微動だにしない
という言葉なのですが、分けると、
微動 だ に しない
ですよね?(合ってますか?)
気になるのが「だ」なのですが、
この「だ」は何ですが?
「微動」の他に、組み合わせはありますか?
お願いします!

A 回答 (2件)

微動 だに しない


だと思います。
だには「~さえも、~すらも」といった意味みたいですね。古語での用法ですが、今でも同じだと思います。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/ …
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副助詞の「だに」です。


「見るだに忌まわしい、その光景」「聞くだに恐ろしい悲惨さ」など。
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Q拘らず・関わらず??

すみません。以前から気になっていたので正しい答えを教えていただけないでしょうか。

「かかわらず」という言葉の漢字変換なのですが,
例えば

 雨が降ったにも「かかわらず」,彼は傘を差さずにやってきた。

というような文の場合,正しいのは「関わらず」「拘らず」どちらでしょうか。

国語辞典で調べてみたのですが,よく分からなくて(+_+)
すみませんがよろしくお願いします。

Aベストアンサー

「物書き」のひとりです。

まず、重要なことですが、「関・係・拘」のすべてが常用漢字ではありますが、その音訓表に「かか(わる)」がないことです。常用漢字は、「こうしなくてはいけない」といった性格のもではありませんが、一応、すべての文章を書き表す場合の指針ではあります。音訓表に無いものの代表的なもの(よく使われるもの)として「全(すべ)て」「画(えが)く」「〇〇に依(よ)れば/拠(よ)れば」などが思いつきます。

本件の「関・係・拘」に関して言えば、「係」に「かか」の読みが認められているのみです。それも「かかわる」でなく「かかる」です。「人命に係(かか)る問題」「係(かか)り結び」など。前者は、「人命にかかわる問題」のように表記されることもありますが、この場合(常用漢字の基準では)「係わる」でなく「かかわる」です。

結論としては、「それにもかかわらず」などにおける「かかわらず」は仮名書きが無難でしょう。漢字の場合は「拘わらず」が正しいといえます。ただし、パソコンでは「関わらず」と変換されることが多いようですネ。

漢字の場合、「関係」という言葉があるように、「関わる」と「係わる」の用法はほとんど区別がつきません。一般的に言えることは、「関わる」「係わる」は肯定的にも否定的(「関わらない」「係わらない」)にも使いますが、「拘わらず」は、肯定的に用いられる例が少ない、ということです。

ただし、肯定的な「拘わる」が誤りだと言っているのではありません。念のため。

「物書き」のひとりです。

まず、重要なことですが、「関・係・拘」のすべてが常用漢字ではありますが、その音訓表に「かか(わる)」がないことです。常用漢字は、「こうしなくてはいけない」といった性格のもではありませんが、一応、すべての文章を書き表す場合の指針ではあります。音訓表に無いものの代表的なもの(よく使われるもの)として「全(すべ)て」「画(えが)く」「〇〇に依(よ)れば/拠(よ)れば」などが思いつきます。

本件の「関・係・拘」に関して言えば、「係」に「かか」の読みが認められてい...続きを読む

Q「基」と「元」の使い方

経験を"もと"に話す。
上記の場合の”もと”は元、基のどちらが正しいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

はじめまして。

ご質問1:
<上記の場合の”もと”は元、基のどちらが正しいのでしょうか?>

「基」になります。

1.「経験を"もと"に話す」とは言い換えれば「経験にもとづいて話す」ことと同じです。

2.「もとづい(て)」は「もとづく」の連用形です。

3.「もとづく」は「基づく」という漢字しか存在しません。

4.従って、ここでは元、本、素などの漢字は適切ではありません。


ご質問2:
<経験を"もと"に話す。>

1.「~をもとに」という語感が「~を元に戻す」といった語感になるため、「元」の漢字を想定されたのだと思われます。

2.しかし、ここで使われる「もと」とは「土台」の意味になります。

3.他の漢字「元」「本」などには「土台」「ベース」といった意味はありません。

4.従って、ここでは基が適切な漢字となります。

以上ご参考までに。

Q「捕える」と「捉える」

「捕える」と「捉える」の用法の違いはありますか?
手元のにある国語辞典には、「捉える」はありませんでした。(;;)

例えば、
  瞬間の映像を「とらえる」という場合、
「捉える」?「捕える」?「撮らえる」?
どれでも、いいような気もするし。どれも正解ですか?
また、
  イメージを「とらえる」
の場合は?

頭がごちゃごちゃになってしまいました。
お願いします。

Aベストアンサー

これはきちんと調べた上での話ではないことをお断りした上でお話ししますと、中国で生まれた漢字は無数と言っていいほど膨大な量があり、その中で漢字の字体が違っていても意味が全く同じというものが数多く存在するようです。

ご質問の「捕える」と「捉える」も元々同じ意味だったものを日本が中国から漢字を輸入したあとで、その形が違うところから、使い方やニュアンスも変えて使うようになったと推測します。

常用漢字云々はお上の決めたことですから、それを基準にすれば、「捕える」「捕らえる」はそのまま使え、「捉える」は「とらえる」と書くのが正しいということになるでしょう。

ただ、慣用的に使われている状況というのは、あくまで多くの人が見てどちらが自然な使い方に見えるかどうかということでしかなく、どちらが正しい、どちらが間違っている、というレベルの問題ではないと思います。

ですから私の感覚から言いますと、「この問題の捉え方が重要だ」、「逃げた猫をやっと捕らえた」という使い分けが自然に感じます。No.4の回答もその感覚を基準にしたものです。
しかし、No.5さんの『「映像を捕える」でも正解です。』にも納得できます。というのは、「映像」というものに対して「捕える」が正しいか、「捉える」が正しいか、「とらえる」が正しいかを説明できる理論的なものやオーソライズされたものがないからです。
ただひとつあるとすれば、先ほど申し上げた「常用漢字」に入っているかどうかです。昭和56年(1981年)に定められた常用漢字1945文字のひとつが「捕(ら)える」です。
この基準に従えば、正しいのは「捕(ら)える」と「とらえる」だけです。

しかし、お上は漢字の使用に関して、教科書などを除いて実質的な制限を定めていません。ですから「捉える」という表現も可能であり、例えば文学や歌詞の世界では「女」と書いて「ひと」と読ませたり、「昏い」と書いて「くらい」と読ませたりできるのです。

以上、自説ですが参考にしていただければと思います。

これはきちんと調べた上での話ではないことをお断りした上でお話ししますと、中国で生まれた漢字は無数と言っていいほど膨大な量があり、その中で漢字の字体が違っていても意味が全く同じというものが数多く存在するようです。

ご質問の「捕える」と「捉える」も元々同じ意味だったものを日本が中国から漢字を輸入したあとで、その形が違うところから、使い方やニュアンスも変えて使うようになったと推測します。

常用漢字云々はお上の決めたことですから、それを基準にすれば、「捕える」「捕らえる」はそ...続きを読む

Q『先程』と『先ほど』の違いについて

質問のとおりですが、『先程』と『先ほど』の用法の違いはあるのでしょうか?
どなたかご教授願います。

Aベストアンサー

No.1です。
> 通常ビジネス文書や契約文書などでは『行なう』を用いますね。
> 活用で「行っている」、「行なっている」では意味が変わるためです。

ここが解りません。
後で述べるように、原則は『行う』ですが、ビジネス文書も一般にも『行う』と『行なう』は並用されるようです。(「行っている」と「行なっている」の間に意味の違いがあるとは思えません。)
No.2さんが引用された昭和48年内閣告示第2号「送り仮名のつけ方」の「活用のある語の通則1」は昭和56改定版が『広辞苑5版』の巻末附録にありますが、正しくは
 原則:『行う』
 許容:『行なう』
です。
また質問者さんが「ビジネス文書に『行なう』が多い」とお思いになる原因は「おこなう」を「行なう」と変換するワープロソフトが多いためではないかと思いますが、実はソフトによって内臓する辞書がばらばらという問題があり、まだ変換が統一されていないという矛盾があります。
「四人はなぜ死んだのか」(三好万季、文春文庫)所収の「シめショめ問題にハマる」を読むとこの辺の事情を理解する助けになります。
(「シめショめ問題」とは「はじめまして」を「始めまして」と変換するワープロが多いという問題です)。
さて本題の『中ほど』と『中程』ですがやはり統一したルールはなく違いはないと思います。
新聞は「中ほど」が多いようですが、TVは限られた画面スペースを有効に使うためか漢字を多様し、「中程」を使うように思います。

No.1です。
> 通常ビジネス文書や契約文書などでは『行なう』を用いますね。
> 活用で「行っている」、「行なっている」では意味が変わるためです。

ここが解りません。
後で述べるように、原則は『行う』ですが、ビジネス文書も一般にも『行う』と『行なう』は並用されるようです。(「行っている」と「行なっている」の間に意味の違いがあるとは思えません。)
No.2さんが引用された昭和48年内閣告示第2号「送り仮名のつけ方」の「活用のある語の通則1」は昭和56改定版が『広辞苑5版』の巻末附録に...続きを読む

Q「初め」か「始め」どちら?

「社長さまをはじめとする職員の皆様には・・・」

この文章のなかの「はじめ」を漢字にすると
「初め」でしょうか?「始め」でしょうか?

Aベストアンサー

かなりややこしい問題です。はっきりと正解・間違いかと答えられる人がいるのでしょうか、と感じるくらい難しいことのようです。(使っている言葉のあとから漢字をあてはめているのでしょうがないといえばそれまでしょうか)

大辞林では、
「はじめ 【初め/始め】
とくに漢字表記については明確化されていません。
ただ末尾に〔普通、順序の意には「初」、開始の意には「始」を用いる〕」とあります。

大辞泉では、
「はじめ【始め・初め】
5 (「…をはじめ」「…をはじめとして」の形で用いる)多くの中で、主となるもの。また、先に立つもの。「校長を―、教師全員」「米を―として食品の多くが」」
  …
「◆ふつう345は「初め」と書くとあります。つまり、5の文例は「初め」を慣用とするとしているようです。

岩波国語辞典では、
「はじめ【始め・初め】」としているだけで、特にどちらを(が)用いる・用いられるかは明確にしていません。ただし、副詞に限っては「初め」としています。

新明解国語辞典
「はじめ【初め】」として、末尾に「「始め」とも書く」としています。

Windows付属のIMEでは、
始め: [一般的][物事に関して][動詞的]
初め: [時間に関して][副詞的]
としています。

IMEだけは、はっきりと「校長を始めとして」と用例をあげています。しかし根拠は ? です。

漢字の由来としては、
「始」は「終わり」に対する「始め」の意味だけです。
[始皇帝、終始、始終、始末、始めは処女のごとく後には脱兎のごとく]
ま、大辞林のとおりですね。

IME他、時間的な始まりと物事の始まり、という分け方をしているものを時々みかけますが、どうでしょうか。
「並んでいる一番目」「第一の」というようにとらえれば「初め」になるようです。初恋、初陣、初夜などは時間とばかりはいえないでしょう。

少なくとも、「社長をはじめ、職員の…」であれば「はじめ」は動詞・連用形と考えられるので「始め」になります。
しかし、「社長をはじめとする職員の…」となると「ははじめ」は名詞ですから、やはり ? です。

歯切れのいい回答にならず申しわけありません。

かなりややこしい問題です。はっきりと正解・間違いかと答えられる人がいるのでしょうか、と感じるくらい難しいことのようです。(使っている言葉のあとから漢字をあてはめているのでしょうがないといえばそれまでしょうか)

大辞林では、
「はじめ 【初め/始め】
とくに漢字表記については明確化されていません。
ただ末尾に〔普通、順序の意には「初」、開始の意には「始」を用いる〕」とあります。

大辞泉では、
「はじめ【始め・初め】
5 (「…をはじめ」「…をはじめとして」の形で用いる)多く...続きを読む

Q「~ありき」の意味・使い方を教えてください

「結論ありき…」
「小説ありき…」

など、ありきという言葉はいったいどういう意味なのでしょうか?
馬鹿な質問ですみませんが、心優しい方教えてください!

Aベストアンサー

最近の会話の中では「それがあって初めて成立する」とか「それがあってこその○○」みたいな使い方をされますね。

「あなたのアプローチはまず結論ありきで、課程というものを軽んじているように思えます」みたいな。

いちばん有名なのは聖書の「はじめに言葉ありき」だと思いますが、これは#1の方がおっしゃっている本来の用法です。

Q「たかが~、されど~」ってどういうことですか?

こんにちは。
つまらない質問かも知れませんが、回答よろしくお願いします。

よく、たかが~されど~って言葉を聞きますが
どういう意味なんでしょうか?

考えれば考えるほど意味や使い方が分からなくなってきました。

例とかも踏まえて
詳しく教えて下さい。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

意味:たいしたことじゃないと思うよ。しかし、場合によっては大いに重要な場合もあるよ。

使用上の注意:言い古された使い方ですから、あまり得意になって使用しないほうがいいと思います。使用した人間が「薄っぺら」に見えます。

Aベストアンサー

正解は既に皆さんが述べていますので、私は一寸違った角度に付いて触れてみます。

両方とも「あかり」と読むからには、昔の日本人に取ってこの二つには区別が無かったと言うことが考えられます。漢字が入って来る以前にもし区別出来ていたら、当然違った言葉を使っていたはずですから。

そう考えてみると、日本語には他にも一杯そのような言葉がありますよ。例えば、「ひ」という言葉は、日とも火とも書きますが、訓読みが同じなので、昔の日本人には同じことだったのですね。他には「あめ」。これは天とも雨とも海とも書きますから、昔の日本人に取っては天と海は渾然としていて区別が無かったのですね。

他にも有りますから、ご自分で探してみるのも楽しいですよ。

この反対に、外国人には同じに見えても、日本人には違った物と認識される言葉も在ります。例えば、英語の「law」という言葉は、日本人は使う場所で区別して、人間に対して使う時は「法律」と言い、自然に対して使う時には「法則」と区別します。と言うことは、英語国民に取っては、法律と法則の区別が付かないと言うことですね。

言葉の使い方を見ただけで文化の違いや世界の見方の違いが分かってしまうとは、国語の勉強や外国語の勉強って面白いですね。

正解は既に皆さんが述べていますので、私は一寸違った角度に付いて触れてみます。

両方とも「あかり」と読むからには、昔の日本人に取ってこの二つには区別が無かったと言うことが考えられます。漢字が入って来る以前にもし区別出来ていたら、当然違った言葉を使っていたはずですから。

そう考えてみると、日本語には他にも一杯そのような言葉がありますよ。例えば、「ひ」という言葉は、日とも火とも書きますが、訓読みが同じなので、昔の日本人には同じことだったのですね。他には「あめ」。これは天とも雨と...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q煩悩ってどういう意味ですか?

煩悩(ぼんのう)ってどういう意味ですか?
辞書で調べても難しくて理解できません。
具体的に、わかりやすく教えてください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  煩悩は、仏教の用語で、元々、かなり難しい思想的意味を持っていましたし、煩悩とは何かというので、色々な議論もありました。
 
  しかし、それはともかく、具体的な例の話で、日常語での「煩悩」の使い方というか、意味を考えてみましょう。
  「煩悩」は、「煩」と「悩」から出来ています。「煩」は、「わずらわしい」という意味で、「わずらわしい」と入れて変換すると、「煩わしい」と出てきます。また「悩」は、「なやみ」のことで、「なやみ」と入れて変換すると、「悩み」と出てきます。
 
  煩悩とは、わずらわしく、悩みになることだ、ということになります。しかし、そんなに煩わしく悩む、困ったことなのかというと、日常の用法では、ちょっとニュアンスが違います。ここは、仏教のお坊様に出てもらって、具体的な使い方の説明をしましょう。
 
  仏教では、覚りを開くため、修行する人が、元々「坊様」だった訳です。従って、元の仏教の「戒め」では、修行者は、例えば女性となれなれしく口をきいてはならないとか、女性の姿もまともに見てはならないなどとなっていました。女性の美しさなどは、「迷い」の元だというのです。
 
  しかし、坊様がすべてそうではないでしょうが、すけべな坊様もいる訳で、道で通りがかりの、和服の美人を見て、ほわ、と口を開けて見とれ、なんちゅう、綺麗なべっぴんさんや、いや目の毒じゃ、これも「煩悩、煩悩」などと云いながら、女性の後ろ姿を見送ったりします。別に和服でなく、洋装でも構わないのです。また、坊様も、そんな女を見るとすぐ見とれるような人は珍しいでしょうが、やはり、坊様も男ですから、美人と道ですれ違うと、ふと、心が動くこともあるのです。
 
  あるいは、仏教では、イスラム教と同様、精神の安定や、日常の心の状態を興奮させたり、おかしくする飲み物などは禁じています。例えば、麻薬などは無論駄目ですし、煙草やお酒も駄目なはずです。しかし、日本の坊様は、何時頃からか、「般若湯(はんにゃとう)」と称して、酒を店で買って飲んでいたりします。坊様が、良い酒を味わいながら飲みつつ、何という味わい、この酔い心地、さすがに銘酒は違う。極楽じゃ。しかし、考えてみれば、これも「煩悩、煩悩……仏様よ、お許しあれ、南無阿弥陀仏、いやもう一杯、何ともうまい」などと云っていると、どこが、煩い、悩みの煩悩か分からないでしょう。
 
  また仏教では、生き物のいのちを大切にせよと教え、殺生を禁じ、従って、動物の肉は無論、鳥の肉も、魚も食べてはならないことになっているのですが、それも何のことかです。酒のさかなに、コイのあらいを食べつつ、いい気分になって来て、坊様が、いや、浮き世もまた楽しいぞよ、酒はうまいし、ねえちゃんは綺麗だ……などと歌っていると、「生臭坊主」ということになるのですが、以上は極端に戯画化しているので、日本では、昔から、坊様が、妻帯し、子供がおり、酒は飲み、魚も食べ、それで別に社会から糾弾などされていません。
 
  大酒を飲み、酔っぱらって、寺の本堂で乱交パーティを開くような坊様は、それは別に坊様でなくとも、普通の人でも社会から糾弾されます。
 
  仏教の坊様にとっては、女性と触れたり、メイクラヴすること、酒を飲んだり魚を食べたりすることは、仏教の教えに反することで、こういう「欲望」を、修行の妨げになる「煩悩」と呼ぶのですが、煩悩というのは、多くの坊様の日常生活から云うと、自然なことのようです。
 
  もう一つ、坊様ではありませんが、一般に、「子煩悩」という言葉があります。これは、別に、子供が煩わしく悩みの種で、何かの邪魔になるのかと云えば、そうではなく、子供が可愛く、何時も子供のことを考え、細かいことにも、子どものためにと、あれこれ気も身も使う親のことを、こう呼びます。別に、子どもが、何かの「妨げ」になっているのではないのです。親にしてみれば、ふと、思うと、「ああ、おれは、何と子どものことばかり思っているのか。これも煩悩か」などとなります。
 
  「煩悩」というのは、仏教の教えとか、人間の生き方はいかにあるか、などということの前では、何か安楽な、気持ちよい、楽しい方にばかり気が向くようで、困ったことだという考えもある他方、「自然な欲求」「自然な望みのおもむく方向」であって、煩悩だが、しかし、これもまた良しなどというものです。
 
  これは、仏教の教義として、煩悩に迷う人の姿こそ、すなわち、仏の姿に他ならないという考えもあるのです。
 
  煙草をやめないと、肺ガン確実と云われていて、それでも吸いたいという人の場合、煩悩とは云いません。また、大学受験中なのに、異性のことに意識が向いて勉強に集中できない高校生も、それを煩悩とは云いません。(ただし、高校生の親が、寺の住職だったりして、子どもに、そんな煩悩は振り払え、と説教するかも知れません)。
 
  煩悩というのは、本来の仏教の教えでは、たいへん厳しい、覚りの道にあって、克服せねばならない誘惑や欲望だったのですが、「煩悩すなわち仏」というような考えは、人間は自然に振るまい、自然に生きるのがやはり一番であるという考え方でしょう。
 
  肺ガン寸前の喫煙者や、受験勉強に必死な高校生にとっては、喫煙や、恋愛は、自然のままを楽しもうなどということではないのです。
 
  人間は、欲望が強すぎると、色々不都合なことが起こることが、或る程度分かっているともいえます。分からない人、自制がきかない人は、酒に溺れて身を滅ぼすとか、守銭奴になって、世人の顰蹙を買うなどとなり、そういう人自身は、煩悩も何もないでしょう。しかし、そういう人を横目で見ていると、酒を飲み、恋愛をし、ギャンブルで小銭を失い、自堕落な生活を少々しても、歯止めがかかっていて、ああ、これが煩悩というものか……で片が付きます。
 
  「わかっちゃいるけどやめられない」というのは、確か古い歌の言葉ですが、そういう心境の「分かっている」のが、煩悩だと分かっているということで、度を超さなければ、やめる必要もない訳です。本格的な修行をしている坊様にとっては、厳しいことでまた別ですが、普通には、煩悩はまた楽しいことなのです。本来しない方がよい、というのをするのは何とも楽しいことなのでしょう。
 
  世界中の文化がそうだとは分かりませんが、日本は、煩悩を楽しむ文化です。
 

 
  煩悩は、仏教の用語で、元々、かなり難しい思想的意味を持っていましたし、煩悩とは何かというので、色々な議論もありました。
 
  しかし、それはともかく、具体的な例の話で、日常語での「煩悩」の使い方というか、意味を考えてみましょう。
  「煩悩」は、「煩」と「悩」から出来ています。「煩」は、「わずらわしい」という意味で、「わずらわしい」と入れて変換すると、「煩わしい」と出てきます。また「悩」は、「なやみ」のことで、「なやみ」と入れて変換すると、「悩み」と出てきます。
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