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第二次世界大戦の頃、どのようにして枢軸国と連合のグループに分かれたのですか?

私は今高校でこのあたりのヨーロッパ史を勉強しているのですが、なぜ枢軸国は日独伊で連合が米英仏露中なのか分かりません。
私日本人の見解から特に不思議に思うのがイタリアが枢軸のメンバーであることです。ただでさえ第一次世界大戦のときドイツを裏切っているし、連合は五カ国の集まりなのにイタリアのような戦争において弱い国はドイツと日本と肩を並べてこの時代三国同盟を組める国ではないと思います。(主要の国で)3対5というだけでも厳しいのに。。。それともすでに連合に大体の良い国は持っていかれてしまっていたのでしょうか。またはドイツの軍事力過信?

回答よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

もう少し詳しく言うと枢軸国はドイツ・イタリア・日本・タイ・満州・フィンランド・ブルガリア・ハンガリー・ルーマニア・クロアチアです。


同調国としてスペイン・バチカンがあります。

イタリアにはムソリーニと言う独裁者がいました。
スペインにはフランコと言う独裁者もいたのです。

フランスはすぐに降伏して親ドイツのビシー政府が統治しました。
中国にしても蒋介石率いる国民政府軍と共産党の八路軍が内戦をしていました。
なので実質は3対3です。
ウィキペディアに詳しく載っています。
参考にしてください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C% …
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> 第二次世界大戦の頃、どのようにして枢軸国と連合のグループに分かれたのですか?



国によって違いがあります。
ドイツは、第一次大戦後の賠償のために経済が崩壊し、復興に際し英米仏と、特に世界恐慌から始まるブロック経済や植民地に関して対立を深めていきます。
イタリアは、第一次大戦で国土と主張する地域の一部を認められなかったこと、およびムソリーニをはじめとしたファシスト政権によりドイツとの仲を深めていきます。
日本は、ドイツをソ連への牽制として必要とし、次第に仲を深めていきます。また植民地として欲している地域がバッティングしていない、という事情もあります。英仏やオランダはアジアで日本と植民地がバッティングしています(日本が宣戦布告した国にはオランダが入っています)。

一方の連合国側も国によって違いがあります。
イギリスとフランスは、第一次大戦からドイツと敵対関係にあります。また、大戦前夜はドイツの要求をのむことで収めようとしましたが、度重なるために遂にのめなくなった、という理解も成り立ちます。
アメリカは連合国参加がかなり後です。元々イギリスと仲が良く、またアメリカの主要な貿易相手の1つであったこと、および中国への利権を日本と争っていたことが主な理由です。真珠湾はきっかけに過ぎません。
ソ連(ロシア)は、ドイツが対ソ戦を開始したことが主な理由です。それ以上に深い意味はありません。当初は静観する予定だったようです。
中国(当時は中華民国)は、アメリカが多額の援助を行っていますし、当時日本と交戦状態(といっても、長期間大規模な戦闘がない時期がかなりあるが)でした。

その他の連合国・枢軸国の参加国も、ヨーロッパ諸国は戦闘に巻き込まれる形で、その他の国は大抵は列強の外交政策によって、参加していきました。


> 私日本人の見解から特に不思議に思うのがイタリアが枢軸のメンバーであることです。ただでさえ第一次世界大戦のときドイツを裏切っている

非常に面白いことに、イタリアは第一次大戦・第二次大戦共に敗戦国側として参戦し、戦勝国側で終戦を迎えています。フランスは共に国土の大半を占領されますが、それでも戦勝国として大きな顔をしています。
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