったのですが、その影響からなのか、生後6ヵ月で、いきなり歩き始めたそうです。その頃の記憶も、わりにハッキリしてます。信じない人もいますけど、母は そうだろうとも、と頷いてました。もちろん、そばで見てきたことですから、本当だと知っていますもの。
私は生後半年で歩き出す前、ハイハイしなかったそうです。と言うか母の話では、本人はハイハイしてるつもりが、前に進んで行かず逆に後退してたそうです;それで諦めて、いきなり立ち上がって歩き始めたのですかねぇ、そこまでは覚えてないですが、専門家によれば、こういう子どもは、いずれ将来、ズボラな おとなになっちまうんだとか?恐ろしいほど当たってますよ(泣)

先日、別の質問で、あかちゃん猿が、ミルクの飲める針金製の擬似母猿とミルクは飲めないが柔らか素材の擬似母猿の実験で、どっちを多く好んだかという話を紹介しました。「人はパンのみにて生くるにあらず」というのを、この場合に持ち出すのは、はずしてるかしれませんが、やっぱりミルクだけが大事じゃないんですねえ。
飼われてる犬だって猫だって、あるていどはスキンシップをしておいてやらないと、拗ねて ひがんで、ヤキモチ焼きになったりしますから。まして人の子ですから。

子どもの問題は、実は親の問題、って言われるようです。質問者さまの場合にも言えることなのかもしれませんね。ですけど、もう大きくなってしまわれてるから、なんとか前向きに考えたいですよね。可能なら、今からでも、おかあちゃんのおっぱいを飲ましてもらったっていいじゃないかと思うんですけど。いっそ私のおっぱいでよければ。。。あ、でも、私の、そこそこありますよ、お嫌でしょうか。同性が触りたがったこと何度かありますよ。私の母は、みごとな巨乳でした。だからなのか私自身はバストの大きい女性に郷愁すら感じます。関係ないですね、こんな話。失礼しました。

>中高校生のとき(反抗期)かなり深刻に悩んだ記憶があり
とのことで、いっそ、このあたりで思い切って、おかあさまに尋ねておいたらよかったかもですね。いや、可能ならば、これから聞いてみてもよいのではないですか?
案外、平凡な理由かもしれないし或いは、おかあさま自身の内部に、御本人が自覚していない わだかまりが潜んでいたということも考えられます。

>自ら先取りして「いい子」にしていたような気が
なるほど!どうりで、貴方は知的で思慮深くていらっしゃいます。
私も、そういう面があったですよ。もっとも私の場合は、いかにもボンヤリしててヌケた子どもでしたから、しょせん、たいしたことはできませんでしたが、小学校時分の担任などにも、このままでは将来が危ぶまれるほどに すなおな子どもである、と言われてました。
そういったもろもろの反動が、どんなかたちで出てくるものか、人間ひとりの成育いかんって、底深いものがありますねぇ。

>恋愛感情は実は女性にも勿論ですが、異性にもなかなか持てません。「愛されて育ってない子は愛するということが出来ない」という説を見て納得してしまってます。愛されるということも実はよくわからない、得体が知れなくて怖いという気持ちがどこかにあります。
恋愛が苦手なのは、愛?という感情をたくさん出されて迫られるからです。今の彼は割りとそういうモードでなく、私から見て過剰な気持ちを押し付けてこない人なので淡々として付き合えるので続いてます。ただ、見方によっては、全然愛されてないんですよね?もしかして、ただのセフレかもしれないんですよね?

このへんを拝見して思ったんですが、質問者さまと私、かなり共通点があるんですよ。とくに若い頃の私と。
と言っても、私の場合は、父も含めて、スキンシップに関しては、どちらかと言うと、ベタベタされてたくらいだったと思えるし(先回も述べましたように、親に、というわけではないけど、性的なオモチャにされてたこともあるくらいです)、私は、そもそも自分自身が過度のスキンシップに抵抗感あるみたいなんです。母が添い寝すると嫌がる子どもだったそうで。そのくせ犬や猫にはベッタベタなんですけど。

>色気を感じる部分を忌避したい気持ちといいますか。胸もあらわに近いような服装の人はまるで売春婦といわんばかりに軽蔑に近い感情を持ってました。性の匂いのする人が苦手ということ

複雑ですね。自分のなかの女性性を認めたいような認めたくないような。ほんとは欲しいのに手に入らなかったものを思い出すから目を背けたい。刺激しないでもらいたい。欲しがるなんて、みっともない、軽蔑してやるぅ。あ、これって、男性も言いませんか?
私の場合、そういう感情が男性に向けられていたのかしら?もっとも後年になって、すっかり感覚が引っくり返る出来事があったので、そうとう考えかたも変わりましたけど。
彼氏とかでも、情熱むんむんで迫られるのって、ちょっと困ったような思わずヒキたくなるような恐いような気分になりますよぉ。こっちも夢中になってるときなら、まぁ楽しいですけど。
だいたい若い頃、私、男性に対して猛烈な反感ありましたから。それも考えてみれば父親への怒りが原因してたんですね。だから学校時代は、男の子を苛めるのが快感だったりしました。
年頃になってくると、幼い頃以上に性的な誘惑や危険が多くなってきて、それも肉体面での それがアカラサマなので、ますます男性というものを軽蔑してたです。潔癖な年頃だったということもあるでしょうが。。。
恋愛感情というものすら、せせら笑ってましたね。世に言うラブソングなるものを心情的に理解できるようになったのも、そうとう遅かったです。「愛」なんて、いまだに「なによソレ?」というのが本音かも。
基本的に、私も「過剰な」人に抵抗感強いです。うちの身内は暑苦しい性格の人が多くて、そのうえ、どういうわけか私、時々スポーツマンタイプの逞しい男っぽい人に異様に好かれたりするもんで、余計いやだったりしました。

「愛されてないか」「セフレか」ということについては、情報が少ないですし、なんとも申し上げられないですが、避妊などのことは、男性側から自発的に気にかけてくれるかどうかとか、一つの目安かなと思います。もちろん、それだけでは分かりません。貴方は「淡々」が好き、お相手も「淡々」とした気質だから、うまくいってるのでしょうが、ともすれば、もの足りない感じにもなるのかな?私の姉は、その「淡々」タイプの男性と再婚しましたけど、最初の頃、しきりに不安がってたわりには、なんとか仲良くやってますよ。貴方がた おふたりの将来的なことについて、話し合っておられることはありませんか?

>裏切られることの予防で誰か代理の人を立てて、やっとHが受け入れられている、そんな見方もあるのかなとも思ったり

ブリジット・バルドーという、往年のフランス女優のことを ちょっと思い出しました。華やかな恋愛遍歴で鳴らした人ですが、自分からバシバシ容赦なく男性を捨てることでも知られていたそうです。だから、女っぽい外見とは裏腹に男性的な気性のように思えますが、私は、むしろ彼女の潜在的な傷つきやすさを思いました。
マリリン・モンローも「ヴァルネラブル」のイメージで語られますね。ふたりとも、大女優として業績を残したキャリアウーマンと言えるのですから、もちろん男性顔負けの強さもあったでしょうが、その一面だけではなかっただろうと思います。
性行為においては、一般に女性は、あまり積極的とは言えないのが殆どだと聞きます。ですから質問者さまが、誰かを想定することで、少しでも お相手の男性に応えてあげられるよう無意識の くふうをしていたのだとすれば、幼い頃「いい子」だったということにも繋がりがあるかもしれません。期待に そむいてはいけないという自縛とか。そこには、自信のなさみたいなものも隠れていそうですね、御自分を他の何かに置き換えなければならないというのは。

>「それ」について明かさないとやはり悩みの本質は届きませんよね。匿名掲示板でもとても躊躇してしまいます。

ご無理なさらないでください、それに、あらかた想像はつきました。でも

>下半身まで手を伸ばしていると知ったときの衝撃
無理に言わせてしまったとしたらゴメンナサイね。恥じないでください。あったかいのですものね。
私は可愛い人だなあと思いましたよ。ほんとです。
なるほど、お酒を飲むのは、無意識のうちに、隠されたものを発散させてしまいたいという衝動があって、しかも、その衝動は、「お酒のうえのことだから」という、ありがちな言い訳に結び付いてるかもですね。
そういえば、うちの父は酷い酒乱だったのですが、母が「ありゃ酔ってることを口実にして暴れたいだけやねん」とブーブー言ってましたわ。
俗に、お酒を飲んだら本性が出るとか言いますね。私は飲んでも、ゲラ(笑い上戸)になるかな?くらいで、あまり変わらないですが。。。御自身が思う以上に、ふだんは抑圧されていたものがあったということでしょうか。

>辛いのが、それで収まってない。収まってるときもあるけど、収まってないときもあるということです。
>ただ結局救われない自分を知るだけなのかなという予感に立ちすくむところがあります。かといって、忘れ去ることも出来ません。

うーん。。。なんか胸が痛むというか。。。
ダッチワイフかなんかで解消するんならいいんですが。。。
純然たる温もりの希求って感じがしますもんね。。。

私が、むかし読んだことのある本で、たしか吉武輝子さんというかたの著作に『女人 吉屋信子』というのがあります。この吉屋信子という女性作家さんは、同性愛だったそうですが、やはり、子ども時代に母親がチョー冷淡だったらしいのです。御本人には自覚がハッキリしていて、それが恋愛観や創作上に強い影響を与えているということは認めていたそうです。一つのエピソードに
吉屋信子さんの父上が、年頃になった娘・信子のためにと、珍しく、柄の良い反物を おみやげに持って帰宅されたとき、なんと、彼女の美しい母上が(有名な歌人が、年老いてからの彼女を称える歌を残したくらい美しかったそうです)、自分に似ていない器量の悪い娘・信子に嫉妬するあまり、その場にワッと泣き伏したというのですよ。。。ガクブル
質問者さまは同性愛ではないということですが、敢えて、この著作、お勧めしたいくらいです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B1%8B% …

いろいろゴチャゴチャと述べましたが、いま私がハッキリ申し上げられそうなのは、母性や女性性に対する屈折した思いと、そこから発しているらしい行為、これらを、むやみに恥じたり忌み嫌ったりなさることはないということです。このあたりは御自身で、あるていど分かっていらっしゃるようなので、残る問題は、その希求と不満感の充足方法ですよね。
男性なら珍しくもないのでしょうけど極端な話、いわゆるセックス産業で、指定した場所へ来てくれる女性とかありますよね、依頼者の性別は とくに問わないらしい、ですが、これは、お金に余裕が少し あって、尚且つ性病とかエイズ問題などのリスクを覚悟できるなら、一つの方法として検討する勇気はありますか?ということになります。或いは、レズビアンバーというのもあるそうですが、そういうところなら遠慮なく お酒を飲んで、その勢いで触ったとしても、そんなに困惑はされないかな?と思うんですけど、でも、お店の人はズボンはいて接客してる、って聞いたかしら?。。。
実際に一番お困りなのは、「その行為」のせいで、せっかくの仲間付き合いが気まずくなることでしょうね?
あるていど親しくて、気が許せる仲の人でしたら、いっそ、事情を打ち明けて、お酒が入ったとき起こり得る行為のことを理解して受け入れてもらえれば安心なのでしょうけど。なかなか、そうはいかないでしょうか。
デリケートな問題ですものね。。。

仰っていることは、かなり理解できますし、私との共通点も感じるのですが、ただ私の場合は、むしろ、直截なスキンシップに対する嫌悪感のほうにこそ悩む傾向が、過去ありましたから、やはり少しニュアンスが異なるのかもしれません。

思うに、本質的に質問者さまの希求というのは、「不感症に近かった」と仰ることからも、どこか無理のかかった緊張状態で「いい子」を演じる、その必要などなくして、安心して本来の御自分を受け入れてくれる相手、ということではないのでしょうか。
そういう人なら、母親に満たしてもらうはずだったものを与えてくれて、そのことによって、知らず知らず抑圧してきた寂しさから、やむにやまれず女性の象徴である柔らかい部分、温かい部分に手を伸ばしてしまうという、知的な貴方には そぐわないような、あまりに直截な幼い行為を必要としなくてすむようになる可能性があるのではと思います。

そのあたり、いまの彼氏さんの将来性は、そして貴方の彼に対する お気持は、いかがですか?
彼氏さんとの交渉において、「それなりに感じるようになってきた」というのを、せっかくですから「ストレートに快感を得られ」るよう、徐々に「自分でない何かに置き換えない」で「Hの快感を受け付けられ」るようになれる可能性は あり得ないですか?
あるいは、これからも有望な人に出会っていかれることと思いますし、いっそのこと、同性だったら一石二鳥でないかとも思うんですが、でも、心理的な意味での必要が満たされれば、それにつれて衝動も おさまるのなら、性別は実のところ重要でないような気もします。「淫乱」?とかいうのとは本質が違う、逆であると思われます。

しつこいようですが、やっぱり一番いいのは、おかあちゃんのおっぱいを、、、と思うんですけど。。。
今さらでしょうねえ?
とりあえず、彼氏さんとの継続意欲が おありでしたら、「置き換え」ずに感じることを受け入れられるようになるといいですね。お互い「淡々」どうしだと照れくさいかもしれませんが、性別を超えて、彼のなかの「あったかさ」を求めてみるとか。
あと、動物が苦手でなければ、犬とか飼ってみられるのもいいかも。彼らは、一度信用した人間を、かっこよかろうが、かっこわるかろうが関係なく受け入れますから。


「指からめあふとき風の谿は見ゆ ひざの力を抜いてごらんよ」――大辻隆弘――

この回答への補足

>あかちゃんのような衣装を・・・哺乳瓶
話には聞いたことがあります。でもそうしてもらいたいという気持ちが全然沸いてきません。試す気もないですし、白けそうな気がします。

>拗ねて ひがんで、ヤキモチ焼きになったりしますから
そうですよね。普通に考えてみてもそのはずだと思うのです。ところが、私は少なくとも表面的にはそういう感情を出したり、行動した形跡がないのです。今思うと、「感情」というものを持たないようにしていたような気がします。そして、そういう自分を悲しいとかおかしいとか、子供時代は少しも思ってませんでした。、

>今からでも、おかあちゃんのおっぱいを
>このあたりで思い切って、おかあさまに尋ねておいたらよかったかもですね
>これから聞いてみてもよいのではないですか
これが出来ないのです。どうしてか? 中高生を通して、母をすごく拒否するようになってしまいました。そういう点では、「拗ねて僻んで」に当たるのかもしれません。ただ、本人にはそういう自覚がなくて、思春期でしたから、当たり前に「親からの離脱→自立、子供から大人へ」という感覚でした。
この時期が過ぎると、また、親と適当な距離が取れますよね? その距離がまた、元に戻って親和的になるのでしょうが、他人でもないし、でも心理的には相当遠いです。まるで「遠慮のない、うるさ型の職場の上司=こちら側は気が抜けない」みたいな感じです。
多分、成人に達した時点で、結果的に得たものが、「母に受容されていないこと、私も母を受容してないこと」そういう母子関係でしかないのではないかと今気づき始めました。
実はマザコンも例のことが起きてから考え始めたのですが、はじめは全然信じられなかったのです。なぜかと言うと、長らく母を拒否している自分がどうして母性=母が欲しいのか、やめてくれ、位の気持ちでした。
今考えてみると、世間一般の母性というものを私は知らないのだと思います。実母が差し出した「母性」はカッコつきの独特のもので、私を苦しめる部分があり、受け取りをほとんど拒否したのではないか。その延長で、世に溢れている母性的なものにも親和性をもてなかったのではないかということです。
私が無意識に持っている、実母の「母性」が、私に決して近づく気を持たせないものなのです。
実母の母性といいましたが、あの人に母性があるのだろうか?思春期以前に多分、私が勝手に持っていた「母=母性」が思春期に崩壊してから、私は自分の持つ感情、心情として与えられるものとしての母性というものを再構築できていないのかもしれません。
判りにくい言い方かもしれませんが、学童期には、私は多分、母が好きだったし、母の送るメッセージを勝手によいものに作り変えて、自分なりの母性を期待し得ていたつもりだった。が、それはないものから無理に創作して、自分のほうから無理に母を好きにならないといけなかったからしていただけではないのか。その嘘が自己欺瞞できなくなって、暴かれていく過程が私の思春期だったのではないか、母を諦めたというか、母性を諦めたというか。
つくづく思うに、子供にとって母親の愛情というものは欲しいものなのですね。なければあるストーリーでも作り出す、好かれたいがために、いろんなものに目をつぶってひたすら母を好きになる努力をする。しかも、密かに。なぜならば、好かれていないという結果を見ないために。
おんぶも抱っこもされていないといいました。でも、例えば、膝に乗ることを禁じられたわけではない。でもしなかったのです。多分したいとも思わないように自分を育てていたように思います。望んで邪険にされたとき、ストーリーを作れなくなるから。甘えることを自分で禁じていたんでしょうね。

感情について、思うことがあります。
子供のとき、ほとんど感情を出さない子でした。いまでも素直な感情の出し方に苦手意識があるのですが、振る舞いとしては身に付いてます。
その感情の獲得と母を諦めていく時期とが微妙に重なっているような気がします。

長くなりました。
お礼欄では字数制限でアウトでしたので、補足に入れます。

補足日時:2009/03/28 15:41
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この回答へのお礼

#7へ(話のつながりがわからなくなるので、ノンブルを振ります)

やはり、母なのですよね。
>「母に受容されていない」私から「無理なく母を受容してあげられる私」
今更、やり直しや修正が出来ないなら、そうだと思います。それでよくある母娘葛藤のケースの中で考えているのですが、、、

急に変な話をしますが、この頃、私は母に騙されたのではないか、あの家庭そのものが、壮大なペテン劇の中に組み込まれ、私はその中で自分で役を見つけて演じてたのでは?そういう気がしてきています。

>おかあさまこそが受けられるべきではないかと思います。
疑惑ですが、あの人、人格障害、多分、演技性人格障害なのではと。それに振り回され、自己形成に支障が出たと。

父が出てこないとおっしゃいました。父もかなり個性的な人なのですが、あの家は母を中心に回っていたのです。
母は、女王なのです。他はすべて取り巻きなのです。母を女王にする役しか認められないのです。他のキャストは、、、
女王の夫、王子、王女、、、、その他大勢の端役(の一人の私)
多分母の中に王女は二人要らなかったみたいです。

私はよく一人っ子でしょうといわれます。末っ子です。皆さん驚かれる。末娘のタイプではないです。

お礼日時:2009/03/29 04:05

他のスレでしばらくお考えになるとのことですから、そちらに付けた方が良いかと思ったのですが、どうもあちこちのスレによくも解かってない者が発言をするのもと思いこちらにつけます。



自立についてお考えのようですが、自立という事に関して気にかかったのが、反抗期の問題です。(但し以下の話も自分の子供を育てているときに得ていた知識であり、確かそうだったというだけで、ネットで確認すればいいことですが、どのみちそういうことを調べて補強したところで所詮素人の意見の訳ですから大差ないはず、かえって不確実なものを少しでも意味ありそうに知ったかぶりしてしまうという事になりますので、あくまで私が思った事としてお読み下さい)

質問者さんはそういう幼児期であったということは、見方によれば、二人の母がいたということにもなるのではないか。一体どちらと第一反抗期をされたのか。多分子供心にも親のほうが大切は判っているから、そちらとされていると思います。が、もう一つ甘えられる胸があった。どうもそのあたり、第一反抗期がうまく進めなかったのではないか。あるいは第一反抗期の終了が伸びていた。その証拠がその突然の喪失が深い痛手だった事です。
普通なら、小学1、2年なら、可愛がってくれた人がいても、実の親がいる以上そういうことは考えられない。いえ、断言できませんけど、第一反抗期がうまく出来てない子は子供時代、手のかかる困った子が多いです。言い方を変えると第一反抗期が終ってないというか長引くといいますか。
それでそういう子は第二反抗期で問題を起こすなり、壮絶になることが多いです。勿論その間に充分な親子の関係が遅ればせながら出来ていればいいのですけど。普通だったらそのあたりで何か起きそうだったのが、性的虐待という事件により様相を変えてしまったのかなという気がしてきます。本来するべき反抗期を本来する形でしていないのではないかと思えるのです。
あなたが自立という事を考えるにあたって、そういう面ではかなり不利な要素が多い事。決してご自分を責めないでほしいと思います。
これもまた、今日的問題といいますか、引きこもりや登校拒否の多い現代、あなただけでなく、上手く自立できない若者は多いのです。あなただけではないとどうぞご自分を卑下しないで下さい。


それとこれはいうべきかどうか迷うのですが、この質問をされている一連の行為が、作文なのかやらせなのか自作自演なのか、そういう類の懸念を読んでいるものをして起こさせているという点について、やはり、なんらかの企みを感じさせてしまう面があると、私自身も感じています。それでどうしても書き込む前に考えてしまう部分があります。
どこがどうと指摘できないのですが、ちょっとそういう点ではもやもや感を持ってしまうのも確かです。なんだかすっきりしないのです。これは質問さんを責めているのではなくて、多分もっと言えない事、言ってない事があるのを連想させてしまうからかもしれません。余分な事だったかもしれません。もやもやを晴らしてくれなど言っているわけではないですよ。それくらいあなたに対して深いものを抱えているという印象があるからかもしれません。案外幽霊の正体見たり枯れ尾花かもしれません。

月曜から1週間ほど留守をします。PC持参ですので覗くかもしれませんが、書き込めないと思います。なんにせよ、焦ってご自分を追い込まないことです。美味しいものを食べる事もいいことですよと、今回は花より団子のお勧めです。
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この回答へのお礼

この場をお借りして、私の質問にお付き合いしていただきました方、皆様に厚く御礼申し上げます。

以下、箇条書きですが、現在、私が得た結論、出発地点という事で2,3述べます。

・自分が謎だったこと。
乖離ということに突き当たり、これが何を意味するのか、どう自分が消化するのか、考えようと思います。
カウンセリングその他は行きません。そういうことはないとわかっていても、自分の知らない場所に流されて連れて行かされるのは嫌です。これ以上、よく分からない自分を見つけるのも嫌です。

・ストーリーがなかったこと。
子供の時から、自分を保つために、それなりにストーリーを作り、それにあわせて理論的に自分を構築してきた、そういう生き方をしてきました。今、はたと気が付いたのは、大人になってからのストーリーを考えたことがなかったことです。何故マドンナにしがみ付こうとしたのか。大人の物語が用意できていなかったから。

・大人の自分の物語
今まで自分は、自分の素直な気持ちというものは見なかった。見ても無駄だから。今回、自分の物語を考えようとしてどうしていいのかわからなくなっていた。まだ全然見通しは立ってませんが、とりあえず、自分の気持ちをもう少し、正直に考えてみよう。人に出すわけではなし、自分の中でくらい、「認知」してもいいのでは。

・最後に
この質問は、個人的な利益を目的に立てたことはどこかで述べました。予想外の展開になり、少々動揺してしまい、迷走してしまいました。反面、無理やり予定の基軸をなぞろうとして、矛盾した事も言ってしまってます。分かりにくい面が多々あったこと、お詫びいたします。

皆様方のさらなるご活躍を祈念いたします。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/04/23 22:58

…ところで


先ごろから内心思ってはいたのですが、こちらの過去事情とも符号が合い過ぎるとのことで、そのせいか私のほうへも周辺から妙な噂が流れてきてます。私としては、ちょっと危ぶまれる流れもありましたものの基本的には質疑応答の体が成されているし、これでいいだろうと思っておりますが、ひょっとしたら質問者さま ご自身の名誉に関わってくる恐れがあるかもしれません。驚かせるような言い方になって ごめんなさい、やはり用心されたほうがよろしいかと思います。ここは、なにしろ●の目●●の目の●んだ●●馬がゾロゾロおられますのでね。。。他の御回答者さまにも失礼な結果になっては残念ですし。差し出がましいですが、初めての御質問ということですから、お礼欄空白のままのところは、できるだけ お書き込みなさることを お勧めしておきます。
お気が お済みのようでしたら、ここは、もう これで引き揚げられたほうが無難なのかもしれませんね。
では、私は これで失礼します。少しでも お役に立てていたら幸いです。
あとは専門の医師なりカウンセラーに かかられるなどなさって、どうぞ、ご自愛くださいませ。
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(続き)


もう一つ聞いた話。
私が むかし一緒に組んで仕事をしていた男性ですが、この人、たいへんな美青年だったんです。で、例の私のイケナイ趣味が頭をもたげまして、そっちのほうのネタが少しは ありそうなもんだ、と窺いながら子どもの頃の思い出話とかしていたんです。そしたら、やはり、当時おとなりの おぢさんに、とってもイケナイことをされてた、と白状?したんです。そのうち、引越することになって、その美青年の、何も知らない母上が、くだんの となりの おぢさんに「うちの むすこ可愛がっていただいて、おせわになりました」と、あいさつなさったというオチでした。
私は、「そういうことがあるとさ、おとなになって、影響が出て、同性愛になったりするって聞いたことあるよ」と言うと、彼は「いや!ぼくはゼッタイ女の人が大好きですから!!」って力んでましたけどね。。。(笑)

ちょっと話題を変化させましょう。

確か作家の故 遠藤周作氏が何かで お書きになってたことなんですけど、女性だと思っていても、analの周囲に何か固いものが触れるようなら、実は肉体的に潜在的男性性なのである、とか。真偽のほどは確認してませんが、もし そういうことがあるとすれば、自他共に、内面・外面とも女性だと信じていて、ふつうに異性と恋愛や結婚をすることにもなるわけですよねぇ。
となると、実は肉体的には相手と同じ男性かもしれないのに、異性だと思っていて恋愛や結婚をする。これって、単に気づいてないだけのことで、ある意味、同性愛ってことになる?
あと、これも詳しいことは知りませんが男脳、女脳とかあるらしいですし。
たとえば、からだは ふつうに女、でも実は なかみが、と言うか性的志向は男性性、これだとレズビアンになるのかと思いきや、男性同性愛であるのが真相だったとしたら、、、?うーん、ややこしい。まぁ最終的にはメデタシ、になるのかな??ここまできたら、悩む意味すらないような。
どっちの志向になるかは実は、もう すでに胎児の頃に決まってしまってるとも聞いたように憶えていますが、異性愛だろうが同性愛だろうが、要は相手に受け入れられなければ片思いの辛さは同じことですものね。逆に言えば、相手に受け入れられれば、べつに辛くはないわけで。

やはりNo.8さまが仰るように、最終的には悩むか悩まないかだけの違いになるのではないですか。
男性同性愛のほうが、一般に男性は女性よりも肉体面での欲求が強い人が多いようですから、もっと受け入れ幅が狭くて、もっと辛いのではないかなぁと思います。。。

また、同じくNo.10にて回答者さまが御指摘のこと、私も興味深く思いましたが
>実は彼女は自身の体を相手の人にまで伸ばしている、自己を広げているのです。相手の体も自己の一部にしているわけです。

これにしたって、ふつうに異性愛の交渉においてもあり得ることだと思うんです。一般的に男性は、その最中に女性の姿を見ることによっても得ている興奮と快感が大きいらしいですよね。
「二人の境界がなくなる」ことを求めるというのも、性的なことを抜きにした場合でも、投影や同一視が激しい人格障害者が精神的に切望する特徴の一つとしてみられることでもあるように思います。

またNo.8で
>「性愛」のあるなしで一つのラインを引いているような気がするが、実は性愛はどこまでかと思い出すとまたまた藪の中に入ってしまう。

という鋭い御指摘もありますが、母子の密着状態に、夫である男性が、まるで 妻を子どもに奪われたごとく嫉妬したりする人もあるらしいですね。


フロイトが、やたら性的なことばかり強調しているようにみえて賛否両論が多いのも、それは結局、幼少期のことを最重視しているからなのでしょうか。
なんらかの性的な現れかたをするというのも、「リビドー」と言うのですか、それの表現のしかたであるに過ぎない、ということが言えそうに思います。


>「女性に欲望を持つ」ということ
友情や精神的な憧れを持つ同性たちに対しては、そのような感情と別の対象である。または あるべきである。仮に、欲望を持ってたとしても、目をそらしたい、認めたくない、タブーなのである。だとすれば
仰った「「大好きな友達だから、どうしても言えない。お互いルールは知っています。秘密の封印はお約束。信じられる人。でも、後の付き合いがある友達では、このテーマは無理」ということに、それは なりますよね。だけども異性愛間の場合でも同じようなことではないのですか。


私の、前の投稿で言ったかと思いますが、性的欲情を掻き立てるかのような女性に対して、卑しい、とまでに反感を持つというのは、こういうことも男性が よく言ってることですよね。アラブあたりの女性が、チャドルとか言う黒い衣装を頭からスッポリ着てるのも同じような理由でしょうか、つまりは刺激されるとコマッチャウんでしょう(笑)
女性が、扇情的雰囲気の同性に対して持つ反感であれば、ふつう、これは むしろ劣等感や競争心を刺激されるからなので、男性と同質の反感ではないことも多いでしょう。
今回、質問者さまのような場合は、、、もっと複雑に屈折した心理があるようですね。


中山可穂さんの本、彼女のデビュー作だったかと記憶しますが、私も、ずいぶん以前に一冊だけ読んだことあります。当時は、ずいぶん荒削りな作風だなという印象を持ちましたが、同時に痛々しくて。。。けっこう印象に残ってます。
もし質問者さまも「感情を放棄して」生き続けなければならないのだとしたら、それは同性愛者であるらしいことへの罪悪感ゆえにでしょうか、それよりも成育の初期段階で背負ったかもしれない寄る辺のなさ みたいな、また、御自分への不全感覚が原因なのでしょうか。。。
もしも同性愛者であること そのものに罪悪感が つきまとって、そのために「感情を捨て」ずにいられないというのであれば、同じ世界の人たちと出会っていくことを視野に入れてみたらいいじゃないかと思うんですが。。。自分だけが!と思うから お辛いのではないですか?
でも、新しい御質問のほうを拝見してみれば、「同性愛」だから云々以前に、もう少し考察すべきことがあるようには思います。


>人は好きな人には秘密が言えます、いえ、秘密を告白することによって好きになる事もあります。これを逆に言えば、カウンセラーを好きになれば、告白しやすくなります。

必ずしも そうじゃないかもしれませんよ。マジで好きな人ほど嫌われるのが怖くて本当のことが言えなかったりということもあるのではないですか。秘密を告白できるからには、それによって嫌われたり見捨てられたりは しないという信用が大きいわけで、言ってみれば、重大な秘密を告白できるのは信用できる人だからであり、自分が そこまで信用できるのは、好きな人だからこそなのである、という理由付けになってるかもです。
もっとも、言わば「共犯関係」に持ち込もうとすること自体、もちろん、すでに、相手と特別な関係を結びたいという欲求の表れでもあるわけでしょう。順序の問題も影響してるのですかね。
カウンセラーは単に「信用できる大好きな友人」という立場ではなくて、プロフェッショナル、職業ですよね。それも高い倫理観が要請される。それゆえに信用するのでは?相性の問題は別として。
異性の医師に裸体をさらして診察してもらうのも、そういうことだと思うんですけど、まぁただ、自分の心身を預けている相手には、自然と依存の気持ちも生じてきますし、特別な存在感を持ちやすい対象ですから、そこから恋愛感情に結び付きがちだとは言えるかもしれません。
「恋愛転移を起こさなければいけ」ない、とまで仰るのは私には よく理解できませんけれど(信頼感と恋愛感情が必ず結び付かなければならないとまでは思えないので)
また、「プライドが邪魔をする」とも仰いましたが
>カウンセリングのからくりを知っているので、かなり警戒してかかりにくいのではないか、余程素敵で尊敬できる人でないと自分は心を開けないのではないか

カラクリをシタゴコロに置き換えるとか、素敵で尊敬できる、を理想が高くて選り好み、とかに言いまわしを変えてみれば、こういうのも、ふつう異性愛でも聞くことのように思いました。。。

>「女性に欲望を持つ」ということです。女性を好きならいいんです。世の中素敵な人は一杯いるし、好きになってもおかしくありません。でも欲望の部分だけがどうしても受け付けられないのです。

その「欲望」と仰るのはズバリ性愛とか性欲ですか?そこのところだけが受け付けられないのは、やっぱり罪悪感ですか?
ただただ性欲なんてダメ、いやらしい!とだけ思われるのでしたら、むしろ女性に多い潔癖さのようにも みえるんですけど。。。まして、性的なことで出発点から重いものを抱えておられるのであれば。。。

>多分一番の鍵は女性に対する「欲望」これをどこに私は隠してしまったのかを探る

大好きな御友人たちに、純然たる恋愛としての或いは紛れもない性愛感情を受け入れてもらうわけにはいかない、というのが現実の厳しさなのであれば、先にも申し上げたかと思いますが、それ自体は、必ずしも同性愛だからと限ったことでなく、異性愛にだって、そういう厳しさはあるものだろうと思います。

同性愛そのものに罪悪感を お持ちなのか、大事な御友人に対して、そうした感情や欲求を持つことに罪悪感を お持ちなのか。あるいは身近には、ありのままを受け入れてくれる人が見つかりそうにない孤立感なのか。
質問者さまの同性愛欲求を受け入れてくれる人、というニーズの問題に絞れる段階であれば、先ほども申しましたように、同じ世界の仲間という、現実的な方策を見つければいい。見つけることで
ふつうの友人づきあいを続けていきたい人たちには、そういう欲求を ぶつけてしまうことを回避できる。
同性愛じたいに、そこから発する性欲じたいに ぬぐい難い罪悪感があるゆえの苦しみなのでしたら、ここのところは、やはりプロのカウンセリングを受けるなりして(それこそメール形式のカウンセリングもあるらしいですね)御自分のなかの価値観を変えていくことが必要になるのではないですか?

ところで、彼氏さんのこと、また彼氏さん自身、実際、今後のことを どう御考えなのかな?と思いました。
多分、彼氏さんも、貴方の考えてることが よく わからないと思ってらっしゃるかも。
貴方の葛藤に目を向けて、前向きな解決を目指して(ここのとこが彼氏さんは性戯の開発によって解決しようと努力してらっしゃるのかしら??)いっしょに考えようとしてくれて、そばに寄り添い続けようという姿勢を崩さない人であれば、あるいは、これから そういう人に出会っていかれるとよろしいですね。
男女の別に関係なく、そういう、あったかい人に。


たった今、三番めの御質問の補足を拝見しました。
>私は甘えすぎているのです。甘えの構造を造ってばかりいるんです。あなたにお詫びしないといけないのです

私は かまいません。実は、この私だって近ごろ、「甘えるな!」と叱られてたのですよ。妄想だの分裂病だの病院へ行けだの言われました。まぁ、決して個人的な恨みつらみが本意だったわけではないのですが、私の場合も、あまりに込み入った話になってしまってて、何からどう話せばいいやら的確に理解してもらえるように説明する力量がなかったのです。言えば言うほど、個人的な私憤だと思われてしまって。おまけに、反応をみるための多少「釣り」としての側面もあったのです。結局、最後は実力行使で、問題の原因となっていた相手を黙らせましたが。
私も、この数年来、過労から うつ病に罹患してましたので、コンディションが良くなかったのを こじらせてしまってたのです。分かってて叩く「専門家」もいましたからね、あまり、こういう場で肩書きを信用しきらないほうがいいかもしれないです(笑)

全き甘えの時代を享受できなかった子どもは、成人して後も引きずりがちだと聞いたことがありますが、そのための拙い疑似体験にせよ、いつか立ち上がっていくキッカケになるのでしたら、お役に立てるのは私にとっても、むしろ良い経験です。そんなに御自分を責めないでくださいね。

いずれにせよ
「運命の人と出会い、感情を得ていく」こと、これは、私たち誰しもが、結局のところ性別に関係のないことだろうと思っています。

この回答への補足

やっぱり自殺話は嫌ですよね。出さなかったほうがいいかもしれない。
別のスレで書くかもしれません。誰も認めてくれなくても自分で自分を育てる話してます。どうしてもそれが私にすとんと来ない。
例えば何処にも希望を見つけれなくて、いやだからこそそれが惨め過ぎて死ぬ事すらも救いにならない事を知って惨めな生を続けた、そういうものにとってどうしても響かないのです。
考えても見て欲しい。何処の誰かわからない、PCの中にあるデジタル文字を取り込むしか行き場のない心を持っている人間に染みるものってそういうものなのだろうか。



話を変えます。
初めの転移をかけて瞑想に入る時、利用した言葉は列記しました。言葉だけでは難しいかも、マドンナ像が欲しい私はその手掛かりを過去の回答文から探します。少し首を捻りました。今までの自分の求めるイメージと随分違うのです。大丈夫かなぁ、なんだか手強そうな人みたい(ゴメンナサイ)、でも他に居ないのです。全体の構成や展開は準備できても、回答者まで用意できません。
転移は転移です、あくまで転移なのでかけていることは分っているので自分で解けます。気づきの後の癒しの時まで付き合ってもらわないといけないけどその後は自由です。私の予定ではそのままイメージを貰っておくつもりだったのですが、自立とか大人になる事がテーマだと分り、迷います。もうここでやめてしまおうか、大人になるという事は、実在しないマドンナを捨てなさいということ。
マドンナを捨てて、もう一度転移をかけることにしました。やり直しです。出てきたイメージ。戸惑いました。少し警戒します。
どこかに書きましたが、私にとって存在している女性は、マドンナか性を持ついやらしい女しかいないのです。そのどちらでもない人、普通の大人の女性。ふうん、おとなの女も悪くないんだな。相変わらず実体は枕です。私の脳内だけです。この人を使ってもう一度、考察劇をしないといけない。とりあえず名前をつけることにしました。
ID見ると、ノーネームさんです。しかも2番です。ヒントにもならない。マドンナだったなら今度は、ヴィーナスしかありませんね。ヴィーナス誕生ですか、やれやれ。Vちゃんという愛称にしました。

この像を私は愛の対象にするべきなのか、こういう人を探すのか、それとも自分が目指すのか。マドンナの時のように心に入れておくのか。分りません。でも、今はとりあえず、この人に傍にいてもらわないと心がヒリヒリするのを誰も癒してくれないのです。何を言っても許してくれる、逃げないで居てくれる、そういうもの。
自分の中のイメージですからこういうときは便利です。甘えたいときはいくらでも甘えてます。そのうち待てよと考える、そこまでじっと待っていてくれます。意地悪言っても怒りません、ゴメンいじけ過ぎていた、気が付くまで待っていてくれます。自問自答の世界なのですが、これを私は自分ひとりで出来ないというか、抱えられない。多分トラウマがありすぎるのか、自分を自分だけの力で支える仕組みを作ったことがないからかもしれません。

数日かかり、一応の解釈のし直しをして、さて、この像を私はどうしたらいいのだろう。母でも恋人でも何にでもなってくれます。マドンナと置き換えただけの依存の対象?

依存でも自閉でもいい、しばらくこのヴィーナスと居たいと願うのは単なる退行なのでしょうか。
本当のことを言うと、自立の自愛の本当の何とかとか言われれば言われるほど、そんな余裕があるならしてますわよ。とぶち切れしそうになります。
せっかく得たヴィーナスのイメージを抱いて脳内恋愛でもして居たいです。大人になれなくても構わない、このままこのイメージだけあれば生きていけそうにも思えてきます。
信じられない事ばかりいってしまいますが、今持っているイメージは一番安らぐ対象です。
いつかわかってくれると片思いの母のイメージを抱いていた子供時代。
いつか現れて欲しいと願ったマドンナを追っていた時代。
ともに夢破れています。

何も望まなければ傷つく事はない。ヴィーナスはただの枕です。私もそれ以上は求めていない、だからいつまでも逃げないで居てくれるだろうか。この像もいつか色あせてしまうのだろうか。

切ない気持ちで自分を思ってくれた人はいない。これからも居ないのではないか。たぶんね。
自分はいつも探しているのに。でももう疲れたとも。
そういうものを諦める人生って何なんでしょうね。

これ以上、みっともない事はもう書かないほうがいいかもしれません。
もう少し元気になれたらもう少し書くかもしれません。
お別れの言葉をいおうかどうか迷ってます。未練なのかなまだいえません。
(4.12)

補足日時:2009/04/12 22:31
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きのうは肌寒い雨の土曜日でしたが、御気分は いかがですか?もっと早く来るつもりでしたが、やっとパソコンに向かってます。


まあ、このサイトのルール云々以前に、「ネットで実験」というコトバには、私自身が遭遇した最近の出来事にピッタリ当てはまるものがあって、その出来事をポジティブに考えろ、などと言わんばかりの無神経極まりない発言が当事者の一人から向けられたばかりですので、正直、私個人としての内部では、反射的にギョッとして抵抗感を呼び起こしてしまったのも確かです。
けれども、質問者さまは、こうして精一杯コトバをつくして御自分の心情を誠心誠意、説明してくださっていることですし、私自身の近い過去の不快な出来事とを、そのまま重ねて見たりはしておりませんので、あまり気に病まないでください。だいじょうぶですよ。

あるていどにせよ御悩みの解決に至れるとしても相当の時間が かかりそうであるということは御自身お分かりのようですし、なかなか錯綜した事態であるらしいということも、他の回答者さまも私も指摘するところです。
私は先から言いますように、もともとボーとしてヌケておりますから、仄めかしや遠回しな言い方をされるばかりでは、べつだんのことも思わずに平気で見逃してしまうことが ままあります。そのかわり、事態の全貌が、あるていど つかめた時点で――そこまで たどり着くのに、他の人よりモタモタしがちなんですけど、一気に見通してしまうことも多いです。とくに激しく怒ったあとなどには(笑)
ですので、個人を特定できるような情報以外は、できるだけハッキリとした説明をいただいたほうが御要望に沿いやすいし、あるいは沿えないなら沿えないで、きちんと その理由と共に申し上げることができます。
でも、先ほど気が ついたのですが、新しい御質問を出されていますね。そちらを拝見してみて、やっと、かなりのところまで呑み込めました。

>でもこういう場です、スペース的にも内容的にも限度があります。ある程度感情的に納まって、ポイントだけにしないと迷惑もあるし、誰が見ているか判らないものですし。やはり歯止めや枠をあらかじめ縛っておかないと暴走しそうです。どうしてもその範囲に自分の感情が納まらなかったら簡単にとってつけたような理由で終らせざるも得ないだろう。

その「暴走」とかの問題もありますから、本当は専門家に御相談なさったほうが、諸々の細かい斟酌をしなくていい分、解決も早いのではないのかなと思うんですが。。。
とは言っても、プロのカウンセラーだから確実、というほどのこともないかもしれませんし、お辛そうですし、御自身、口に上せるだけでも、なかなか困難なデリケートな問題ですから、敢えて、こちらでの やり取りを続けたいという御意向でしたら、この いままで堪えていらしたのですから、もう少しずつ気長に行かれては、と思います。私も、あまり時間の余裕がなくなってくるかと思いますので、マメに お相手さし上げる自信は ありませんけど、できるかぎりの お手伝いならさせていただこうと思います。その途上で、やはりここでは限界がある、プロの指導が必要だと見極められましたら、それだけでも収穫じゃないかと思います。

>引きずりそうだったというのがあります。
一方、そちら側はそれほど負担はないのではと考えたのは甘かったでしょうか。後々取り付かれる心配をされたのなら、いや、それが出来ないから安心して私は出来たのです。

う~ん、私自身がウェブでの(実生活でも近い経験ありますが)いわゆる「付きまとい」を何度か経験し、過去に かなり揉めてきましたので、ちょっと そちらの心配があったのは確かです。
しかし それ以上に、やはり質問者さまのほうの事後の「引きずり」が気がかりでした。
しょせん匿名のネット上の、と言いますが、私自身の経験からも、これは、なかなか軽い問題ではないですよ。「依存」等の怖れも生じるかもしれないですし、ここが、心理の絡む難しさです。
プロであれば相応の責任を負いますし、そういう事態になったときのセオリーも心得ていて、困った状態に陥ったときは現実的に手を差し伸べることができるのでしょうけど、ここでは、そういうことが まず無理ですから。
現に、こちらのサイトでも、職業カウンセラーや精神科医師に転移を起こした苦しさを訴えて相談に来られてる人、何人も見かけました。


No.8補足欄での 御成育環境の お話は、いまどき珍しいと言いますか、ちょっと時代がかったと言いますか、ほぼ町の子育ちの私には本当に映画かなんかのように感じましたが、ともあれ「記憶から追い出していたもの」というのは、もう殆ど、御自身で おわかりになったようですね?

小学校1、2年頃に突然、母親代わりの「ねえや」さんを失うかたちに、同時に、それは「タブー」としての事件とも なってしまい、それが質問者さまにとっての「擬似母」喪失経験になってしまっていたという、それから「泣かない子」となり、「ねえや」さんとの日々の記憶と共に感情をも追いやり忘れることにした、ということになりますか。

>はじめのほうの文で確か私は何気なく戸籍上の親ではないのか疑った事。あれ、本当に無意識に書いたのですが、これが小説なら複線ですね。
大昔ならいざ知らず、母子手帳もある時代に、私があの姉やと父の間の不義の子とは思えませんが、結局心理的にはそういうことだったんですね。

なんだか ちょっと志賀直哉の『暗夜行路』あたりを思い出してしまいました。


「異性の愛を拒絶し、同性の愛を求めるとき、この同性は自分自身の姿に似たものであるという意味で自己愛に基づく対象選択であるという。」
これは先回の投稿で申し上げた部分ですが

>姉やを取られて恨んだ私が母に中々懐かなかったのかもしれない。それって落ち度なのだろうかどうか。。。そういう家族内の微妙な関係って加害者はどの程度引きずっているのだろう。自分だけなのか、今そういうことも気になってます。

「加害者は忘れるが、された側である被害者は忘れない」とも言われますけどね。。。
加害者にも二通りあるように思います。一つは、ちょっと何かが欠落してて、本人に大して罪の意識がない、そんなに悪いことしたという感覚がない。
もう一つは、小心というかナルシストというのか、周囲に どう思われるかという心配以上に、実は、むしろ自分自身が自分のことを悪者として自覚したり糾弾したり、罪悪感を抱え続けることに耐えられない。だから、なんとか無理やりにでも挽回できるものなら挽回しようとジタバタするのですが、それでも不可能となると、自分が やってしまったことは大したことではなかったんだ、と殊更に目をそらしたり、あるいは被害者に責められることを怖れるあまり、返って、被害者に対して内実は自分こそ被害者なのだという あべこべ意識を持つ。要するに開き直りですね(笑)考えようによっては、敏感な「超自我」のなせるところ、と言えなくもないのでしょうが。

>加害者には加害者の事情があり、受け手(私)も落ち度?反省もある訳です。今背景をずっと考えてまして、私だけが被害者だと信じてやまなかった。ではなぜそんなに隠してたかが出てくるの。取引や相手への牽制に使ったのではないか
>それとそれまでの私の表現で、性的問題が家族内でしかもどちらの性でもあったと憶測され得ますか?結局出発は何なのだろうとそこを考えているのです。私の落ち度はなんだったのだろう。
>性的虐待や性的暴行が家族内である場合、家族の力関係が背景にあることは充分お分かりだと思いますけど、被虐待者自身にもそれを誘発する要因というものがやはりあると思いますか?

前半部分の事情が私には よく呑み込めないのですけれど、「どちらの性」とは「どちらのせい」どっちの責任、という意味なのかな?と思いましたが、これは新しい御質問で挙げておられた、おにいさまと おねえさまが関わる問題でしょうか?
幼い頃の出来事が心理的に尾を引いて、ということは よくあることのようですが、このような問題とも なりますと、年齢にも よるんじゃないですか。「加害者の事情」「被害者の落ち度」、幼い子どもと おとなとでは違って当然と思います。
たとえば、レイプということを考えてみても、あるおとなの性的な情感をそそるようなものを、幼い子どもが持っていたとしても、その子どもは そんなこと知ったこっちゃないですよね。「落ち度」なんて言ったってしょうがない。まぁ私なんかの場合は、すなお過ぎが「落ち度」だったかもしれないんですが(笑)
質問者さまの場合、おにいさまや おねえさまの心理状態にこそ原因があったのではないでしょうか?

おとなの場合でしたら、たとえば、ことさら煽情的なかっこうをして、治安の良くない場所へ出かけたとか、あらかじめ、危険が あり得ることを予想できるような状況のなかに自ら出向いていった、とか。自己責任、って言われますよね。これも なかなか安直な面のあるコトバですけど。
質問者さまが、そういう煽情的な女性の かっこうを見ると、反発を感じるというのは、そこに、性的な隙とか危うさを感じてしまうからなのかもしれませんね。
と、ここで申し上げておきますが、新しい御質問のほうを拝見して、かなり分かったようにも思いますが、、、なにしろ今までの お話だけでは、情報が少ないのと曖昧模糊としていて、いまひとつ理解しきれなかったのです。
質問者さまが成人なさってから後の性的な問題を抱えることになった下地としては、子どもの頃の出来事が原因しているということは大いに考えられると思います。

「家族の力関係」ということについても、私自身、年の離れた 腹違いの きょうだいたちと育ちましたし、家族の それぞれが、それぞれに内心の不満や不安や鬱屈やらを抱えていて、それらが、家族のなかで一番幼く力弱い立場であった私に、全員から ぶつけられていた面は あったと思います。もちろん一番幼いのですから、ちょっとしたことで優遇されることもあったでしょう。たとえば、他の きょうだいよりもケーキが大きいとか(笑)後年、母に聞きましたら、「それは、おかあさんの分もオマエに回してやったの」ということでしたが、それ自体が、他の きょうだいには、ねたみのタネですし。とくに腹違いの姉は私と違ってファザコンでしたから、父が私にベタベタすると ねたましかったでしょうし、実際、私が父に殴られたりするのを見ると、とても嬉しそうでした。

>私はその頃、今振り返ってみれば大きなことに出会ってます。どうして、それを思い出せなかったのか、本当に呆れてしまいました。
いやな事だったからです。そして、多分、自己を再構築していくのに持て余しかねたのか邪魔だったのか、切捨て、意識の世界から追い出したのです。
それは、他のこととも相まって、感情を捨てることと道連れでした。
今、なぜこういうことが起こっているかということも理解できます。私の現在の内因、外因で起きているようです。
アルコールの上でのことが起きる前後から、内圧、外圧がかかってきていたのです。この2年少々のあいだのこと、そして現在出ている症状の意味も判ってきました。みな意味があったのです。必然だったのです。

ということで、私は知らない御事情でしたが、御自身には、じゅうぶん思い当たることが おありだったのですね。このあたりに何かがあったわけですね。それは、御きょうだいに関係した出来事、ということで よろしいでしょうか。
また、現在の、彼氏さんとの交渉の ありかた。そのなかで起きてきた疑問。恐らく御きょうだいとの出来事が影響しているのだろうとは思いますが、その彼氏さんとの おつきあいの ありかたを悩んでいらっしゃるのでしょうか、それとも、やはり、お酒の席で女性に対して してしまう行為のほうが、より重大な悩みでしょうか。
「ねえや」さんのことは、すでに お聞きしたことだけで全部ですね?

そして、質問者さまが、いま現在おつきあいなさってる彼氏さんとの性交渉のさなかにおいて、その「置き換え」が起きてきたのは何故?ということでしたけれど、飽くまで、もしかしたらですが、要するに「おくて」だった、あるいは無意識のうちに認めまいとしていたのが、彼氏さんによって、だんだんと性感の刺激をもたらされるに至って、、、目覚めた?というか向き合わされた、のかな?というふうに最初のうちは考えました。
その後、彼氏さんとの経緯に絡んだ新しい三つめの御質問を拝見しましたので、そうですね、一言で言うなら、出発点としては御自分なりの無意識な「リハビリ」のようなものだったのかしら?と思いました。
子どもの頃、御きょうだいから受けた性的な仕打ち、これに伴う不快を長じて後も解消しきれないままに抱え込んでおり、 どこかで それを消化してしまいたいという希求があって、無意識のうちにも、そのキッカケを窺っていた。
抵抗するのも困難な弱い立場の自分に もたらされた恐怖感を伴う不快、自分を そのようなことに利用できる道具に無理やりされてしまった納得いかなさ、しかも家族、きょうだいである、どうにも呑み込めないでいる この割り切れなさを、なんとか一気に解消するために、誰かの命令ではなく自分から誘う かたちで――つまり自分で納得づくなのである、という言い聞かせ――それは表面的な主体性とも言えそうですが、自分から望んでのこと、という(本当は「望まされている」と言うべきなのかもしれませんが)見せかけの能動性をもって、かつての自分が遭遇した出来事を再現、消化しようとした。
ところが、やってもやっても消化しきれないではないか。あげく、あの頃を上回る状況、極端な性戯にまで進んでしまったものの、いつまで たっても、なんだか自分が自分でないようだ。いや それなら、もっと恥ずかしい自分、もっと堕ちた自分を味わい尽くすのだ、あの幼かった頃の怖さ惨めさを再体験し、それを受け入れ消化しきるまで。幼い頃の自分ではないはず、それとも、あの力弱かった自分への罰?
なのに、やっと快感を感じ始めるに至れたかと思いきや、ここへ来て 自分でない誰か他の女性の置き換えが始まった。自分自身に過酷な再体験が引き受けきれないのか、再現のなかで快感を受け入れることに抵抗感があって、許せないでいるのか、あるいは自分の苦痛を、誰か他の女性に引き受けさせたいのか。他の女性が味わっていることにすれば、この自分は許せるのか。これらの全てなのか。
いかがでしょう、御自分で少しでも思い当たる部分は ありそうですか?


そう言えば男の人って年頃になると、異性の親や姉妹に対して、神経質なくらい よそよそしくなった、って話、何度か聞いたことがありますけど、質問者さまが思春期の頃あたりから、おかあさまに対して、どんどん屈折した思いを抱えるようになったというのも、ひょっとして、それに近いものがあるのか?もしも、そうなら尚更、おかあさまに親和的な態度をとったりすることに、何とも言えない独特な嫌悪があったとしても仕方ないかな?とも思っていたのですが。。。
でも、こういうのは、私なんかでも多少は持っている感覚ですよ。まぁ私の場合は、父とのほうが ちょっとでも接触したら、うへっ、と思ってしまいます;キモチわるい。。。;^^A かわいそーなオヤジ。母が亡くなったあと、父が倒れて看病したりしているうちに、だいぶ慣れましたけど。。。
どうでしょう?そういうのよりも、やはり、御自分の辛さを理解してくれなかったことの反感からでしょうか。


二番めの御質問に関しては、私自身にも近いものがあるのですが、そのあたりについて、このあと述べることのなかで少し触れています。

>はっきりしていることは、ヒトの性的志向は思春期前後にほぼ選択され、変更が困難らしいことと、それゆえ、彼女たちの多くは思春期に自ら気が付いている。これが現在一番確かな決定要素です。

という、No.8さまの御指摘がありましたね。
私自身、幼い子ども時代に同性からの性的働きかけがあったことを少し申しました。質問者さまと よく似た状況でした。但し、その相手は私にとって、どちらかと言うと嫌悪を感じる対象だったので、決して甘やかなイメージだとか良い思い出などには なっていません。べつに怖くはなかったのですけどね。
そのことが影響してるのかどうか、そういえば、まさに思春期ど真ん中の中学時代、そして社会人になってからも、同性に恋愛感情持ったりしたことはありました。ですが、男性に対してと同様に女性なら誰でもいいわけじゃありません(キッパリ!)。好きなタイプの同性ってのが やはりあって、殆ど男性が好きな女性を見るときの目で見てただろうと思います。でも、その一方で、男性からの性的な働きかけも大いにあったわけです。
今にして振り返れば おかしいというかフシギなんですが、一般に男の人からの場合のほうが非常に危険な目に遭わされそうなのが ふつうじゃないかと思うんですけど、なぜか彼らは、幼い私を まるで一人前の、と言いますか、じゅうぶん自分の恋愛相手として ふさわしい女性であるかのように扱うのでした。直截的な行為以上に、なんかロマンチックムードなのですよ。こっちは幼いなりに自ら「アタシまだ子どもだよ。。。?」って思って困惑してるというのに(笑)
その点から言えば、もっと成長してからのほうが危険度は高かったです。
むしろ皮肉なことに、直截的な行為というなら、私の経験では、女性のほうがアカラサマで えげつなかったです。もっとも、この人は相当 変わったところのある人で、嘘つきで、後に人格障害者と診断されてます。それでも、ふつうに恋愛結婚して子どもも産んでますよ。何度も精神科に入院したそうですが、ふだんは金銭計算に こと細かく余念のない、チャッカリ者です(笑)

ということで自分なりに、割合の如何は ともかくとして、多かれ少なかれ、いわゆる「バイ」の傾向があるのだろうかなという自覚が あるにはありますけど、あまり、これについて深刻に悩んでこなかった。どうしてかな?と振り返ってみるに、まあ基本的には、通常、恋愛感情を持つのが異性に対してであろうからというのが大きいでしょうけど、実は私が恋愛感情を持ったとして、相手に そのことをさとられ、てか、そもそも私が隠そうともしないんですが;^^A 幸か不幸か、そんなに嫌がられた経験がないんです。それどころか、むこうのほうが、だんだん積極的になってきたりして。。。だからあまり悩まずに済んだのかなぁ?
相手が男性であるか女性であるかは、どっちかと言えば、どっちでもいいような。。。もしかしたらヒトでなくてもいい。。。かもしれない?!(笑)

ただ、男性に対する嫌悪や反感から抜け出すのは、かなり かかりました。私の場合は、どうしても父親の暴力が許し難かった。いまでも暴力的なことに対する怒りや嫌悪感は強いほうかもしれません。まぁ母が亡くなって、父も すっかり弱々しくなって、むかしは興味がなかった父の子ども時分の話を聞かされる機会が増えたのですが、やはりと言うか、複雑な家族事情もあって、侘しい寂しい苦労の多い子ども時代なんです。もっとも父自身は、そんなふうに思ってないみたいなんですが、血の つながらない養父のことを話すときには無意識に でしょうけど、まさに「苦虫を噛み潰した」ような顔をします。

今、思い出しました。むかしラジオかなんかで放送された話だったと記憶してますが
おにいさんの結婚式に出席した妹さんに、花婿姿の おにいさんがポロポロ泣いて謝ったとか。なんでかというと、それは他の人には口外できないのだけど、おにいさんは妹さんに、いやらしいイタズラをしてたことがあったのだそうです。
妹さんのほうは「わたしに、あーんなことしてたくせに、よそからお嫁さんもらって、、、もう!」という、なんか複雑な心境なんですね。
きょうだい間のタブーに まつわる当事者の態度というのも、いろいろみたいです。

(一旦、送信します)

この回答への補足

(お礼から続く)
ごめんなさい。なんだか纏まらなくて。
話を戻します。
別のスレで何をピックアップして考えるべきか問いかけましたが、やはり親が大きいような気がします。もしかしたら、それ以外は瑣末な事なのかもしれません。

父は浮気がやめれない人で且つ暴力的な人です。当然離婚話は出ます。多くは母が実家に帰ります。ただ、両親が早く亡くなっているので、伯父宅です(但しかなり裕福です、某上場企業の副社長まで勤めてます)。身一つのことはなく、兄だけも姉だけも二人共もあります。私は一度もないです。学校から帰ってそれを知る時、上の二人は学校に迎えに行って連れ出してます。
また、ある時は、明日別れるから子供たちにどちらに付くか聞きます。二人ともすぐ母に取り縋ります。私はそれが出来なかったのです。私までくっ付いたら大変なのではないか、自分さえ我慢すれば母は楽になるのではないか、そういう思考をする子でした。

2年位前、TVで「三丁目の夕日」が放映された時、あの孤児のような少年が文学青年に向かっていくシーンがありました。自分の子ではないと突き放されても突き放されても抱きついて行く、あの少年は最後に受け止めてくれると信じているから出きるのだろうか、ただ縋り付きたいからなのだろうか。青年は突き放せれない自分が判っていて突き放そうとしているんだろうか。少なくとも私にはそれが出来なかったのだ。何となく「せつない」という言葉を思い出しました。私はそれまでせつないという言葉の意味が分らない人間でした。そういう体験が一度もないのです。自分に欠けているもの。せつないと思える対象。

鶏が先か卵が先かの話なのかもしれません。子供が縋らなければ、親は子供を愛せないのでしょうか?たまたま母性の少ない人だったのでしょうか?兄弟の中で私だけ異色でした、ユダなのです。家の中で私は貰い子のような存在でした。
私は良い子のストーリーを演じながら、裏では家出ばかり考えている子でした。子供の頃の私のレッテルは守銭奴です。家出するにはお金が要ります。お小遣いもお年玉も皆貯めこむような性格でした。家出から自殺に話を変えていくのは、多分、あの事があったから。
父の直ぐ下の叔母がよく来てました。実家ですから大きな顔です。如才ない人だから上の二人にはいいお土産、私にはささやかなお土産、そういう分りやすい人でした。この人には子供がいません。ある時から、私へのお土産が一番豪華になりました。急に猫撫で声をかけます。警戒します。親の話し声に耳をそばだてる様になります。養女に出す話が纏まりつつあるようです。父が乗り気なのがショックでした。
ある日、「あの叔母ちゃん、Nが気にいって欲しいといってるよ?」即座に、「あの人大っきらい!」出されなくてすみました。捨てられる可能性を知った私は多分それから家出ストーリーをやめて自殺ストーリーにしたのでしょう。
高校時代の自殺ストーリーは完成してました。要するに遺書です。
ただ、何を書いても、受験に失敗したから自殺したんだろうと思われるのが絶対嫌だったから、なんとしても合格せねばならなかった。そう、誰も望んでいない進学先への受験勉強の動機付けに使ったのだと今分ります。

お世辞込みとはいえ、中3の三者懇談で「東大でも医学部でも望めるのではないですか」担任の良かれと思ったヨイショをさえぎり「とんでもない女の子は勉強はいりません」帰り道、どんな報復をされるのか、母の横顔を怯えてみていた。
高3の時、学校を辞めさせられそうになりました。控えめな志望校を書いたはずでも、どうにも許せなかった親は(父もです)、登校停止、親の方針に従わないと中退しろと来た。担任は来る進路指導は来る、一生懸命説得してくれる。でも家庭の方針は強いのです。姉の進学先の女子大の名に書き換えて、やっと2週間ぶりに登校した私に担任は「お前も苦労してんだな」
よその親と逆です。わざわざ偏差値の低いところを強要する。

でも結局自殺しなかった。

補足日時:2009/04/12 21:19
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この回答へのお礼

お久しぶりです。話せるようになりました。別スレのほうもお目を通して頂くようお願いします。

質問を立てた状況から説明します。
外圧は、母からの結婚の強要です。今始まった事ではないのですが、本当は、兄の縁談が進まないのが元です。私がいけないのだそうで、実家を出て自活しているから関係ないのに、行かず後家になりそうな妹が居るから、その内不倫でも起こしそうな妹が居るから、母には確信ですから困るのです。彼を出すか?反対されそうな人ではないです。
また、彼からも結論を迫られてます。2ヶ月近く前にあるレストランに呼び出されました。紹介したい人が居るとの話で、てっきり趣味方面か仕事方面かと行ってみて、彼のお母様でした。不意打ちです。これで少しこじれてます。先に私にプロポーズがあるべきという手順の問題ではありません。お母様に予め人物鑑定をされたのを怒っているわけでもありません。外堀を埋めるようなことをしてきた、確かにそうです。決めるきっかけにしたかったらしいことは理解しました。でも。決められない私にどうしろと。
内圧は、マドンナが消えていく。。。

そこでここの質問を利用しようと思いました。目的の第一は実は本当に分析する事ではなかった。してもいい、でもきっと新たなことはないと信じてました。転移をしても何も新たな発見がなかったら、いくつかの別スレを立てるつもりでそこまでは準備してました。
ところが予想外のことが起きてシナリオが崩れてしまったのです。
白状します。第一の目的は、自分の中だけの変化しないマドンナの像が欲しかったのです。だから敢えて恋愛転移をしましたとわざわざ告白しておいたのです。痕跡、由来、縁起。一種の信仰告白です。
第二の目的はどうしても決心できない時、彼への別れに使う1つの道具つくりです。

本当にごめんなさいです。企みは失敗してます。それどころでなくなったのです。
3つのスレ、かなり私の内面話してます。偏った人格かもしれません。何もいわずに去ろうかと考えました。
でも、あなたにどんなに悪く思われてもいいからやはり言っておきたい。実は、自立というテーマを突きつけられてから、苦しいのでもう一度、転移をかけました。そこで得たものが自分にとっては鍵になるのではと今思っているからです。その話をどうしてもしたいのです。(4.12)

お礼日時:2009/04/12 04:18

連続投稿、恐縮ですが、大切な事を忘れてましたので、



あなたはね、異性同性以前に、母を求めておられるのです。
noname002さんに思慕を寄せて甘えて甘えて許してもらって許してもらって、やっと過去を「母」に打ち明けた。そういう段階なのです。ですから、その母に大変だったわねぇ、悲しかったわねぇ。。。と優しく撫でてもらいたいのです。その例の姉やさんのように、あなたの母の原型はその人なのだから。カウンセラーは母親役になって代理でしてくれるのです。ですからnoname002さんを求める気持ちはわかります。

いや、これは転移をされたと書き込みを見たときから予想するべきでした。私、うっかり見過ごしてしまいました。どうも知識としてはあっても経験していない事は人間気づかないもので。
それで、私で良ければいくらでもお声かけしますよ。先ほどルール等申しましたが、確かにこういう場のルールとしてはどうなのかと思いますが、ただね、私で効き目があるのかな。私、そういえば、あなたに対して「母」や「許し」をイメージする言葉をそういえばいってない様な気がします。だから全然関係ない他人の言葉としか響かないという事になります。でもなんだか、言葉をかけてあげたくなります。
私はあなたの「母」ではないですよ、隣のおばちゃんです。

性的被害にあったとき、両親の支持慰め励ましがとても重要のようです。大切なあなたの子であったのに、汚され、もう愛されるにふさわしくない娘になってしまったという意識になるものらしいのです。(私から見ればどうしてそうなるのだろうとぴんと来ないのですが)だからそんな事ないよ、今でもちゃんと愛される娘ですよという支持が大切らしいのです。ですから、もし時間が戻せるならその時に帰ってしてもらうのが一番なのですが、出来なかった事情があるからカウンセラーが代理でするわけです。
出来なかった事情にその娘は縛られ罪の意識を持つのです。なぜいえなかったのか、「親を疑っていた」自分がいるからいえなかったその罪の意識があるのです。
でね、そういう意味では、質問者さんの場合も、他のレイプ被害女性も一緒なんですよ。あなたは自分は特殊ケースだと思っておられる、でも形としては同じですよ。
と、ここで、隣のおばちゃんはそんな解説しないですね(笑)。優しい言葉、、性格直して考えてきます(笑)
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文章をまとめる時間がありませんので、ランダムなだらだら書きです。



・恋愛転移を仕掛けた事について、
相手の承認なしなら最後まで言わないのがルールではないか。かといって承認がたとえ取れたとして、こういう場では許される行為かどうかはかなり疑わしい。密やかに利用し、その結果のみを、「あれから色々考えて」と発言され、その時にその対象者に、「あの言葉がすごく慰めや励みになって、その力で自己考察ができた」という表現で充分なのではないか。現実的にしていることは同じなのだから「恋愛転移」で強調されただけ。ただ、質問者さんがあえて自己マジックをかけるにあたって一心不乱になりすぎてというか、そこまで追い込もうとした心情はわかるので「口が滑った、配慮が欠けた」という印象を強く持ちますが、癒しや声かけの要求をする準備でもあったのではないかとも見受けられます。どちらにしても見方によっては不純ですから、密やかに行い、癒しをそのカウンセラー役に擬した人に求めない、相手からの自発的な回答があれば、僥倖と割り切れなければ、するべきではないと思います。
異変が起きてるなどいわれてもこちらは判りません。そういう発言が起きるやり方というのは問題ではないでしょうか。これは倫理観の問題ではなく、回答者への回答の強要に近くなるという意味です。
ケースは異なりますが、質問者回答者どちらに対しても、
「チキンじゃん、反論できないだろう」などと言う煽りによる発言刺激などと同等なのではないでしょうか。無論その志すところは違う事はわかります。手順と目的でよく問題視されるケースと一緒です。

・内容について
本当のところ以外でした。幼児期に何かエピソードがありそうだとは思ってましたが、どちらかというと家庭内に何かの事件があり、その遠因でもあるのかなという風に感じてました。
性的虐待に関しては充分疑われるケースだとは思ってました。ただ、兄のほうしか予想していませんでした。
私が思うに随分関連しあっているのだなと。それで不思議でしょうがないのですが、こういう人はもっとエピソードがあってよさそうな気がします。隠していても家庭内の事は子供に影響が出ます。傍から見るべきものが見れば、何か気づきそうなものなのにと。
自分の記憶に蓋をしていく事について思うのですが、どうも人はより重要な事ほど蓋を「巧妙に」してしまうようです。また、目をそらしたい事が多ければ多いほどどんどん下になっていってしまう。
時間的な順というのも大きいような気がします。ベビーシッターさんが最後であった事が一番印象的なお話でした。
かなり複雑に絡み合っていて、だから蓋が重かったのか、どれかが重いから引きずられているのか、そのあたり専門家に聞いてみたくなるような話です。

ちょっと話が変わりますが、私今夜は花見でした。少しというか随分寒かったですし、花ももう少し足りない感じでしたが、気持ちはリフレッシュできました。ねぇ、あなた、今はこのことで頭一杯なのでしょうが、少しお休みになったらいかがですか。この土日あたり花見でも水族館でも郊外へでも。そろそろ色々な花が順に咲きます。春っていいなぁ。。。気分転換ということは大切な事だと思います。自然は人の心に潤いや優しさや癒しを運んできます。そういう自然を喜び受け取る心というものも大切なのではないでしょうか。人間も自然の中の一つのものでしかありませんよ。

余計なお世話かもしれませんが。
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回答数が動いていないようだし と、ここのところ覗かなかったのですが、少し落ち着いてこられたということだったので、まずは良かったと思っていました。

ですが、私の「メッセージ」というのは何のことを指して仰ってるのか分かりません。。。?

>失敗の原因は支持者がいなかったこと、せめて見守りがいなかった事。それはパニックを起こした瞬間に理解しました。

私にも憶えはありますが、いかなる理由からにせよ孤立しているというのは何にも増して辛い、耐えるのに非常な精神力が必要なことだと思います。
質問者さまは、これまで精神分析、心理学方面の お勉強を熱心になさってこられたとの由、本当は知識のない私など出る幕ではなかったと(あとからいただいた お返事で気がつきました;)実は、改めて慌ててます。かなり驚いてます。他の御回答者さまは、とうに気づいておられたのかもしれませんが、前にも言いましたように私は もともとボンヤリのんびりした気質ですし、このような場で「転移」の仕掛けをする、などということ自体が思いもよらないことでした。

質問者さまは初めての御質問だそうですね、御入会そのものも初めてでしょうか?少し厳しいことを申し上げるようですが、ここを、あらかじめ「転移」のためにといったような仕方で利用なさるというのは、恐らく、いろんな面で大きな問題を含むだろうと思います。

「恋愛転移」ということをお挙げになってますが、これについては、主に、する側ではなく、される側としてなら、まぁ私に全く経験がないというわけではない、のかもしれません。その相手の人によって表現しかたに多少違いはあるみたいですけど。実際、掲示板上で、コトバだけの精神科お医者さんごっこ(いわゆる「お医者さんごっこ」というのは本来は、性的好奇心に目覚めた年頃の子どもに みられる行為)をやってるのか?という感じのマネをしていた人を知ってますが、そもそも、分野の専門家が、その目的に特化したサイトであるなら ともかく、ここのように一般の人が参加するサイトは、飽くまで、見知らぬ者どうし匿名の質疑応答サイトに過ぎません。
仰るように「創作」などは基本的に不必要だと思いますし、悩みの解決へのヒントを求めるためには、むしろ、できるだけ単刀直入な明快な述べ方をしたほうが、早い解決に結び付けやすいのではないかとも思います。
悩んでいることの解決に役立つためなら少々思い切った内容であっても、基本的に最低限の規約に触れることでさえなければ、書き込みしていいのではと思います。
但し。御承知のように、規約条文において、個人を特定する可能性のある情報の やり取りを禁じているはずで、「本当の身元がわかる情報を出来るだけ避ける」というのは大前提、だからこそ できることもあるわけです。しかし当然、特有の限界も明らかに あります。その限界を踏まえたうえでなければ、かえって文字の やり取りのみの世界ならではの問題が、いろいろなかたちで起こってきます。ましてや心理に関することです。

同一の人との あまりに度重なるやり取りも、いわゆるチャットのような利用の仕方をしていると見做されて削除対象になることもあると忠告してくれた人もいましたし、メンタルヘルスは勿論、この心理学カテでも、質問者に対し、病名の判定や何かしらについて断定的な述べ方をしないようにという注意が示されてもいるはずです。

ウェブサイトにおいて、これまでに、ずいぶん厭な思い、危険な思いをしたことがある私ですが、それでも質問者さまが、ここで私に対して「恋愛転移」なるものを仕掛けることで何を達成し、また、その結末を どう描こうとなさってるのか、それ以上に、その 御望みに私がシッカリと応えてさしあげることができるのか、正直よくは分かりません。どシロウトにできることなど微力だろうとも思います。また、「転移」などというものは、このような場では、ことに危険性の高いことではないのでしょうか?私が質問者さまに「甘い甘い果実」をさし上げることができたとして、どうするのでしょう、そして そのあとは?

これまで、精神分析や心理方面の お勉強を積んでこられたという冷静で賢明な貴方は、じゅうぶん理解なさっておられることと思います。
ですが少々焦っておいでになるように見受けましたので、とりあえず、これを投稿しておきますが、私も、いつも時間が用意できるわけではありませんし、個人的な事情と共に、そろそろ多忙になってきますので、どこまで お相手できるかは保証できません。先にも予想以上の お悩みのようすに驚いたと申しましたけれど、本当に前向きで確実な解決を急いでおられるのなら、それ相応の手段を お求めになってください。


何しろ私は専門的な知識に疎いです、まずは、これまで少々聞きかじっていたていどのことを私なりに改めて おさらいしました。質問者さまに、本来の冷静な視点を取り戻していただくためにも、ごいっしょに ちょっと確かめてみましょう。すでに御承知の事柄ばかりでしょうけれど、サラッと御目通しください。カウンセリングを お受けになるとして、その前に、あるていどでも明確に客観的に問題点が煮詰められていれば、何を何から話せばいいやら自分でも困惑するのを緩和できるかもしれませんし(カウンセリングというわけではないけど私も、これに近い失敗をしたことがあるのです)、その点で、僅かでも お役に立てるのなら、という気持ちばかりです。

そこで、
>なぜ自分にはあれだけ執拗に罠にかけたのだろう、なぜあそこまで徹底的にひどい事が出来たのだろう?その医師はこともなげに言いました、あなたが賢かったからですよ。嘘を見つけていたんでしょう?だから更に汚い手でかけるのですよ。お母さんはあなたが怖いのです騙せないから。

このあたり、私にとっても興味深い話題ではあるのですが、ここでは、おかあさまのことは置いて、少し意外なまでに緊急の課題であったらしい貴方御自身のことから考えてみましょう。

さて、「転移」ということを仰いました。
精神分析の歴史に出てくるブロイアーの患者だったアンナ・Oという有名な患者のこととか御存じかもしれませんね。(想像妊娠から、主治医の子どもが生まれる~!と言って大騒ぎしたって言う、、、
「大好きな友達だから、どうしても言えないのです。お互いルールは知っています。秘密の封印はお約束。信じられる人です。でも、後の付き合いがある友達では、このテーマは無理だったようです。」と仰った このあたりがモロに当てはまるかと思えるような事例も みたことがありますよ。)
フロイトは、このアンナの症状は性欲と関わりがあることをハッキリ見抜いたそうです。
患者が抑圧された記憶を思い出すことで症状が消えるのだという、この「抑圧」というのが最も重要な概念として精神分析の出発点なのだそうで、ここは、質問者さまの場合、おかあさまのこと、「ねえや」さんのことなどが、それにあたりそうでしょうか?「話すと症状が消える」という「浄化法」「カタルシス法」が精神分析の基本ということだそうですね。
まあ、ヘタすりゃ単なる「作文」じゃないかという批判もあるようですが、本人が納得いく、腑に落ちることで混乱が収まり、落ち着きを取り戻せるのでしたら、けっして無意味なこと、悪いことではないと思います。

意識することに耐えられないで、衝動を代理しているもの、衝動を表すコトバを意識から追放し排除することを意味する、この、「意識から遠ざける」というのがヒステリー、神経症に最も典型的に認められる防衛機構と見做される。
意識から追放されたもの即ち無意識的なものを一度 意識から追放すれば無意識的なものになってしまって再び意識に現れない、という意味ではなくて、払いのけても衝動ある限り、耐えられるていどのものならば、また意識に のぼってくる。そのため絶えずエネルギーを消費することになり、疲労せざるを得ない。この、いかにも不経済なエネルギー消費をしなくて済むように抑圧を完成させるため、様々な心的プロセスを仮定する必要が でてくる。

よく知られた例に、「検閲」という心的プロセスによっても耐えられないものは、許容し得るものに変形されてしまうというものがありますね。
こうした「抑圧」という考えかたのなかで最も重要なものは「原抑圧」であるとされ、これは、意識的に耐えられないものを排除する抑圧よりも以前に「原抑圧」は起きてしまっていて無意識的なものがつくられ、その無意識的なものが耐えられないものを、引き付けようとすることを意味している。
この意味で「後抑圧」というものが、ふつう「抑圧」と呼ばれる。
「原抑圧」というものが どんなものか、フロイトによれば必ずしも明白ではないがラカンは「象徴的なものをつくりあげる端緒」と見做して、「原抑圧」が起きる以前に、意識から排除しなければならない経験をする、ということから精神病が理解される、とありました。

ところで人間の心の構造について考えたフロイトは、初期において意識と無意識を、次に「自我」と「エス」の「二元論」を提唱した。
「エス」とはニーチェに由来する概念で、「自分のなかにあるのだが、自分とは考えられず、『それ』としか考えられない部分」のことである。
動物的本能や原始的欲求が混沌として渦巻く善悪の分別がない領域であり、破壊衝動や攻撃欲求の原資となるリビドー(衝動の原動力となる本能エネルギー。フロイトは性本能としたがユングは全ての行動の根底にある心的エネルギーとした)の源泉でもある。しかし、エスで生み出されるリビドーは、破壊欲求のエネルギーとして利用されるだけではなく、成長過程で社会性や道徳観を学習していくにつれ、創造的な行動や建設的な欲求のエネルギーとしても利用される。そういう可能性もあるということでしょうね。

フロイトのいう「エス」は諸々の欲望から来るエネルギーで充満しているが、いかなる組織も、全体的意志も示さず、ただ快感原則のもとに欲動欲求を満足させようという動きしか持っておらず、エスは混沌、「沸き立つ興奮に満ちた釜」である。自我は「奔馬を統御する騎手」のごとく これと闘い、妥協し、あるときは優位に立ってエスを従属させ、あるときは振り回される。但し、それを意識的にするわけではなく、自我は自分のしていることを知らない。たとえば、自我が意識すると苦痛や罪悪感を覚えるような観念や記憶を抑圧してしまうのだが、自分では抑圧したことを知らない。
抑圧の他にも、否認(知覚した現実を現実として認めない)、分離、反動形成、取り消し、同一化、投影などの「防衛メカニズム」を駆使しながら飽くまでも無自覚的に、自分の身を守って生きていく。

これも、その方面に興味がある向きには よく知られていますが、フロイトは抑圧が完成されないで、無意識的なものが意識に現れるときに、抑圧されたものが「症状」として現れるだけでなく、日常生活においても、言い間違いや思い違い、過ち、夢などに現れることを示しているそうですね。

フロイトは心理療法技術として最初、催眠による治療を試みたが、期待したほど効果を得られず、それに代るものとして「自由連想」を始め、自由に思い出させることで、症状の元になっている心理的葛藤に行き当たることを発見した。しかし、自由に思い出すことというのは案外、非常に困難なことであり、自由に思い出すことを妨げているものこそが明確にされるべきものと考えるに至った、ということなんですが
そのフロイトの有名な理論で
「幼い頃の性的虐待、という空想を、どうして患者たちは抱くのか」それは「異性の親への愛情」ゆえであり「その愛情は普遍的なもの」これが「エディプス(オイディプス)・コンプレックスの理論」ということですね。
女の子の場合、すでに自分が「去勢」されてしまっていることを発見し、男性器羨望を抱かせることになる。そして、自分をそのような「不完全な」形に産んだ母親を恨む。しかし母親も同じなのだということに気づいた女の子は、父親に愛情を向けても、母親への恐れはない。やがて思春期に母親と和解し、父親離れをして、男性との結合の観念を受け入れていく。
父親・母親・子どもという、言わば三角関係の位置づけのなかで、女児は自分が持っていない(失った)男性器を持っている父親に欲望を向け、男児の場合は母親を自分のものにしたいと願って父を敵視する。
というフロイトの「エディプス・コンプレックス」なるものは有名ですが、私の場合、酒乱で暴力を振るったりとかする父親に対する怒りのせいか、その分、必然的に母への思いが強くなりました。そのことの影響が先に立つのか立たないのか、そのへんは少し曖昧なのですが、子ども時分、母に対する独占欲の反面で、父に対しての憎しみがあったように憶えています。ですから個人的に、フロイトの言う「去勢」「エディプス・コンプレックス」云々とかは単なるファンタジーのレベルではないかと思うのですけども。
どぎつい話かもしれませんが、母に対して(同じく私も巻き込まれてたと言うか、ときに それ以上でしたが)凄まじい暴力を振るい、そのくせ、散々痛めつけた母に、その後の性的行為も要求する父が忌まわしくてならなかったです。
だいたい、男性どうしの殴り合いのケンカだって、ある種のセックスという感じがしないでもないですけども(笑)

有名な女性漫画家さんの話ですが、彼女の娘さんが お年頃になって、おとうさん(つまり漫画家の夫君)が、奥さんであるその漫画家さんの おしりを、通りすがりにフザケて ちょっと触ったりするのを目撃したら、たいへん嫌がって怒ると言ってました。それは、母親が汚されるような気がするからのようです。私にも、じゅうぶん覚えのある感覚です。
この話を受けて、タレントの志村けん氏が「家庭内三角関係」と、いみじくも指摘してました(笑)

いわゆる「エディプス期」(概ね3歳から6歳頃までとされる)に重視する心理的発達課題としては、自他未分離な母親との幻想的一体感を克服した子どもの健全な自尊心や自己肯定感の成長、その成長を親(養育者)が促進するために、愛情と優しさに満ちたコミュニケーションや子どもの自発性・積極性を尊重して承認するようなアプローチが大切。
「エディプス期」の発達上の問題は、自己対象(自分と近しい関係にある大切な人たち)が非共感的な対応をすることで、自己統合性が乱され断片化してしまい、解離的な状態に陥る危険があること。また、適度な強さや程度の自尊感情を抱くことができなくなると、様々な事柄・課題に対して消極的になり、対人関係からひきこもりがちになって社会生活・学校生活に支障が出てくる事もある。

男根期的性格発現において男児は母親もしくは女性の「母親的存在」に強く魅かれる(エディプス・コンプレックス)。そのまま固着すると、母親もしくは母性への逸脱した思慕や、年齢の極端に離れた女性への興味関心が固着するとされるが、発現には個人差がある。
女児は自分に男性器が無いことに対する不安や、渇望が生じ、それが性同一性の獲得に繋がるとされる。まれに「男根願望」が固着し、男勝りの女性となることがある、とされる。
…ということですが、私個人は、「男根願望」だの、それへの不安などの記憶が全く思い当たらないので、こんなの眉唾じゃないの?と思っていました。以前、小児期の思い出話をしていた女性ですが、おふろなんかで、幼かった彼女が男性の裸体の下半身を見たとき、さすがに性的な それではないにせよ、なかなかの好奇心を持って眺めつつ囃すようなことすら言ったというのでしたが、私は、その話に自分との共通点も共感も感じませんでした。抵抗感からとかではなくて、単に興味を持ったことがないというだけなんですけど、やっぱり「性同一性の獲得」のためには、それではいけなかったんですかねぇ?

「心的装置」とは、いわゆる「イド」「自我」「超自我」として考えられるようになるが、無意識は「イド」に対応するとされ、「自我」「超自我」は前意識や意識に対応するものではない。
無意識は現実に対して配慮を欠き、快・不快の原則に従う系として考えられ、抑圧された観念は相互に自由に置き換えられ、圧縮されたりもする。
また、時間を持たず、破壊されるものでもなく、一次的過程としての特質を持っている。比喩的に言うなら、「抑圧された観念の結合」によってつくりあげられる「空想小説」の筋書きとしての骨子をつくりあげているものである。。。
ユングにおいては、個人的無意識と集合的無意識は区別され、直接観察されるところのものではない無意識とは、創造的活動の母胎をなしていると考えられ、症状や夢を手がかりとして構成されたものである。

私自身、あまり詳しくなく、よく分かんないので質問したこともありましたが、
「自我」なる概念は、根本的には、人間とは何かという問題に答えようとするときの最も広範囲にわたる意義を持つ、中心的概念である。したがって、「自我」をどのように考えるかが心理学理論の基本となる。
生物学的、行動主義的な研究者は、個体とか人という概念を使って、「自我」という概念は あまり用いない。人間を社会的存在として みようとするときは、役割、態度という概念を重視する。
対して、精神分析的、哲学的な理論を組み立てようとする人たちは好んで「自我」という概念を使う傾向がある。
しかし、自我の概念は一様ではない。最も曖昧なのは自我と自己の概念である。一般的には、
「自我」=主体
「自己」=客体と見做される。
これは、見る自分と見られる自分、反省する自分と反省される対象となっている自分、を区別するものである。
経験される対象となっている自己のことを「現象的自己」と言う。
この意味で「経験する主体」としては「超越的自我」と言われる。
「自己」については感じ、知ることができるが、「自我」については知ることができないことを意味している。
しかし、自己と自我が いつも このように区別されているとは限らず、同じ研究者でも、自我を全く違った意味で使うことがある。フロイトの場合に「自我衝動」というときの「自我」は生物的個体の意味を持ち、「自我リビドー」というときは客体に対する主体の意が強い。しかし、場所論で「超自我」と「エス」に対する意味で「自我」という用語を使うときには、心理的機能のことを示している。
自我の形成、発達についても曖昧で、あるときにはエスが発達的に分化して自我が考えられる、かと思うと、「同一視」によって自我が形成されるとも考えられる。
レヴィンにおいては生活空間が あたかも自我であるかのように見做されるが、その上に自我が追加され、理論的には不明確な概念となってきている。
このような混乱が起きてくる根拠は、基本的に主体と客体とを分けて考えようとするところにある。そこで元々主体と客体の区別はなく、主体は客体であり、客体は主体である、という考え方がつくられる。
ラカンの「鏡像段階」の概念は、こうした考え方を端的に示すものであり、フロイトの同一視の考え方を展開したものと言える。自我はイデオロギーの産物に過ぎない幻影と見做される。
幼児期や思春期にはイドの衝動が強く、自我はあまり強くなっていないので、イドや超自我との間に葛藤が生じてくる。
…ということなんですね。

フロイトには他にも有名な「トーテムとタブー」とか、リビドーが外の対象に向けられず、自分自身の姿に向けられるという「ナルシシズム」の理論とかありますね。
異性の愛を拒絶し、同性の愛を求めるとき、この同性は自分自身の姿に似たものであるという意味で自己愛に基づく対象選択であるという。
元々は自我リビドーは根源的なもので、その根源的な自我リビドーに もとづくものを「一次的自己愛」と言う。
対象リビドーを内に しまいこんだものを「二次的自己愛」と言い、発達的には、「自体愛」(自分だけで満足)に特別な心的作用が加わって自己愛に発展すると考えられる。
この特別な心的作用は「同一視」と見做される。
自体愛においては自我が成立していないが、他者との「同一視」によって自我が成立することにより、自分の身体ではなく、自分の自我を愛するようになる。
ラカンのいう発達的段階としての「鏡像段階」は、この同一視を考慮しようとするものである。
自己愛は自分のことだけに関心を示し、他人に対する配慮を欠く点で利己主義と似ている。
自己愛を傷つけられると激しく怒り、あまりに自己愛が強いと羞恥心が強くなる。
発達的には、自己愛を喪失することにより、その代理として自我理想がつくられてくる。

*****************
フロイト『ダ・ヴィンチの幼児期の記憶』1910-精神分析的伝記
一部の同性愛者は、母親と一体化し、その一方で、自分に似た男を愛の対象に選び、かつて母親が自分を愛してくれたように、その男を愛する。(幼児性欲理論)

「どうやらわたしは最初から禿鷹に関わる運命にあったようだ。まだ揺りかごの中にいた頃、一羽の禿鷹が舞い降りてきて、尾で私の口を開き、私の唇を何度もその尾で突っついたのだった。」-レオナルド
※禿鷹は鳶の誤訳である

フロイトは上記を、記憶ではなく後年の空想だと確信した。
「尾は男根の象徴であるから、この場面はフェラチオを表している。なぜなら禿鷹は古代エジプトでは「母」を表す象形文字であった。しかも古来、禿鷹には雌しかおらず、風によって懐妊すると信じられていたので、キリスト教の伝統では処女懐胎の証拠として盛んに引き合いに出された。レオナルドは それを知っていたに違いない。禿鷹には雌しかいないということは、レオナルドには父親がいなかったことを意味している。そしてレオナルドは、この母親への愛着から同性愛者になった。しかしレオナルドは性的なことには殆ど興味がなかった。」

この回答への補足

(ネットでの転移について)
確かに場合によっては難しい問題を含んでいるかもしれません。しかし今回は転移できる人がくればですし、自分にかけるのであって、相手にかける意図ではない。伏せておいても良かったのですが、現象と解釈の承認は無理でも、賛否を問うてみたかったからです。
それともう一つは臨床例や自身の以前の経験から、気づきの後は精神的にきついのです。抑圧していたという事は仕方がない事情とはいえ、加害者には加害者の事情があり、受け手(私)も落ち度?反省もある訳です。今背景をずっと考えてまして、私だけが被害者だと信じてやまなかった。ではなぜそんなに隠してたかが出てくるの。取引や相手への牽制に使ったのではないかという考察も出てくる。そういう読み解き、整理中は、「全てをぶちまけてやりたい衝動」と「やはり自分は惨めな存在でしかない悲しみ」とを行ったり来たりします。カウンセラーについていればあちらは商売ですからきちんと仕事をされるでしょうが、一人で密かにやる以上、誰も支えてくれません。精神的に揺れています。「癒し」も欲しくなります。その時期をどう一人で耐えるのか。解を得たときの終了の仕方にも悩みました。
一番、楽というか、直接的な方法は、これを自らブラインドしてしまったのは、かくかくしかじか、全て包み隠さず、悲しみも怒りも弁解も言ってしまえば楽なんです。そのうち納まるところで納まります。でもこういう場です、スペース的にも内容的にも限度があります。ある程度感情的に納まって、ポイントだけにしないと迷惑もあるし、誰が見ているか判らないものですし。やはり歯止めや枠をあらかじめ縛っておかないと暴走しそうです。どうしてもその範囲に自分の感情が納まらなかったら簡単にとってつけたような理由で終らせざるも得ないだろう。その時、(勝手にではありますが)お世話になった、被転移者に何かのお礼の形がしたかった、というのもあります。これ以上無理!になってから慌ててそれを考えるのもきっと無理でしょう。ならば、こういうことをしましたと明らかにしておけば、ぼんやりとでもわかってくれるのでないかなと。少なくとも「役に立った」のは事実ですから。
勿論、少しでも声かけがしてほしい、案じてる誰かの「存在」だけでもほしいというのも希望としてはありますよ。でも期待は難しい。そこまで周到に準備できません私の力では。結果的に「騙し」だけで逃げたという形になってしまうのが嫌だったのかもしれません。引きずりそうだったというのがあります。
一方、そちら側はそれほど負担はないのではと考えたのは甘かったでしょうか。後々取り付かれる心配をされたのなら、いや、それが出来ないから安心して私は出来たのです。
友人相手に出来なかったのは、やはりそれがあったのだろうと思っています。転移のはずなのに、転移なら解けますから、隠してた私の本心が出て本物が炙り出されるかもと恐れたからだったと思ってます。なにしろ自分が何を隠しているか解からないから怖くて仕方がないのです。
ネット相手なら脳内妄想ですから、実体がありませんから。実体は枕です。
ところで、あなたの事ですから、薄々とお気づきなのではと前振りをしてから。性的虐待や性的暴行が家族内である場合、家族の力関係が背景にあることは充分お分かりだと思いますけど、被虐待者自身にもそれを誘発する要因というものがやはりあると思いますか?別のスレを立てたほうがいいのかもしれませんが、こちらを終了してないのに立てるのはルール違反らしいので。
それとそれまでの私の表現で、性的問題が家族内でしかもどちらの性でもあったと憶測され得ますか?結局出発は何なのだろうとそこを考えているのです。私の落ち度はなんだったのだろう。
前の文で、やっとわかったこと記しました。はじめのほうの文で確か私は何気なく戸籍上の親ではないのか疑った事。あれ、本当に無意識に書いたのですが、これが小説なら複線ですね。
大昔ならいざ知らず、母子手帳もある時代に、私があの姉やと父の間の不義の子とは思えませんが、結局心理的にはそういうことだったんですね。なぜ自分が受け入れられなかったのかの出発点がそこだったのだと。私は先に仕掛けたのが母だとずっと信じてました。母が受け入れてくれないから自分はしんどいのだと。別もあったのだ。姉やを取られて恨んだ私が母に中々懐かなかったのかもしれない。それって落ち度なのだろうかどうか。。。そういう家族内の微妙な関係って加害者はどの程度引きずっているのだろう。自分だけなのか、今そういうことも気になってます。

補足日時:2009/04/03 00:16
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この回答へのお礼

もうあなたは戻ってこないのだと過剰に心配してしまいました。すみません。あなたのプロフィールが更新されているのを見て、ああ、これがメッセージなのかと解釈していました。
こういう例にも近いのですが、どうも自分は過剰防衛をしてしまうところがあるようです。そういう性質子供のときからの事があるから、と思ってましたが、そういう性格だから、いじめを誘発したのだろうかとも。性的事件の起こる以前も執拗ないじめにあっていました。
印象だけでいいのですが、幼児の時に母を失う事件がなかったら、思春期での事件があっても、成人になってからの事件はなかったのでしょうか?多分私が求めていたものは母のはずなのに、姉とのことを引きずる私はどうしてもそこの意識があるから、意識を消さないと向かえなかった。意識を消してしまったから求めるもの以外に発展したのだろうか?
この2つの絡み方が良くわからないのです。また、どっちが自分の求めているものなのかが解からなくなってくる。
お礼の欄ですのに聞いてばかりでごめんなさい。

お礼日時:2009/04/03 00:57

nayami1980さん


何か気づきがあったようですね。余り無理をしないでください。こういうときはご本人の思っている以上にエネルギーを取られて疲れています。
あなたの文を読んでふと、思いました。
あなたはここに質問という形で「何か」を求めにきた。「何か」を求めるために仕掛けてきた。その「何か」がぼんやり見えてきます。

私、あなたが聞きたいことがあると書き込まれるまでの間、ずっと迷っていたのですよ、指摘しようか待とうか。先走ってあなたを勝手に誘導してしまう恐れと、どうしても考えて欲しいことと。何しろ、はじめの回答で、
>レズビアンになっていてもおかしくないような感情形成の刷り込みがあったのではないか
とまで言ってしまったので、追い討ちをかけそうで躊躇してしまいました。
今、あなたなりの解を見つけた後なら、誘導にならないし、結論を出す前に、チラリと考えて欲しいので、書き込みます。


あなたが、彼氏さんと交渉を持つとでてくる、二つの置き換え。
あれはまさにビアンさんの世界なのですよ。ご存知かもしれませんが、ビアンさんにも色々ありまして、大きく分けて、タチ、ネコ、リバ、トラ。厳密に分かれている人たちばかりではありません。お相手によって変わったりもします。
受身、攻めは誰だって見当が付きます。あなたの体験の2つです。でリバはリバーシブルです。交換するのですよ。そして、双方ともどちらがどちらか意識の上では渾然とし、あなたの言うごっちゃになるのです。
彼女たちの性の場での身体意識は私たち異性愛者のそれとは異なる部分があります。
わかりやすい例として、タチの人はネコさんに与えるだけで、自身は身体的には何も受けてません。そこで、馬鹿な異性愛の男性優位主義者は、男に成り代わっているだけ、男の劣化版としか見ないのですが、実は彼女は自身の体を相手の人にまで伸ばしている、自己を広げているのです。相手の体も自己の一部にしているわけです。
リバさんはそれを相互で行いますので、あなたが私、私があなたであり、また、二人の境界がなくなるのです。ビアンの人たちはそういう意味で二人で一人の世界に入っていける人たちなのです。ただ、同性で変態的なセックスをしているのではなく、非常に精神性の高いセックスをしています。ホント私も一度体験してみたいわと思ってしまいます。

ものすごく、無責任な言い方になりますが、ひょっとしてあなたはリバを選択すると、苦しみはなくなるのでは?ただ、簡単に「お試しを」といえないところが辛いのです。
でも、思考の上だけでは構わないでしょう。文章をお見かけするに、相当思考能力の高そうな人です。あなたの考察の一つに入れて欲しかったのです。
本を紹介します。
中山可穂「感情教育」
中山さんの本は色々あってお勧めは多いのですが、あなたのように感情を捨てようとした人には、これしかありません。この主人公はあなたのように感情を放棄して生きた女性です。運命の人と出会い、感情を得ていく物語です。
あなたは、異性愛で感情に目覚められた。ケースは違います。生い立ちも違います。同じではないです。でも参考になると思います。なぜあなたがストリートに異性愛、同性愛、どちらにも入っていけないかの。

あなたはどちらでも入っていける人なのかなぁ、分けていくキーはなんなのだろう?あなたはその鍵を探してこの相談室にやってきた。見つかったのかな?無理のない範囲で私に暗示してもらえれば嬉しいです。

この回答への補足

しばらくご無沙汰してました。
何処から話していいのやら、何処を省略すればいいのやら、とりあえず、書き易いところから書いておきます。

中山可穂さんの作品は少し読んでます。ただ、感情教育はまだです。厚かったのと、別の作品を読んで余りに重いというか、痛ましいというか、自分に迫ってくるものがありすぎて、ちょっと怖いです。
感想というか、私が共鳴できるところと違和感を感じた事、少し書かせて下さい。
主に「猫背の王子」と「天使の骨」からです。

痛ましい事とどうしてあれだけ女性遍歴をしないといけないのかということが、印象に残りました。私自身が一番恐れている事かもしれません。マドンナ探しでこんなに苦労しているのに、更に実在の女性を相手に、とても私の神経では持ちそうにないです。
それと、あんなにあっさりセックスができる事に驚きです。迷わず新宿二丁目に行けたことも驚きです。私にはそれが出来ないのです。
ただ、最後に運命の人と出会うところ、あそこだけはもの凄く羨ましいです。
異性間の恋愛ドラマを見ても心に迫る事が殆どない私が、あの最後にヨーロッパの劇団であった、日本女性にめぐり合うところには本気で妬ましいくらいに羨ましかったです。

ところで、どの本で読んだのか忘れてしまいましたが、今手元の本を探しても見つからないところをみると、図書館で借りた本なのかもしれません。出典が確かでないのに、記憶も少し怪しいのに、出すのは不適切かもしれませんが、ある人の記述で、レズビアンの特徴というのですか規定要素のようなものを見たことがあります。

1)母親以外の女性に母親を求める
2)相手の女性と自分の同一視
3)女性に欲望を持つ

確かこういうものだったような気がします。1)は自覚があります。というか、そう変えて行った自分を記憶してます。ちょっと長いですが、ついでに聞いてください。

確か中3の時です。
私はある少女の写真を長く見つめてました。前日、部室掃除して出てきた会ったこともない少女です。3年位前の卒業生のCさんらしいです。ゴミ箱に捨てられたその写真を持って帰ったものです。その少女は柔らかい眼差しを持ち穏やかに微笑んでました。その写真の少女と何を対話していたのか覚えていません。
私は引き出しの奥から秘密のファイルを出してきて大切にしまい込みました。そして引き換えにそこにそれまであった一葉の写真を小さく切り刻み捨てました。何年か前、父の書斎の引き出しの奥にあった、それまで一度も見たことのない母の大学時代の写真です。多分、父の宝物のはず。それをこっそり盗み出し、密かにお守り代わりに大切にしていたものです。その日から私は母を捨てました。
そうです、私は母を捨てて、別の女性を心に入れたその日を覚えています。それから私のマドンナ探しが始まったのです。

2)に関しては大学時代のRに依存を起こしたとき、多分そうだったと思います。で、問題の3)なのです。馬鹿な話かも知りませんが、私は自分に性欲というものがないと本当に信じていたのです。だからどんなに女性を好きになっていても自分は違うと思ってました。ところが、酩酊?意識を乖離すると言う手の込んだ方法でついに出てきてしまいました。これをどうするのか私は扱いかねてます。

性の悩みの相談で、レスが多い。レスでよければ何とかなる。どういうわけか、同性愛を選ぶとなると、私は男性でいうところのインポテンツです。でも、年に2-3回ならなんとか頑張って出来るんじゃないかと。それでもいいといってくれる人、傍にいてくれる人を探すべきなのか。ただ、いそうにない、何となくそういう予感がします。第一恋愛が成り立ちません。
インポテンツの治療をするのと同じように、自分も隠している欲望を探してもらうべきなのだろうか。

本当に困っているなら、こんなところで自己分析ごっこなどしてないで専門家のところに行きますよね。行けばきっとその人は私が何故同性愛に向き合えないのか、治療をしてくれるのでしょう。でも行きたくないのです。固執といえば固執です。愚かかもしれません。何故か、、、
女性を強迫的にまで求めていながら、Hが苦手な自分が好きなんだと思います。嬉々として彼女の肉体を求める自分というものがどうしてもイメージできないからです。欲しいことは欲しいのです。でもどうしてもこの殻が破れません。破りたくない自分が居るんだと思います。
憧れでいて欲しい、現実を見たくない私かもしれません。このあたりがよくわからないところでもあります。

強迫観念に押されてきただけなのだろうか?
わかりません。ただ「女性を好きな私」を自分では好きです。それだけは分かっています。

(4/11)

補足日時:2009/04/12 01:23
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この回答へのお礼

失礼します。お礼欄をお借りします。

事態がちょっとおかしくなってます。
noname002様
メッセージ見ました。あなたは私を疑っている。違います。
あなたが現れてこないから、どうしたのかなと思ってました。疑われているんですか、私は。どうしたらあなたに信じてもらえるのか。
完全な創作をしているとそう思っておられるのですか?違います。
ネットで実験をしているのだと思われるのですか?違います。
そういう意図なら、私ならばれないやり方で出来ます。もっと自然に密やかに。少なくとも、カウンセラーを釣りに来たなど、言いません。終わり頃に、「そういえば、すっかりカウンセラーになっていただきましたね」と、もって行きます。その程度の企画構成をする、やり遂げれる能力はあるつもりです。
本当の謀をしているのだったら、こんな胡散臭い事はしません。

どうして、胡散臭さが出てしまってるか、それは、一つだけ、意図して造っている事があるからです。身元が、本当の私の身元がわかる情報を出来るだけ避けるように、連想されないように。若干の手を入れてます。ここを随分考えたのです。どうしたらいいのかを。創作の主人公だったらそんなことしません。保護する必要ありません。

やはりといえばやはりです。エタイガ知れない奴だと思われ始めたんでしょう?狙いは何だ?と。
自分でももう少し疑われない作り方が出来ないものかと散々考えたのです。でもそちらを優先すると、私のどうしても知りたい、分析したい私の話が出来ないのです。
安全装置をつけておかないと、内容が内容だけに出来なかったのです。信じてください。

お礼日時:2009/04/02 03:09

1です。



> 具体的な専門機関、検討対象機関をご存知でしたらお勧めのほど、お願いいたします。

 精神科、メンタルクリニック、(きちんとした臨床心理士のいる)カウンセリングルーム等です。
 心理相談(カウンセリング)は人生相談とは全く違い、むしろ医学に近いものです。ケースによっては外科手術に相当するくらいの危険性もあるものもあり、命に関わります。
 これは決して大げさな表現ではなく、素人に相談してもっともらしい答えを真に受け、それをきっかけにうつをこじらせて最終的に自殺するケースも珍しいことではありません。(本当です)
 もし本当にお悩みのようでしたら、専門機関の受診をお勧めします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

実は、この問題を抱えるようになってから私はかなりの数の心理学系の本を読みました。
おっしゃるとおり、心療内科なりカウンセリングのことはすぐ思いつきましたが、躊躇もあった事も事実です。でも、自分で知りたいという願望も強かったのです。カウンセリングの実際などの実務家向けの専門書も入手しました。要するに気づかせの援助と支援なのです。またその過程でのパニックなどのトラブル予防や対処。

自力でどこまで出来るか、始めてしまったのは、どこでもカウンセリングが予約制で時間の関係で長期かかりそうなこと、しかもカウンセラーとの相性の問題がありどこにすればよいかがわからなかったからです。要するに、専門機関はわかるのですが、「どこの」が判らないからです。
専門機関へは行きづまってからにしようと始めて、実は行き詰ってしまったのです。でこの度、こちらで相談をかけてみたのです。ヒントがなければ、カウンセリングを本気で考えようとも思ってました。

他の方の回答に記しましたが、思いがけず、展開が始まりました。運良くパニックなどのトラブルは起こさずに済んでます。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/30 02:47

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