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こんにちは。


以前読んだ本(たぶん仏教関連の本)に、
「他人に深く傷つけられても、その人に感謝する。その感謝によって怒りや恨みを掻き消す」
みたいなことが書かれていました。

自分のことを考えてみると、
傷つきも浅く、相手も親密な人であれば、そのような感謝はいくらでも思いつきます。

しかし、傷つきが深く、相手も疎遠な他者となると、なかなか思いつきません。
どんな人でも何かしら感謝に値する存在だとは思うのですが、
怒りや恨みを掻き消すほどの感謝となると、なかなか思いつきません。

自分を深く傷つけた疎遠な他者に対する怒りや恨みを掻き消す程の感謝とは、
具体的に、どのようなものなのでしょうか?

それは、自分を傷つける人の何に対する、どのような感謝なのでしょうか?


宜しくお願い致します。

A 回答 (13件中11~13件)

 ひとは 他人のことばや おこないによって 心が傷つくということは ありません。

いっさい ありません。
 そのことに目覚めたとき 感謝の気持ちが起こりました。きわめて ありがたいこの世の生であると心から思えるようになったときです。

 もし 心が傷つくことがあるとすれば それは 自分が自分に うそをつき 自分の心を偽って 何かことを起こしたときです。これは あたかも へびが這って進むように 少しづつ ほんのちょっぴりづつ 傷ついていくので ほとんど 分かりません。でも 心に はっきりと そのときには やましさを覚えます。本心ではないという戒めの声を きちんと 聞いているものです。だから 分かります。

 でも この自己による欺瞞からくる心の傷 これにしても 消してくれると分かったら やはり 感謝の気持ちが湧いて来ます。
 実際には 消えるということもないのですが 傷や悪や罪はおおわれるようになります。あるいは とげが抜かれた状態になります。患部は まだ 残っていますが とげは 確実に 抜かれました。あとは 癒えるだけです。

 こうして 人間であることに感謝すれば ひとの言うこと・なすことなど へのかっぱです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/19 18:16

その方が身を呈して、あなたにお教えして下さっておられると思って下さい。

事実、菩薩がそのように顕れることがあります。

お釈迦様が、飢えた虎を前にして、我が身を捧げられた逸話がありますよね。人は、読みかけの本を読みにくるものだと思います。そのページが、その方の悟りの境地でもあるとも思いますが…。

尚、お釈迦様の教えに十善戒と言うのがあります。不殺生、不ちゅう盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見、です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。


>飢えた虎を前にして、我が身を捧げられた

すごいですね……

お礼日時:2009/05/19 18:16

その人が与えてくれないと、そういう怒りや恨みを抱くこともありませんよね。



多分、怒りや恨みは自分に与えられた試練なのだと思います。

辛い経験を与えられたことにより、傷ついた時の苦しみとか、悲しみとかがわかる人間になり、大きくなれることに対しての感謝。

与えられてる最中はとても辛いかもしれませんが、
乗り切った後、いい勉強になったと思えば
感謝の気持ちになるのではないかと、私は思います。

乱文で大変失礼しました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。


>辛い経験を与えられたことにより、傷ついた時の苦しみとか、悲しみとかがわかる人間になり、大きくなれること

おっしゃるとおりだと思いました。

お礼日時:2009/05/19 18:16

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