1月1日は元旦、3月3日は桃の節句、5月5日は端午の節句、7月7日は七夕、9月9日は重陽の節句ですが、11月11日は何か無いのでしょうか?
文学部の知人に聞いた所、「○○の節句が何かあったはずだけれど、思い出せない」とのことでした。
ご存知の方、いましたら教えて下さい

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A 回答 (8件)

節句(もとは「節供」と書くようです)は江戸時代に年に5日が公式に法制化されました。

この5日を「五節供」と言います。
1月7日「人日(じんじつ)(七草の節供)」、3月3日「上巳の節句(桃の節供)」、5月5日「端午の節句(菖蒲の節供)」、7月7日「七夕(しちせき)の節句(笹の節供)」、9月9日「重陽の節句(菊の節供)」。以上5日。
ということは11月11日には・・・ないでしょうねぇ。
参考URLの「暦と天文の雑学」の項に「節句の話・五節句(五節供)とは」というページがありますのでどうぞ。

参考URL:http://koyomi.vis.ne.jp/mainindex.htm
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節句は、中国の陰陽道から出ているようです。


古来中国では、奇数を陽、偶数を陰としていた。
その奇数の中で一番大きい九が、もっとも尊いとされていたようです。
ですから、1から9までのぞろ目の節句はある。
11になると、もう、くり返しということになってしまうのでしょうね。
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この回答へのお礼

tunさんのお礼欄にまとめてお礼申し上げます(一人一人に書けなくてすみません)

みなさん、回答ありがとうございました!
11月11日には節句は無いのですね...他にも詳しい事も知れて勉強になりました
遅くなりましたが、ほんとうにありがとうございました!

お礼日時:2003/03/24 18:52

 「電池の日」--ってのは×ですよね(^^ゞ。



 1・3・5・7・9月で「五節句」と言います。

1月7日=「人日(じんじつ)の節句」
3月3日=「上巳(じょうし)の節句」
5月5日=「端午(たんご)の節句」
7月7日=「七夕(しちせき)の節句」
9月9日=「重陽(ちょうよう)の節句」

 --だそうで。

 11月11日は「節句」ではないようですね。
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五節句とは聞きますが、六?


こんなのもありました。 下記URLをご覧下さい。

参考URL:http://www.sky-sea.net/nature/magazine/mag_0006. …
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このサイトを参考にしてください。



参考URL:http://nnh.to/11/11.html
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「○○の日」というのは、調べてみたら色々出てきましたよ。


そもそも「節句」というのは、中国の暦で「月と日が重なる日」の事なので、「○○の節句」という呼び方をしなくても、節句は節句のようです。

参考URL:http://nannohi.jp/11/11.html
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11月の節句のようなものといえば15日の七五三を思い出しました。



下記のサイトご覧になってみて下さい。

↓今日はなんの日11月11日
http://nnh.to/11/11.html

参考URL:http://nnh.to/11/11.html
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くつしたの節句 というのがありましたが・・



ちなみに 4月4日は「おかまちゃんの節句」だそうです(?)

参考URL:http://www.naigai.co.jp/05mos/column/01/index.sh …
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Q古典「11月11日」・節句について

Wikiによると、江戸時代に
「日本の宮廷において節会と呼ばれる宴会が開かれた。年間にわたり様々な節句が存在しており、そのうちの5つを江戸時代に幕府が公的な行事・祝日として定めた。それが人日の節句、上巳の節句、端午の節句、七夕の節句、重陽の節句の五節句である。」
 とあります。

 1月1日、年初としての元旦の行事が多すぎ、1月の節句として1月7日の人日の節句に代えたとするなら、その後の節句は、3月3日・5月5日・7月7日・9月9日となっているので、自然に思えます。

 そこで質問です。

 公式な節句としては定められていないものの、11月11日を節句として祭る習慣が、一部ではあった可能性があるのではと思うのですが、実際のところはどうなのでしょうか。
 
 平安時代の慣習に詳しい方、宜しくお願いします。
 また、日本にはなくても、~時代・王朝の中国では、11月11日を祭ったというような事例があれば教えてください。

Aベストアンサー

追記ばかりで申し訳ありません。
さて、11月の行事についてですが、旧暦ではほぼ11月に冬至はあるのですが、平安時代は冬至の日をあまり重要視していませんでした。それは、冬至に関する行事が新嘗祭の中に入っていたからだと言われています。前記した中に、新嘗祭の中で、天皇が衾に臥すと書きましたが、この行為が冬至と関連しているとされます。冬至で太陽の力が弱まり、天皇の力も弱まると考えられ、衾に臥す=天皇の死を意味し、天皇は一度死んで再生し、新たなそして力強い霊力を持って、復活するとされます(天孫降臨の天鳥船との関連も言われています)。この新嘗祭の天皇の行動が日本における冬至に関連する行事とされています。
ただ、冬至に関して2点。一つは、中国の古代では冬至=元旦とされた時期があったこと。また、天における正月とされ、暦の起点ともなっていました。
二点目は、11月1日(1日=朔日)に冬至が来た場合は、朔旦冬至と言って、特別に祝いました。これは、旧暦では冬至の日が一定しませんが(場合により10月のこともあります)、旧暦の構成上ほぼ定期的に閏月を置きますが、そのために19年ごとに11月1日に冬至が来るのが原則とされ、19年ごとに正確に朔旦冬至が来ることは暦が正確に作られていること、それは政治が正しく行われていることと考えられ、11月1日に冬至が来ることを朔旦冬至として、特別に祝いました。
五節句(節供)について平安時代の年中行事としてわかることを以下にあげます。なお、節会に関してはその後に宴を伴うのが一般的ですが、宴の多くは直会(なおらい)の性格を持ち、本来は神にささげた供物を儀式終了後に参加者で食することにより、神と人が共食し、さらに神と人が親近し、神が人を守るという趣旨でした。神事の中心的な行事はこの直会にあったともされています。
人日(1月7日)
七草(七種)粥を食べることから七種の節句とも呼びます。この日は、宮中では他に、白馬(有職読みで「あおうま」と読みます)の節会が行われ、天皇が青馬(実際は白馬)を御覧になる行事もありました。この白馬の節会も青い馬を見ると一年間の邪気が祓われるという中国の故事に由来しています。
上巳の節句(3月3日)
桃(中国では古来霊力を持つ植物とされ、実は不老長寿の果物とされます)の節句とも言われます。日本ではこの時期に古来穢れを払う行事があったとされ、それがこの日に身体の穢れを人形(ひとがた)につけ、川に流す習慣になりました。それが、流し雛や雛人形飾になって行ったとされます。また、中国から曲水の宴の行事が伝わり、宮中でも行われました。
さらに、鶏合(とりあわせ)と呼ばれる闘鶏も宮中で行われる日でもありました。これも中国から伝わった行事とされます。神意等を占う手段として、古事記等にも記載された日本の行事であり、中国と共通する行事で、3月3日に中国で闘鶏の由来(唐の玄宗皇帝の古事かと思いますが、記憶が曖昧です)があり、日にちが3月3日になったものと言われます。
端午の節句(5月5日)
額田王の「茜さす紫野ゆき標野ゆき・・・」の歌(詞書に「薬猟」とあります)にある「薬猟(くすりがり)」が行われましたが、平安時代の宮中行事では、邪気を払うとされる菖蒲の葉を髪に刺して、宮中に入り、天皇から薬玉(くすだま-薬草を錦の袋に入れ、その袋に花飾りなどをつけたもの)を賜る儀式がありました。また、粽を食べる習慣もあり、いずれも中国伝来の行事でした。さらにこの日は、宮中でははじめ騎射、その後駒競(こまくらべ)の節会とか、競馬(きそいうま)の節会と呼ばれる競馬が行われました。
七夕(7月7日)
平安時代には七夕というよりも乞巧奠(きっこうでん・きこうでん)と呼ばれる行事でした。これは織姫・彦星(牽牛)の中国説話に関連すると言われ、針仕事の上達を祈る行事でした。宮中では、天皇が清涼殿の庭に出御され、織星と牽牛が出会うことを祈ったとされます。庭には机(民間では棚のことも)が設置され、その上に供物を並べ、葉に7本の針を刺し、その針の穴に糸(五色)を通した物を置きます。一晩中香と明かりを絶やさないようにしました。
時期により移動しますが、この日に相撲の節会が開かれました。これは、豊作の祈念と、秋の作柄を占う意味があったとされ、日本古来の習慣でもありました。相撲は、祖霊に豊作を祈念する古来の祭りと関連すると言われ、その後仏教行事と融合して盂蘭盆会になったとされます。ともかく、この時期は収穫を目前に控え、台風や旱害などの危険がある時期であり、豊作の祈念は切実だったと思います。
鶏合、駒競、相撲共に神意を占う行事であり、神聖な行事でしたが、平安時代でも賭博性・射幸性が強まっていきます。
重陽(9月9日)
菊の節句とも呼ばれますが、「菊」という漢字は音があっても、訓が基本的には無い漢字で、菊には中国伝来という気分があります。重陽も中国からの行事をそのまま取り入れたところがあり、邪気を払い、長寿の薬効があるとされる菊を観賞し、菊酒(菊を浮かべた酒)を飲みながら漢詩を作る節会です。ただ、この日に吉野の国栖(くず)地方の人々による国栖舞(国栖奏-すずそう)と言われる舞が行われたところが日本的だとは思いますが、重陽の日に国栖舞がなぜ結びついてかはわかりません。

以上、参考まで。

追記ばかりで申し訳ありません。
さて、11月の行事についてですが、旧暦ではほぼ11月に冬至はあるのですが、平安時代は冬至の日をあまり重要視していませんでした。それは、冬至に関する行事が新嘗祭の中に入っていたからだと言われています。前記した中に、新嘗祭の中で、天皇が衾に臥すと書きましたが、この行為が冬至と関連しているとされます。冬至で太陽の力が弱まり、天皇の力も弱まると考えられ、衾に臥す=天皇の死を意味し、天皇は一度死んで再生し、新たなそして力強い霊力を持って、復活するとされ...続きを読む

Q節句・平安時代の11月11日について

 Wikiによると、江戸時代に
「日本の宮廷において節会と呼ばれる宴会が開かれた。年間にわたり様々な節句が存在しており、そのうちの5つを江戸時代に幕府が公的な行事・祝日として定めた。それが人日の節句、上巳の節句、端午の節句、七夕の節句、重陽の節句の五節句である。」
 とあります。

 1月1日、年初としての元旦の行事が多すぎ、1月の節句として1月7日の人日の節句に代えたとするなら、その後の節句は、3月3日・5月5日・7月7日・9月9日となっているので、自然に思えます。

 そこで質問です。

 公式な節句としては定められていないものの、11月11日を節句として祭る習慣が、一部ではあった可能性があるのではと思うのですが、実際のところはどうなのでしょうか。
 
 平安時代の慣習に詳しい方、宜しくお願いします。
 また、日本にはなくても、~時代・王朝の中国では、11月11日を祭ったというような事例があれば教えてください。

Aベストアンサー

    同じような質問が下記のように過去にあって、「ない」と言うのがベストアンサーでした。
    http://oshiete.goo.ne.jp/qa/496949.html

    11月11日が節句でない理由には少なくとも二つ考えられます。

1。  節句はもともと仕事を休むためにあったので、収穫が終わると、その必要が無い、と言う理由があったと言うことも考えられます。「節句働き」というのは、仕事をしない怠け者に限って、というむすびつきからも、こういった可能性はあるのではないかと思います。

2。  中国のような十進数の文化では、「十一」と言う数字は、「番外」というか「余分」と考えられたのではないか、と言うことです。

Q大さじ一杯 小さじ一杯って・・・

それぞれ何グラムぐらいなんですか?困っています教えてください。私はさじを持っていないので測れないのです

Aベストアンサー

重さは量るものによって違いますが、
大さじ一杯=15cc
こさじ一杯=5cc
です。


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