現在、人権を制約する際は内在的制約を行わなければならないとされていますよね?
内在的制約は、他人と人権がぶつからないかぎり人権が認められるという意味だと思うのですが
それでは、たとえば今、新しく人権を主張した時にそれが今ある法律に触れてしまった場合は
その人権が他の人権とぶつかっていないのだからその制約する法律は違憲だと言えるのでしょうか?
それとももとからある法律によって制約される場合はその法律が違憲審査で合憲となれば良いのでしょうか?

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A 回答 (3件)

No.2の方が、「『内在的制約』ってのは、他の人権とぶつかる場面ではなく、『公共の福祉』」と衝突する場面で制約だとの解釈が一般的だと思う。

」仰っていますが、これは間違いです。

そして、「内在的制約」は質問者様のおっしゃるように、「他の人権とぶつかる場面」という意味です。


内在的制約というのは、人権は不可避的に矛盾・衝突をするため、これを調整するために不可避的に人権が制約されるという場合の、当該制約を指します。窮屈な箱に入れられた風船は当然に互いを潰し合います。これが内在的制約です。
すなわち、「公共の福祉」はそれ自体何か実体を持つものではなく、「人権の矛盾・衝突」あるいは「人権の矛盾・衝突から不可避的に発生する、互いの人権の制約」を「公共の福祉」と名付けたに過ぎません。

他方、外在的制約というのは、「公共の福祉」が外在的に、すなわち人権を制限する一般的な根拠として、人権を制限できる、という場合の当該制約を指します。先の例とパラレルに述べるならば、風船を「公共の福祉」という「手」によって外界から潰すことが外在的制約といえます。

*人権と公共の福祉による衝突する場面での制約は、もはや外在的な制約です。


そして、本題ですが、ご質問者様が「現在、人権を制約する際は内在的制約を行わなければならないとされていますよね?」と仰るとき、念頭に置かれているのは、宮沢俊義先生のご見解であるところの、一元的内在的制約説だと思います。
すなわち、「公共の福祉」は人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的衡平の原理に過ぎないとする見解です。

この見解の下で、ご質問者様に直截的な回答を申し上げるとすれば、「違憲であると言える」の一言に尽きます。
ある法律が成立時には合憲であっても、当時は人権としては承認されていなかった権利(潜在的な人権)が時の経過により成熟することで、いわゆる「新しい人権」となった場合で、当該法律がその人権を不当に(つまり、人権相互の衝突がないのにも拘らず)制約している場合には、当該法律は時の経過によって違憲となります。


以下は補足です。
確かに、一元的内在的制約説は受験界では、現在でも「通説」と言われることが多いですが、もはや「伝統的通説」あるいは「従来の通説」と述べたほうが正確であると思われます。なお、最高裁は一元的内在的制約説に立脚したことは一度もありません。
現在の学説では、人権の衝突がない場合でも、政府は「やむやまれぬ政府の利益」により、必要最小限の人権制限を行わざるをえないことを承認した上で、その不当な制約を避けるべく、個々の人権に関する具体的な違憲審査基準を考える方向へ、と議論は移行しています。
すなわち、公共の福祉論は最早過ぎた議論として、違憲審査基準論へと移行しているということです。

では、以上の現在の学会の通説における公共の福祉は何説なのか、と言われますと回答には困るのですが、「やむにやまれぬ政府の利益」による人権の制約を許すと言う意味で、新・一元的外在制約説と言えるかもしれません(もっとも、元来の一元的外在制約説とはその内容が異なります)。
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もともとからある法律でも、違憲になる可能性はある。


去年の国籍法違憲判決なんてのはそうだね。

>内在的制約は、他人と人権がぶつからないかぎり人権が認められるという意味だと思うのですが

「内在的制約」ってのは、他の人権とぶつかる場面ではなく、
「公共の福祉」と衝突する場面で制約だとの解釈が一般的だと思う。
例えば、新型インフルエンザの疑いがある人に対する停留措置のような場合。
だから、他人の人権とぶつからなくても公共の福祉の観点から制約が認められることはある。
それから、内在的制約がある場合、「人権が認められない」のではなく、
人権はあるけど、「制約が認められる」ということだからね。

全体的に理解がすこしズレてる感じだから、憲法の本をもうちょっと読み込んだほうがいいと思うよ。

No.1はちょっとおしい。

1.その「新しい人権」が憲法上保障される人権かどうかの検討。

2.その人権を制約する法律が違憲かどうかの検討(法令違憲)。
明確性の原則とか、LRAとか、厳格な基準、合理性の基準なんていうやつ。

3.法律が合憲だとしても、その適用のしかたが違憲ではないかの検討(適用違憲)。
比例原則違反、裁量権の逸脱・濫用など。

そういう感じかな。2と3のたとえが一部逆になっている。
厳格な合理性の基準などは基本的には「法令」の合憲性判断基準だよ。
立法目的と法令に書かれている制約手段の話だからね。
「その事例の制約態様はどうか」という話ではない。
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1.新しい人権が憲法上認められるかを論じる必要があります。


~ 人権カタログがどうのこうのという話 ~
で、認められたとしましょう。

2.実際に司法判断が下されるのは、具体的訴訟が起こった時です。
法律が違憲でないかを審査します。(法令違憲)
~ 立法趣旨やら比例原則とかそういう話 ~
で、合憲だったとしましょう。

3.次に、その事例における人権制約の手段や目的について個別的に検討されます。(適用違憲)
~ 厳格な合理性とかLRAとか憲法学の一番深いところ ~


仮に「2.」で違憲になった場合のみ、その法律は没です。
没なんですが、事情判決の法理がどうたらこうたらで即無効にはならないかもしれません。
ヤヤコシイですね。
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