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「~するように」の表現で
「듯(이) トゥシ」と「는/ㄴ 듯(이) ヌンドゥシ」
の違いを例を出してわかりやすく教えていただける方、
よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

微妙な区別は私もまだ分からないことがありますが、このように分けて考えています。


「語幹+トゥシ」は慣用的な(詞的な?)表現、「連体形+トゥシ」は主観的な推測を含む感じです。
辞書と手元の参考書からいくつか例を挙げてみます。

「語幹+トゥシ」

もちを食べる「ように」易しくできる(非常に容易なことだ)。
海が深い「ように」母の愛も深い。
汗が雨が降る「ように」流れ落ちた。
花びらが雪が降る「ように」舞う午後だった。
時間が水が流れる「ように」速く過ぎ去りました。
お金を水を使うかの「ように」使う(湯水のごとく使う)。

上記は、話者の主観や推測で「~ように」と言っているよりは、決まりきった、慣用的な表現になっています。

「連体形+トゥシ」

全部知っているのに、何も知らないかの「ように」振舞う。
姉は寝ているかの「ように」横になっていた。
食べたのに、食べなかったかの「ように」口をつぐんでしまった。
二度と会わないかの「ように」、別れて行ってしまった。
とても悔し「そうに」、私にあれこれ尋ねていた。

上記の「知らない」「寝ている」「食べなかった」「二度と会わない」「悔しい」というのは話者の主観や勝手な推測でそのように判断して言っていることです。本当の事実はそうじゃないかもしれない。こう言う場合には「連体形+トゥシ」で表現します。「語幹+トゥシ」の慣用的な方より、こちらがメインの使い方になりますね。

ただ、最初にも書きましたが、日本人には(私には?)、微妙でどちらを使うか難しい表現もあります。とりあえず慣れるまでは、大雑把ですが上記のような分け方で良いのではないでしょうか。

この回答への補足

細かい回答、どうもありがとうございました。
私は独学で韓国語を学んできて、だいたいRyu831さんの説明していただいたように、
「トゥシ(単独)」は慣用的(一般的)な表現、「連体形+トゥシ」は主観的な表現
といった感じで理解していました。やはりそれでいいんですね。

先日、ハングル検定問題集2級を勉強していて、第18回の試験の長文に、
「夫になった瞬間から妻は夫に数多くの欠点を発見する。妻になった瞬間から夫が妻に数多くの欠点を見るようにな(るのと同じように。)…」
といった文があって、()内のところを尋ねる問題で答が「トゥシ」になっていました。
ワンポイントアドバイスには「ヌンドゥシ」とは混同しやすいので注意が必要!としか書かれていませんでした。
つまり、この場合は「私の主観的に思っていることではなく、一般的(慣用的)にそうなるもんでしょ。」
といったニュアンスが含まれていると考えたらいいんですよね、きっと。

是非ご意見聞かせていただけると、ありがたいです。

補足日時:2009/04/13 03:59
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韓国の国立国語院編「外国人の為の韓国語文法」によると、「連体形+トゥシ」は予想や推測を表す表現(何かの状況が前文に記述された状況と類似していることを推測)に対して、「語幹+トゥシ」は前文に記述された内容と類似していることを表す(慣用表現)、とありました。


ご参考までに。
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